● 淑女への道2 ●

 



 夜。マイヤは自室のバルコニーに備え付けられた椅子にゆったり腰掛けて
ぼーっと夜空を眺めていた。
テーブルの上には読みかけの本と飲みかけのワイン。
月明かりが夜の雲に遮られた所で読書を止めて物思いに耽っていたのだ。

滅多な事では外さない眼鏡を外して、ぼやけた視界の中今日の事を思い出していた。

コンコン。

ノックの音に現実に引き戻される。
慌てて眼鏡をかけ直すと椅子から立ち上がって静かにドアを開けた。

「マイヤさん・・・あの、お話があるんですけど・・・」

 言葉を濁す来客者。

「私もちょうど貴方に話があったんです。部屋の中で聞きますからソファに
腰掛けていて下さい。お茶を用意しますから」

 来客者ユナは一礼すると、大きな白いソファに座る。
今まで一週間ずっとマイヤに付き添っていて部屋に来るのは初めてだった。
大きなベッドに大きなテーブルにソファ・・・城の使用人にしては少し豪華過ぎる部屋だ。

陶器の音と甘い匂いが鼻を誘うとレースのテーブルクロスの上に高価そうな
ティーカップを二人分用意した。
それにティーポットの中の飲み物を注ぎ込むと、甘い匂いが広がる。

マイヤはユナの目の前のソファに腰を下ろした後お茶を勧める。
二人してお茶を啜りながら無言の時間が流れた。

「貴方の話したい事は大方見当が付いてます」

 カップを戻して、呟いた。
立ち上がってユナの隣まで来るとその手を掴む。
掴んでユナの手の平を瞳に映して、

「ボロボロの手ですね」

「え?」

「それはそうですか・・・。バーバラ様とウィル様から聞きましたが・・・貴方はなかなかに
強い剣士だそうですものね」

 マイヤの言っている意図が掴めなかった。首を傾げながらあやふやに頷く。

そんなユナをよそにマイヤはユナの手を両手で包み込んだ。
普通の年頃の娘と全く別の道を辿った彼女の手・・・。
マメが潰れて硬くなった手の平の上にマイヤはポケットから取り出した木箱を乗せる。
その木箱の中の白いクリーム状の液体をユナの手の平に大まかに塗った。

「私は・・・貴方を理解しきれていませんでした」

しわしわの指でその液体を手の平に丁寧に伸ばす。
ユナは何も言えないまま行動を見守った。
いつも怖くて冷たいイメージしかないマイヤの手が、こんなに暖かくて心地良い物だと初めて知って
戸惑っている自分がいたから。

「普通の娘がするような生活を何一つ送ってなかったんですね・・・」

「マイヤさん・・・?」

 神妙に呟いて、手の平をさすりながら顔を俯かせる。

「世の中は不公平ですよね・・・貴方みたいに器量が良くて優しい子がどうして
剣士にならざるを得なかったんでしょう。どうして、親の愛情を受けることが出来なかったんでしょう」

「・・・・・・・」

 昼のやり取りを思い出した。
もしかして・・・オレの背中を見て、こんな事言ってるのかな・・・。

「大丈夫ですよ。オ・・・私は今、本当に幸せですから」

 精一杯の笑顔で返す。
マイヤもそれを見て優しく、どことなく悲しそうに微笑んだ。

「貴方はもう戦わなくても良いんですから、手くらい綺麗にしておきなさいね。危険な目に遭った時も
貴方はテリー様に守られていればそれで良いんですからね。
今の私との勉強が辛いなら、もう無理しなくても良いんですよ。
私も、貴方の事を何も知らずに無理させすぎました」

「・・・・・・・・・」

 伸ばし終わって手の平が潤いを持った所で木箱をポケットに直す。
初めて見た優しげな瞳に、何を言ったらいいのか分からず頷くだけだった。

「あの・・・」

 本当は、マイヤに抗議するつもりでここに着たユナだったが
思いも寄らなかった彼女の行動に、考えていた事が何処かへ行ってしまって
代わりの言葉を慌てて用意した。

「マイヤさんは・・・どれくらい王宮に勤めているんですか?」

 マイヤはキョトンとした後、ソファに戻って

「そうですね、もう何十年になるんでしょうか・・・。私の父上がこの城の住み込みの教育係でしてね、
私は産まれたときからここに住んでいるんですよ。父の亡き後・・・もう貴方と同じ歳くらいから
使用人としてここで働いておりますので・・・。もう20年以上経ちますね・・・」

