▼傷痕...


 翌日、二人は予定より早くサンマリーノ行きの船に乗り込んだ。
あんな事件もあってか、なるべく早くここを離れた方が良いと思っての判断だった。

「サンマリーノまで、どれくらいで着くかな」

 いつものお決まりの台詞を隣で尋ねてくる。

「…早ければ1週間もしないで着くんじゃないか」

 それに対していつものようにあっさりと返す。いつもと変わらない二人だったが
心にはお互い黒い影を引きずっていた。

あんな場面を見られて、テリーに嫌われてしまったんじゃないかと思うユナと

ユナに対して沸き上がる欲情を押さえつけている自分は、”あの”男たちと一緒なんじゃないかと
悩むテリー

二人の心は長い船旅の間も交わる事すらなく、ただ虚しくすれ違うだけだった。




 ガンディーノを出てから5日程の日数で船はサンマリーノへと入港した。
甲板からは賑わうサンマリーノ港を見渡せる。
ガンディーノでの事件と、
最近テリーとまともな会話が出来なかった事など
色々あって気分が籠もっていたが、活気あふれるサンマリーノの街を見て
徐々に心が高揚してきた。

船を降りると港を抜け、西の門を潜る。
西街と呼ばれるそこは食料や携帯食を売る店が軒を連ね、色とりどりの野菜や
新鮮な魚が並んでいた。

「すっごいなぁ〜西街ってもっと閑散としたイメージだったんだけど…いつのまにか
こんなに栄えたんだな」

 活気有る街に自然とユナの口調も軽くなる。

「ああ、魔王が倒れて以来、日を追うごとにここも栄えてるみたいだな」

 目を輝かせて町並みを見入るユナに、テリーも重々しかった空気を忘れていた。

早速二人は懐かしい友人の居る”行きつけの酒場”へと足を運んだ。
中央街と西街の境目に有るその酒場は看板が新しく付け替えられ、今も変わらず
繁盛している事が伺える。

入り口の扉を開けると、変わらない呼び鈴とマスターの声が迎えてくれた。
その後に聞き慣れた高い声

「すいません、今日の開店は夕方からになってるんですけど----------っ!」

「よっ、ビビアン。久しぶり」

 ユナは軽く手を挙げて挨拶してみせた。
言葉の止まるビビアンと、カウンターから身を乗り出して目をぱちぱちさせるマスター。
ビビアンは、驚きの表情のままツカツカと歩み寄ると、ようやく笑顔を見せてくれた。

「うっわぁ〜〜〜、ユナじゃない!久しぶり!!元気だった!!」

 嬉しい反応に、ユナは照れ笑いを見せ頷いた。
続いて言葉を発そうとしたビビアンは後ろの人影を見つけて、また言葉が止まった。

「久しぶりだな」

 少し背の高くなった銀髪の少年。

「テリー!!」

 感激のあまり涙目になるビビアン。言葉の出ない彼女に変わりマスターが尋ねた。

「半年振りくらいかな。元気でやってたかい?」

 テリーは少しだけ口元を緩ませ頷く。ようやく思考の動き出したビビアンは

「ちょっと待ってよ、じゃあ、二人はまた一緒に旅してるってわけ!?」

 やっぱりな質問。ユナが考える間もなくテリーの方があっさり答えた。

「そういう事になるな」

「ええーーっ!なに!どういう事なの!?説明してよっ!」

「オレは混む前にいつもの宿屋をとっておくから、お前はここでビビアンと話でもしてろ。
終わったら街を見るなり、宿に戻るなりしたら良い」

 二人を交互に見ながら詰め寄るビビアンを軽く受け流して、テリーはさっさと出て行った。
ビビアンの熱すぎる視線が全てユナに注がれる。

「説明してくれるんでしょうね?もちろん」

 ビビアンから発せられる強烈な威圧感。
もちろんユナは、首を縦に頷かせるしか無かった。




 カウンターに座らされ、半ば無理矢理差し出されたジュースのストローを頬張る。
テリーが出て行った後、息つく暇もない程質問責めにあっていた。
その大半は色恋沙汰についての事なのだが

「だから!何度も聞くけど、あんたたち二人は付き合ってるの!?恋人同士なの!?」

「こ恋人とかそんなんじゃないと思うけど…てか、オレにも今の状況良く分からないし
テリーに聞いた方が…」

「テリーに聞けないからあんたに聞いてるの!」

 それは最もな意見かもしれない。テリーに聞いても、はぐらかされて終わるのがオチだろう。

「じゃあなんでまだ一緒に旅してるのよ!?それに、テリーの雰囲気ずいぶん変わってたし
昔に比べて凄く穏やかになったじゃないの!あんたの影響なんじゃないの?」

「だから…オレにも良くわかんないんだって今の状況が……」

 ただ、一緒に旅をしてる。それが一番しっくりくるのに、ビビアンはその答えでは許して
くれなかった。

「まどろっこしいわね〜……じゃあ、いいわ、質問変えてあげる」

 ユナは少しだけホっとするも。

「テリーから、好きだとか、側に居て欲しいとか、そういう事言われたわけ?」

「----------!」

 ホっとして飲んだジュースが逆流する。
ゲホゲホむせかえるユナを尻目に

「ユナってほんと分かりやすいわね〜」

 ハンカチを差し出して満面の笑顔。そのハンカチを受け取って口の周りを吹く。
笑顔で無言のビビアンは、明らかにユナの答えを待っていた。
本当の事言わないと、後が怖い。絶対。
ユナは自信無さそうに視線を泳がせて

