覚悟


「どうしてこうなるんだよ・・・・・・」

 体の底から湧き出る不条理さの織り成す悲しみ。
その悲しみを飲み込む術をユナは知らなかった。知りたくもなかった。

「なんでなんだよ・・・・・・」

 宿の暗い一室で、硬いベッドに座って同じ意味をもった言葉を繰り返す、それで気がまぎれるわけでもない。だが口をついて出さずにはいられない。
涙が出そうでたまらなかったが、その涙を流したくなかった。だからユナは涙の代わりに言葉を発した。

のしかかる重い淀んだ空気は一人では耐えられなかったかもしれない。
だが、部屋の中のもう一人の人物がユナと同じ重い空気を共有してくれていた。
その人物----------テリーは窓際に立ったまま町並みを見下ろしている。

教会の隣に建てられたこの宿の窓からは、数十年、雨風にさらされ、くすんだ教会の壁とその右手奥には墓地が見えた。
墓地では葬儀が執り行われていて、教会の神父らしき人物と喪服を着た人々が棺を囲んでいる。

テリーはその中で、見知った人物を見つけた。
海のように澄んだ青い髪を黒く染めていて、最初は見間違ったかと思ったが確かに知っている女だ。二週間前、この町に来て最初に笑顔を見せてくれた女だった。

女は大事そうに持っていた白い一厘の花を、棺の中にそっと投げ入れた。
棺の中に花に埋もれているであろうはずの青年の事もテリーは知っていた。女の次に笑顔で話しかけてくれた青年だった。

女の表情は、遠すぎて読み取れない。
だが、その女の気持ちが自分の中に流れ込んできた気がして、テリーはその場に似合わない舌打ちをした。

「自然の成り行き・・・。今回はたまたまその流れが予想より早く訪れた。大きな流れで見れば悲しい話でもなんでもない。ただ、それだけの話だ」

 誰に向けての言葉なのだろう。独り言にしては抽象的な排他的な諦めすら漂うその言葉は重い空気の中意味を持たずしばらく漂った。

「・・・悲しい話じゃないって言うのかよ・・・?二人ともようやく両親を説得できて、結婚して、これからだったのに・・・これからだったっていうのに・・・っ」

 ユナはその排他的な独り言を素直に受け取った。悲しみを飲み込む術を知らないユナは素直な自分の言葉で返す。
テリーは、湧き上がる何かを飲み込んで、もう一度視線を窓の下に落とした。
青い髪をしていた美しい娘と、棺の中の青年は冷たく分厚い世界の壁に隔たれている。
どんなに願っても もう二度と触れ合うことなど出来ない。それはもう決して、絶対に、なにがあっても変えられない事実。
変えられないのだから仕方ない・・・・・・テリーの思考は冷たく停止していた。

「ほんの少し前まで元気だったのに、笑ってたのに、突然倒れるなんて、突然死んじゃうなんて・・・っ!こんなのないよ、おかしいよ、いやだよ・・・!!」

 そんなテリーとは逆に、ユナの思考は熱を持って動いた。それは悲しみを原動力にしているようだった。

「好きな人とせっかく一緒になれたのに、結婚できたのに、そんな幸せが一瞬でなくなっちゃうなんて・・・そんなの悲しすぎるよ!酷すぎるよ・・・・・・!!」

 青い髪をしていた娘・・・・・・カリンの気持ちを考えて、ユナはベッドから一歩も動けずに居た。
自分の体の中に、重い鉛でも入れられてしまったみたいだ。

「・・・・・・人を好きになるっていうのは、”そういう事”なんだ」

 それはいつもと同じトーンなのに、いつもと違う質を持った言葉。
本当にその人物が放った言葉なのか、確かめようとユナは反射的に顔を上げた。
声の主は疑うまでもなくその人で、その横顔はいつもより険しく鋭い。

「どんなに泣こうが、喚こうが、必ず別離する日が来る」

 窓から入ってきた日が、暗い室内を少しだけ照らす。
そしてその人、テリーの影をより色濃く漆黒のように刻んだ。

「お前には”その覚悟”はあるのか?」

 振り向いたアメジストの瞳は酷く痛々しく見えた。
そしてその瞳はユナの深いところに向けて、もう一度問いかけたような気がした。

”お前にはその覚悟はあるのか?”



