29. 試練 ゴトゴトゴト。馬車は荒れた道をなんとか進んだ。 成人の儀を迎える為の洞窟へと続く道だ、もう少し舗装されていても良さそうな物だったが、現ホルストック王が成人の儀をしたのはおよそ30年前――――。30年あれば、それは道だって悪くなるだろう。 ファルシオンは苦しそうな呼吸で一生懸命馬車を引っ張った。荒れた道は疲れもたまりやすく蹄もすぐに痛んでしまう。ようやくなだらかな場所に出て休憩をとった。 ユナがフォルシオンの汗ばんだたてがみを洗ってやると、嬉しそうにブルっと体を震わせる。 「なんだこの座り心地の悪い馬車は!オレは喉が渇いた!オイ、女!馬に水をやるくらいならオレに水をよこせ!」 「なにいってんだよ。王子が洗礼を受けるためにオレたちはやってんだぜ?そうじゃなきゃ水も流れてないような山奥になんかこないよ!」 「まぁまぁ、こいつだって王家の人間、しかもまだ15じゃねえか、大目に見てやろうぜ」 ハッサンの言い様にホルスは苛立ちを覚えたが言い返せなかった。 確かに自分は座ってるだけだし、ウィル達の戦っている姿を見てるだけだった。事実、剣術の稽古をさぼってばかりいる自分には感心してしまう事ばかりだ。それでも一国の王子は、王子としてのプライドを崩す事は出来ない。 「それにしても、オシの強い王様だったなぁ」 ハハっと苦笑するウィルにバーバラも隣でフフと笑う。 「ま、いーんじゃない?」 自分よりも背の高いホルスと視線を交わらせる。 「弟が出来たみたいでさ」 「オイ、オレは15だ。お前の弟なんて言う歳じゃないだろ!」 ハッサンとバーバラは顔を見合わせ、また笑った。 「あっ、あれじゃないか?」 休憩をとって1時間程度馬車を走らせた頃に山の麓にぽっかりと口を開けた洞窟に着いた。 馬車が行き来したような跡があったのでここで間違いないらしい。 一番最近ここを通ったのはホルスの父、ホルテンが洗礼を受けた時以来であろう。洞窟の入り口は一応の舗装がされてあったが、時間による劣化は心配だった。 しかも洞窟内は案外狭く、馬車は入れそうにも無かった。仕方なく馬車を外の木に繋いで中に入ることにした。近付くに連れて恐怖で顔色も変わり、無口になっていくホルス王子を連れて。 馬車の見張りの役についたチャモロとユナは馬車内で談笑混じりにのんびりしていた。 「大丈夫かなウィルたち……オレたちこんな所でゆっくりしてていいのかな…」 「そうですね、心配ですが馬車の番をしなければいけませんし、たまにはゆっくりするのもいいのではないでしょうか?」 チャモロが出してくれたお茶を飲みながら、二人して話している。鳥のさえずりが聞こえる。 木々の間から差し込む光が眠気をさそう。皆が頑張ってる時に寝るなんて事は出来ない、必死で眠気を抑え、目をこすると 「オイ、オレにもお茶、くれ」 目の前に現れたのは、夢ではなく、 「ホッ、ホルス王子!!??」 「おい、お茶」 チャモロがご丁寧にお茶をつぐと、王子はそれを飲み干して、ふぅっと息をついた。 「な、なんでこんな所に……!」 ウィルたちと洞窟に入っていったはずのホルス王子は得意げににんまりと笑った。 「オレ様の得意技、変わり身の術だ!」 普通、魔物のうじゃうじゃいる洞窟から一人で逃げ出すより、ウィル達と一緒にいた方が安全だと思うけど。そんな事を思いつつ、ユナはホルスの腕を掴んで立ち上がった。 「オイ!何処へ連れて行くつもりだ!」 「決まってるだろ、ウィルたちの所だ」 ホルスの腕をむんずと掴んで馬車から降りると、いつのまにかホルスがいない。 「やーいババア!誰がそんな洗礼なんか受けるかってんだ!バーカ!」 王位を継ぐより、盗賊の方が天職だと思わせられるほどの素早さ。ホルスは目にも止まらぬ素早さで森の奥に逃げていく。 「あのやろ……!」 ユナはホルスの人を逆上させる踊りに完全に翻弄されてしまっていた。 「チャモロ!オレ、王子を連れ戻してくる!馬車、よろしくな!」 チャモロにそう告げて森の中へと駆けていった。 