 懐かしそうに話す。

「国王や王妃様が倒れられてからと言うもの、本当に城は活気を失って皆がやる気を
失っておりました。昔は人々の笑い声や笑顔で耐えなかった城が死んだように沈み込んでいました。
でも・・・そんな城を救ってくださったのがウィル様とバーバラ様でしてね・・・」

 戦いが終わっても、ウィル王子は旅に出ていた。
その理由は王も、王妃も私も知っていた。
二人が城に帰ってきてからと言うもの王も王妃もかつての若々しさを取り戻したかのように
生き生きとして、城もだんだんと活気を取り戻してきたのだ。

「お二人は本当に素晴らしい方です。私は、お二人の一生に一度の結婚式に少しでも華を
添えたいと色んな事をしてきたのですが・・・少々やりすぎてしまったようですね」

 ふいっと目を背けて呟くマイヤに胸が少し痛んだ。
マイヤさんは・・・本当にウィルとバーバラの事を想って・・・結婚式に華を添えるために
忙しい中オレの教育をしてくれてたんだ・・・。
マイヤの胸中を初めて垣間見た気がして、今まで不真面目だった自分に自己嫌悪する。

オレと一緒にいる以外でも彼女はそこら中を走り回って、客の応対に追われて
目が回るほど忙しいハズなのにオレにこうやって色んな事を教えてくれてる。
それもこれも・・・ウィルとバーバラの為にやってきた事だったんだ・・・。

「マイヤさん・・・オ・・・私はテリーに会ってから、恋をしてからずっと女の子らしく
なりたくって努力してきたんです」

 すべすべになった手の平の感触を感じながら呟く。

「だから・・・」

 心遣いが心に滲みた。

「だから結婚式までの間、よろしくお願いします!」

 ソファから立ち上がって、深々とお辞儀をした。
マイヤは目を丸くして

「ユナ様あなた・・・・・・」

「マイヤさんの理想像に近付けるか分からないけど、オ・・・私一生懸命努力します!」

 二週間、マイヤとバーバラ、ウィル・・・そして自分の為に努力してみようと思った。
ユナの考えを悟ったのかマイヤは口に手を当てて差し出されたユナの手をぎゅっと握り締めた。




 重い足取りで重い手で一週間世話になった部屋のドアを開ける。
部屋の中の人物はベッドに座って壁にもたれ掛かっていた。

「その顔は、結局言えなかったんだな」

 ユナが言う前に呟く。無言で俯くユナにハァっと息をついて鞄を突きつけた。

「そう思って色々服とか用意しておいた」

「あ・・・ありがとう・・・」

 それを渡して早々にベッドに戻るテリーに

「あのさ、オレ、二週間頑張ってみるよ。二週間後のオレ楽しみにしててくれよな」

 それしか言えなかった。この部屋を出る前はマイヤに一緒に寝起きを共にすることを
断ってくると意気込んでいたのに。相変わらず人情に脆いユナに

「期待はしていないが・・・せいぜい頑張れば良いんじゃないか?」

 振り向かずに冷たい反応を返す。
ベッドで横になる彼に何も言えず、無言でドアを閉めた。
扉の向こうにテリーがいるのに酷く距離を感じて冷たいドアに両手を当てる。
テリーへの想いとマイヤの誠意に応えたいと言う想いが交差して自分の本当の気持ちをぼやけさせていた。




 マイヤの部屋で一日中特訓を受けるようになって三日目の昼下がり。
天気の良い中庭でユナはいつものようにマイヤの指導の元、ステップの練習をしていると・・・
渡り廊下に久し振りの愛しい人の姿が見えた。

「・・・・・・っ!」

 久々の姿にぽーっとなってステップが止まる。

マイヤに促されて再びステップを踏むが、その視線は彼に釘付けだった。
この間作った帽子をかぶって鎧無しの青い服。
相変わらずのやる気のない顔に、やる気無く廊下を歩いている。

