▼記憶の畔...


長くて暗い地下道を出たそこは、屋敷から少し離れた森の中だった。
いつのまにか外は闇に染まっている。
見上げると空を半分遮ってしまう程の高い山脈がますます視界を暗くした。

「ここ一体は高い山脈に囲まれていて、トルッカ地方まで行くには何処かにあるっていう
トンネルを通るしかないそうです」

「くそっ、森から抜けても周りは全部高い山だ。そんなものどうやって探せば良いんだ・・・」

 地図をみながら頭を抱え込む、と同時に別の考えも頭をよぎった。

「そうか・・・瞬間移動呪文だ」

「え?」

 テリーの言葉に、ルーシエは胸を突かれた。
瞬間移動呪文”ルーラ”それは一度でも行った場所へなら一瞬にして移動することが
出来るという、高度な呪文だ。

「お前、その呪文の勉強してたろ?何処へ飛ぶのかコントロールは出来ないけど・・・
なんとか出来るようにはなったって・・・」

「えっ!そんな・・・私、そんなスゴイ呪文なんて・・・それに何処に行くのか分からないんでしょ?」

「あんなに必死に勉強してたんだ、試してみる価値は有る。
それに、何処へ飛んだとしてもここから逃げ出せれば後はもうどうにでもなるからな」

 キッパリと言うテリーの目には希望が見えていた。

「魔力を体中から放出するような感じで
微かでもいいから記憶に残っている場所を頭に思い浮かべるんだ。
勿論、ジャンポルテの館以外だぜ」

 ルーシエはテリーの言う通りにやってみることにした。
何となく自分には出来そうな予感がした。
記憶をなくしてしまった前の冒険者の血が騒いでいるかのようだった。

全身の力を抜いて、思い切り息を吸い込む。
”ユナ”であった頃の記憶に残っている場所・・・。
テリーの腕にそっと手を寄せると、意を決して思い切り叫んだ。

「ルーラッ!」

 叫んだ瞬間、風が二人を中心に集まってくる。
足下に強い力を感じると瞬く間に上空に押し上げられた。

「きゃっ!」

 地面がみるみると遠ざかっていく。
風は二人を包みこみ、記憶の場所へと運んだ。




ドスン!
激しい衝撃と共に二人は地面に叩き付けられた。
よろめきつつ立ち上がると、ルーシエは辺りを見回した。
ここは・・・・・・?

「・・・わぁ・・・キレイ・・・」

 そこは小さな湖の畔だった。
周りには緑が生い茂っていて、月の光に照らされて水面が輝いている。

「ここは・・・」

 テリーの方を見ると懐かしそうに景色に見入っていた。

「そうか・・・ここは・・・ユナ・・・お前とオレが初めて出会った場所だ」

 ・・・・・・・・・!
ドクン。その言葉にルーシエの胸が疼いた。

「ここが・・・心の中に残ってた、なんて・・・」

 もう一度周りを見回し、呟く。テリーと初めて出会った場所。

「テリー・・・さん。自分のこと聞くのも、変だと思うんですけど・・・
ユナさんってどんな人だったんですか?」

 景色に見とれていたルーシエが、ふと切り出す。
テリーは輝く水面に目を奪われながら、昔の仲間を思い出した。

「まぁ・・・がさつな奴だったな。男のような格好をして
口調もまるっきり男で・・・女って言うのも怪しいもんだった」

 出会った頃の男勝りなユナ。
大きな声で喋って、何もかもがガサツで、荒っぽくて。
男になりたいって言っていたように、何処かのゴロツキの行動をそのまま真似してる
ような振る舞いで。

でも・・・。
ふと、別れる前のユナが蘇ってきた。
旅をしていく内に乱暴な振る舞いは少なくなって、どんどん素直になっていって、
たまに女らしい面を見せたりして・・・。

