31. 勇気の欠片



少し欠けた月が照らす明るい夜。
雲一つ無い空に、大きな月と、地面から一直線に伸びる大きな岩山があった。
ここクリアベール地方で最も有名な、運命の壁と呼ばれて居るとてつもなく高い岩山だ。下から見上げても山頂は見えない。
その岩山は月に照らされて真っ白に光っていた。二つの小さな黒い影がくっきりと残る以外は。

はぁ、はぁ、はぁ…。
荒い呼吸を整える暇もなく、二つの人影は次にかける足場を探していた。

「バーバラっ!大丈夫か!」

 斜め下で危なっかしげに岩の壁を登ってくる少女に数回目の声をかけた。

「大丈夫よ、アタシの事より、自分の心配、したら、どーぉ?」

 皮肉を言ったついでに、足場が崩れ落ちた。慌てて右手と左足で体を固定させる。

「うう…怖いよぉ……」

「だからオレはこんな事止めようって言ったのに…せめて、皆と一緒に来た方が……」

「なによぉ!あんたがあの夫婦が気になるって言って家を訪ねたのが、そもそも悪いんだからね!?」

 叫び声が壁を伝って、てっぺんから地面までをこだましていく。
命綱無しの危険な岩登りをしているのはバーバラとユナだった。二人がこのような状況になってしまったのは相応の理由が有る。

事の発端は空飛ぶベッドと言う不思議な乗り物だった。
ウィルたちは夢の世界のクリアベールで、空飛ぶベッドと言う存在を目の当たりにした。夢の産物は現実の世界の誰かの強い思いから生まれる物。現実のクリアベールに空飛ぶベッドを手に入れる方法があるんじゃないかという結論に達し、早速その地へと赴いた。

そんなわけで皆で手分けして情報を集めている折り、ユナとバーバラは教会でとある人物に出会った。それは、自分たちの息子を亡くして、毎日取り憑かれたように教会にお祈りに来ている若い夫婦だった。放っておけなくなった二人は、わざわざ町はずれのその夫婦の家を尋ねて、もらい泣きしてしまうような息子の話を聞かせてもらったのだ。

生まれつき体の弱くて外に出る事が出来なかった息子のジョンが、外の世界を知らぬまま天に召されてしまった話を。いたたまれなくなってしまった二人は、話を聞かせてもらったせめてものお礼に…と、ジョン君の欲しがっていた勇気の欠片という代物を、お墓に供えさせてくれと申し出たのだった。

勇気の欠片とは特別な岩が月の光を浴びて輝くようになった物らしく、運命の壁の山頂に有ると言う噂だった。夫婦が身を案じて止めるのにも首を振って、二人は夜が来るのを待って宿を抜け出した。
ウィルたちにはこの事は内緒だった、迷惑を掛けまいと思っての気遣いのつもりだった。

「くそっ……」

 ユナは自分たちの無謀さを少しだけ後悔しながらも、まだ見えぬ山頂を目指した。一体どれくらい登ったのだろうか?もういい加減夜が明け始めても良い時間だ。

「なぁ、バーバラ」

 久しぶりにバーバラに声を掛けた。。

「勇気のかけらって、本当にこの崖を登ったてっぺんにあるのか?」

「……多分…ね」

 ユナの方も見る余裕も無く、必死に目の前の岩に食らいつく。

「町の人の話だと、そう言う事になってるみたい。まぁこの崖を登って確かめた人はいないみたいだから、確かじゃないんだけど…」

 答えることが出来ずにユナは首を振った。
疲労と不安で返す言葉が見つからない。無言で二人は再び登りだした。




最後の会話から、また随分と時間が経ってしまった気がする。
手はもう痺れて、足も痺れて、二人の疲労はピークだった。
ユナは11回目のバーバラの名前を呼ぼうとすると…何かに気付いた。

