「うーん!初めてだなぁ、徹夜なんかすんの」
「そうなのか?」
結局、二人して今までの事やこれからの事を話している間に朝を迎えてしまった。
カーテンから朝日が差し込んで来た所で、夜が明けた事に気付いたのだ。
皆を起こさないようにそっと家から出て、朝の霧に包まれぼやける世界に足を踏み入れる。
「うん、だって途中で絶対寝ちゃうよ!野宿の時だって一晩中起きてるワケじゃないし・・・
でも全然眠く無いなぁやっぱり寝過ぎたのかなぁ」
思い切り背伸びをして、新鮮な空気を思い切り吸い込む。
はき出した息は山間の冷たい空気に触れ、白く凍った。
「一週間は眠っていたらしいからな。寝過ぎたんじゃないのか?」
「へへ・・・そうかも・・・」
ぼやけた霧の中、笑うユナを見て
一瞬、不安になった。
ぼやけた輪郭がどんどん消えていきそうでで思わずハっとなる。
不安を打ち消せなくて手を伸ばしてしまった。
「?何だ?」
腕を掴まれて、首を傾げる。
「あ・・・いや・・・悪い」
掴んだ手をすぐに引っ込めた。
その手を、額に当て、ハァと息をつく。ため息はユナと同じように
白く曇って、空へと上っていった。
・・・悪い夢だ。
こいつはここに存在してる、もうオレの側から消えてしまう事は無いのに・・・。
不安を打ち消すように、首を振ると、心配げに見つめるユナに笑みを返した。
朝の冷たい空気が穏やかな物に変わり、金色の朝焼けが白い光に変わっていく。
そろそろ皆も起き出した頃だろうと、家へと足を運ぶと・・・
家の前には、見知った天空人が二人の帰りを待っていた。
「ユナ様」
分厚い丸眼鏡の学者と、その後ろには質素な姿の天空城主。
「グリークさん・・・もう帰るんですか?」
後ろに居る人物とは目を合わせずに、駆け寄って尋ねる。
「ええ、長居は無用ですのでね。ウィルさん方には先ほど挨拶を済ませておきました」
そっか・・・。
残念そうに呟く。
「ユナ様・・・魔原石のおかげで大事には至らなかったとは言え、体を動かすのに
必要な魔法力は不足している状態です。あまり無理をしてはなりませぬよ」
「うん。気を付けるよ」
お世話になった学者に深々と下げた。
頭を上げた視線の先には、天空城主の姿。
わだかまりは、もう薄れているハズなのに、親子の溝は埋まってはいなかった。
なんとなしに言葉を発しづらい空気が包む。
グリークもテリーも無言で二人の動向を見守った。
「ユナ・・・」
しわがれた声で名前を呼ばれる。
「・・・・・・幸せにな・・・」
「・・・・・・・・・っ!」
それだけを告げて、ユナの横をすり抜ける。
「それでは・・・ユナ様・・・もう、お会いする事は無いかもしれませんが」
続いてグリークも城主の後を追う。
「・・・・・・あ、ああ・・・」
ユナは精一杯の笑顔を返した。
もう会う事、無いだろうな・・・きっと・・・。
・・・なんだよ、そんな事最初から分かってたハズじゃないかオレ・・・
顔合わせるのも嫌だったんだろ、だって・・・・・・なのに・・・
ドキドキドキ、胸が激しく脈打った。
その鼓動はテリーを想って、ドキドキする感情とは全く別の感情で引き起こされていた。
「・・・おい・・・」
俯くユナに、隣で動向を見守っていた恋人が声を掛けた。
「・・・良いのか?」
「え・・・?」
顔を上げると、向こうは視線を後ろに向ける。
「もう・・・会えないかもしれないんだろ?」
「・・・・・・・・・」
促されて、鼓動は更に激しくなっていった。
そんなことはとっくに分かってるのに、胸が切なくて、何故か、どうしてか、幸せだった子供の頃の
記憶が、覚えていないと思っていた記憶が、鮮明に呼び起こされてくる。
「・・・・・・うん・・・でも・・・だけど・・・・・・」
喉が詰まる。喉に何か詰まっていて、苦しくて、声が出なかった。
