28. 王子 うとうと……ポカポカ。 背中に暖かい太陽の恵みが注ぐ。海鳥たちの他愛ないお喋りが今くらいのうたた寝に丁度良い。久々に荒れの少ない航海に見張りを言い渡されたユナは大あくびした。目の前の地平線上に見え隠れする大陸は、いっこうに近付いてくる気配はない。 こんなにいい天気に船を襲う凶暴な魔物もいない。 瞳の半分に大陸を映していたユナであったが、その大陸がどんどん近付いてくるのに気付くとぱぁっと顔が輝いた。 船の羅針盤は南を指し示したまま。 ホルストック11世の治める大陸に着いたのはゲントから南に下って5日目の昼過ぎを迎えた頃だった。港に入港すると必要な物を買い、船を預ける。 ホルストックに行こうと提案したのはミレーユだった。いつもミレーユはこうやって皆を正しい方向へと導いてくれる。 ホルストック、ここではどんな出来事が待ち受けているのだろうか。 ホルストックの関所を出たのは、もう日が欠けてきている頃だった。 目の前に広がる壮大な景色に一行は目を奪われる。幾重にも連なった丘陵地帯が見渡す限り並んでいて、夕闇に映える緑と黄色のコントラストがまぶしかった。 この土地を治めるホルストック城は、見上げる丘陵地帯の向こう側に有るらしい。しかしその日は城へは辿り着けず、麓の村に行くだけで精一杯だった。 村で唯一の宿屋。 質素な蝶番いを軋ませると、宿主のような小太りの女性が夜遅い来客に少々驚きながら頭を下げた。 「あんたたち見たところ旅人みたいだけど、もしかしてホルストック城へ行くつもりかい?」 「ええ、まぁ一応…」 宿帳に名前を書き込みながらウィルは頷く。高いところで髪を結っている女将は、腕組みをして首を振った。 「止めといた方が良いと思うよ。王子の子守をさせられちまうよ」 「王子?」 不審に聞き返すと、今度はゆっくりと首を上下にさせる。 「ホルストック城のホルス王子の事だよ。これがまたいたずら好きでさ。その上怖い物見たがりのくせに意気地なしで、わがままで、ホルス王子の事を笑い歌にする吟遊詩人も少なくないっていう有様さ。全くこの国はいったいどうなっちまうんだろうねぇ……」 「お前!滅多な事をいうもんじゃない」 厨房から男の太い声が聞こえてくると、女将は「あらやだ」と顔を赤らめて笑い出してしまった。 「とにかく、ホルス王子とは関わり合いにならない方が良いよ。わざわざ骨を折ることほど苦しい事はないからね」 最後の方は苦笑いになって、ずっと抱えていた洗濯物を重そうに持ち上げドアの向こうに消えていった。女将の最後の忠告が、耳に張りつく。その場に立ちすくんだまま、皆はホルス王子の事を考えるしか無くなっていた。 朝。 いつもより近くで鳥の朝の挨拶が聞こえる気がする。 いつもより気分良く目覚められそうな予感が頭の中をめぐると、ベッドから身を起こして思い切り背伸びをした。 カーテンを開くと朝日が起きたばかりのユナの目に突き刺さってくる。真っ白だった世界が、うっすらと目を開けると確認できるようになった。 連なる山脈、深い森に広大な大地。 賑やかな町並みだけはこの窓から見る限りでは存在していないようだが平和な空気だけで十分だった。遠くに聳える立派な城はこの大陸を治めているホルストック城。 ふぅーっと息を吐き出すと身支度をする。 「ユナちゃん、早いのね」 ドアを開け入ってきたのはもうすっかり身支度の済ませてあるミレーユ。ユナにとっては早い目覚めも、彼女にとっては普段と変わらない目覚めであった。バーバラはまだグーグーと気持ちよさそうに眠っているが 「あら、どこに行くの?」 顔を洗ってまもなくユナが外へ行こうとしていた。 「剣の稽古がてら、朝の散歩でもしようかと思って」 そうミレーユに告げると、ドアを開いて階段を静かに下りていった。 