32. 魔法都市カルベローナ



この世界には4つの象徴的な場所があった。
力の象徴”ダーマの神殿”、希望の象徴”メダル王の城”そして世界を見守る”魔法都市カルベローナ”、世界を統べる”神の城”。
魔王は目障りなこれら全てを滅ぼし、その封印を信頼する部下に任せた。
ダーマの神殿の封印を任せられていた魔王ムドー、メダル王の城の魔鳥ジャミラス、そして、魔法都市カルベローナの海魔神グラコス。
ウィルたちが旅の途中解放できたのはこの3つ。

封印が解かれると、その場所は夢の世界に姿を現した。
人々の心の力や希望が具現化したこの世界。人々に希望が残っている限り、滅ぼされてもなお夢の世界でそれは消える事はない。

魔法都市カルベローナもそれは例外ではなかった。

封印を解いて導かれるまま向かった先のその街は、ウィルたちを穏やかな空気で迎えてくれた。
絵本のような優しくて暖かい空気、空中に浮かぶシャボン玉のようなものを目で追う。その玉が弾けた所で、頭の中のもやもやが徐々に晴れてきた気がして

「カルベローナ………」

 バーバラは、そう呟くと何の前触れもないまま意識を失った。





 真っ赤な、赤い炎が見えた。
それは懐かしい大好きな人たちと、大好きな街を焼き払って……
それから………それから…………

「う………」

 手を差し伸べてくれる、青い髪の青年。その手は、あの時と同じ暖かさだった。

「バーバラ、大丈夫か!!」

「ウィル……」

 その呟きに、待っていたかのように皆がベッドに駆け寄った。

「大丈夫かよ!突然気失って……」

「ほんっとだぜ!ビックリすんじゃねえか!」

「あまり無理はしないで…」

「そうですよ!でも、良かったです。無事に気が付いて」

 頭に濁流のように流れ込む記憶。それを整理してくれたのは、いつもの皆の顔。

「……ありがとう、ごめんね、心配かけて……」

「…疲れてるのか?もう少し休んだ方が良いんじゃないか?」

 起き上がろうとして心配そうに声を掛けてくれたのはユナだった。

「大丈夫……疲れてるんじゃないの……」

 そういって、顔をあげたバーバラは何故か晴れやかな瞳をしていた。

「思い出したの、記憶、全部」





 バーバラの告白はにわかには信じられない事ばかりだった。
彼女は、この魔法都市カルベローナの唯一の生き残り。
大魔女バーバレラの血を引く正統な継承者。
記憶を失ったのは、魔王の襲来でカルベローナが滅ぼされたのを眼前にしたから。
それから彼女は魔王のかぎ爪も届かない遠く離れた場所まで飛ばされたらしい。
そして、今に至る。

しかし、そんな話を明瞭に、たまに冗談を交えて語る彼女の姿はいつもとほとんど同じで、それが無理をしているであろう事は誰の目にも見て取れた。

故郷が魔王に滅ぼされた。
夢の世界のこの街の人々は肉体を持っていない精神だけの存在で。
会話したり触れ合ったりも出来るが、この世界が見えなくなると同時にもう二度と会えない。
その上、子供ですら知っている大魔女バーバレラの血を自分が引いているだなんて。

「記憶が戻って、思い出した事があるの。私、すぐに会いに行かなきゃならない人がいるみたい」

 一通り話が終わってすぐにまたバーバラは切り出した。

「ブボールっていうんだけど、街はずれの屋敷に住んでるはずなの」

 記憶を頼りに向かった場所は大きな湖の中心にある浮島。橋を通りその浮島にある屋敷を訪れる。そこは、バーバラの記憶の中と何も変わっていなかった。
屋敷の中は案外こじんまりとしていて、古い書物が壁を埋め尽くしている。その古書の部屋を潜り抜けた扉の先の部屋。