「行けよ」
低い声が揺れ動くユナの心を捉えた。
「行った方が良い」
ユナはその言葉にハっとした後、ますます悲しそうな顔になり
頷いて、遂に父親の姿を追った。
彼女の後ろ姿を見送りながら、何故彼女にあんな事を言ったのか考えてしまった。
自然と口から出てしまった、と言えばそれまでだが、
あんなにあいつとユナが接する事を恐れていたのに。
「・・・・・・」
何となくゼニスの胸中を察してしまって、いたたまれない気持ちになってしまったからなのかもしれない。
大切な人と別れる事が、どんなに辛い事かと・・・。
「・・・・・・待てよっ!」
父親は、息を切らしながら駆け寄る娘の声に振り向かなかった。
グリークは追いかけてきたユナに心なしか安堵の表情を見せ
会釈をして、先にルーラで空へと駆け上っていった。
呼吸を整え、まだバクバク打っている胸の鼓動を何とか抑える。
ようやく捉えられた父親の背中はどことなく頼りな見えて、記憶の中の
立派で大きな背中ではなくなっていた。
「・・・・・・・・・ゴメン・・・・・・」
言葉が、漏れる。
「ゴメン・・・・・・オレ・・・知ってた・・・知ってたんだホントは・・・・・・」
堰を切ったかのようにずっと思っていた事が言葉になって溢れてきた。
ゼニスは、振り向かずに首をゆっくり振った。
「何の事だ・・・?」
その声は震えていた。
ユナは、もう一度激しく打つ胸の鼓動を整えようとした、だが
収まらない、収まらない所かますます激しくなって、胸の辺りが苦しくなって
言葉も思うように出てきてくれなかった。
「・・・・・・天界で・・・・・・グレミオから聞いた・・・あの時の事・・・」
小さく、同じように震える声でそう呟いた。
「オレを・・・っ城から突き落としたのは・・・・・・・・・
オレを殺そうとしたのは・・・アンタだって・・・・・・そう思ってた・・・
でも、それは・・・っそれは違ってて・・・!」
「言うでない!」
「・・・・・・・・・っ!」
「・・・・・・・・・言うでない・・・・・・」
肩で大きく息をして、再び強く繰り返した。
「・・・・・・・・・」
寡黙を守っていたゼニスは、最後だと分かっているのか
重い口を開き長年閉じこめていた胸中を娘に垣間見せた。
「例え、お前を突き落としたのが私では無くとも、お前を、実の娘を一瞬でも
殺そうと考えてしまったのは事実だ・・・。私にはお前の父親を名乗る資格は
ない・・・」
「・・・・・・そんな事・・・」
続く言葉は出てこなかった。
だって、あれほど父親を憎んで、自分の力で復讐してやろうとまで考えてて・・・
オレだって・・・オレだって娘だって名乗る資格ないじゃないか・・・。
ある日、大事な話があるとグレミオから呼ばれた時の事を思い返した。
伝えられた真実は心の中の凍り付いた湖に波紋を広げた。
波紋は冷たく凍った氷を毎日少しずつ溶かして行った。
寒さに慣れてしまった心は解けていく湖を受け入れる事が出来ずに
ずっともがいていた。もがいて苦しんでた。
だから今まで、何も言えなくて・・・どうしたら良いのかも、どうすれば良いのかも・・・。
父親の方も娘と同じように、もう二度と思い出したくなかった昔の出来事を
自分から思い返していた。
アイリーンを渡さなければ、ユナの存在を天空全域に明らかにすると
脅されて、夜にだけ外出出来るユナの手を引いて城の屋上に来ていた夜の事を。
『たかねぇ、おしろ、たかねぇ』
屋上の手すりから身を乗り出さんばかりに、高い所を見て興奮しているユナを
危ないと制する事も無く、ぼーっと見つめていた。
黒い予感が知らず知らずに頭を過ぎる。
何者かに乗っ取られてしまったかのように知らず知らずに体が動いた。
『おとうさま・・・?』