「好きだって言うか…そういう感じのものなら……」

  ”愛してる”

テリーの言葉を思い出し、またユナは赤面した。
2度聞いた愛の言葉だったが、普段のテリーを見ると自信が無くなってくる。
あれは本当なのか?信じても良いのか?
それをテリーに確かめる勇気はユナには持ち合わせて居なかった。

「やぁーっぱり!あのねえ、世間ではそういうのを恋人同士って言うのよ!
いいなぁ〜〜、あんな良い男を独り占め出来るなんて、どんだけ幸せ者なのあんたは!」

 真っ赤に赤面する。恥ずかしくて何も言えない。

「さっき、再会して3週間ぐらい経ってるって言ってたけど…どこまで進んでるの?
あんたたち奥手そうだから、あっちの方はまだなのかしらね?
でも案外行くところまで行っちゃったりして…ねえ、どうその辺はなのよ!?」

 ビビアンは更に興奮してユナに詰め寄る。
いくら鈍感だと言っても、さすがにビビアンの言っている意味ぐらい分かる。
分かってしまったから、表情が固まった。

「まさか…行く所まで行っちゃったんじゃ…」

「なななわけ無いだろ!オレとテリーはそんなんじゃ無いんだって!」

「その反応、ほんとに何も無いみたいねー。せっかく両思いになれたっていうのに
不健康な若者たちね」

「不健康って…お互いのペースって物があるんだよきっと」

 苦笑いしながらマスターが言葉を挟む。

「うーん、そうねえ、ま、あんたたちらしいって言えばらしいけど」

「…………」

 そんな事、想像も出来ない。

だけど

テリーに触れて欲しいと言う、想いが心の奥底にあるのは知っていた。

テリーに見つめられる度、言葉を交わす度その想いが疼いて
こんなにも卑しい自分にうんざりする事もあった。

でも、当のテリーは船旅で同じ倉庫の一室で眠った時も、ガンディーノで宿をとった時も
オレに触れようともしなくて、言葉だってそんなに多くは交わさなかった。





 それから数刻--------
街が真っ赤に染まりだした頃、ユナは東街の商店街に居た。
武器屋、防具屋、道具屋が軒を連ねる中、雑貨屋、装飾屋、織物屋など
他の街では珍しい店がちらほらと目に入る。

「どうして、こんな所-------…」

 ビビアンの言葉を思い出し、足が止まった。

”向こうから来ないんなら、アプローチでもしてみたら?化粧して、服も可愛くきめちゃってさ”

「…真に受けて、こんな所来ちゃって……」

 周りには着飾った年頃の娘が家路を急いでいる。
場違いな格好の自分が無性に恥ずかしくなり足の向きを変えた。
やっぱりオレにはこんなの似合わない。
そんなユナの耳に、道行く若い少女たちの話し声が聞こえてきた。

「さっきそこの武器屋の前にね、銀髪の男の人が立ってたんだけど」

 銀髪。その単語にうっかり聞き耳をたててしまう。

「すーーっごくかっこいい剣士様だったの!背はすらっとしてて、瞳は綺麗な紫で…
あんな人初めて見たわ」

「ええ、私も見たかった〜!明日も来るかしら…」

「来るわよきっと!ねっ、明日ちょっと待ち伏せしちゃいましょうよ!」

 銀髪の剣士。そんな形容詞が当てはまる人物をユナは一人しか知らない。
テリーだ。そう、テリーは年頃の娘の間で話題に上ることは少なくない。
ふっと装飾屋のガラスに自分が映る。
相変わらず頭はボサボサ、長い船旅で良く眠れなかったせいかいつもより
腫れぼったい顔。大きな剣に汚れたマントと服。

釣り合いが取れてるわけ無い。

アプローチしようとした自分に呆れる。

そんなマイナスな思考しか持てない事にも嫌気が差し、
宿へと戻ろうとした時また嫌な予感がした。

薄暗くなってきた街で、年若い少女の腕を引っ張る輩の姿。
その姿を見失わないように追いかけると、やはり人目の着かない路地裏に
少女を引き入れて、抵抗する少女の腕を縛り上げた。

「…んな奴ばっかなのか…!」

「----------…!」

 男がユナの気配に気付いたと同時に、ユナは素早く男の急所を突いた。

「ガ…ハッ……」

 昨日の事もあって、昂ぶる感情を抑えて殴ったつもりだ。
的確な正拳突きをお見舞いされ、苦しむ間もなく男は気絶した。
息を確かめて、ふうっと安心する。

「大丈夫か?」

 少女を解放すると、少女は涙目のままお礼を言って大通りへと逃げていった。
事が大きくなる前に助けられて良かった・・・と心からほっとする。
安堵して帰ろうとした矢先、得体のしれない殺気が目の前から迫ってきた。