「・・・テリーさん・・・?」

 ルーシエの声に我に返った。

「悪い・・・ほんとにおかしい女だったから・・・
思い出すと、笑いが込み上げてきて我慢するのに必死なんだ」

「なっ・・・!そんなに・・・おかしかったんですか・・・?私・・・?」

「ああ。世間知らずなバカだったな」

 酷い言い草だと、自分で言ったにも関わらずテリーは思った。
だが、本当の事だから仕方ない。
ルーシエは悲しそうに視線を外した。

「そうだったんですか・・・」

「そう落ち込むな。良いところだってちょっとはあったんだぜ
一緒にいて・・・飽きない所とか」

「あきない?」

 頷いたテリーの顔が久々に緩んでいた。

「不思議な奴なんだ。それこそ浮世離れしていて、逃げ足だけは速くて
たまに突拍子の無い事を言って驚かせて、くだらない事で笑って・・・」

 そこまで話して、目の前のルーシエを見つめた。
ピンクに色付いた頬に唇、シルクのドレス。

「どうかしたんですか?」

 でも・・・こいつは・・・まだ”ルーシエ”のままで。
姿は同じでも・・・”ユナ”じゃない。
そう思うと、懐かしさと空しさが同時にこみ上げてきた。

「本当に・・・忘れたのか・・・?」

「えっ?」

 テリーの差し出した手がルーシエの肩に触れる。

「・・・思い出せよ・・・」

 自然と口から言葉が溢れた。

「思い出してくれよ・・・っ!お前の事も・・・オレの事も・・・!」

 強く呟いて両手で細いルーシエの肩を掴んだ。
柔らかい女の肌、だがテリーには昔の冷たい鎧の感触が懐かしかった。

「・・・!テリ・・・オレ・・・っ」

「ピッキィィ!」

 可愛らしく甲高い声がその雰囲気を一変させた。

「ピキィ!ピキキィ!」

「!!スラリン!お前!無事だったんだな!」

 雰囲気と共にルーシエの表情も一変する。
荷物から出てきたスラリンを抱きしめて大喜びするルーシエを、テリーはただ呆然と見つめていた。

「あっ・・・」

 初めて見るテリーのこれ以上ないほど驚いた顔に赤面して
気まずそうに頭を掻く。

「・・・ば・・・ばれちゃった?」

 ルーシエっぽくない苦笑い。テリーはまだ状況が掴めないでいた。

「さっきなんだぜ。本当についさっき記憶が戻ってきたらしいんだ。
まったく、人騒がせな記憶喪失だよな」

 呆気にとられるテリーに悪いと思いつつ、思わず今度は本心から笑ってしまっていた。

「本当にゴメン!言い出すキッカケが掴め無くって・・・。いつ言おうか迷ってた内に
話が進んじゃってそれに合わせてしまったと言うか・・・」

 両手を合わせて何度も頭を下げている、が、顔は笑っていた。
テリーは、いつの間にか背を向けて腕を組んでいる。

「あの・・・テリー・・・?」

「・・・・・・・・・」

 テリーは無言で返した。
ユナは慌てて背中に手を伸ばそうとすると

「・・・人がどれだけ心配したと思ってる」

「・・・・・・・・・!」

 胸が一瞬高鳴って伸ばした手が止まってしまった。
テリーは依然、背を向けたまま

「記憶が戻ったなら、なぜその時に言わないんだ!」

 やっぱり相当怒っているようだった。背中から発せられるオーラが尋常じゃない。

「ごっごめん!!・・・そんなに心配してくれてるとは思わなくて・・・」

「・・・・・・」

「オレも悪ふざけが過ぎたな・・・反省してる・・・」

 シュンとした口調に、テリーはやっと少しだけ振り向いた。

「・・・バカ」

 振り返って相変わらずの台詞。
その憎まれ口がたまらなく懐かしくて、胸の高鳴りは一層大きくなった。
久しぶりの対面のためか、まともにテリーの顔を見ることが出来ない。

「本当にテリー・・・だよな?テリーなんだよな?」

 ようやく出てきた言葉。

「それはこっちの台詞だバカ」

 また憎まれ口を叩かれるが、やっぱり懐かしくて嬉しかった。
テリーはハァとため息をついて「もういい」と吐き捨てた後

「・・・大ウツボの毒・・・悪かったな・・・」

 言い辛そうに切り出した。

「これを言うためだけに、お前を探してたんだ」

 驚いたユナの視線に気付いて顔を背ける。

「そんなの!オレはお前に沢山借りがあるんだからさ!
あれぐらい、気にしないでくれよ!それに・・・礼を言うのはオレの方。
ジャンポルテの館に来てくれて・・・連れて行ってくれて・・・本当にありがとう」

「あれは、お前が役に立つから・・・だから連れてきてやっただけだ!」

 間髪入れずに叫ぶテリーにユナはヘヘと嬉しそうに白い歯を見せた。

「ホイミだよな?任せといてくれよ!ホイミの腕はなまってないから!」

 妙に自信たっぷりに胸を叩く。

「ベホイミが使えればもっと役に立てるんだけどな・・・
今度の旅でちょっとはレベルアップしたいよな・・・」

 その後、ぼそぼそと呟いた。その妙な雰囲気が懐かしい。
先ほどまでルーシエだった少女が今はもうユナにしか見えないから不思議だ。
そんなユナを遠めから見つめながら、テリーは不覚にもほっと息をついた。




 二人は思い出の湖で野宿をした。
ユナは久しぶりの野宿に心が躍った、好きじゃなかった簡易食さえもおいしく感じてしまう程に。

「砂漠をそんな靴で歩くわけにはいかないだろ?
サンマリーノ街道まで抜け道が有るらしいからそこを通って一度街道に出るぞ。
朝一で出発だからな」

「うん」

 嬉しそうにユナは返した。記憶が戻ってからと言うもの、ユナの顔は緩みっぱなしだった。
お腹いっぱいになって、心地良いままその場に寝ころぶ。
木々の間から見える満天の星空も久しぶりに見る気がして、それだけで幸せな気分になった。