小さな娘の肩を掴んで、小さな娘のだけど温かい体温を感じて、
黒い予感は浄化していった。
『・・・・・・・・・っ!』
そのままの勢いで、愛娘をぎゅっと抱き締める。
オレは・・・オレはなんて事を・・・
気持ち悪い汗が体を伝い、悪寒が体中を走り抜ける。
温かい娘は体だけでなく、心までも暖めてくれた。
『ユナ・・・帰ろうか、お母様の所に』
『うん、かえろかえろ、おかあさまとこ、いこう!』
いつものようにユナを腕に抱き上げようとしたその時・・・
小さな体がフワリと浮いた。
『・・・・・・・・・っ!』
『ここにいらしたのですね、ゼニス王』
『・・・・・・っお前・・・どうして!?』
ゼニスの代わりにユナを抱きかかえたのは、ユナの存在を知っている
天空城の最高管領だった。
『何をするんだ!?ユナを放せ!』
ユナを抱きかかえた初老の男は、驚いて声も出ないと言った
ユナに恐ろしい程冷たい視線を向けると、今度はそれをゼニスの方へと移した。
『ゼニス王よ、何を躊躇いになられるのですか?この子は忌み子、
呪われし運命を持つ、生まれてきてはいけない子ではないですか。
このままではいつかゼニス王家に災いの火種を巻く恐れの有る子なのですよ』
『何を言っている!ユナは・・・ユナは私とアイリーンの、大事な、大事な娘なんだ!
その手を早く放せ!』
嫌な予感が膨らんでいく。ユナを取り返そうと思えば、
王の座を追われても良いのなら、取り戻す事は出来たのかもしれない。
だが、足が、動かなかった。
その理由をに気付く事が怖かった。
『おと・・・さま・・・おと・・・さま・・・っ!』
やっと、高い声を振り絞って泣きながら訴える。
初老の男は二人を交互に見つめて嘲笑した。
『大事な娘・・・ですと?貴方、この子を殺そうとして、ここへ連れてきたのではないのですか?
ここから突き落とそうとしたのではないですか?』
『・・・・・・っ!』
心の中の触れられたく無い場所がドキリと反応して、ユナを取り戻そうとする腕も
足も、声も、何もかも止まってしまった。
『ゼニス王・・・貴方は実の娘より、他人のアイリーンの方を深く愛しているんでしょう?』
追い打ちを掛ける言葉は、更に心を乱す。
ユナの泣き叫ぶ声も相まって、その場に崩れ落ちてしまった。
『ちが・・・違う・・・私・・・私は・・・っ!!』
ホントに?ホントにそうなのか?
幻聴にブンブン首を振る。違う・・・違う・・・違うんだ・・・私は・・・私は・・・
そして
泣き叫ぶ娘の声は聞こえなくなった。
『・・・・・・・・・!!』
体がようやく意思を持って、避けていた瞳は娘の姿を探した。
だが娘は何処にも見当たらなかった。
体当たりするように手すりに駆け寄って、天翔る城の眼下を見渡した。
真っ白な雲の中、先ほどまで抱き締めていた娘の、小さな姿。
それが、最後だった。
『ユナァーーーーーッ!!!!』
絶叫は娘の姿と同じように白い雲に吸い込まれていった。
体が震え冷たい汗が伝わっていくが、
暖めてくれる娘は、今はもう何処にも居ない。
立つ力さえ無くしてしまい、ユナを死の淵へと追いやった男の足に掴みかかる。
『貴様、私の娘を・・・・・・ユナを・・・ユナを・・・なんて事を・・・・・・・っ!!』
震える声と震える体で、血走った瞳で睨み付ける。
『これで良いのですよ・・・』
そんなゼニスに怯む事無く、無感慨にそう呟いた。
『心の中で貴方もこうなる事を望んでいたのでしょう?』
言葉は傷ついた心に容赦無く突き刺さった。
言い返す事も出来ずに頭を抑え、再びその場に蹲る。
本当は、こうなる事を望んでいたのか私は・・・?
『違う・・・私・・・私は・・・ユナ・・・ユナ・・・っ!』
私は実の娘より、他人のアイリーンの事が、自分の立場の方が
大切だったのか・・・?
