● 背徳の掟 ●

 



 小さいながらも地元の漁師たちで活気のある港町に深い青の外衣に身を包んだ青年が降り立った。
フードを頭から深くかぶって、両腕にまた外衣でくるまれた大きな荷物を抱えている。

久々の定期便から出てきた奇妙な出で立ちに、漁師たちが一瞬どよめく。
テリーはその好奇とも取れる視線を気にすることもなく、しっかりとした足取りで港を抜け
のどかな漁村に足を踏み入れた。

世界中を旅してきたテリーであったが、ここペスカニは初めて来る土地だった。
酒場に出入りする旅人伝いにここの土地柄を聞いていたので戸惑うことは無かった、
村で唯一の宿を取り、再び両手に彼女を抱えて外に出る。
村人の不審な視線が一斉に向けられる中、村外れの海に通じている洞窟へと足を運んだ。
旅人たちの噂話が真実なら、この村の、この洞窟に、彼の探している物があるはずだから。




 ピチャ、ピチャ・・・。
生臭い水の匂いがする。岩にこびりついた苔に何度も足を取られながらも
両手に彼女を抱え、必死に奥へと進む。
所々日は差し込んでいる物の、洞窟特有の生臭い匂いと嫌な薄暗さがあった。
視界の悪さにフードを取って辺りを見回すと、前方に白く光の差す場所。
きっと外に繋がっている場所だ。

期待感が胸を膨らませる、自然と足取りも軽くなった。

「ロブ!遅かったじゃないっ!私・・・もうおなかぺこぺこで・・・・・・!」

 甲高い女性と共に水しぶきが上がる。
目に飛び込んできたのは金髪と美しい顔・・・それに・・・魚の尾ひれ・・・
昔、小さい頃絵本に出てきた人魚・・・

「・・・・・・だ・・・誰・・・・・・っ!?」

「お前・・・・・・人魚だな・・・・・・?」

 観察する鋭い瞳に、金髪の上半身裸の女性は慌てて岩陰に隠れた。
テリーは両手で抱えていた大きな外衣を地面に下ろし、もう一度怯えた瞳の人魚を見た。

「怯えるな、オレはお前を連れ去りにきたわけでも、殺しに来たわけでもない」

「人間なんか信用出来るわけないじゃない!貴方たちのつく嘘にはもう慣れてるんですからね!」

 怯えた瞳が急に怒りの色に染まると完全に岩に隠れる。
息をつく気配がして、何かゴソゴソと物音がした。
興味が恐怖と怒りに勝ったのか、少しだけ岩陰から顔を出す。

・・・と、そこに何と見知った顔があった。

「・・・・・・!ユナさん!?」

 パシャンと水飛沫を立てて尾ひれが宙に舞う。
昔の記憶が蘇ってきた。

「お前・・・ユナを知っているのか・・・!?」

 驚いてテリーが人魚向かって叫んだ。
人魚はテリーの形相にまた驚いたが、一呼吸して答えを返した。
テリーに対する恐怖は薄れかかっていた。

「え・・・・・・ええ、お友達よ・・・昔、色々世話になったの。で、でもどうして貴方が
ユナさんを・・・・・・?それに・・・・・・」

 藍色の外衣に羽織られて、ユナは眠っていた。まるで死んでいるかのように・・・
人魚は、初めて青年の瞳を見つめた。

 テリーは再びユナを覆うかのように外衣を被せると今までの事を話し出した。




「そう・・・そんな事が・・・・・・・・・」

 一部始終を聞き終えて、神妙な顔で呟いた。
動かし続けていた口をやっと結んでテリーが項垂れている。

「そうだ、だから・・・オレは・・・・・・・・・」

 人魚の冷たい手が唇に触れた。

「貴方の言いたい事は、分かったわ。貴方が望んでる事もね・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

「だけど、「その力」は今はもうほとんどの人魚が失っているの。だから、私では貴方の望みを
叶える事は出来ないの・・・・・・」

「・・・・・・・・・っ」

 テリーの体が少しだが反応する。
一呼吸おいて人魚は話を続けた。

「人魚はその呪われた力がある故に、今まで色んな種族から狙われて、殺され続けたの。
だから一族を守るため、進化するたびに人魚たちはその呪われた力を失っていったの。
だけど・・・・・・一人だけ、その力を持っている方がいらっしゃるわ」