「………!バーバラっ!!!」

「なーによぉー、大声でぇー!」

 うざったそうに顔を上げるが、その瞬間同じように歓喜の声でユナの名を呼んだ。

「頂上だっ!」

 夜明け前の明るい光に照らされている頂上に、二人はへとへとで倒れ込んだ。何も言えずに身を投げ出し仰向けになって上を見上げる。

「つ…疲れた……安請け合いはするもんじゃないな……」

 ようやく声が出た。かと思うと思わず愚痴を吐いてしまう。はぁーっ。ゆっくりと息を吸い込んで呼吸を整えた。

「いーじゃない。あの夫婦もジョン君も、喜んでくれるよっきっと」

 バーバラもユナと同じ行動をした後、そう言った。二人の間に、しばらく沈黙が流れる。

「そうだな…あの夫婦の喜ぶ顔が見れるかと思うと確かに嬉しいな……」

 上半身を起こしてまだ寝転がっているバーバラに返す。

「そうだよね、ほんっといいことしたわっ」

 向こうもようやく起き出して、久々に笑顔を見せた。がその笑顔が曇ったのはそれからまもなくの事だった。

「この岩山の頂上に、勇気の欠片って石があるのよね?」

「うん、らしいよ。どんな石なのかな〜、もしかしたら…宝石とか?それだったらオレもちょっともらっちゃおっかな〜」

 嬉しそうなユナを尻目に、バーバラは立ち上がってあたりを詮索した。

「あった?あった?勇気の欠片!」

 その問いに答える事無く、あたりを歩き回っている。

「おーい、バーバラ?」

「ないっ!勇気の欠片なんてそれらしいものがないのよっ!」

「………えっ…!」

 ユナも立ち上がって、同じようにあたりを見回す、が、想像していた綺麗な石や光り輝く石は視界に入らなかった。入ってくるのは、その辺に転がっているような、ただの石ころばかり。ユナは頂上にたどり着いた時とは別の意味の脱力感に襲われ再び地面に倒れ込んだ。

「なんだよ…勇気の欠片があるって話はデマだったのか……?」

 せっかく、夫婦の喜ぶ顔が見られると思ったのに……。
声に出すと余計落ち込みそうだったので心の中で呟いた。ため息を飲み込んで再び上半身を起こすと、バーバラがその辺に転がっていた石を座り込んだままじっと見つめていた。

「……もしかしたら、この石が勇気の欠片なのかもしれない」

「はぁ……?」

 その体制のままバーバラの元に寄り、持っている石ころをのぞき込む。が、ユナにはただの石ころにしか見えない。不審な顔で何か言いたそうなユナに言葉を付け加えた。

「これはきっと勇気の欠片よ。だって、こんな高い山のてっぺんにある石だもん!この石を手に入れるには、勇気を振り絞って運命の壁を登るしかない。その勇気を持ってる人にしか、絶対にこの石は手に入らない。だから、これは紛れもなく…」

 ウィンクをしてユナを促した。ユナは不審な顔からゆるやかに笑顔に変わった。

「そっかぁ、確かに、これ勇気の欠片なのかもな」

「でしょ〜?」

 同じようにその辺にある石ころを拾った。なんだか無性におかしくなってきて、思わず、声を出して笑ってしまう。

「誰だよこんな上手い話考えたやつ……でも、確かにそう思ったら勇気の欠片だ。なんか騙されたような感じだけど、なんか凄い嬉しいのはなんでだ?」

「騙されたけど、やり遂げたって感じするわよね。ふふ……。ジョン君喜んでくれると良いなぁ」

「夢の世界で出会って、夢の世界にも運命の壁が合ったら、一緒に登れるといいな…」

 二人は勇気の欠片と名の付いた石を道具袋にしまい込み、ようやく帰り支度をする。瞬く間に地平線が白んでいく。夜明けが近い。

「やばいなぁ。もうミレーユさんが起きてくる時間だよ。黙って出てきちゃったから叱られるぞ……」

「だよね…ウィル…心配する、よねぇ」

「うんそうそうウィルが……」

 その言葉に違和感を感じて、ずっと気になっていた事とつながった。
つながった瞬間、突拍子も無い台詞がその台詞の似合わないユナの口から出た。

「………バーバラ…もしかしてウィルの事…好きなのか?」

 いつもはユナを真っ赤にさせる方のバーバラが逆に真っ赤にさせられて

「………なっ!突然何いっちゃってるわけ!?」

 いつもとは逆の立場で慌てて否定した。
戸惑っているバーバラに気付いてしまったユナは、いつもからかわれているお返しとばかりに突っ込んだ。

「顔が赤いけど?」

「チガウったら!!」

 バシン!!と否定ついでに振った手が、見事にユナの顔に命中する。

「いって!」

 バーバラは赤い顔をぶんぶんと振った。

「だ、だって!」

「……ん…?」

「だって、ユナだって、記憶がなくって独りぼっちだった時に優しい言葉をかけてもらったら、すっごい嬉しいでしょ?心細くて泣きたい時に手をさしのべてもらったら嬉しくって、その人の為に何でもやってあげたいって思うでしょ?」