「……ブボール?」

 1人掛けのソファに座って窓の外を見ていた老女はゆっくりと振り向いた。

「……バーバラ、良く来ましたね、待っていましたよ」

 記憶と変わらぬしわくちゃな笑顔で迎えてくれる。バーバラは涙目で駆け寄った。

「バーバラ……カルベローナの長を、貴方に継承いたします。それとともに、長である証・・・最大の秘術も継承いたしましょう」

「………っ!」

 唐突な言葉。驚いて息を飲みこんで返す言葉を失ってしまった。

「私の力がもう尽きようとしている事は知っているでしょう。貴方の力でカルベローナの魂を繋ぎ止めて下さい」

「な、何を言ってるの…?」

「バーバラ、貴方はもう分かっているはずです。分かっているから、ここへ来た…そうですね……?」

 ブボールの真剣な眼差しが心を射抜いた。

そう、バーバラはもう分かっていた。自分がやらなければいけない事。その為に何をして、何を受け入れなければいけないのかも……。
それはとても耐えられそうにない事。
耐えるには自分を偽る事しか出来ない事を。

バーバラはじっとブボールの瞳を見つめた。ブボールは今までずっと頑張ってきた。改めてそれを感じると、ゆっくりと力強く頷いた。

ブボールは安心したような笑みを見せ、バーバラの手をぎゅっと握りしめた。
しわくちゃの手から熱いモノが伝わってくる、それはブボールの命そのもののような気がした。不安でいっぱいになってその手を振り払いたくなった。ブボールが死んでしまいそうな、そんな予感がした。
逃げたい情動を必死に押さえて、流れてくる力を全て受け止めたバーバラにブボールは安堵の笑みを見せた。

「バーバラ、これで貴方がここカルベローナの長です。そしてそれと同時に最強の秘術マダンテを授けました。これは恐ろしい滅びの呪文。最後の最後まで、本当に必要となる時まで決して使ってはなりませんよ……」

 刹那、稲妻のような閃光が目の前に瞬いた。
状況を理解出来ないまま、皆は部屋を見回すと泣きじゃくるバーバラと横たわっている老女。

「ブボール……ブボールッ!しっかりしてぇっ!!」

「……魔王のかぎ爪もあと一歩及ばなかったようね……」

「バーバラ!」

「ブボールさんっ!!」

 慌ててウィルたちも駆け寄った。ブボールの体には邪悪な魔力の痕跡が残っている。ミレーユが癒しの手を差し出すが、ブボールは自らそれを拒絶した。

「もう私は長くありません……それに、私の使命は終わったのです……」

 ミレーユは、はっとして手を胸に戻した。その微笑みは、何の後悔の念もない。ミレーユはこんな老人を見たことがある。若い世代に自分の思いを託す老人を、ガンディーノの老人を。
やり遂げたブボールの顔は邪悪な魔力を受けたにもかかわらず晴れやかだった。

「バーバ…ラ……。貴方は世界を見守るカルベローナの長として生まれてきた子……。長の力を受け継ぐ者は、世界が危機に瀕した際、神の使いとなって救世主を導かなくてはなりません……。ウィル様と共に、世界をこのカルベローナを……」

 バーバラの瞳をかろうじて捕らえていたブボールの瞳が止まった。

「ブボール……?」

 灰色の瞳が瞼の中にゆっくりと収まってしまうと、バーバラの手を握りしめたまま静かに息を引き取った。

「ブボール……?」

 重い法衣に身を包んだ老人の体を、涙を流しながら何度も何度も揺さぶった。

「ブボールゥッ!!!」




「さあ、行きましょう」

 誰も声を掛けられないまま時間だけが過ぎようとしていた事を止めたのはバーバラ自身だった。
ブボールの体は窓から差し込んだ光に溶けるように静かに消えて行った。

「バーバラ……」

 気休めの言葉など掛けられるはずもない。バーバラは「大丈夫だよ!」とだけ言うと皆を部屋から追い出しその、小さな小部屋を見渡した。そこは昔と何も変わらなかった、ただひとつ違うのは優しい老女が居なくなってしまった事。