やっぱり早朝は気持ちがいい。 タオルを首に掛けた人々がポツンポツンと畑の中に立っているのがみえる。ユナは賑やかな街道よりも穏やかな田舎道が好きだった。思わず人々に挨拶をかわしたい気持ちになる。 「あーー!またやられてる!これじゃ売りにだせねえべ!」 隣の畑から、おじさんの悲痛な声が聞こえてきた。 「どうかしたんですか?」 叫んだあと絶句しているおじさんに声を掛ける。 生い茂った作物の間をかき分けて近付いてきたかと思うと、ユナの目の前に大きなスイカをドンっと置いた。 「ほら、見てくんろ!このスイカ!」 目に飛び込んでくるのは形の悪い眉毛に鼻、唇。 せっかくの美味しそうなスイカに刻まれていた。これは誰かの落書きだ。 「もうここんとこ毎日だっぺ!お城に売りにいけねえっぺよ!こんなんじゃ!」 しわくちゃな顔を益々しわくちゃにして、怒りをあらわにした。 心を込めて育てた物にこんなふうに落書きされたらきっと怒りを覚えるに違いない。売り物に出せないという事でおじさんから落書きスイカを貰ったユナは畦道を歩きながらそんな事を考えていた。 「あはははは!見て見ろよ、この顔、傑作!さすがオレ!」 「でも……本当にこんなことしていいのかなぁ……」 畑には似つかわしくない子供の声がユナの耳を捕らえる。畑の中に居たのはユナより少し年下だろうか、少年が二人。 「いいんだよ!そんな事気にしなくても! 「………あっ!」 作物を掻き分けて入ってきたユナが後ろにたたずんでいた。 「やっべ!逃げろ!」 体を半回転させ、駆け出そうとする偉そうな少年の襟元を掴んで自分の方へと引き寄せた。 背丈はユナとほとんど変わらない。顔だって整っているのに、その表情や行動が顔を幼い物にさせていた。 「うあああー!」 もう片方の共犯者は持っていた尖った骨を放りだして、我を忘れて逃げていった。 「あっ!逃げた!!」 「放せ!このやろー!お前、下民の娘だな、父上に言いつけてやるぞ!」 後ろ姿でじたばたする体を正面に向け、強い口調で言った。 「おあいにくさま。オレはこの村の娘じゃない、ただの旅人だ。勝手にすれば良いだろ」 男の子というより男と言った方が正しいくらいの体格。すっと立ち上がるとギっとユナを睨み付けて 「お父様はなぁ、この国で一番偉いんだぜ!」 「ふーん?」 右から左に受け流してはいたが、よく見ると少年は、立派な刺繍の施された高級そうな服を着ていた。まんざらウソでも無いのかもしれない。それに目を奪われていた一瞬の隙に、少年は勢いよくユナの腕を振り払って憎らしいほどのアッカンベーをした。 「覚えてろよ!!男女!!バーカ!!あほーー!!」 「はぁっ!?バカとはなんだよ!」 追いかけようとしたが時既に遅し。小悪魔の姿はもう瞳に映ることはなかった。 「……おっそろしく逃げ足の速いやつ……」 ユナは旅の途中、一度だけ出会ったメタルスライムを思い出し思わず感心したが脇に抱えていたスイカを思い出し、首を振った。こんど見つけたら、とっちめてやらなければ…。 「……?ユナちゃん、どうしちゃったの、ぼーっとして……」 「え…いや、なんでも……」 馬車の中で視線を中に泳がせていたユナはミレーユの言葉に首を振った。 あの腹立つ子供が着てた服の紋章、最近どこかで見掛けた気がするのだ。だが、それがどこで見た物なのかは思い出せないでいた。 「おいみんな、見えてきたぜ!」 考えを遮るように、御者をしていたハッサンが幌の中に向けて叫んだ。 「ホルストックだ」 「あんたら、最悪の時にここに来ちまったな」 城に入ってすぐ、ウィルたちは門兵に声を掛けられた。 「どういう事ですか?」 