● エピローグ ●

 




「良くここまで辿り着いたな…勇者ユーリルよ…」

 心地良いくらいに青年の心は高揚していた。
荘厳な城の荘厳な部屋、マスタードラゴンといわれる伝説の竜が
目の前に鎮座している。

村を出てから、もう2年余りが過ぎようとしていた。
幼かったユーリルは美しい青年へと変貌していて、テリーに言われたように信頼出来る仲間も
増えた。

天空の武具を全て集めて、世界を治めるという天空の城に
やっと赴く事が出来たのだ。

「私の名はマスタードラゴン。天空の城を治める王だ」

 ユーリルは待ちきれない様子で

「マスタードラゴン様!オレの母親は天空人なんでしょ!母さんは…母さんはここにいるんですか!?」

「これ、ユーリル殿!この方は世界を治める神の竜様ですぞ!不躾に挨拶もなしに
そんな事を伺うのは無礼ではありますまいか」

 ちょうど後ろに控えていた一番の年長者ブライがたしなめる。
マスタードラゴンは、ブライとユーリルに小さく首を振ると答えた。

「お前の母親は聡明で美しくて優しい娘だったよ…私も小さい頃は良く遊んで貰ったものだ…
私は、ユナが大好きだった……」

 威厳に満ちあふれていた竜の瞳が少年の様な無邪気な光を宿す。

「………ユナ……?」

 懐かしい、それでいて美しい響き。ユーリルは心に感銘めいた何かを感じて
再び尋ねた。

「そっ…それで…ユナ…母さんは何処に!?」

 先ほどのように、答えはすぐには返ってこなかった。
硬い皮膚で覆われた大きな手を顎に持っていて考え込む。
そして

「…………お主には酷かもしれぬが…もうこの世界にはいない…」

 ユーリルの瞳を見据え、悲しく呟いた。
期待に輝いていた瞳は、急に光を失って、ため息とともに肩が墜ちた。

「………!そ、そんな………!」

 会いたかったのに…一目でも良いから…本当の母親に……

「ユーリル…大丈夫…?」

「ユーリル様」

「ユーリル殿…」

 後ろの頼もしい仲間たちが、次々気遣ってくれる。
その想いに、何とか自分を支える事が出来た。

「………そう落ち込むな…それに…お前の父親は生きているんだ」

「………父さんが!?」

 反射的に尋ねてしまった。マスタードラゴンは心の内を読んだのか
答えてくれた。

「彼は、そう、生きて、今でもお前を見守っているよ…」

 目を細めてマスタードラゴンは微笑んだ。





 ユーリルたちが立ち去った後に、マスタードラゴンは玉座から身を乗り出し
大きな窓を開けて天翔ける城から世界を一望した。

 ふと、過去の思い出に浸る。

「お前の子供は、立派に成長していたぞ…そして、お前の夫も……
苦しみながらも子供に大切な事を教えた…」

 ゼニスは、禁忌と分かっていながらも、娘を止めなかった事の罰を受け、神の座を追われた。
そして、代わりに玉座についたのがマスタードラゴンだった。
人は、結局は人。愛する妻や娘に対しては神として毅然な態度では居られない。

「ヒトは…結局はヒト……か」

 一人、ポツリと呟く。
精霊たちによって下された決断は人を平等に裁くことが出来る竜族が、玉座につく事だった。

「ヒトで有るが故に、ヒトは弱さを持つ…だが、ヒトがヒトで有るが故の強さも併せ持っている」

 マスタードラゴンはヒトの世界をずっと見守っていた。













 厚い雲の切れ間から明るい光が差し込んできた。

真っ白い花が辺りに咲き乱れて、白い十字架が光を反射して光っている

「勇者か……」

 勇者が世界を平和にしたというお触れは世界全土に広がっていた。
悲しみの色に染まった相手を、お前は悲しみを持って倒すことが出来たんだな…。
その意味を教えてくれる仲間にも出会えたんだな…。

山奥の村へと赴くと、彼は、もう自分の手など借りなくても良いほどに
たくましい青年に成長していて、村を復興させていた。

彼を支えて、共に生きているのは……たしか、死んだと思っていた
シンシアというエルフの少女だった。
テリーはその二人の姿を見届けると、彼らに何も言わずにその場を後にした。

「オレと同じ道を辿らなくて、本当に良かった………」

 呟いて、光の差し込む中、天を仰いだ。

 オレは姉さんがギンドロに連れ去られてから、ずっと、強さを求めた。
強くなれば、何者にも屈さない生き方が出来ると思った。
力さえ有れば、大切な者を守れると思った、思っていた。

