● 決意 ●

 



 久々に感じる潮風が渇いた肌にちょうど良かった。
元・大魔王ムドーの居住地だった島は観光客や船員で賑わう港町になっていて
そこから三日に一本出るか出ないかのペスカニ方面の船に乗り込む。

二人分の乗船券を不審な目で見つめてくる船員に見せ、荷物を与えられた船室に置いて
風の吹き込む甲板に出た。

三日に一本の定期便だけあって乗り込む乗客も船員も少ないのか
案外甲板は静かだった。
白いカモメの影がちらちらと強い日差しを遮ってくれる。
顔の日差しを遮るように手で額を押さえつけ誰もいない甲板に座り込んだ。
あの日が思い出されてくる。
絶望で目の前の道が閉ざされてしまったあの日の事を。




「テリー・・・」

 誰の声も聞こえなかった。
久々に耳にした人の声は、姉の自分を気遣ってくれる声。

「・・・どう?少し落ち着いた?」

 十数年ぶりに人の声を聞いているような感覚。ふっと姉の方を向いてみると
泣きはらした瞳で無理に微笑んでみせてくれた。

「ねえさ・・・・・・オレは・・・・・・」

 やはり十数年ぶりに声を出したかのような感覚。何かが詰まっているかのように
喉が苦しくて痛い。ギシギシする体で立ち上がる、窓の外を見るといつの間にか外は真っ暗で
電気も付けていない部屋でずっと床に座り込んでいたのか・・・・・・?

「お水、汲んできたの。ずっと何も口にしてないんでしょ?」

 差し出されたコップを受け取ると
体は衰弱していたのか差し出された水を貪るように一気に体に流し込んだ。
空になったコップを近くのテーブルに置いて一息、息をつく。
弟の様子を見ていたミレーユは、重い口をやっと開いた。

「辛いなら・・・泣きたいなら・・・胸を貸してあげるから・・・」

「・・・・・・・・・」

「だから、だから無理だけはしないで・・・」

 枯れたと思われた深緑の瞳に光る物が流れ落ちる。
既に自分よりも身長の高くなったテリーの頬を優しく撫でた。
小さい頃と同じようなミレーユの行動とその暖かさに渇いた心が少しだけ
潤ってくる。姉に心配をかけまいと、先ほどミレーユがしたように無理に微笑んで見せた。

「心配ないよ、姉さん・・・・・・オレは、別に辛くなんかない・・・・・・」

「テリー・・・」

 横を通り過ぎて、ドアノブに手を掛ける。

「あいつは・・・死んだわけじゃない・・・・・・」

 それだけを言い残して、部屋を出ていった。




 重い空気が肩にのし掛かってくる。
窓際の椅子に腰掛けて虚ろな瞳で窓の外を見つめるゼニスに
グリークとグランマーズは同時に小さくため息をついた。

グランマーズが差し出したお茶を、申し訳なさそうに首を振って遠慮する。
無言のまま二人も椅子に腰掛けて、頼りない背中の老人に視線を送った。

「・・・・・・奇跡・・・とは、良い事ばかりを指す事ではないんでしょうか・・・?」

 視線を老人から離さないまま、独り言のようにグリークは呟いた。

「・・・小さい頃に女性としての機能を失ったユナ様が、今頃になってテリー君の子供を
身ごもる事は・・・奇跡以外の何に当てはまるんでしょうか・・・?」

 両手で頭を抱えて、テーブルに顔を近付けた。

「それとも・・・創造神ルビス様は・・・二人の恋をお戯れにして・・・
気まぐれに奇跡を起こして・・・二人の運命を試すような事をしてらっしゃるんでしょうか・・・?」

 グリークは顔を上げて、やっとグランマーズに問いかけた。
痛々しい瞳に、思わず、視線をそらして薄汚れた三角帽子を深くかぶる。

「・・・私には何も分からない・・・だけど・・・これだけは言えるよ」

 グランマーズには少しだけだが人の”縁”を見る能力があった。
男と女が互いに惹かれあい、結ばれる事は決して偶然などではない。
お互いが生まれた時から縁で繋がっている事は占い師の間では常識的な考えだった。