 マイヤがパンパンと手を叩いた所で第一のステップが終わるのだが
その手の音も聞こえずに体が覚えてしまったステップを踏みながら彼を見た。

 ユナを我に返らせたのはマイヤではなく、見慣れない髪の長い女の人だった。
ユナと同じ格好をしているのを見ると・・・この城の使用人だろう。
恥ずかしげにテリーを呼び止めると、近くの部屋のドアを開ける。

テリーは困惑気味に頭を掻くと、メイドに押されたのか仕方なく部屋に入っていった。

「・・・・・・・・・!」

「ユナさん。テリーさんの事が気になるのは分かりますが今は練習中です。
練習中は練習中で集中して頂かないと困ります」

「・・・はい・・・」

 ちらっと横目で入っていったドアを見て、また足が止まった。
足が止まって、体ごとその方向を向いてしまう。
気になって気になって仕方がなかった。練習どころじゃない。

「ごめんなさい!マイヤさん!」

 後で叱られる事を覚悟して中庭から飛び出した。
二人が入っていったはずのドアを開ける・・・が・・・そこに愛しい人はいなかった。

「きゃっ!」

 見慣れないメイドが二人、いるだけだった。

「な、何ですか貴方一体!?」

 見回すがやはりテリーの姿はない。・・・隣の部屋だったかな。

「ス、スイマセン!間違えました!」

 慌ててドアを閉める。そして隣の部屋のドアをノックしようとすると声が聞こえた。

「何のようだ?」

 その声に振り向くと、探していた姿。一週間ぶりに見る姿に胸がときめく。

「オレに用があるんだろ?」

 素っ気ない態度に少し寂しくなってしまった。

「イヤ・・・用ってほどの事じゃ・・・」

「メイドとの事が気になったのか?」

「・・・・・・う・・・」

 ユナの心中を察して言葉を返す。

「お茶をしないかと誘われたが断っておいた」

 顔色をうかがっているユナに理由を付け加えた。

「お前が焼き餅をやくだろうからな」

「うっ・・・・・・」

 同じように口ごもってしまう。悔しいけどその通りだった。
口ごもってしまっているユナに再び行こうとすると彼女に呼び止められる。

「もう行っちゃうのか?」

 寂しげに呟く。テリーは目で中庭を見てユナに合図した、マイヤが眉毛をピクピクと
上下させてこっちを見ている。

「とばっちりはゴメンだからな。それにオレは忙しいんだ、お前の相手をしてる暇はない。
お前も、そうだろ?」

 こっちに近付いてくるマイヤを気にしながら頷く。
テリーはそうか・・・と小さく頷いた後、廊下の奥に消えていった。

後ろ姿を目で追いながら切なさが込み上げてくる。
オレはこんなに毎日、一分一秒だってお前の事ばっかり考えて、お前の影を目で追ってるのに・・・。
何だか切ないな・・・。




 もうここの会議室で机の周りを歩いて何日目が過ぎただろう。
初めての日に比べ、マイヤの怒鳴り声やユナの弱音も大分少なくなってきた。

コンコン。
正午近く、練習を切り上げようとマイヤが手を叩いた所でドアをノックする音が聞こえた。

「・・・どちら様でしょうか?」

 ドアに近かったユナがノブを回してのぞき込むと・・・・・・。
ふわりと懐かしい匂いがした。

「久し振り、ユナちゃん」

 金髪の女性が最高級の笑顔で立っていた。
あっと目を丸くして驚くユナに再び笑う。

「ウィルたちから聞いたの。帰ってきたんですってね」

「ミレーユさんっ!」

 飛びつくユナにバランスを崩すが、共に来ていたハッサンが慌てて二人を受け止める。

「全くお前は・・・変わっちゃいないな」

 一回り大きくなった感のあるハッサン。

「そこが、ユナさんの良い所じゃないですか」

 相変わらずの丸い眼鏡をかけているチャモロ。
どちらもユナにとって心を許せる仲間だった。雰囲気も何もかもが懐かしくなる。

「ハッサン!チャモロ!」

「よっ!」

 片目を伏せて大きな手を挙げる。その手をユナの頭に持っていってくしゃくしゃと乱暴に撫でた。

「ねぇいつ?いつここに来たんだ!?」

 沢山聞きたいことがある。焦ってやっと言葉に表すことが出来た。

「ついさっきよ。ゲントの船で三人で一緒に来たの」

 慌てるユナに落ち着かせるように肩を優しく叩く。
潤む瞳で再び再会を喜び合った。

「これはこれはミレーユさんにハッサンさん・・・チャモロさんまで、今回は長旅
本当にお疲れさまでした」

 気付いたマイヤが頭を下げると三人も頭を下げた。

「ユナさん、貴方も久し振りのお仲間さんたちと色々話すこともごさいましょうから
昼食の食事作法はお休み致します。午後からはいつものように中庭で
ダンスの練習ですから遅れずに来て下さいね」

