● 越えられない壁 ●

 



 ガンディーノ。当時、世界中からデス・タウンと囁かれるほど、荒んだ街だった。
ガンディーノ13世は暴君として街の人々を苦しめ、収める年収は12世の頃より
倍以上に膨らみ抗議に城へ行った人々は皆帰らぬ人となっていった。
その上ギンドロ組というガラの悪い者たちが幅を効かせており、城の中は奴隷で満ちあふれた。
幼女や少女が、男たちの慰み者になる玩具奴隷が急増したのもその頃であった。

ユナもそんな玩具奴隷の中の一人、心に今でも深い傷を負っていた。

町民は飢えとのし掛かる重税、多発する犯罪に苦しみ、自殺する者たちは後を絶たなかった。
それは、街に住むテリーの家も例外ではなかった。

ミレーユがその日見当たらなかった。

親に聞いたらミレーユは友人の家に泊まっていると言われた。

その日の夜、用を足そうと起きて済ませた後部屋に戻ろうとしたとき、親の部屋から光と声が
漏れているのに気付いた。
その光に吸い寄せられるかのようにヒタヒタと足が動く。

「・・・・・・あなた・・・もういつまでも隠し通すことは出来ませんよ・・・。
やっぱりテリーにも話してあげた方が・・・」

 母の声は少し震えている。自分の名が出た所でもっとその光に顔を近付けた。

「バカ!そんなこと言えるわけないだろう!もう少しテリーが大きくなってからオレから話す。
それまではそんな素振りは決して見せるな!」

「・・・・・・・・・?」

 まだ会話の糸が掴めない。
しかし何か悪いことを話しているのは分かる。
古びたパイプの灰を灰皿に一欠片落とすと、ふぅーっと白い息を吐いた。

「それにしても、あの子が知ったら本当に怒るでしょうね・・・」

「・・・う、うむ・・・」

 目尻の赤くなった母の肩をポンと優しく叩く。

「ミレーユがお城に献上されたなんて知ったらな・・・」

「・・・・・・・・・っ・・・」

 ついには赤い目がうるうると潤んでいた。

 オシロニケンジョウサレタナンテ

 テリーの家はそんなに貧乏ではなかった。
むしろ上流階級にあったのだが、前王が亡くなって、現在の王が即位してから
税の取り立てや色んな理由をつけられて、湯水のように財が流れていったのだ。

親は子供に知られないように、今までずっと隠し通していたのだが

「でも・・・今年の納税を・・・ミレーユを差し出せば免除すると言われたら・・・
私たちはそうするしかないだろう・・・。元々あの子は私たちの子供ではない・・・
捨て子なんだからな・・・」