 ユナの肩を両手でブンブンと揺さぶった。

「うん…まぁ……そうだな、そりゃ…思うかもな」

「でしょ!?アタシは、ウィルに対してその気持ちなの!ウィルの喜ぶ顔とか見たいの!アタシが役に立つって、声をかけて良かったって思われたいだけなの!だから出来るだけ心配かけたくないの!」

「はいはい。そんなに否定しなくてもいいじゃないか。ウィル頼りがいがあるし、優しいし…好きになって当然だよ」

「………っ!」

 ユナのニヤニヤした顔に我に返って

「もうっ!からかわないでよ!」

 真っ赤な顔で再び手を振る。
避けたつもりが疲れているのかそのままバランスを崩してしまって結局地面に頭を強打してしまった。
バーバラはよほど恥ずかしいのか真っ赤になった顔を両手で押さえる。

かわいい。

打った頭をさすりながら、素直にユナはそう思った。
勿論普通にバーバラは可愛いのだが、ウィルの事を思う姿はよりいじらしく感じて、とてもかわいく思えた。心から応援したいと思ってしまった。

「そういうの、いいな……」

 ぼそりとつい呟いてしまう。

「人を好きになるのって、辛い事もあるけど、やっぱり、いい…な……」

 つい、似合わないそんな台詞が口から出てしまう。
それはきっと、彼の事を思っての事だったのかもしれない。ユナはあの日からずっと、彼を思わない日など無かった

「うん……そうだね……」

 バーバラは、そんな珍しいユナの言葉にも同意してくれ、ようやく立ち上がった。昇りだした太陽は地平線に広がる大地を明るく照らしていた。

「ついに朝になっちゃったわね早く帰らないと…」

「………」

 バーバラも立ち上がって服に付いた泥を払いつつ、急に無言になってしまったユナに声をかけた。

「……ユナ?」

「オレ、今思ったんだけど……」

 ユナは、おそるおそる振り向いた。

「………どうやって下に降りるんだっけ……?」

 下を見れば、立ちくらんでしまいそうな断崖絶壁。ようやくバーバラも気付いたのか、ペタンと尻餅をついてしまった。

「どうしよう………」




 結局、何処に行くかも分からない一種の賭けであるルーラを使うか、そのまま来た道を頑張って戻ろうか色々考えた末ユナとバーバラは、おとなしくウィルたちを待った。
ウィルたちが運命の壁に来てくれたのは夜明けから1時間ほど後の事。ルーラの要領で魔力を放出しながら飛び降りれば、衝撃は自然と少なくなるとミレーユのアドバイスを受け、二人は恐ろしいながらもそれを実践するしかなくなっていた。
魔力を放出しながら飛び降りたバーバラはウィルに、ユナはハッサンに受け止められなんとか地面に降りることが出来た。

その後、ミレーユにきつくお灸を据えられた事は言うまでも無いが。




 その夜。ユナは夢を見た。
会ったことも無い、夫婦の息子ジョン君がユナとバーバラの手を引いて、自慢の空飛ぶベッドに乗せてくれる夢だった。

「勇気のカケラ、本当にありがとう。代わりにこの空飛ぶベッドをお姉ちゃんたちにあげるよ。もう僕には必要の無い物だから」

 ジョンはそれだけを言うと、満面の笑みを見せて空へ帰っていった。
噂の空飛ぶベッドはジョンの夢が作り出した物だった。夫婦の笑顔も見る事が出来て空飛ぶベッドも手に入った。それは凄く嬉しいしこれからの冒険には大事な事だ、だけど、それよりもっと大切な事をしたような気がした。

オレたちの少しばかりの勇気で、ジョン君はもっと大切な、空飛ぶベッドよりも大切なモノを見つけたんだ…。

その頃バーバラも、ユナと同じ夢を見ていた。






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