▼追憶...



 雲一つ無い晴天。
アークボルト北の大陸を縦断するように馬車が走る。
小さな村がポツポツとある以外には何も無いこの大陸には
たったひとつ、古くから語り継がれてきた伝承があった。

「着いたぜ、兄さん」

 止まる気配を感じると、馬を走らせていた商人が
中を覗いて声を掛ける。
何も言わずに幌馬車から降りる。

「道中、ご苦労様。兄さんのお陰で助かったぜ!最近この辺りも物騒になってきてよ」

 ああ、と軽く返すと辺りを見回した。

雲一つ無い晴天。
それから、遠くに霞んで見える丘陵。
丘陵に囲まれるように目の前に広がっているのは、どこまでもどこまでも続いている
荒れ地だった。

「なっ、言った通りだろ。もうみんな忘れちまってるような伝承なんだよ」

 商人は腕を組んで荒れ地を見渡した。

「こんな土地じゃ作物だってろくに出来ねえ、伝承っていうか、誰かが言った嘘が
そのまま伝わったんじゃねえかってオレは睨んでる。だってそうだろ?」

 足で地面を掘り返しながら商人は毒づいた。
土は硬くて渇いていて、草木なんて育ちそうもない。

「まさかこんな場所に、世界樹があったなんて、信じられるわけねえよ」

 見上げて目に入るのは何処までも広がる青。
世界一だと謡われる大きな幹も、たゆむ枝も豊かな緑も何も無い。
幻影すら見えてこない。

「なっ、これで満足したろ?オレも忙しいんだ、そろそろ次の村で荷を下ろしたいんだが
付き合ってくれるな?なに、金なんて取らねえよ。護衛として乗ってくれればそれで十分だ」

 荒野に風が吹いた。その風に外套が乱れる。
乱れた外套からは銀髪と息を飲むほど美しい造りをした顔が覗く。

美しい青年は膝をついて硬く、渇いた土を確かめる。
確かにこれでは世界樹はおろか作物すらろくに育たない。

「もうみんな忘れてる------・・・」

「ああ、ここに世界樹があったなんて事、もうみんなとっくに忘れちまってるよ。
んなの覚えてるのは、もうろくした爺様や婆様か、あんたや、オレみたいに世界中を旅しておかしなうわさ話まで耳に入ってくる旅人。そんなもんだ」

「信じないから--------・・・」

「うん?なんだい?」

「世界樹は夢の力を糧に育つ。夢の力は心の力だ!忘れてるだって!?
それじゃ世界樹が枯れるのも当たり前だ!」

 寡黙な青年が突然声を荒げたので、商人は驚いた。

「おいおい、世界樹が枯れたのは何百年も昔の話だぜ!今更ここに住んでる奴らの
せいにするってのかよ!それに・・・夢とか心とか・・・?兄さん、正気で言ってるのかい?」

「・・・正気じゃなければここまで来ない」

 商人は頭を掻いて

「そうかい。正気だったら見て分かるよな」

 首で空を促す。

「ここにゃ世界樹なんてものは無い。影も形も、これから育つような茎も、芽も、何も無い。
ここにゃなーんにもねーんだ。だったらもうここに居る理由はねえだろ?
さっ、さっさと乗ってくれ。後がつかえてんだ」

「・・・悪いが・・・先に言ってくれ」

 まさか断られると思って無かった商人は目を丸くした。

「はあ?何しようってんだいこんな場所で!もう何も無い事は分かっただろ!」

「根だ・・・世界樹の根が・・・あるかもしれない・・・」

「根って・・・本当に正気なのかよ・・・・・・」

 商人は呆れて、もう一つ気になっていた事を口に出した。

「まさか兄さん・・・もう一つの伝承も信じてるんじゃないだろうね」

 これは有名な話だったが、信じている人は稀。

「世界樹の葉には死人を生き返らせる力があるとかっていう・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 青年は何も答えず、何処までも続く荒野を歩き出した。
商人は肩をすくめ、すごすごと馬車に戻り、街道沿いに走り出す。
青年の言葉がなぜか脳裏に焼き付いていた。

