見え透いた嘘
(表小説 「葛藤」くらい)
欲望の街。
宿の裏手に止めてある馬車内でユナは項垂れていた。
仲間モンスターの様子を見に来たのだが、狭い空間に飽きてしまったのか既にその姿は見えない。
危険だから街から離れるな、外出するときは必ず5匹で行動しろ、人に見つかったらすぐに逃げろ
と念を押しているので大丈夫だとは思うが-----
仲間モンスターたちと話をしたかったユナは何となく肩を落とす。
ファルシオンは宿の馬小屋で休んでいるし、静寂しか無いこの空間は否応にも気分を沈めさせる。
今からほんの30分ほど前、ユナはこことは打って変わって喧騒激しい酒場に居た。
ミレーユ、バーバラとともに街の情報を集めていたのだが、ワケあってユナだけその場を離れる事になった。
このはざまの世界で商人をやっているという二人の男たち。
めぼしい情報にありつけそうな予感を抱いて話しかけたところ、どうやらその二人はミレーユとバーバラをいたく
気に入ってしまったらしく
「おねーちゃんたちがオレらと飲んでくれるって言うんなら、いろいろ話してやってもいいぜ」
「ああ、オレたちはこんな世界でもキャラバンをやってる。あんたたちが知らねー事をたっくさん知ってると思うぜ」
酒臭い息と顔でそんな事を言ってのけた。
あからさまに険しくなるミレーユとバーバラの肩に腕を回し、両手に花とでも言った
恍惚の表情を浮かべ
「いやっは〜〜!見れば見るほどキレーなねーちゃんたちだな!どーすんだ?悪いようにはしねえぜ?
オレたちに酒注いでくれるだけで良いんだぜ?なあ?」
「そうそう、オレたちはそんなケダモノじゃねえからな。
おい、周り見てみろよ。男どもの羨望の眼差しを痛いぐらい感じるぜ〜!楽しい夜になりそうだな!」
ミレーユの口が微かに動く。呪文の詠唱をしているように見えて、慌ててユナが口を挟んだ。
「ミレーユさん!落ち着いて!ま、まあお酒注ぐだけで良いって言ってるんだし、そんなに警戒しなくても
良いんじゃないかな?他にめぼしい情報持ってそうな人も居ないし・・・」
「・・・・・・・・・」
ミレーユは仕方無いと言った意味のため息を返した。ホっとしたユナの前に二人のうちの一人が立ちはだかった。
「んだ、こいつ女だったのか?お前なんかにゃ用はねーよ!さっさと行け!」
「そーそー、オレらはこのキレーな二人と酒が飲みたいだけなんだから、君はあっちに行っててね」
「ちょっと!何よそのいい方!」
最初からプルプル肩を震わせていたバーバラが遂に口を開く。
「やっぱり、こんな人たちに聞く事なんて、何も無いみたいね・・・。もう宿に戻って・・・」
「オレの事なら気にしないで!オレお酒の匂いで気分悪くなってたトコだし、そういう事で、宿に戻ってるからさ!」
ミレーユの言葉を遮って、ユナは慌てて酒場から飛び出した。
宿には戻らず馬車に飛び込んで、
で、今に至る。
「・・・・・・・・・」
まっくらな馬車の中、宿に戻る気もおきず座り込んで天井を見上げた。
いつもならかわせるハズの酔っぱらいの言葉だったが、かわす事など出来なくてトゲをもってチクリと刺さった。
かわせない理由は分かってる。
女だと意識した事なんて、一度だって無い
一日経って、この言葉は更に重さを増しているようだった。
視線を天井から落として、一層ユナは肩をすぼめた。
欲望の街。
テリーは前日と同じように墓地に来ていた。
精神を研ぎ澄まし、気配を探る。もう一度、あの三つ目の悪魔が現れたら一瞬で斬り捨てられるように。
墓地に垂れ込める陰湿な空気が頬を撫でていく。
刃物のように精神を研ぎ澄まして1時間も経った頃、ようやくテリーは足を踏み出した。
よからぬ喧騒が耳に入ってしまったからだ。
墓地からほどなく歩いた所にある、薄汚い小屋。元は馬小屋だったのだろうか特有の匂いのする小屋の中に
喧騒の原因は居た。
数人の男が衣服の乱れた一人の女を囲んでいる。
強姦の現場と言うのはいつ見ても慣れない。
口封じをしようと男たちが殴りかかってきた所をいとも簡単に打ち伏せる。
言うまでもなくテリーの相手では無かったが問題はこの後だった。
礼も言わず逃げていった女を見送ったテリーに奇妙な感覚が入り込んできた。
これは間違い無く危険で異質なもの。
体中が瞬間的にそう叫んだ。
ゾクリと悪寒がして気を張った物の既に遅し。
異質な感覚が目の前で弾ける。
しまった、これは・・・。
ふらつく足を必死に押しとどめ耐える。
うつむいた視線の先には先ほどの男たちが伸びていた。
この感覚は、こいつらから乗り移ったものか・・・?