ウィルとバーバラ、ハッサンとミレーユ。
そのどちらともにもしっかりとした”縁”が見えた。

「二人の縁は・・・切れたままだね・・・」

 誰にも聞こえないように、小さく呟く。

テリーとユナ。
縁に逆らうように惹かれ合った二人は、決して結ばれる事はない。
もどかしそうに重なり合い、絡み合うがその縁がしっかりと結ばれる事は無い。

「結局・・・未来も運命も、何一つ変わっちゃいなかったのさ・・・」




 ドアを開くと弾かれたように皆がこっちを振り向いた。
重かった空気がますます重い物に変わる。誰も何も声をかけられなかった、掛ける言葉すらも思いつかなかった。
少年は顔を俯かせたままベッドに横たわる少女に近付く。
規則正しく呼吸を繰り返す少女の体温を確かめようと手を伸ばした所で、その静寂は壊された。

「ユナを・・・天界に連れて帰ろうと思うておる・・・・・・」

 真っ赤に腫らした瞳、先ほどテリーに殴られて真っ赤に腫らした左頬を手で押さえ、
誰に言うわけでもなく、独り言のように呟いた。

「その方が、ユナの為に・・・そしてテリー君の為にも、一番良い・・・・・・」

 声を震わせるゼニス王を気遣うように、グリークはよろめくゼニスの体を支える。
誰も、何も言えなかった。
それが正しい事なのか、間違っている事なのか、テリーにとって一番良い方法なのか
誰も分からなかった。
再び静寂が訪れる。

かなりの人数がその小さな室内に居るというのに、恐ろしい程の静寂。
少女の寝息だけが聞こえてくる。

消え入りそうな声で低い男の声が聞こえてきた。

「・・・勝手な事を言うな」

「・・・・・・」

 ゼニスが、ゆっくりと少年の方を振り向く。
二人、目が合ったと同時に今度は大きな声で叫んだ。

「勝手な事を言うな!」

「・・・・・・・・・!」

 空気が張りつめる。キっとゼニスを睨んで眠っている少女に目を向けた。

「オレは、こいつと・・・ユナと共に生きていくと決めたんだ!」

 毛布の中を探っていつもと同じ暖かさを感じ取る。
その手を掴んで自分の胸へと引き寄せる。そしてそのまま少女を抱えた。

「・・・・・・な・・・」

 しばらく出してなかった声を喉の奥からやっと絞り出した。

「何を言うておる!ユナは・・・ユナは・・・・・・あと何十年・・・いや、何百年先に目覚めるのかどうかすら
分からないんじゃぞ・・・!お主の生きている内には決して目覚めることは無いのに・・・ユナと共に
生きていくじゃと・・・!?」

 器官が久々の大声に耐えかねて悲鳴を上げた。
ゲホゲホとむせ込んでもなお、テリーに訴えかける。

「・・・・・・お主には・・・お主の人生が有る・・・・・・お主はまだ若い、違う恋もきっとこの長い人生
待っておるに違いないんじゃ・・・。その年で生涯の恋を決めるのは早すぎる・・・そしてその恋の為に
与えられた一生を無駄にするなど・・・無意味で愚かじゃ・・・・・・!」

 少年は、ゼニスに背を向けたまま、何も受け入れようとも、聞こうともしなかった。
ゼニスを支えたまま、グリークはため息をついて声を掛けた。

「テリー君、あんたの鞄の中に珍しい植物の気配がするんじゃ・・・。勿忘草を持っておるだろう?」

 全てを拒絶していたテリーの背中が少しだけだが反応する。
ゼニスと同じように、グリークは懸命に訴えかけた。

「落ち着いて、自分の周りを良く見てみるんじゃ・・・道は一つではない、沢山に枝分かれしておる。
そしてどの道が自分にとって一番良い未来に続いておるのか、、もう一度良く見極めてみるのじゃ。
その場の決意で道を誤って後悔しても遅いのだよ・・・?」

 違う道を考えなかったわけじゃなかった。
目を伏せて俯いて考え込む。道は確かに色んな方向に分かれていた。

しかし、どの道を選んでも幸せな未来の自分を思い描くことは出来なかった。
心の何処かで暗い影の部分を背負って、愛しい幻を心の中で追い続ける自分しか。

「・・・オレは、約束したんだ・・・・・・」

 目を伏せたままで、周りの皆に自分の心に強く言い聞かせる。

「貴様にも・・・そしてユナにも・・・・・・」

 きっと必ず幸せにすると・・・・・・。

「必ず幸せにしてやると・・・約束したんだ・・・・・・」

 テリーはやっと振り向いてやっとゼニスを真正面から見つめた。
色んな想いの入り交じっている瞳にゼニスは何も言えなくなってしまって哀しみを耐えるために
寄せていた眉間の皺が急に緩んでしまった。