 ガバッと顔を上げて、人魚を見た。
人魚は、テリーの言いたい事に答えるように首を頷かせた。

「夜、もう一度、ここへ来て。貴方をその人と会わせてあげる」




村の小さな酒場の明かりすらも消えている時間に
テリーは宿を出て、洞窟に向かった。両手には眠っているユナを抱えて。

夜の洞窟は視界が悪い。
両腕にユナを抱えたままでは松明も使えず、水苔で滑る地面に足を取られながらも
昼間の二倍の時間を要して、何とか目的の場所までたどり着くことが出来た。

「テリーさんっ!」

 待ちかねたように、昼間の人魚が叫ぶ。
そしてテリーに「ちょっと待ってくださいね」と言い残して海面に沈んでいった。

 数分も経たないうちに、小さな水柱が立った。

 ディーネと同じくらいの年の人魚と、そしてその人魚に支えられるように
人魚と言って良いのか分からない老女が水しぶきの合間から顔をのぞかせた。。

「私たち人魚の里の長老様です」

 隣にもう一つの水柱が立って、昼間の人魚が現れる。
老女は鋭い目でテリーを見回して

「ディーネから話は聞いたよ・・・・・・」

 見た目に似合うしわがれた声で呟いた。

「『永遠の・・・命』かい・・・久しく聞く言葉じゃ・・・・・・。昔は・・・
魔物や人間が私たち人魚をそのような名前で呼んでいたもんじゃったの・・・・・・」

 静けさが増した夜の洞窟に老女の声が響き渡ってこだましていく。

「目覚めない恋人を待つ為に、永遠の命が欲しいなんぞ・・・笑わせよるのぅ・・・」

 その言い方にむっとしたのか間髪入れずテリーは口を挟んだ。

「オレは・・・本気だ」

 老女に負けないくらい鋭い瞳で見返した。
老女はため息をついて

「お前さん、今、何歳じゃったかの?」

「・・・・・・20だ・・・」

 上を見上げて、また息をついた。

「若いねぇ、たった二十年しか生きとらん若者が・・・人生終わりのような顔をしおって・・・
永遠の命って言えばあんた・・・死ねないんだよ・・・何百年、何千年・・・終わりのない生を
彷徨い続けて、生きていくしかないんだよ・・・?分かってるのかい?」

「・・・分かってる・・・分かってなかったら・・・ここにはいない・・・」

 再び間髪入れずに答える。

「貴方・・・!分かってないわ!ディーネの頼みで長老様をここまでご足労させたけど・・・
永遠の命がどれほど恐ろしいものか・・・神を冒涜する行為なのか・・・分かってない!」

 老女を支えていた人魚が耐えきれなくなったのか口を挟んだ。 
老女は興奮しているお付きの人魚をなだめるかのように肩に手を掛けた。

「そうさね・・・神から与えられた命と肉体は神のご加護を受け、肉体が滅んだ後も
必ず天に召され魂は浄化出来る・・・。私たち呪われた人魚の生き血を体に取り込めば
神のご加護は消え、神に背いたあんたの肉体は二度と土に還る事はなく、魂は浄化される事もない・・・」

「・・・・・・・・・」

 今度はテリーは答えなかった。

「どうだい?少しは怖くなったかい?だったらもう帰りな、そして、その恋人の事はさっさと忘れる事だね」

 老女はそれだけ言うと人魚を促して背中を向け帰ろうとした。

「・・・待ってくれ・・・!!」

 テリーの声が洞窟内にこだました。

「・・・頼む・・・・・・!!」

「しつこいねぇあんたも。一時の感情で永遠に苦しむ事の馬鹿らしさが分かってないんだよ」

 振り向かずに答えた。
首元まで海に沈み込んだ時に再びテリーの辛そうな声。

「・・・一時の感情じゃない・・・・・・!」

「・・・・・・・・・」

「こいつを忘れてもオレはきっと永遠に苦しみ続ける・・・だったら・・・
同じ事だったら・・・こいつを待って、こいつともう一度だけ出会って、それで永遠に苦しみ続けたい・・・」

 テリーの言い様にはぁっと息をついて、ついには同じ場所まで戻ってきて
初めと同じようにテリーを見据えた。

「・・・・・・あんたはそれで報われるかもしれないけど・・・この子はどうだい?
もし仮にあんたが永遠の命を手に入れたとして、年も取らない姿のままだったら
この子は自分が年老いていく姿をあんたに見られて辛くないはずないだろう?それはあんただって
同じだ。時が止まっている自分に対してこの子は年老いて、そして死んでいくんだよ?
そしてそれから、あんたは独りきり・・・。支えるものもないまま本当に独りになっちまうんだよ・・・?」