小さな、だけどたったひとつの命の灯火は
ゼニスの心を暖かく照らしていた。
照らした部分は明るく暖かくなっても、照らされいない部分は
暗く冷たい影を刻み続けていた。
こうなる事を望んでいたのか私は・・・
『・・・・・・ユナ・・・・・・!』
過去を見つめていた瞳がようやく今を映し出す。
振り向いた先の女性は、生涯愛し抜いた女性の面影を残したまま
過去の愛娘と重なって見えた。
苦しんで、あの時の事を悔やんで、前に進めなかったと言うのに
時は何事も無かったかのように進んでいくのだな・・・・・・。
逆光に目を細めて、その姿をしっかりと瞳に焼き付けた。
真っ赤に潤んだ瞳で涙を耐えるユナを見て寂しげに微笑む。
「これから言うのは、私の独り言だ・・・」
言葉とともに再び背を向ける。
「愚かな神は、愚かな罪を犯した。自分の不甲斐なさと我が身可愛さに
犯してしまった愚かな罪じゃ・・・。自分の手で殺してしまった娘がもう一度目の前に
現れても、父親らしい事は何一つしてやれず、それどころか、父親としての自分より
神としての自分を選び娘を苦しめ続けた・・・。そしてその姿を見つめ続けた愚か者は
色んな物を失った末にようやく、本当に大切な事に気付いた。
最後の最後で遅すぎた結論、だったがな」
自嘲気味に笑う、が、声は相変わらず震えていて
その後ろ姿は一国の王とは思えないほどに痛々しく見えた。
「ただ・・・その愚か者は一つだけ、どうしても娘に伝えたい事があった」
「・・・・・・・・・」
不器用な父親は不器用な言い回しで、再会してからずっと伝えたかった事を
ようやく口にする事が出来た。
「・・・その愚か者は自分の過ちによって失ってしまった娘を・・・・・・」
振り向いて、同じ色の瞳をしっかりと見つめる。
「・・・心から・・・愛していたと・・・・・・」
力強く、優しくそう言い切った。
「・・・・・・・・・・・・」
何も言葉が出なかった・・・ 何か目から滝のように零れてきて・・・・・・
言わなくちゃ・・・オレもちゃんと言わなくちゃいけないのに・・・
伝えたいのに、声がかすむ。
昔みたいに、何のわだかまりもなく抱きつきたい、なのに
体も動かない。
「お・・・と・・・・・・」
涙を流しながらようやく言葉も一緒に流れ出してくれた。
大粒の涙を流すユナに
「ユナ、お前が幸せになってくれる事が、私の一番の願いだ・・・」
そう言って、穏やかに微笑んだ。
再会して初めて見る、信じられないくらい優しげな表情だった。
白い光の帯がユナの横を通り過ぎて父親の姿を取り巻いていく。
・・・!言わなきゃ・・・これが最後になるかもしれないのに・・・!!
「おとうさ・・・っ!」
差し出した手は、記憶の中の温かい体に触れる事は無かった。
「・・・・・・・・・っ!」
光に包まれた父親の姿はバラバラとその形を崩れさせ
光る粒子になって天へと上っていった。
行き場の無くなってしまった手は悲しげに宙を彷徨い
ユナの元に帰ってくる。
その手を胸の前でぎゅっと握りしめた。
振り向いた優しげな眼差しは、あの頃と全く変わってなかった。
そうだよ・・・全然変わってなかったのに・・・
「お父様・・・」
優しい笑顔を思い出して胸が張り裂けそうになる。
腕でゴシゴシと涙を拭いて、止まらない涙を無理矢理押しとどめた。
「オレも・・・オレも、ずっと前から、子供の頃からお父様の事、お母様と
同じくらい大好きだったよ!!今までも・・・!これからも・・・!!!」
やっぱり泣きながら笑顔で天空に向かって両手を振る。
思い切り叫んだ言葉は空へと吸い込まれていった。
最愛の父親に伝わった事を信じて、流れる涙を再びゴシゴシと袖で拭う。
凍った湖はすっかり暖かく溶けだしていた。
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