 


 次の日の朝。
テリーとユナは早々に滞在していた宿を引き払った。
そうしなければならない雰囲気が宿の主人だけでなく、町全体にあった。
誰かが二人のことを死神と呼んでいた。
突然他所からやってきて、カリンの恋人に死を運んできた死神だと。

空は青く晴れていたが、町全体に暗雲が立ち込めているように見えた。
テリーは何の未練もなく町から立ち去る、ユナは申し訳なさをこめて、町の門を出る前に頭を下げてお辞儀をした。腰を直角に曲げた、気持ちのいいお辞儀だった。

町を出て街道沿いに歩くとすぐに関所が見える。
中に入ると、普段着の上から皮の鎧を着込んだ中年の男と、壁には新品の槍が立てかけられていた。きっと関所の警備兵という役職を与えられた役人だろう。
男は二人を見るなり、別の領域へ続くドアを開け
「本当は町長の書状が要るのだが、今回は事情が事情だ。特別に書状は要らない」
と言った。ようは早くここから立ち去って欲しいのだ。
二人が出た途端、ドアは閉まってそれから二度と開かない気がした。
二人は何も言わず、町を背にして街道を歩いた。

その間ユナは朝一に宿に来てくれたカリンのことを思い出していた。
彼女はまず、町民の非礼を詫び、葬儀に呼べなかった事を詫びた。
ユナには想像も出来ない悲しみの中に身を置きながら、他人を気遣えるカリンを心底すごいと思った。
それと同時に、こんな良い娘がどうしてこんな悲しい目に遭わなければいけないのかと、世の中の不条理さにまた体が重くなった。悲しみは体を重くするのだとユナは初めて知った。

「・・・・・・・・・」

 その後、カリンは、自分は幸せだったと言った。
あの人・・・ダリアと会えて、結婚できて幸せだったと。私はダリアをひと時でも一番近くに感じられた。夫婦の契りを交わせた。ユナさんが両親を説得してくれなければ出来なかったかもしれない。出来ないまま私たちは別離していたのかもしれない。
だから自分は幸せなのだと。
泣きはらした瞳で、せいいっぱいの笑顔で。

だが
別れ際のせいいっぱいの笑顔より
恋人が亡くなった後の歪んだ泣き顔の方が脳裏にずっと色濃く残っていた。

大事な人を亡くすというのは、きっと想像を絶するほど辛いんだ。
ユナはまだ、その苦しみがどれほどのものなのか分からなかった。
そしてテリーは姉と離れ離れになった幼き日のことを思い出さずにはいられなかった。

”お前にはその覚悟はあるのか?”

 昨日の幻影が、もう一度ユナに問いかける。
そして幻影は言葉を続けた。

”覚悟があって、オレの事を好きだと言ってるのか?”

「うわっ!」

 その時----------広い草原を撫でるように大きな風が吹いた。
前を歩いていたテリーの帽子が飛ばされ、ユナの顔にぺたりと張り付く。
慌てて帽子を手に取った。よく見ると、帽子は長旅で糸クズだらけだった。
紛れもなく、ずっと昔に自分が作って渡した帽子。
テリーはなにも言わず、帽子をユナの手から奪うように取った。

「・・・ずっと被っててくれて、ありがと・・・」

 テリーは少し考えて

「礼を言われる筋合いなんてない。オレが被りたいから被ってるだけだ」

 今度は風で飛ばされないよう深く被りなおす。
テリーの長くなった襟足は帽子で押さえつけられたクセがついていて、少しだけ外側にハネていた。

「変な返し方」

「・・・・・・何がおかしい?」

 久々に顔が緩んでいるユナが視界に入って、バカにされたと思ったのかすぐに返した。

「ごめんごめん。受け答えがテリーらしいなと思ってさ。・・・・・・ごめんって、そんな怒った顔するなよ」

「・・・・・・・・・」

 険しいというより、釈然としない憮然とした表情。ピンと跳ねた襟足がなんだか表情とあってなくて可愛く見えた。
またユナの顔が緩む。

「笑うな」

「笑ってないって」

 そんなやり取りを繰り返すと、張り詰めていた緊張は徐々に解け、いつもの不思議と心地いい空気に変わった。

「・・・・・・」

オレにはその日を迎える覚悟なんてない。
だけど、覚悟はなくてもこの気持ちは棄てられない。
きっとオレはカリン以上に泣いて喚いて落ち込むかもしれない。
だけど、この気持ちに嘘はつけない。

「オレには、まだそんな覚悟はないよ・・・」

 ぽつりとつぶやいた。

「でも、覚悟はないけど、ひとつだけ分かってることはあるんだ」

 今度は前を歩くテリーの背中を見つめて

「覚悟はなくても・・・悲しみにくれるって分かってても・・・
オレは、オレ以外の他の誰かを想って生きていたいんだ・・・」

 本当に素直な自分の気持ち。
テリーは背中で聞いたその言葉をゆっくり拾い上げる。
そしてその後、心の中に溜まっていたものを吐き出すかのように ふっと息をついた。

「・・・・・・勝手にしろ」

 久しぶりに顔を上げて、いつものトーンで

「バカ」

 もう口癖になってしまった言葉を空に向かって投げた。



fin.
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これはほんとうは漫画にしてたんですが途中で断念;;しかしSSにしてみるとやっぱり漫画のほうが良かったんじゃないかと ああああ・・・
今度はもっと明るいっぽい話にしよう;;