● 愛執 ●
まだ夜も明けていない、夜明け前の静けさの中、少年はすでに昨日のうちに 用意された荷物を持って、その家を後にした。 「・・・・・・・・・」 本当に自分が何をやっているのか分からなかった。 霧のかかって見えにくい道を歩きながら、色んな事を考えた。 ダークドレアムとの戦いのこと、ユナのこと・・・自分のこと・・・・・・ 「おい」 気配には気付いていた。予想通り声をかけられる。深い霧のせいで姿は確認できないが その声で判断出来る。昨日の、ユナを好きだと言ったロイと言う男だ。 テリーは止まらずに歩き続けるが、声を掛けてきた人物に腕を掴まれた。 「無視かよ。せっかく人が見送ってやろうって言うのに・・・」 「見送りなんかいらない」 手を振り払ってそう吐き捨てた。 「ヒーッ!なんて性格の悪いヤローだ!お前、一生友達出来ないぞ!」 フンと鼻で笑って、気にせずに行こうとするテリーに、今度は神妙に問いかける。 「最後に、質問してもいいか?」 その言葉に何となく立ち止まった。 「お前、ユナのこと好きなんだろ?」 「・・・・・・・・・」 「昨日危険な森に入っていったのも、ユナの為なんだろ?」 「さぁな」 「ふざけるな!答えになってねえよ!」 目の前に立ちふさがった。 「お前、ユナの事が好きなんだったな。だったら邪魔者のオレが居なくなった方が好都合なんじゃないか?」 面白く無さそうにしながら、テリーから目を背けて答える。 「お前がいなくなったら・・・ユナが悲しむ。オレはあいつの悲しい顔なんて見たくない・・・・・・」 「・・・・・・・・・」 「あいつがお前をどれほど思っているのか、この数日で痛感したよ。あいつを 幸せに出来るのは・・・お前しかいないって・・・」 テリーは何も答えようとしなかった。ロイはふっきれたのか向き直って訴える。 「お前だってそうなんだろ!?あいつのこと好きなんだろ!? だったら、好き合ってる者同士一緒にいればいいじゃないか!どうしてそんなに無理するんだよ!?」 何度もその言葉を問いかけられた気がする。 回りにいたお節介な者や、自分の中のもう一人の自分に。 テリーの悲しそうな顔に、それから何も問いつめる事が出来なかった。 「待てよ!」 ロイと別れて、町を出ようとしたその時、門の外から見慣れた姿が目の前に飛び込んできた。 青いマントと旅人の服、背中の長剣。バッチリ旅支度は整っているようだ。 予想していたテリーは、驚きもせずに視線を向ける。 「このオレを出し抜こうなんて甘い甘い!テリーの行動パターンはもうお見通しなんだぜ」 「それはこっちの台詞だ。お前には色々世話になったからな、最後の挨拶くらいはしておかないとな」 最後・・・。その言葉に一気に表情が曇る。 「あのさ・・・」 言いにくそうに頭を掻く、そして遂に意を決したのか真っ直ぐにテリーを見た。 「やっぱりオレ、テリーと一緒に行きたいんだ。天界になんか帰りたくない。 別にオレが天空人だからって関係ないだろ。今までだって一緒に・・・」 「ダメだ」 ユナが言い終わる前に冷たく言い放つ。先へ進もうとする彼に必死に付いて食い下がった。 「テリーが何て言っても、オレは・・・」 オレは・・・ 「テリーの事、忘れられそうにないんだよ・・・」 俯いて苦しそうに呟く彼女に、冷たい言葉が出てこなかった。 「・・・・・・」 ユナを見ると、触れたくなる。それはただの男の欲望なのかもしれない。 この一年、ユナのことばかりを、あいつの声ばかりを聞いていたのも事実だった。 そしてそれを愛と呼ぶ事も知っていた。 だけど、それ以上に、このまま二人で旅を続ければ何か不吉な事が待ち受けていそうな 予感の方が強かった。もうこれ以上彼女を不幸にはしたくなかった。 「無理だ・・・。お前は天空人・・・オレは地上人・・・。一緒に居ればきっと悪い事が起きる・・・ オレにも・・・お前にも・・・」 そんな事はとっくに分かっていたのに。 「オレは、どんな目に遭ったって構わない!翼が朽ちても、天罰が下っても・・・ だけど・・・だけど・・・」 ユナの幸せを思って突き放している事が、もっとユナを苦しませている事に気付いた。 「もう天界になんて帰りたくない・・・天罰なんかより・・・テリーともう逢えなくなる方が嫌だよ・・・!」 そして自分自身も。 「お願いだよ・・・。迷惑なのは分かってる、自分の気持ちしか考えてないことも分かってる・・・けど・・・」 「・・・・・・」 「テリーと・・・・・・また一緒に旅がしたいよ・・・・・・テリーが・・・好きだよ・・・・・・!」 その言葉に、その悲しげな声に、今までうだうだ考えていた事がどうでも良くなってしまった。 それと同時にここまでユナを悲しめて、ここまで自分の気持ちを抑えて 彼女に天界へ帰れと言っている理由も分からなくなって来ていた。 『禁忌を犯した天空人の翼は朽ち、人間には神の天罰が下る』 あの時、薄れていく意識の中でダークドレアムの言葉がハッキリ聞こえてきた。 アクマがユナをこの世界へ呼び戻した理由が、恐ろしい事の始まりだと思えてならなかった。 一緒に居てその後ずっと苦しい目に遭うより、想いを断ち切って良い思い出にしてしまった方が 良かったんじゃないかと最近何度も思っていた。 後で彼女が辛い目に遭うより 今、悲しいかもしれないが突き放して、別れる方が彼女の為なんじゃないかと・・・。 そう思っていた。 だが・・・ もう、自分自身の限界だった。 手が、ユナの顔に伸びる。肌に触れた瞬間、不意に言葉が漏れてきた。 「お前に、会わなければ良かった」 お前にさえ会っていなければ、恋なんてしていなければ こんなに苦しい想いをしなくてすんだかもしれないのに。 どうしてお前みたいな変わった奴に・・・天空人に・・・。 「どうして・・・寄りによって天空人のお前に・・・」 冷たいユナの肌、触れ合う唇だけが熱かった。 「・・・・・・・・・っ」 触れるだけの幼い口付け・・・。 驚いているユナの瞳を見て、愛おしい気持ちが襲ってきた。 もう・・・天空人や天罰なんて、知ったことじゃない・・・ 「今まで悪かった・・・もう・・・自分に嘘はつかない・・・」 やっと触れて、想いが流れ出していくのを実感した。 本当はどれだけ、こうしたかっただろう、どれだけこう言いたかっただろう。 制御していた物が取り払われて、体中を駆けめぐっていく。 顔に伸びていた手は細い肩に、もう片方の手は長剣を背負っている背中に回して ぎゅっと抱き締めた。 「・・・・・・!」 目を伏せて、想いを感じている。 やっと、気持ちの高ぶりが収まった所でユナを見据えた。 相手はまだ何が起こったのか分からない表情で、目をぱちくりさせていた。 そんな彼女に唇を緩ませて、手を掴む。 「一緒に・・・来るんだろ・・・?」 驚いていた瞳が、急に輝きだして、笑顔になった。 その様子を見て、これで良かったんだと思えてくる。 嫌な予感が頭から離れなくても、その先に有る物が幸福ではないと分かっていても 今、目の前にある、手を伸ばせば手に入る安らぎを切り捨てる事なんて出来なかった。 彼は、未来のために、今の幸せを捨てられるほど、大人ではなかったから・・・。 |