異様な感覚は正体を見せることなく内側からじわじわと浸食する。
体が熱い。
体が、頭が異様に欲している。
熱さを沈められるだけの、極上の快感を--------。
「こんな街、長居なんてするもんじゃないな・・・」
既に額には大粒の汗。テリーは舌打ちすると、街とは反対の森の方へと歩き出した。
その頃、馬車から動けないでいたユナはようやく顔を上げた。
もう1時間以上は経ったかもしれない。酒場での聞き込みもあらかた終わってる頃だろう。
自分を奮い立たせて、立ち上がろうとしたユナの瞳に
「あ・・・」
銀髪の少年が飛び込んできた。
向こうは、何故か酷く驚いた顔をしていた。
「・・・テリーも・・・馬車に何か用?」
・・・・・・・・・
一応声を掛けたが相手は無言。そう、昨日テリーに言われたばかりなんだ。
オレに近付くな。構うな。と、
だからと言ってユナには無視する事なんて出来なかった。
「・・・じゃあ、オレ、行くな」
締め付ける胸の内を隠しつつ、頭を掻きながらテリーの横を通り過ぎる。
が、
いつもと違うテリーの雰囲気に気付いて振り返った。
「どうしたんだよその汗!何かあったのか!?」
初めてみる大量の汗。いつも涼しい顔をしてるだけにその異様さが見て取れて
思わず駆け寄ってしまった。近くに寄っただけで、熱さを感じる。
「熱あるんじゃないか?ミレーユさん呼んでこようか?」
慌てて飛び出そうとしたユナの腕を一瞬早くテリーが引き留めた。
その、あまりの熱さにユナの動きが止まる。
「テリー、これホントまずいって。医者に診せた方が・・・」
「・・・・・・・・・」
テリーは何も言わず、こちらも向かず、腕を強く掴んだままだった。
テリーの震えと熱がユナの体にまで伝わる。
心配になってユナが口を開くより早く、テリーが言葉を発した。
「・・・お節介はするなと・・・昨日言っただろ・・・・・・」
息が上がる中、苦しそうに言葉を押し出す。
「オレに構うな・・・」
「でも、おかしいだろこんなに熱があって・・・!誰かに診せた方が・・・」
「オレに構うな!」
目も合わせてくれないまま、テリーはそう強く吐き捨てた。
「・・・・・・・・・っ」
テリーは自分から掴んでいた手を乱暴に払い、馬車の奥へと入っていく。
「・・・・・・・・」
テリーの体調の事も有りいつもは引かないユナだったが、今日は引き下がるしかなかった。
昨日の辛辣な言葉はじわじわと体中を羽交い締めにしている。
「テリー・・・」
心配そうに、もう一度だけ奥のテリーに呼びかけたが、返事をしてくれるはずもなく。
ユナはここへ来た時より、もっと苦しい気持ちのまま馬車を後にするしかなかった。
「・・・・・・・・・・・・」
ユナの足音が遠くなったのを機に、テリーは深く息を吐き出した。
今一番会いたくない奴に会ってしまった、その難をなんとかやり過ごした事に安堵していると
テリーの心を見透かすように、異様な感覚の正体が一気に膨れあがった。
『どうして押し倒さなかった?』
自分と同じ声が頭に響く。ある程度予想していた事だったので、別段驚くことも無くテリーは返した。
「街の奴らの欲望が、お前みたいな思念体を生み出したのか?」
入り込んだもう一つの意識はテリーの質問に答えなかった。
『欲望に素直になれ。それが一番良いだろ?あいつはお前に惚れてる。それはお前が一番良く知ってる。
だったら、抱いてやれば良い。お前も気持ちいいし、あいつだって悦ぶだろ』
体はまだこいつに入り込まれたままだ。意識を乗っ取られれば先は見えている。
それだけは防ぎたかった。その気持ちだけでテリーは必死で耐えた。
「ふざける・・・な・・・!さっさとオレの体から出ろ・・・!オレは、街の男どものように
簡単に欲望に身を任せたりはしない・・・!」
膨れあがった別の意識は、どんどん力を増しているようだった。
熱い何かが血管の中を走って体中を巡っている。
『それは無理だな。体から出ていくなんて、不可能だ。オレはお前、お前はオレ。
オレは、お前が奥底に推し溜めた欲望そのものだからな』
火照る頭の中にそんな声が聞こえた。
オレに問いかけているのは別の思念体ではなく、意識をもったオレ自身だと言う事を。
『男なんてみんなそうだ。誰だって欲望や欲求を体の内に秘めてる。
さっきの男たちだってそうだ。あいつらは女を抱きたいと言う欲求を持ってた。ただそれが意識をもって動いただけ。
お前だってそうさ、あいつを抱きたいっていう欲求を持ってる。それがオレという存在を生み出した。
街の奴らの欲望じゃなくて残念だったな、オレは、お前の欲望から生まれた思念体。これが正解』
饒舌に語りかけてくる。悔しいがテリーは熱い体に耐えながら”それ”を聞く事で精一杯だった。
『中でもお前は最高だ。はち切れんばかりの欲求を見て見ぬふりしてきた。
ため込んだ欲求はオレ自身になる。宿主のお前さえも食ってしまえるぐらいにな』
「・・・・・・く・・・」
『そうだ、お前の代わりにオレが抱いてやるよ。こんなにも ため込まれた欲求なら
一度や二度抱いたぐらいじゃ満足出来ないと思うが・・・』
ガシャン!!!
ガラスの破裂音と痛烈な痛みが悪魔の言葉を遮った。
素手で割った聖水はビンのカケラと共に馬車内にしたたり落ちる。
鋭い破片と衝撃でテリーの左手が赤く染まっていった。
痛みはいつものテリーに引き戻してくれる。
「誰が・・・お前なんかに・・・・・・」
大きく深呼吸して、テリーは馬車から離れた。宿に戻る気なんて毛頭無い。
森の随分奥まで来た所で、落ち葉のクッションに体を預けた。寝心地は悪いが宿に戻るより遙かにマシだった。
もう一度深呼吸する。先ほどの異様な感覚はもう無い。
少しだけだがホっとすると、テリーは用心深く瞳を閉じた。