不審そうにウィルが兵士をのぞき込んだ。 「表の看板を見なかったかい?王子の護衛をしてくれる人を捜しているって」 「護衛?」 なんでもこの国の王子は15歳になれば南の洞窟で成人の儀を執り行う為の洗礼を受けなければならないらしい。魔物が多く生息する洞窟へ行くためには、腕の立つ護衛が必要だと。大変そうに皆その話を聞いていると、兵士はうんうんと頷いて今度は自分の方に指を向けた。 「大変なのは何も王子だけじゃないんだぜ?オレたち兵士も駆り出されるんだ。でも王子がアレじゃな」 「ホルコッタの人々も言ってました。王子には関わらない方がいいって……」 そこまで言うとウィルははっと口を押さえた。兵士は苦笑しながら 「ま、オレたちの間じゃ有名な話だ。皆言ってるしな…」 「何がだ?何の話だ、サトツ」 すぐ後ろで聞こえた幼い声に、サトツと呼ばれた兵士は絵に描いたように驚いた。 その声の主は綺麗な栗色の髪色をした少年。兵士はやっと額まで挨拶のため手を戻すが、言葉が出ない。 「なぁ、オレに言えない事なのか?」 「いいいえっ!!滅相もございません!!ホルス様にお聞かせするような大した話ではありませんので!!」 まだ慌てている兵士に少年はいやらしい笑いを浮かべる。 「父上に言って、お前を別の場所に移転させてやろうか?そう言えばマウントスノー地方の小国がうちの兵士を回してくれないかって言ってたなぁ…いっその事そこへ……」 「そっ、そんなぁー…!勘弁して下さいよ!ホルス様!!」 にたにたと憎めない笑顔を見せて、ホルスと呼ばれた少年はサトツと会話していた旅人を見た。 もともと他人に干渉する事が大好きなホルスは、格好の相手を見つけてサトツをからかいに来たのだ。 サトツと話していたのは青い髪でくせっけの端正な顔立ちの男。 隣にはそれよりも筋肉のついている見るからに大男。 自分より少し背の低い僧侶風の眼鏡の男に。 ここらでは滅多に見ない美人に、その隣には… 「!!お前……今朝の……!」 イエローブラウンの髪が太陽の光のせいで輝いて見える。その光に目を細めたまま振り向くと 「あーーーっ!お前は…!!」 「いやぁ偶然ですなぁ、まさか旅の方とホルスが知り合いだったとは……」 「父上!こいつです!こいつがオレを愚弄したんです!」 「ハッハッハ、本当に奇遇ですなぁー」 ホルスの言葉を遮って、ホルスの父ホルストック11世は高らかに笑った。 美しい王の間にて、王の隣にはまだまだ美しさを保っている王妃が申し訳なさそうに苦笑していた。 ウィルたちも王の間で跪いたまま、苦笑している。 「父上…」 悪戯王子の扱いにすっかり慣れてしまった王は、上機嫌で王子の頭に手を置いた。 「そこでだ……知り合いのよしみと言うことで、貴公らに頼みたいことがあるんだが」 どことなく、嫌な予感が脳裏を過ぎる。 「貴公らの腕を見込んで、王子の護衛を頼まれてくれないか?」 その予感は当たっていた。 「護衛ですか…?」 王の言葉にウィルは言葉を濁した。 ホルコッタの人々の噂、兵士達のボヤキが頭に思い出された為だ。 「そうだ、城の看板を見たろう?我が国の王子ホルスが成人の儀を執り行う為、試練の洞窟へ向かうと。その為に腕の立つ護衛を探していると」 「ちょっと待ってください!何で急にそんな…」 ウィルに代わりにユナが皆の胸中を代弁した。 「そうですよ父上!オレもこんな奴らと行くくらいなら城の兵士と行った方がよっぽどマシ……」 「王子もこんな様子じゃ兵士もほとほと手をやいてるんじゃよ」 ユナの叫びをホルスが遮る、そのホルスの訴えを王が遮った。そこにいた兵士は、皆揃ってウィルたちに懇願した。 「行ってくれるよな?一国の王の頼みじゃ」 ▼すすむ ▼もどる ▼トップ |