「私は、きっと大丈夫……」




「バーバラ様」

 屋敷を出てウィルたちに歩み寄ってきたのは、二人の僧兵だった。

「マダンテ継承は済まされたんですね?」

 もう一人の僧兵の言葉に、バーバラはしっかりと頷いた。
二人はウィルたちに向け深々と頭を下げる。

「バーバラ様に皆様、街の者がお待ちです。どうぞこちらへ付いてきて下さい」

 丁寧に案内され辿り着いた場所は、十字架のように横にも縦にも伸びた建物だった。
扉を軋ませ中にはいると、ブボールと同じようなローブを羽織った老人が4人ウィルたちを待ちかまえていた。

「わしらは、カルベローナの4賢者と呼ばれておる者です。この度は記憶を失ったバーバラ様をカルベローナまでお導き下さり、有り難う御座いました。カルベローナ一同心より感謝致します」

 胸に手を当てて深く頭を下げた。

「皆様も気付いておられる通り、バーバラ様はここカルベローナの長になるべくして生まれてきました。秘められた魔力も常人が使う事の出来ない魔法も、バーバラ様の血が成せる力なのです」

「そうだったのか…道理で…」

 ハッサンは腕組みをして頷いた。
見た事もない強力な攻撃魔法を軽々と使いこなすバーバラを見て普通じゃないとは思っていたが。

「カルベローナが魔王に襲撃された際、その恐ろしい魔力に反発してバーバラ様だけが遠くへ飛ばされました。きっと、その時のショックで記憶を無くされたのでしょう。そのような中でウィル様たちと出逢えた事は神の与えた奇跡に他なりません」

 4賢者は再び深く頭を下げた。

「これからもバーバラ様を何卒宜しくお願い致します。ウィル様たちの旅の手助けをする事それこそがバーバラ様の成すべき事なのですから」

 ウィルたちはその話にただ圧倒されて、何も言えずに首を頷かせるだけだった。

封印されていた魔法都市カルベローナの住人だったバーバラ。大呪文の継承。ブボールの死。
いつも明るく楽観的な彼女のイメージからは一転離れた物ばかり。皆はいつものバーバラが離れていってしまいそうな、そんな不安を覚えた。

「バーバラ様、記憶がお戻りになったのなら分かっておられますね?ご自分の使命を・・・」

 右隅に控えた眼鏡を掛けている老人の言葉に頷いた。老人も感慨深そうに頷くと言葉を続けた。

「その力を持って、救世主の助けとなる。世界を統べる天界の神と世界を見守るカルベローナの長が遠い昔にかわした盟約です」

「盟約……」

 誰ともなく呟いた。

「長の家計に生まれしバーバラ様は魔王に匹敵する程の魔力を秘めています。その魔力が解き放たれればきっと黄金のドラゴンにも……」

「私が……黄金のドラゴンに……」

 聞いた言葉に、ゾクリと体に何かが走った。ムドーの城で見た夢が思い出される。自分の体が光り輝く竜の姿になって皆を導く夢だ。

「力を秘めた魔法使いが黄金の竜に姿を変え、闇に飲まれた世界を救った。古い伝承です。ですが、バーバラ様のとてつもない魔力はそんな夢を見せてくれそうな気がしたんです」

「黄金のドラゴン……」

 バーバラはもう一度その言葉を口に出す。
懐かしく、暖かく、そしてなぜか恐ろしい感覚が再び体を襲った。
それが自分の運命なのであれば受け入れるしかないのだろう。
記憶なんか、思い出さなければ良かった……子供の様に全てを投げ出せたらどんなに楽なのだろう。そんな考えがほんの一瞬だけ過ぎった事をバーバラはそっと心の奥にしまった。