「テリー・・・・・・!」

 真っ直ぐな瞳で言い切るテリーに、切なさが込み上げて来てバーバラはウィルの胸で泣き伏せた。
有ることのない自分とウィルの姿を重ねてしまって再び涙が溢れる。

強い衝撃に見舞われたかのように立ちすくむゼニスを尻目に、眠っている少女を両腕に抱え上げる。
久々に触れた彼女の体は確かにいつもの暖かさを保っていて、張りつめていた心が少し落ち着いた。

皆の見守る中、少女を両手に抱えて開けっ放しの扉から出ようとする。
老人の震える声が足を止めた。

「・・・もう一度・・・もう一度聞く・・・・・・。お主は・・・お主はそれで良いのか?
目覚めないユナの為に与えられた一生を犠牲にしても良いのか・・・?」

 振り向かずに、静かに、そして力強く首を頷かせた。
何故か、老人の見ている世界がぼやけてきた。滝のように流れる涙を止める術もなく再び
声を絞り出す。

「分かった・・・もうお主を止めない・・・そして父親としてもう一度だけ言わせてくれ・・・・・・
ユナを・・・頼む・・・!」

 深くゼニスは頭を下げた。世界を治める神の城の主が、一人の少年に深々と頭を下げる
溢れる涙を流しながら。

 少年はやっと振り向いた。

「ああ、必ず・・・幸せにする」

 それだけを言い残して戦友たちと将来自分の義理の父親になるであっただろう人物に生涯の別れを告げた。
ユナと共に・・・・・・。




「テリー」

 長旅の身支度を済ませて家から出ようとするテリーを背の高い女性が引き止めた。

「・・・行くのね・・・」

 哀しそうな瞳に何も言えず、頷く。ミレーユはそう・・・と息をつく。

「姉さんには・・・本当に世話になった・・・。いつもオレを気遣ってくれて・・・いつも
優しくしてくれて・・・姉さんには礼を言っても言い切れない・・・」

「そんな事言わないで・・・姉弟なんだから当たり前でしょ・・・!私だって、テリーが居てくれて
本当に良かった・・・貴方が、本当に好きだったから・・・・・・」

「・・・・・・姉さん・・・」

 ボロボロ涙を零すミレーユを、いつかの再会の時と同じようにしっかり支えた。

「ダメね、こんなんじゃ、立場が逆だわ」

 涙を腕で拭って、顔を振る。

「・・・ユナちゃんを、ずっと見守って行くのね・・・生きている内には目覚めないって言ってたけど・・・
テリーは・・・それでも良いのよね・・・・・・?」

 弟の決意を確かめるかのように問う。
テリーは姉の瞳を見て頷いた。

「こいつが目覚めるまで、オレは必ず生きると決めた。もう独りにはしない・・・・・・」

「・・・・・・?」

 ユナの身体を大きな外衣で纏って、両腕に抱きかかえる。

「それじゃ、姉さん、オレはもう行くよ」

「テリー・・・あ、貴方もしかして・・・・・・!」

「ハッサンと・・・幸せにな・・・・・・」

「・・・・・・・・・っ!」

   月の青白い光がテリーの銀髪を際だたせて、アメジストの瞳を神秘的な物に変えていた。
哀しい瞳のまま微笑むテリーに思わず言葉が止まった。

弟の後ろ姿に、言葉に出来ない大きな決意を感じて、ミレーユは目を閉じて案じた。
彼の行く末と結末を・・・。




 いつの間にか、外は暗い。
甲板にもたれかかったまま眠ってしまったらしい。
誰からも起こされなかったのは、眠るユナを抱えて行動しているテリーを皆が気味悪がって
近付こうともしないからだった。

月も出ていないのに、周りは明るい。
人工的な黄色い光がテリーの顔を照らした。

小さな漁港のサンマリーノとは比べ物にならないくらい小さな灯台の光が迎えてくれる。
漁村ペスカニ。

人魚の隠れ住んでいる村として一部の旅人の間では有名な村だった。








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