「はいっ!有難うございます!」

 気を利かせてそう告げると、再び一礼して廊下の奥へ消えていった。
ドンっと肩にハッサンの手が回る。

「聞いたぜユナ〜、何でも結婚式に備えて女らしくなる特訓をしてるそうじゃねーか」

「まぁね」

「へーマジかよ!?こりゃ見物だなぁ」

「ハッサン」

 からかうハッサンをミレーユが制する。

「マイヤさんからある程度の事を教わっているらしいですね。いやぁユナさんも
災難ですね」

「う・・・うん・・・まぁ・・・いい人なんだけどね」

 歯切れの悪い答えを返す。
良い人なのは良い人なんだけど・・・ちょっと厳しすぎて完璧主義な所もあるかな・・・。
練習が終わって肩の力が抜ける。久々の落ち着いた食事にありつける嬉しさと
久々の仲間たちに会えた嬉しさがあいまって心が弾んだ。

相変わらずのハッサンの皮肉、相変わらず綺麗なミレーユ、相変わらずジョークを言うチャモロ。
皆大好きな仲間だから。



 それから、一週間が過ぎていった。
忙しなく動くマイヤに時間までもが忙しく進んでいる気がする。

その頃になると城に大きな馬車や荷台が入るようになった。
にわかに城中の使用人やメイドも慌ただしくなってきて、城下町の民は気が早いのか
お祭り騒ぎ。ユナの教育係マイヤも忙しいのか午前、午後のレッスンは休みがちに
なっていた。

マイヤの居ない日はミレーユがユナの練習に付きそってくれた。
折角マイヤが居ないのだから、テリーに会いに行ってもいいのだが、何故か行けなかった。
何だか自分の中でそう言う決まりを作ってしまったというか・・・。
結婚式の日まで、レディの修行を終えるまで、彼に会いに行くまいと、そう決めていたから・・・。

「テリーと会えなくて、寂しいでしょ?」

 中庭で、ダンス練習の合間の一休み。ミレーユが尋ねる。

「うん・・・」

 一人の夜。彼を思い出す時は幾度と無くあった。
マイヤの眠っている隙に彼の部屋へ行こうと思った事も何度と無くあった。

「けど・・・あいつは寂しくないと思う」

 別れる前のテリーを思い出して呟く。冷たい台詞が蘇る。
ふふっとミレーユは笑って

「すーっごく寂しがってたわよ」

「え?」

 顔を上げて思い出すように

「ユナちゃんが頑張っている姿をずっと遠くで見てたわ。声かけないの?って言ったら・・・
”あいつがあんなに頑張っているのに、オレが途中で水をさせるわけない”ってね」

 眉をひそめてテリーの口調を真似る。

「あんなあの子見るの初めてだったわ。物欲しそうにずっとユナちゃんの事見てて・・・
見てるこっちが切なくなってきちゃうくらいだもの」

「そ、そうだったんですか・・・」

 その顔を想像して胸がきゅうっと鳴った。
右手で胸を押さえ、彼のことを思う。

「結婚式まであと五日」

「もうすぐなんだから、頑張りましょう!」

「・・・はい、そうですね」

 テリーのことも凄く気になるけど、結婚式まであと五日なんだ。
オレが今テリーと離れて頑張ってるのは、結婚式でウィルたち新郎新婦の友人として、
注目される立場として恥ずかしくないように頑張ってるんだ。

今一時、この気持ちを忘れよう。
はぁっと深呼吸して、よしっと意気込む。

「それじゃっ、はじめようか」

 想いを振り切るかのように振り向く。
あと五日・・・出来る限りやってみよう。ウィル、バーバラの為にも、マイヤさんの為にも、・・・自分の為にも。







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