「はぁ…はぁ…どこ行ったんだよアイツ……」 景色が変わらない森は方向感覚が狂って迷いやすい。ユナは木に目印を付けながら、鳥に声を掛けながら進んだ。まだホルスは見つからなかった。 だがあの体力ではそんなに遠くまで行けるはずはない。 ホルス王子、大丈夫だろうか… 怒りはいつの間にか心配に変わっていった。 この森だって魔物が出ないとも限らないいくら逃げ足が速いと言っても、魔物に捕まったらたとえホルス王子でも……。嫌な映像が脳裏をよぎっていく。 「ホルス王子ーーー!」 しつこくつきまとう予感を振り払うことが出来ないまま、ユナは走り出していた。 伸びきった木の枝を強引に掻き分けながら、ユナは必死で探していた。その鋭さは体に切り傷を付けていくほどだったが、そんな事を気にしている場合ではない。 その時、藍色の鮮やかなマントを目にしたときには安心感で体中のチカラが一気に抜けていた。 「ホルス王子……良かった……」 ヘナヘナと崩れ落ちるユナに王子ははっと気付いたのか、慌てて身を隠す。が、動かないユナを不審に思い、警戒しつつ側へ近付いてきた。 「王子、早く帰ろう。こんな所にいたら危険だよ」 手を伸ばせば届く距離にホルスが近付いた所で、ユナはやっと口を開いた。 「そんな事言って、オレをだます気だろう!その手にはのらないぞ!洗礼なんて絶対に受けないからな!」 「誰もそんな……っ!」 ぞくり。背中のずっと向こうに恐ろしい殺気。 まだなにか喋ろうとするホルスの口を強引に手で塞ぐと、そのまま同じ背丈のホルスの肩をぐっと手で押さえた。 「黙って……」 小さく呟く。ホルスの胸に、ユナの心臓の高まりが伝わってきた。 「何か…いる……」 緑の匂いの中に、何かの匂いが混じっている。 それは生き物の血の匂いだった。危険な魔物がこっちに向かってきてる。その気持ち悪い匂いは、考えるヒマもなくすぐ近くまで迫ってきた。 「この辺りだな、ホルス王子の声が聞こえたのは」 ホルスが体を痙攣させる。 ユナは恐怖で震えているホルスの肩をぎゅっと押さえつけ、もっと強く口を塞いだ。木の陰からそっと覗く、勘は当たっていた。 「あの王子が洗礼を受けると聞いてここまで来たんだ。魔王様の命令だからな、ホルス王子を抹殺しろと」 「王家の血は美味しいからねぇ、独り占めするんじゃないよ!」 その声の主たちは道化のような恰好をした一つ目の、切り裂きピエロだった。人を切り刻む事が大好きな魔物、出くわしたが最後決して逃げ帰る事は出来ないと人々の間では恐れられていた。 集団で現れる事が多いという噂の通り、4体は確実にいる。人語を巧みに操っている所を見ると、その辺の魔物と一緒にしない方がいいだろう。 しかも厄介な事に確実に、ホルス王子を狙っている。 「喋るなよ、王子……ここからそっと忍び足で逃げるんだ、いいな……?」 集団で現れた魔物を一人で相手にする事は危険だ、もしそんな事態に陥ってしまった時は潔く逃げた方が良い。昔、教えられた事が脳裏に蘇ってきた。 ドクン…ドクン……。慎重に初めの一歩を踏み出そうとした瞬間。 「う、うわあああ!怖いっ!怖いよぉ!!父上ー!母上ー!じぃー!サトツーー!!」 「……王子……っ!!」 王子の腕を掴んで逃げようとしていたユナの目の前に、切り裂きピエロが身を翻して現れた。 「感動のご対面ね、ホルス王子。私たち、ずっと貴方をさがしてたんですよ」 魔物は大きなひとつ目を細めて笑った。その笑いがあまりに恐ろしく感じて、額に汗が滲む。ユナは視線を離さず、短剣を引き抜き身構えた。 「あらぁ、何のつもりかしら?私たちが用のあるのはそこの坊ちゃんよぉ。何もしないのなら、貴方は逃げても構わないのに」 「そ、そんな訳にはいかない!」 確かに4匹。苦戦はするかもしれないが自分だって強くなってる、倒せない数じゃないはずだ。 「オレはホルス王子の護衛だ!逃げる訳にはいかない!」 ユナは引かず、睨み返した。憎らしい王子だが、今この王子を守れるのは自分しか居ない。 