「それにしても似つかわしくねーよなぁ、こことお前の雰囲気。オレはお前の家はてっきりどっかの賑やかな酒場かなんかだと思ってたんだけどよぉ」

 重苦しい空気を払しょくする為だったのか、少しだけずれたような冗談をハッサンは口にした。しかしそれにいつも通りバーバラは乗った。

「しっつれいね〜、どーゆう意味かしらそれ」

「その通りの意味だろ」

 ハッサンと同じ意味を込めてユナも笑った。
どことなく影のあるバーバラの笑顔をいつも通りにしたい。きっとその思いは皆同じだったのだろう。




 カルベローナの静かな夜。空には七色の光りに変わって光虫のような物が飛んでいた。これは邪悪な魔力に侵されない為の4賢者が作った結界だった。
ふとそんな事を考えながら独り、バーバラは懐かしい煉瓦道を歩いた。町外れにある湖に映った湖月に見とれて足が止まると、後ろから別の影が近付いてきた。なんとなくその人影を予想して

「どうしたの?夜の散歩?」

 笑顔で振り向いた。その相手は、ウィル。

「………」

 笑顔のバーバラに反して、向こうはどことなく浮かない顔で近くまで歩み寄った。

「何かオレたちに隠してる事が有るんじゃないのか?」

 視線を合わせず、同じように湖月を見つめながら言った。

「何言ってるの?どうして急にそんな事……」

 突然の言葉に胸を突かれ、髪をなびかせ振り向く。ウィルはようやくバーバラと視線を交わらせ

「同じなんだ」

 呟いた。

「ターニア……オレの妹と」

「………?」

「ターニアもさ、どんなに辛いことが合ってもそれを絶対に言おうとはしなくて、無理に笑顔を作って、オレを安心させようとして……」

 出発の直前、笑顔で送り出してくれたターニアが思い出されて言葉が止まった。

「その笑顔と、似てるんだ…」

 バーバラは一瞬瞳を強ばらせたが、その後すぐにまた笑顔を返した。

「あは…っ…あはははははっ!なっ何言っちゃってるのよ、もーっ!アタシはそんな…っ」

 真剣に見つめるウィルに、無理に作った笑顔は長くは持たなかった。視線を外して、俯く。

「……ウィルは、やっぱりすごい……な……。どうして分かっちゃったんだろう、きっといつも皆の事見てるからだね……リーダーだもんね……」

 久々に見る彼女の辛そうな顔に、ウィルは口をつぐんだ。
そして、彼女を追い込んでしまったのでは無いかと胸の奥がチクリと痛んだ。

「でもごめん、今は、言えないの。口に出すのも怖い。ウィルに聞いて貰うのも怖いだから、ね。アタシの事を信じて今は何も聞かないでほしい……」

「バーバラ……」

「聞かないで欲しいけど……その分、側に居て欲しい……」

 苦しい胸の内はウィルにさえ言えなかった。

自分が魂だけの存在だなんて。
本当は夢の世界でしか生きられないなんて。
夢と現実のバランスを崩した魔王のおかげで現実の世界にも存在出来て貴方とも触れあう事が出来るなんて。

その魔王が倒れたら、もう二度と会えなくなるなんて………。

のし掛かる真実にバーバラ自身押しつぶされそうだった。喉まで出かかった弱音を辛うじて飲み込む事で精一杯で、続く言葉が出てこない。アタシは大丈夫だよって笑顔で返したいのにそれすら出来ない。

「………」

 ウィルはそんなバーバラを切ない思いで見つめていた。
頼りない小さな体。その体にカルベローナの長と言う使命と辛い記憶を抱えて。
自分で良ければ力になりたかった。いつでも自分に元気をくれる彼女の笑顔、どんな事をしても守りたかった。
ウィルの胸に遠慮がちに身を寄せるバーバラを、思わず強く抱き締めた。



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