少女夢想
恐い夢を見た。
ユナは恐怖により引き攣った頬を指で揉み解すと、小さくため息を吐く。
(あの頃の、夢か…)
ギンドロの処に居た時の。
あの頃は本当に辛くて辛くて…死にそうだった。
否。
(辛かった事ならまだあるけどな…)
思考とは裏腹に緩む唇。
思い出していたのは、テリーと離れ離れになっていた時季の数々。
(オレ、本当にテリーが居なかったら生きていけないのかもな…)
クックックと声を押し殺して笑う。
が、その僅かな声のせいで馬車で寝ていた人――ハッサンやチャモロ、
ミレーユやバーバラ…テリー――が何人か身動ぎした。
(っと…まだ寝てから時間経ってないし..眠りが浅いんだな…きっと)
何か音を立てたら起きてしまいそうだ。
ユナはそっと忍び足で馬車から降り、見張りをしてくれている影に向かって言った。
「ちょっと…散歩してくるから。すぐ戻るから…」
「あぁ解った。気を着けて行けよ?」
「はぁ〜それにしても綺麗なお月サンだなぁ〜」
まん丸の満月。
こんな時は不思議なことの一つや二つ起こりそうな気がする。
(まぁ実際起こったらちょっとビビるけどなー)
奇声でも上げたらどうしよう。
馬車に居た仲間たちが起きてしまう?
もし、そうなったら…
(うっわ、怒られる…!)
すぐさま想像出来てしまう辺りがユナなのだが。
(絶対怒られるって…)
と、脳裏に浮かんできたのは無言で怒りオーラを飛ばしてくる愛しき人の姿。
もしかしたらオーラだけではなくグーパンチも飛んでくるかもしれない。
それは中々遠慮したい。
(ちぇっ…手加減も何も無いんだからなー…)
あの人は本当にオレのことを好いてくれているのだろうか。
こんな男みたいな口調を使って、格好をして。過去にはとんでもない闇があって。
それでも…
(オレを相手にしてくれてる…)
その時だった。
ユナの目の前に、幻想的な風景が広がったのは。
「ぅわ…っ」
綺麗。
その一言しか出て来ない。
綺麗な水が静かに円を模っている泉には
月の光が降り注ぎ、おまけに色々な華が咲いている。
甘い匂い。
思わずフラフラと水辺に近寄ると、何かが飛んできた。
それを手で受け止める。
(…?)
手の中には、何も居ない。
自分の見間違いかと顔を上げると、視界には一杯に光がフワフワと漂っていた。
「な…何だコレ?」
綺麗は綺麗だ。
しかし何処かしら警戒してしまうのは、一種のクセで。
光が再び、目の前に来た。
「…綺麗だな…」
木の根元に寄り掛かってその光を目だけで追っていると、
何故か色々なことを口に出してしまっていた。
「オレ、本当にテリーの役に立ってるのかな…」
「足手まといじゃないのかな…」
「テリーは、オレと会わなかったら幸せになれてたのに…」
「…怨まれてないだろうか…」
「こんな汚い体なのに…」
「素直じゃなければ、美人でもない」
「せめて…」
――願いは口を吐いて出て。
「せめてもう少し…素直で美人になれれば…」
光の粒が集まり、何か形を取り始めた。
「!!!?」
その形は何処かで見たことがあるような。
何処でだろうか。
『……テリー…』
声を聞いてやっと解った。
この形は、自分の今の姿と似ている。
でも顔は自分より遥かに美人で、それで…女らしさが溢れてた。
「これは…一体…」
その光から出来た『ユナ』の視線の先には、
同じく光から出来たテリーの姿があった。
テリーは何時もとまったく変わらない顔で、仕草で、表情で。
そんな『何時ものテリー』が、『自分と全く違う自分』に近付いていく。
手を伸ばし頬のラインを撫で。
『ユナ』らしき女はそれを微笑んで受け止めていた。
「止め……っ」
触らないで…!
叫ぼうとした。
しかし、言葉は続かない。
――もし、『女らしいオレ』の方が、テリーが良いって言ったら…?
必要無いのは、「オレ」の方になるじゃないか。
だったら…
「触らないで、なんて…」
言えねぇよ…。
この場から立ち去りたくても足は動かない。
まるで何かに止められているかのように。
『テリー…“私”、綺麗になった…?』
『そうだな…まぁ見違えるくらいには、な』
恋人同士がするような会話。
それを、オレは膝に顔を埋めて聞いているしかない。
何だかとても泣きたくなった。
…何かが落ちる音が聞こえた。
(…?)
不審に思って顔を上げると、そこには服を脱ぎ落としている女の姿。
テリーはそれを目を細めて見つめている。
「な…っ…!!」
女が豊満な胸をテリーに擦り付けるようにして抱き着いて。
その背中にテリーが優しく手を廻す。
唇に唇を重ねて情事が始まる事を示していた。
「止め…止めろ…っ…!!!!」
厭だ厭だ厭だ。
厭だ!
テリーの、女の太腿を撫でる感触や陰部を解す感触、
すべて自分の体と重なっていく。
――止めて…そんな知らない女を抱かないで…。
声が、出ない。
テリーが性器を取り出して女の陰部へと充てる。
グジュッ…と濡れた音がして段々と埋もれていくソレ。
目から涙が溢れていく。
頬を伝うその液体だけがやけにリアルで、睦み合う男女の音は遠く聞こえた。
「そんな、の…オレじゃない…」
女らしくて素直で、なんて。
そんなのオレらしさのカケラもない。
「オレじゃないんだ…!」
――ピキュンッ…!
何か、薄いガラスの割れるような音がした。
その音を聞いて弾かれたように足が動くようになる。
「…ぁ…」
辺りを見まわしても、何も無い。
女もテリーも居なければ、光も無かった。
「夢…?」
だったのだろうか?
しかし体は冷えていないから、あまり時間は経っていないようだ。
ふと、背後を振り返った。
そこには先ほどの光が集まって出来たような、白い華の群生地帯。
その可愛らしい姿に、ユナの唇は弧を描いた。
(可愛い…)
持って帰ろうとも思ったが、可哀想なので止めた。
「生きてるんだもんな…」
もし、オレが居なかったら…なんて。
考える事は出来ても想像することは出来ないのかも知れない。
(オレはここに生きてるんだから…)
もし、オレが女らしくて素直だったら…なんて。
考える事は出来ても想像することは出来ないのかも知れない。
「帰ろう。馬車に」
ユナは知らない。
月光の魔力により幻像を見える草があるということ。
そしてその月光自体にも、夢想を見せる魔力があるということ。
馬車へ向かう足取りは、軽やかだった。
「…よし、皆寝てるな…」
良かった、誰も起きていない。
ユナが安心して寝床に入ろうとした時だった。
「……何処に行ってた?」
「ぅおわっ!!!?」
声を掛けてきたのは、先ほどの夢想にも出てきた愛しき人で。
「お、起きてたのか…?」
声を掛けてくれたのが嬉しかった。
同時に気にしてくれたのも。
「…あまりフラフラするなよ」
ぶっきらぼうな言葉でも、言いたい事は解ったから。
――夜に出歩くと危険だぞ――
「…有難う…テリー」
あ、たまには素直になるのも良いかも知れない。
振り向いたテリーの顔が真っ赤だったのを見て、ユナは思った。