 ついには体全体に光が当たるようになっていた。
母の顔が見る見るうちに青ざめていく。父も、恐る恐る後ろを振り向いた。

「テ・・・テリー・・・」

 そこには、七歳の少年とは思えない、恐ろしい形相をしたテリーが立っていた。

「テリー、あの・・・これはね・・・」

「テリー・・・」

 ぐっとこぶしを握り締めたまま動かない。
そっと母親が近寄ろうとしたとき、何を思ったか部屋の片隅に置いてあった護身用の
剣を手に取った。

「テリー・・・何を・・・・・・!」

 窓を思い切り開ける。
外から突風と雨が降り込んでくる。

「姉さんを・・・・・・」

 剣を持つ手に力を込めた。

「姉さんを取り戻す!!」




・・・・・姉さんを取り戻す。

「テリー、テリー?」

「・・・・・?」

「あのさ、ぼーっとしてないで、それからどうなったんだよ?」

「ん、あ、ああ」

 ユナが続きを聞きたそうにして、袖をぐいぐいと引っ張っている。

「それからは、城の門番に力の差を見せつけられて、自分の無力さを知った」

「なるほどー、だからあんなに力を求めてたのか・・しかしパジャマ姿で突撃するなんて・・
その門番さぞや面食らったろうなあ」

「仕方ないだろ、そのときはそうするしかなかったんだ」

 二人はそのやりとりに顔を見合わせ笑ってしまっていた。
ふーっと笑った後、ユナは息をついた。

「それだけ、ミレーユさんの事好きだったんだね・・・」

 笑いながら言っていると思ったのだが、隣のユナを見てみると随分と苦い顔をしている。

「それは・・わからない・・好きなのか・・いや、好きだったのか。だが・・今までずっと
姉さんの為だと思って、ずっと力を求めていた・・」

 姉さんを想ってずっと頑張ってきたはずだ。

「ミレーユさんのこと・・好きなんだろ?・・・テリー・・」

 眩しかった姉さん、子供ながらに本当にドキドキして、でも、今はユナがいる。
愛していると思った、欲しいとも思った。

「だが、時が経つにつれて、何のために戦っているのかわからなくなったりもした」

「テリーはずっとミレーユさんの事を想って戦い続けたんだろ?」

 頷かない。

「だ、だってオレ、見たんだもん!」

「・・・・・何を・・」

「真っ暗なテリーの心の中に、光があったのを。ミレーユさんっていう光があったのを、
オレちゃんと見たんだよ!」

 そう、イミルと一緒に、テリーを助ける為に、心の中に行ったとき。
ミレーユさんの肖像画があったんだ。その時に、自分の想いに気付いたんだ。

「だから、テリーはミレーユさんの事想って・・・」

「心の中って・・・何のことだ?」

「え・・、いや、だから・・イミルとラーの鏡使って、テリーの精神に入ったんだよ、その時に・・」

 険しくなっていくテリーにどぎまぎした。

「勝手に人の心に入ったんだな?」

「え、なんで?何でそんなに怒ってるんだよ」

 声のトーンが低くなっていく、テリーは怒っている。

罪悪感のまったくないようなユナを見て、もうあきれるというか、鈍感というか。
こういうとき、ミレーユならどんな反応をするのか、きっともの凄く申し訳なさそうな顔をして
必死に謝るはずだろう。いや、それ以前に勝手に人の心を覗くなんて事は決してしない。

そんなミレーユと今のきょとんとしているユナを見比べて、また何かムカムカとした気持ちが
こみ上げてきた。

「信じられないくらい人の気持ち分からないんだな」

「・・・・・分かったよ!謝るよ、ゴメンって!勝手にテリーの心を見ちゃったことは、
悪かったって思ってる!」

「・・・・・」

 ふいっとユナから目を背けたまま無言になってしまった。
険悪な空気がその場に充満していく。
ここで喧嘩をしてはいつもの繰り返しだ。

「そっそうだ、肝心なこと聞いてねえよ!」

 そう思い、口を開いたのはユナだった。

「何でハッサンとミレーユさんの事でそんなに怒ってるのか、教えてって・・・」

「・・・・・分からない、オレにも」

 小さい声で呟く。良く聞き取れなくて言い返そうとした・・・が。

「でも、胸の辺りがムカムカして爆発しそうだ。あのハッサンがミレーユ・・姉さんを昨日・・・
って考えると・・・」

 手で顔を隠したテリー。
しかしその手の間から鋭い眼光が見えた。見たことのある光だった。

「殺してやりたいくらい・・・腹立たしい・・・」

 嫉妬の光だった。

「今までこんなこと無かったのに。姉さんがあいつと仲良くしているのを見ても何も思わなかった
のに・・関係があるって分かったとたん、何か・・もう、どうしたらいいのか・・・」

 ドウシタライイノカ・・・

「・・・ミレーユ・・・」

 それはオレのセリフだよ。ドウシタライイノカなんて

「あっあのさ」

 ぐらぐら動く胸の内を悟られないように大声をあげる。

「もう考えるの止めないか?余計分かんなくなるよ!」

 怖いんだよ。
だって、もし自分の考えてることが的中したら・・・オレはどうしたらいいんだ?