「信じる心か・・・」





 青年は地に這いつくばって、手で土の感触を丁寧に確かめた。
なんて愚かな行為だ
他人から見ればそう見えるかもしれない。
だがそれを承知で丁寧に土を掘り分ける。

愚の骨頂でもなんでもいい。そこにほんの少しでも希望があるなら。
生きている事に耐えられる-------


地面が暗くなってからようやく夜になったのだと気付いた。


久々に顔をあげる。雲一つ無かった空だったが今は月明かりに照らされた夜の雲が覆っている。

「・・・分かってる・・・」

 青年は荒野で独り呟いた。

「・・・全て分かってるんだ・・・」

 仮に世界樹の葉を手に入れたとして、それに万に一つ死人を蘇生させる
力があったとして、それで・・・それでどうするんだ・・・。

地平線まで見えそうなだだっ広い荒野。強い風が吹き付けるだけで何も無い。
誰も居ない。

存在すらしていないのに--------

ゾク・・・っ。

体に悪寒が走った。
冷たい風のせいだと思いたい、だがそうじゃない事は自分自身が一番よく分かっている。

震えが止まらない-------。考えるな、考えれば飲まれる。恐怖という名の闇に。


雲の切れ間から月明かりが差し込んできた所で、ようやく落ち着きを取り戻せた。
ハァ・・・
とゆっくり息を吐く。
存在しない者を蘇生させるには人知を越えた力が要る。

「行くしか無いのか・・・もう一度あの場所へ」

 怨念に閉ざされた廃城。アクマの棲むあの場所へ。





 強い風は砂塵をまき散らしながら容赦無く吹き付ける。
分厚い外套を深く羽織って、一歩一歩、目的の場所へと近付く。

出来れば訪れたくなかった。

気まぐれのアクマ。あいつはもう一度オレの欲望を食ってくれるだろうか。
否 それ以前に
あいつはまたオレの前に現れてくれるのだろうか。

「---------!」

 砂塵は外套をすり抜け顔に吹き付ける。その痛みがテリーを考えから引き戻した。
砂を振り払うように顔を振るうと、視界に巨大な影が見えた。

忘れもしない

1年前一縷の望みを持って訪れたグレイス城。
またここに同じ望みを持って訪れる日が来るなんて-------。

現れた要塞とも思える巨大な城は1年前となんら変わらずに聳えていた。




1年前、最後の来客と同じ人物を城は迎える。
開かれた正門を抜け、開かれた鉄格子を潜り何処までも続きそうな螺旋階段を下りる。
階段と広場を結ぶ鉄格子は、何故か1年前と同じように固く閉ざされていた。

ここを開けばあの骸たちの棲む地下室。
アクマと繋がれる部屋。

テリーは息を飲むと持っていたランタンを掲げて扉を開いた。

「・・・・・・・・・」

 さびた鉄格子の嫌な音が静寂を切り裂く。
ランタンに照らされた部屋はやはり1年前と何も変わっていない。
兵士たちの骸がそこら中に横たわり、死臭の代わりに埃が充満している。

変わっている事と言えばテリーの心中と、何の気配もしない空気。

「・・・・・・」

 テリーはランタンで部屋中を照らして目をこらした。
ダークドレアムと言うアクマは元々グレイス城の国王が災厄を振り払う為に
呼び寄せたものらしい。

アクマを呼び出す儀式の準備は幾月にもおよび、生け贄として幾千の命が
捧げられたという。

今更ながら、この骸はその時の生け贄のものなのだろうか------

床には消えかかってはいるが血で描かれた魔方陣のようなものが見える。
それを辿っていくと床だけでなく壁や天井にも見た事も無い文字か記されていた。
血文字を辿りながらランタンを照らすと、壁に掲げられた骸に気付く。
骸には長い年月を経たにも関わらず、黒い宝石の首飾りが掛けられてあった。
ランタンの光を反射して鈍く光るそれに近付いてみると、首飾りには宝石の他に鈴のような
ものがついている。

「・・・・・・・・・っ!」

 テリーの頭の中にグレイス城の文献が蘇る。
透き通るような鈴の音が響いた呪われた夜 グレイス城はその長い歴史に幕を閉じた。

「これかっ・・・!!」

 ランタンを放りだして夢中で駆け寄る。鈴を鳴らそうとして、手が止まった。

これを鳴らして、アクマが現れなかったらどうする------?

ここに来る前からずっと心の中にあった恐怖が一気に膨れあがる。
ダークドレアムは最後の希望だったんじゃないか?
最後の希望をもし絶たれてしまったらどうする?
オレは一体どうすればいい-----?

「・・・・・・!」

 テリーは首を振った。そんな事はここに来る前から承知していた。
ひとつ深く息を吐いて、鈴に手を掛ける。

文献同じく、透き通るような音色が部屋中に反響した。

「ダークドレアム!もう一度オレと戦え!」

 静寂に耐えかねて、テリーは声を上げた。長く反響した鈴の音に被さるように
テリーの声が響いた。

「・・・・・・ダークドレアム!!もう一度オレと戦え!!」

 声はまた部屋中に響く。

「ダークドレアム!!」

 声に被さるようにまた響き渡っていく。
その後には耳が痛くなるほどの静寂。

「・・・・・・・・・っ!!」

 テリーは鈴を乱暴に何度も鳴らした。透き通るとは言えない乱雑な音色が響く。

「ダークドレアム!!居るんだろ!!」

 声が震えた。静寂が訪れるとまた乱暴に鈴を鳴らす。そしてアクマの名前を呼んだ。
人々が恐れおののくアクマ。
そのアクマが現れることを待ち望んで、鈴を鳴らし続けた。
夜が明けても、日が昇っても、夕闇が訪れても、深い漆黒に包まれても

テリーは鈴を鳴らし続けた。一縷の望みをつなぎ止めるために。

「ダーク・・・ドレ・・・ア・・・・・・」

 疲労と渇きで喉が切れたのか、痛烈な痛みが襲う。
テリーは体力が無くなっている事にようやく気付いて、その場に倒れ込んだ。

「あ・・・・・・く・・・っ・・・」

 咳き込むと、手袋に真っ赤な血が付いた。
骸の山に囲まれて、テリーは何故か唇を緩ませた。

ここで死ぬのも有りかもな---------

こんな静寂の中 骸に囲まれて、たった独りで息絶える。
なんて自分に見合う最期だ。

そう思い、目を閉じる------。

だが、そう簡単に死なせてはくれなかった。

目を閉じると見えるのは安らかな暗闇ではなく、愛しい少女の笑顔。

バカ、こんな時でもお前は----------

「おせっかいだな・・・・・・」

 テリーの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。



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