「ぐ…ぁっ…!!」

 考える間もなく顔面に弾ける痛み。
衝撃に尻餅をついて、右目を押さえる。ズキズキと激しく痛んだ。

「あの女はずっと前からねらってた奴だったんだぞ…!どうしてくれんだコラァ!!」

 日も暮れて、薄暗い路地はシルエットくらいしか見えない。
ユナは気配を辿って必死に追撃を避ける。
もう一人仲間がいたなんて、迂闊だった。
殴られた右目は腫れてきて視界が塞がってしまった。呪文が使えればなんて事無いのだが
こんな町中で使うわけにはいかない。

「死ね!!」

 男が取り出したナイフが光って場所を教えた。
手刀でナイフをなぎ払い、男の懐に潜り込むと肘でみぞおちを強打した。

「グハッ!!」

 ユナに覆い被さるように、崩れ落ちると男はそのまま意識を失った。
ユナは周りに殺気が無い事を知ると張り詰めた緊張を解きはなった。

「ふぅ……いててて………」

 緊張が解けた体に戻ってくる痛み。
殴られた顔の右半分が腫れて熱を帯びてくる。
ホイミをして痛みは取れるが、手で触れても分かるぐらい右目がぶっくり腫れていた

ガラス越しに自分の姿を見る事すら怖くなって、顔を押さえ足早に宿へと戻った。





 夕刻はとっくに過ぎ、食欲をそそる臭いが至る所から漂ってくる頃宿に着いた。
南街に入ってすぐのこじんまりとした宿屋。テリーはいつもここに宿を取る。
余計な詮索をしない寡黙な主人が、テリーにとっては都合が良いらしい。

宿帳で自分の部屋を確認すると、そっと忍び足で階段を上る。
こんな顔、誰にも、特にテリーには絶対見られたくない。

幸いにも誰とも会わずに自分の部屋に入ると、ほっと安堵した。
何度かホイミをすれば明日には治っているだろう。
そう考え、ふっと顔を上げると

今は絶対に会いたくなかった人影が目に飛び込んできた。

「--------っ!」

 お互いの姿に驚く。

「お前…っ!その傷……!」

 先に声を発して、先に近づいてきたのはテリー。部屋でユナの帰りを待っていたのだろうか。
フイを突かれたユナはどうしたら良いのか分からずに固まった。

「どうしたんだ一体!?」

 ユナはようやく顔を背けて

「ああ、これ?たいした事じゃないんだ」

 慌ててそう取り繕うが、テリーは舌打ちして

「そんなに腫れて、たいした事ないわけないだろ!?何があったんだ?」

「……なんでも無いんだって、ちょっとイザコザに巻き込まれただけで…」

「…また、人助けか……」

「………」

「弱いくせに、やっかいごとに首を突っ込むな。バカ!」

「………ゴメン……」

 テリーはひとつ息をつくと、ポケットから携帯している塗り薬を取り出した。

「…傷、見せてみろ…」

「えっ」

「薬草を煎じた薬だ。塗ればすぐ治る」

「う…んっ、わ、分かった!ありがとう!後で塗っとくからっ!サンキュ!!」

 手で顔をかばって、テリーの方を向かないまま薬を受け取る。

「……あっあとで返すから……ほんと、悪いな……」

 テリーはユナのそんな姿を見て、また息をついた。

「顔が腫れてるからって、今更気にする事でもないだろ------?
お前のそんな姿とっくに見慣れてる」

「………」

「薬、ちゃんと塗っておけよ。オレは下で夕食をとってくる」

「……うん……」

 テリーはそれだけを言うと、部屋から出て行った。
ユナは顔を押さえたまま、パタリとドアを閉める。
壁掛けのランタンに火を灯すと、安い宿には珍しく壁に設置された鏡を覗き込んだ。
思った通り顔は右目を覆い隠すほど腫れていて、ユナは慌てて鏡から顔を逸らした。

「…………」

 ”お前のそんな姿とっくに見慣れてる”

テリーに悪気があったわけじゃない、皮肉のつもりでもなんでもない
むしろ、ユナを元気づけようとして言った言葉だったのかもしれない。

だがその言葉は、今のユナの心をよろめかせて、転ばせた。
転んで出来た擦り傷がやけにチクチクと痛む。

痛い理由も悲しい理由も分かっている。
女として意識して貰えないこと、釣り合いが取れていない事、そんな事が重なって
痛くて重い。

「はあ…」

 うっかりため息が零れた。
こんな事を思う自分にも、こんな事で悩む自分にもまた嫌気が差す。
今日はもう何度目なのだろう自己嫌悪。
ユナは無理矢理気持ちを切り替えて、テリーから受け取った薬を塗り込むと
ガーゼでさっと手当をして、夕食を食べに下に降りた。



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