 それがどんなに辛いことか、どんなに苦しいことか、老女は分かっていた。
分かっているから余計、まだ先のある青年に忠告をした。

 視線を離さないまま、テリーは答えた。

「こいつが年老いても、オレはずっと見守り続けていく・・・こいつがそれを拒絶したら
こいつの前から姿を消す・・・。オレはこいつが望めばなんだってする・・・どんな事だってやる・・・」

 例え永遠に苦しむ事になろうとも・・・・・・

「・・・・・・・・・・」

 外衣を少しだけ捲る。
健やかに眠っているユナを見て、決心が固まっていくのを感じていた。

「オレは・・・今まで自分の弱さを呪って・・・闇の中をずっと生き続けてきた・・・
そんなオレを・・・助けて、光のある所まで導いてくれたのが・・・ユナ・・・なんだ・・・だから
今度はオレが・・・・・・・」

 オレがこいつを助ける番なんだ・・・。

その呟きを、長老は聞き逃していなかった。
胸に久しく沸き上がる感情があった。喉から込み上げる感情を咳払いで無理矢理押しとどめる。

もう、忘れかけていた何百年も昔の出来事が急に頭の中に鮮明に蘇ってきた。

頭の中に、昔の美しかった自分の幻影が蘇る。そしてそこに、とうの昔に忘れたと思っていた
人間の男がハッキリと浮かび上がって、幻影の自分と抱き合った。

幸せだった光景が駆けめぐる。人間と人魚の恋・・・結ばれないと分かっていながら、
愛し合わずにはいられなかった・・・一族を裏切っても・・・そう、今のこの男のように
永遠に苦しむ事になろうとも・・・・・・一緒になりたいと心から願っていた。

そして、決心して男に自分の生き血を飲ませようとしたんだ・・・。
人魚の命は限りなく続く・・・だから、いつまでも、いつまでも一緒に居たくて・・・・・・

「長老様・・・・・・?」

 右手の指を鋭い爪で切る。血が水面を真っ赤に染めた。
近くにあった貝殻に自分の血を数滴たらす。

そう、あの時と同じように。

「私ゃ、本当に知らないよ。永遠の命を手に入れて、二度と死ねない体になっても、
肉体が傷ついても、手足が引きちぎれても、永遠に生き続けなければならない惨さも辛さも
全部背負っていく事になるんだ・・・。何人もの仲間や友人が死んでも生きて行かねばならない
その耐え難い辛さや思い出を抱えたまま生きていくしかないんだよ・・・?」

 本当に、良いんだね?
アメジストの瞳は、その瞳の問いかけにまっすぐに強く頷いた。

「そうかい、だったらもう止めやしないよ。これを飲みな、お望みの永遠の命と
若さが手に入るよ」

 白く、小さな貝殻を受け取る。白い貝殻に真っ赤な血が数滴たらされていた。

「すまない・・・助かった・・・本当に・・ありがとう・・・」

 滅多に言わない、感謝の言葉。

「礼を言うのはまだ早いよ。時が経つに連れて、永遠の命を与えた私を憎いと
思うようになるだろうからね」

 最後の老女の忠告でさえ、テリーの決心は揺るがなかった。
赤い血の模様が付いた白い貝殻を口の上に掲げる。貝殻の曲線を辿って血が流れて
テリーの喉の奥にポタリと落ちた。

「・・・・・・・・・っ!!!」

体中に電気が走ったかのような錯覚に捕らわれる。

焼けるような喉の痛みとが襲ってくる。
そのままテリーは、意識を失ってしまった。

老女は三度目のため息をついた。

「私も・・・まだ若かったんだね・・・」

 思い出の中の恋人は、差し出した貝殻を受け取らなかった。
永遠の命という重さに耐えかねて、真剣に見つめる自分の瞳に怖くなってその場から逃げ出していった。

そして・・・次の日から、恋人は二度と姿を見せる事はなかった・・・。

「長老様・・・本当に・・・宜しかったのですか・・・?」

 付き添いの人魚の声がやっと我に返らせてくれた。
そしてその場に倒れているテリーに目をやる。

「さぁね・・・だけど・・・」

 これだけは分かってるよ

「この子はこの先、必ず永遠の命を手に入れた事を後悔するだろうね・・・」








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