テリーがどこかに行っちゃうぜ。不安になって彼の腕を思い切り引き寄せた。
しかし相手は考えることをやめようとしない。

「もう・・一人にしてくれ・・・・一人で考えたい・・」

 弱い言葉とは裏腹に、強い力で腕を振り払われた。
一人で歩いていくテリーを見て、引き留める事の出来る言葉は、
彼の注意を自分に向ける言葉はこれしかなかった。

「そんなことも分かんないのかよ!」

「・・・・・人の心を勝手に覗いて、罪悪感も感じてない奴に教えてもらいたくないな」

「・・・・・・・テリーはミレーユさんの事今でも好きなんだよ!!」

 はっとしたテリーを見て、自分でも何故こんなことを言ったのか、しまったと思った。
自分の心の内で考えていたことだ。

「だから、ハッサンに自分の好きな女を抱かれてムカムカしてるんだよ!!」

何言ってんだよオレ・・・。

「・・・お前・・・自分が何を言ってるのか分かってるのか?」

「ああ、分かってるよ!テリーの図星を突いたんだよ!あ、オレの事ならほんとに気にしなくて
 いーからさ!」

 もうヤケになってるぞ・・止まってくれよ自分・・。
でないと、もう取り返しつかない・・

「自分の本当の気持ちに、やっと気がついたんだろ?」

「・・お前が何を言ってるのか分からない・・」

「分かんないのはこっちだし、傷ついてるのはオレの方なんだからな!オレはミレーユさんの事が
好きだって分かったら、すぐさま捨てられるような女だったんだって、泣けてくるよ」

「誰も捨てるなんて言ってないだろ!!」

「捨てるに決まってるよ!所詮オレはミレーユさんみたく綺麗じゃないし料理できないし、
裁縫だって出来ない、上品でも女らしくもない。人の心の中に入っても罪悪感の一つも
感じない・・・ミレーユさんとは正反対の女なんだし!!」