「そう……なら仕方ないわね」 飄々としていた魔物の顔が、おぞましく変化していく。 「一緒に殺してあげるわ!」 切り裂きピエロは一気に飛び上がった。天高く舞い上がってユナに向かって急降下する。 魔物の刃を受け止めると、受け止めていた自分の短剣を滑らせて、切り裂きピエロへ切っ先を向けた。ビュンっと音が聞こえる程に振り抜くと、緑の血が辺りに飛び散る。 先ほどまで嫌みたらしく笑っていた道化師の顔が醜く歪んだ。 ユナは横から斬りつけられた刃をかわして宙に飛ぶ。 無防備なユナを後ろからもう一匹が斬りつけようとしたが、ユナの回し蹴りの方が一瞬早かったのか 地面に叩き付けられた。 「あ……う……」 ホルスは足がすくんで、動けなかった。 瞳には勇敢に戦う少女とおぞましい魔物の姿が映し出されているが、視線がグラグラと揺れて定まらない。 「王子!早く逃げ……!」 「暴れるのもいい加減にしなさい、お嬢ちゃん!」 「………っ!」 ホルス王子の細い首に、切り裂きピエロの刃が突きつけられていた。さすがは人語を操る魔物らしい狡猾さ。 「さぁ、王子を殺されたくなかったら、大人しくこっちの言うことに従うのよ!」 にやにやしながら喉にもっと深く突きつける。赤い鮮血が、美しい服や装飾を汚していた。 「………」 ユナは息をつくと、持っていた剣を捨てた。 「あーら、素直ねぇ、意外と」 気持ちの悪い笑いを浮かべはホルスののど元から刃を離した。4体の切り裂きピエロはユナを取り囲むようにじりじりと近付いてくる ユナは観念したのか、うつむいて手で口を覆う。その様子を楽しげに切り裂きピエロはみていたが、その一瞬だった。 「逃げろ!ホルス王子!」 ユナから放たれた紅いベギラマの閃光。 それは一気に辺りを巻き込んだ、切り裂きピエロの断末魔と生き物の焼けるような嫌な匂い。その隙に転がっている剣を拾おうとすると 「やってくれたわね、アンタ」 「うっ……!」 背中に強烈な蹴りを貰い、そのまま地面に倒れ込んだ。 回避力の高い切り裂きピエロが一匹、ユナの目の前に立ちふさがる。 「あ〜!腹立たしいわね人間のくせに!!」 「ぐぁっ!」 再び背中に衝撃が走る。切り裂きピエロは足を思い切り踏み下ろして、何度もユナを蹴りつけた。 「むかつく!むかつく!むかつく!!」 地面に埋まりそうになるほど頭を踏みつけられ、目の前が霞む。その視線の先には、真っ青な顔で立ちすくんでいるホルス王子。 ユナは歯を食いしばりながら 「お前らみたいなのに殺されるかよ……」 泥まみれの顔で切り裂きピエロを睨みつけた。 「お前らみたいな狡賢い魔物に殺されるなんて恥ずかしい……」 また、ユナの顔に衝撃が走る。 勢いよく蹴られ、今度は仰向けで放り出された。ユナの目が、ホルスを見つめている。 それは間違いなく”逃げろ”という合図だった。 なんで、そこまでして……どうして……ここまでしてオレを…… 怒りの振り切れた切り裂きピエロは、その鋭いナイフをまさに振り下ろさんと天に掲げた。 「や……めろ…」 立ちすくんだまま汗だけが体を伝っていった。 恐怖の感情は今はもう無い。ただ魔物に対する怒りと、ユナを助けたいと言う気持ちがホルスの心を占領していた。 「やめろ……」 深く、うつむいて呟く。 「やめろーーーっ!!」 『汝、王家の血を引く者よ』 「………!!」 ホルスの頭の中に聞いた事も無い声が響いた。 『我と戦い、我を倒せ』 「オイ、な、なんだお前は!オレはあの女を助けたいんだ!お前の相手をしているヒマはない!」 『女を助けたいのなら、我と戦い、我を倒せ』 時が止まったかのように、切り裂きピエロとユナは動きもしなかった。 いや、本当に時間が、止まっている? 目を伏せると、暗闇の中に白いシルエットが見えた。それは伝説の一角獣の姿をしていて、確かにホルスに語りかけていた。 「本当なのか!?お前を倒せば、あの女を助けてくれるのか!?」 『本当だ。我は汝の力を引き出すために存在している。我は汝の試練なり……』 ▼すすむ ▼もどる ▼トップ |