「………オレは、強くなんてなれなかったな……」

 昔を思い出して、ふっと息をつく。

「強さの意味を誤解したまま力を求めて……」

 結局何も分かっちゃいなかったんだ。

「お前の方が、オレなんかよりよっぽど強かった……お前には敵わない…」

 ふと、頭の中にある映像が蘇ってきていた。
懐かしくて大切な日常。

『あのさ、スラリンが言ってたんだけどさ』

 元気の良さそうな少女が少年のような瞳で話しかける。

『この世で一番強いのは、ヒトがヒトを想う心なんだってさ』

 くだらない、そんなものじゃ魔物は倒せない、生きては行けない。
彼女に対して、そうオレは答えた。

『まーたそんな事言う…ちょっとはオレの話聞いてくれないのかよー?
オレは…その話聞いて成る程って思ったけどな。いくらレベルが上がって強くなった
からって…心が弱かったら…独りぼっちだったら、いくら強くなったとしても
それはホントの強さじゃないよ』

 ……綺麗事だな、実力が伴わなければ、ただの戯れ言だ。
けんか腰で彼女の言う事を受け入れようとしないで。

『……そりゃそうかもしれないけど……一番……大切な事だと思う』

 出会ってしばらくして、こんな事を言われた。
その時のオレは自分の生き方を遠回しに否定されたような気がして、
ユナに対して酷く苛立つ気持ちを持った事を覚えている。

「オレの、心は弱い…な…」

 ポツリと悲しげに呟く。
お前との思い出だけで永遠に生きていけると思っていたが…

「やっぱり…オレは…」

 お前に逢いたい…逢いたくて逢いたくて…………

「どうしようもない…………」

 額を抑えて、深く俯いた。
こうなることは分かっていた。いつか離ればなれになる事も…分かっていた…
分かっていて、永遠に生きる道を選んだのに…。

「もしあの世なんてものがあれば……お前に逢う事が出来たんだろうか……」

 永遠の命になった事を後悔しているのか?
誰かにそう問われれば、すぐには答えは返せない。
後悔している自分が居てもすぐにそれを認める事が出来ないから。

自分の、手の平を見つめた。
力の限り握り締めると、手の平から血が滲み出る。
そして力を抜いて手を広げると血は見る見るうちに蒸発して、傷口は塞がれていった。

「…………」

 久々に胸に広がる漠然とした不安と虚無感。

世界中で独りぼっちになってしまった感覚に陥る。
木々のざわめきや、鳥の羽ばたき、世界中の命の鼓動は何も聞こえなくなって、
聞こえてくるのは自分の心臓の音だけ。

「あの世があれば…そこで、お前は今頃どうしているんだろうな……」

 雲の切れ間から伸びた光は、テリーとその白い十字架に降り注ぐ。

「オレと、ユーリルを見守っていてくれているんだろうか……」

 目から顎にかけて冷たいものが流れ落ちる。
ぱたんとその場に寝転がって、花に顔を埋めた。
真っ白くて小さな花、彼女の大好きだった花。

テリーは、この瞬間が一番心安らぐ時だった。
暖かい大地に彼女の温もりを感じて、あいつを抱いた次の日の朝のような
安心感と幸福感と似たものを感じる事が出来る。


そうだ……ずっと、ここにこうしていよう…………
永遠にここに、お前の側にいよう……………


雲から伸びる一筋の光は絶えずテリーを包み込んでいた。
大地と、光と、空気と、その暖かさが本当に心地良くて
彼女から抱き締められているかのような錯覚に陥り、テリーはそっと瞳を伏せた。

 白い光はより強い光を放つ。
瞳を伏せているにもかかわらず、目の前には真っ白な世界が広がっていった。
思い出が頭に蘇る、その思い出はテリーに愛しい幻影を見せていた。

「ユナ………」

 久々にその名前を口にする。
安らかな心地よさが体中を包んで、そのまま彼は


深い眠りに、落ちていった。










 世界が見渡せそうな切り立った高い崖に美しい花畑があった。
その花畑の中心には、白く美しく光る十字架。それは何年経っても色あせる事無く
汚れない純白を保っていた。

穏やかに光が照らして、穏やかに風が吹いている。
その風を受けて、花がちらほらと気持ちよさそうになびいている。



白い花と真っ青な花が互いに寄り添うように世界を見守っているように
静かに優しく咲き誇っていた。













THE END






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