 心の中に感じていた劣等感を全てぶつけてしまっていた。
自分の一番弱くて醜い部分を、一番見せたくないテリーに見せてしまっていた。

「ああ、正反対だな」

「・・・・・」

「ミレーユ姉さんを好きなオレが、何故正反対のお前にあんなに惹かれていたのか分からなくなった」

 ある程度の間隔を保ったまま、二人は言い争う。

「はーん、やっぱりミレーユさんの事好きなんだ?ひどい奴だな、マジで」

「お前なんかにオレの気持ちを言う必要はない」

 悲しさなんていう気持ちは忘れていた。
その場限りの腹立たしさで、普段なら決して言わない事を 口走っている。

「なんかとは何だよ!」

「本当にうるさい女だな!!そんなにオレの気持ちを知りたいんなら、オレの心の中に入って
直接確かめてみたらどうだ!?」

「・・・・・っ!」

「別れなんて、案外こんなものなのかもな」

 ユナを一瞥した後、テリーは振り向かず宿に向かって歩き出した。
固まって、動けない。彼の言葉の魔法で金縛りにあってしまったようだ。

 ワカレナンテ、コンナモノナノカモナ

「別れ、なんて・・・」

 何度も繰り返す。

「結ばれるのは、築き上げるのは少しずつ、長く時間がかかるけど、それを壊すのは一瞬だったな・・・」

 小さくなったテリーを見ながら呟いた。

「案外、別れるなんてこんなことなのかもしれないな・・・」

 あの激しい夜も、愛してやまなかった日々も・・・




「おい、テリー。遅かったじゃないか!」

 その声の主に、ますますテリーは不機嫌になってしまった。

「ユナと何かあったのか?さっき言い争ってたみたいだけ・・・」

「貴様には関係ない!」

 途中で聞きたくなくなったのか、乱暴にハッサンを押しのけて自分の部屋に戻った。
 テリーがユナと喧嘩をしたことを悟ったハッサンは仕方なく肩をすくめる。

「もうちょっと仲良くできないもんかんねー・・・」

 しかし、その喧嘩の原因は自分であることを、大男は知る由もなかった。



「ユナ、結局どうするんだ?あの件・・・」

 朝食で皆が集まっている。
ウィルから尋ねられて、やっとその事を思い出した。
気持ちいい朝に最悪のゴタゴタがあったのでスッカリ忘れてしまっていたのだ

「あ・・・ああ、大丈夫だよ、皆心配しないで。パっと行ってパっと帰ってくるから・・・」

「でも、本当に大丈夫なんですか?」

 もう、大丈夫じゃなくても、危険でもどうでも良いんだ。
そんな事どうでも良いんだ。

「・・・とにかく、皆には悪いからオレ一人で行って来る。うん、大丈夫だよ!」

 皆の心配げな視線が重苦しかったのか、腹が良く満たされないまま
席を立って早々に引き上げてしまった。




 太陽が一番高く昇る頃にも、ユナは一番涼しい村から少し離れた湖の近くにいた。
昼時にも食事をする気分ではない。
ただ言葉に出来ない自分の想いを、悲しく切なく笛の音色にするしか無かった。

「・・・虚勢を吐くのはいい加減やめたらどうだ?」

 音色は途切れることは無かった。

「自分が一番苦しむことになるんだぞ!」

 声の主が真正面に来ても、存在を無視する。

「オイ、聞いているのか!」

 強く肩を掴んで自分の方を向かせた。
驚いているユナに、今度は強引にキスしていた。

「・・・・・・・・・!」

 華奢な体のどこにそんな力があるのか。
テリーは強い力で肩を押さえつけている。
しかし、ユナは渾身の力で右手の自由を利かせた。

バシッ。

二人の距離が遠くなった。
真っ赤になった頬を手で押さえ、打った方の手は胸で苦しそうに悶えている。

「オレはお前の欲望を満たすための道具かよ?」

 ぐっと唇を噛み締めて

「格好良いんだから、相手くらいいくらでもいるだろ?」

 頬に手を当てて動かない。

「どこかの女の子口説いて、宿行けば?」

「お前、オレの事好きなんだろ?」

「・・・・・・・・」

 言葉が途切れた。

「じゃあ、別にキスしてもいいだろ?」

「良くねえよ!」

 もう一発殴ってやりたい。苦しかった右手はもう怒りに震えている。

「テリーがオレの事好きじゃないのにキスするなんて、何か違うじゃないか!」

 挑戦している言葉、もうテリーが何をしたいのかも分からない。息をついて笛を取ろうとしたが・・・・・・
 ・・・笛が見つからない。辺りを見回すと湖に小さな波紋が広がっている。落ちたのか・・・

「・・・サイアクだよ・・・テリー、拾ってきてよ!」

「・・・・・・・・・」

「テリーのせいで湖に落ちたんだからな!」

「何故オレがこんな汚い湖に、お前の笛を取るために入らなくちゃいけないんだ!」

 じっとにらみ合っている二人。

「・・・サイテーサイアクだよ!キライ、キライ、大ッキライだ!!顔も見たくない!!」

「嘘言うなよ!本当の気持ち言えよ!!」

「・・・・・・・・・」

 何が嘘だよ・・・図星付きやがって。何の恨みがあるんだよ

「嘘なんかじゃじゃねーよ!!ダイッキライだよ!!お前なんて!!」

「・・・無理するなよ、そんなに苦しいなら・・・馬鹿じゃないのか・・・」

「どーせ馬鹿だよ!ほっといてくれよオレの事なんて!!」

 顔を背けた理由を、テリーは察した。その後ユナは大きな水柱を立てて湖の中へと消えた。

「・・・オレの気持ちはどうなんだ・・・?」

 自分の心の中を、もう一度ユナに確かめて欲しかった。
 自分のいやなところも、いいところも、全て知っているユナだけに・・・

「・・・・・・テリー・・・」

 冷たく、薄暗い湖からやっと身を乗り出したユナ。腹が立つ程愛している男を目で追いながら

「・・・・・・オレに、どうしろって言うんだよ・・・」

 呟いた。波紋がどんどん広がって、また広がっていく。
 それは、涙だった。







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