「そういえばお前、記憶が無いって言っていたが
今回の事で前の記憶も一緒に戻ったりはしなかったのか?」

「うーん、それが全然戻ってる様子ないんだ。そんなに都合良くはいかないみたい」

 テリーの方に体を向け、答えた。

「そうか・・・」

 まだ何か言いたそうなテリーに、ユナは体を起こした。

「・・・ジャンポルテの館での事は覚えているのか?あいつの所に居た半年間、どんな生活を
していたんだ?」

 言い辛そうにテリーは尋ねた。ユナは頷いて

「うん、覚えてるよ。凄い豪華な部屋に住まわせてもらってさ、食事もおいしかったなぁ・・・
オレはその時、自分が育ちの良いお嬢様だって信じて疑って無くて」

 そこで思い出したように笑う。

「婚約者って事も当たり前に受け止めてて、でもジャンポルテはオレに触れようとも
しなかった。自分の持ってるコレクションと同じように近くで見つめるだけ。
ホントオレって、ジャンポルテのコレクションそのままだったんだな・・・。
テリーが来てくれてほんっとに良かったよ!あんな所に居たら退屈でどうなってたか・・・
やっぱさ、オレはこういうのが一番似合ってるって言うか・・・何か良いよな」

 言い終わると再びゴロンと横になった。
それを聞いて、テリーは心の何処かで深く安堵した。
そうだ、そうだったな・・・。こいつはこんな奴だった。


ユナもテリーと同じように心から安堵していた。
ジャンポルテの館であのままじゃなくて本当に良かった。
オレの事覚えててくれて・・・連れてきてくれて本当に良かった・・・・・・。
炎のゆらめきの向こうに居るテリーを見つめた。
懐かしい思いと恋しい思いを胸に秘めて。

ゆらめく視界はだんだんと薄れ、いつの間にかユナは深い眠りに就いてしまった。




湖の畔で迎える朝はこれ以上ない程爽やかな空気に包まれていた。
その余韻を楽しむ間もなく、テリーは身支度をしてさっさと旅立つ準備をしている。
慌ててユナも身支度をした。
目的地はサンマリーノ。
今度こそ、イミルの言っていた最強の剣を手に入れる為に・・・。




「ぅわっ!わっ!わっ!!」

 足元でユナをからかうようにちょこまか動くシールド小僧。
大剣を振りかざしたまま、結局魔物を仕留められなかったユナは
足元の小石に躓いて顔から地面に激突した。

「あたたた・・・つっつええ・・・」

「なにがだ。お前、相当剣の腕がなまったんじゃないか。ここまで酷くなかった」

 さっさと魔物を追い払ったテリーがため息をつく。

「こっこんなハズじゃ・・・!有る程度感が戻れば、また・・・!」

「お前はホイミか穴掘りでもしてろ。戦いはオレが引き受ける」

 ユナは「ちぇっ」と舌打ちすると、起きあがってドレスについた砂をぱんぱんと払った。
未だにユナはドレスを着ている。
炎や吹雪からのダメージを軽減してくれるものの、素早さは落ち、動き辛い。

「なぁ、まだサンマリーノに着かないのか?バックの中にルドマさんから貰った服が
あるんだけど・・・肝心の靴が無いし・・・。」

 休憩もせずにまた歩き出すテリーに慌てて着いていきながら尋ねた。

「お前・・・まだ街道にも出てないんだぞ。サンマリーノに着くのは多分夜中だ。」

「げぇっ!そんなにぃ!」

 はぁーっと息を吐いて項垂れた。日はまだ高い・・・。
もう、持っても数時間だと思ってたのに・・・。
ユナの靴はとてもヒールの高いガラスの靴で、
慣れないせいか歩きながら何度も足を捻ってしまっていた。
捻挫にホイミは効きづらい。足は既にずきずき痛み出してきていた。

「お前の為に砂漠を越えないルートで進んでるんだ。文句言わずに着いてこい」

 冷たく言い放つテリー。
彼は冗談じゃなく本気で置いて行くので、足の痛みを堪え必死についていった。




 それからすぐに街道には出たものの、砂漠を迂回する道がまた長かった。
日が欠けてきても、辺りが薄暗くなっても、まだサンマリーノの光は見えない。
ほぼ休憩なしで歩きづめるテリーに付いていくが、もう限界だった。

「い・・・たっ!!」

 ばたん!
足に痛烈な痛みを覚え、ユナはその場に倒れ込んでしまった。
捻った左足首が見るのも痛々しいほど真っ赤に腫れている。
左足をかばっていた右足も、無理な歩き方のせいでマメが出来て潰れてしまっていた。

「何やってるんだ、サンマリーノはもう少しだぞ」

「うん・・・っ、わ、分かってる・・・!」

 立ち上がろうとして再びユナはうずくまる。
これはヤバイ。今までで一番の足の痛みだ。くそ・・・立てない・・・。

「どうかしたのか?」

「いや、何でもないよ!さぁ行こっ行こっ・・・!」

 その引きつった笑顔に不審に思ったテリーはドレスの裾を掴んで、ユナの足を見た。

「なっ!何するんだよ!」

「・・・・・・・・・!!」

 真っ赤に腫れた左足と、マメが潰れて血まで出てしまっている右足。
良くこんな足で歩けたものだ。かなり無理していたに違いない。

「どうして言わなかったんだ!こんなに無理しなくても・・・・・・」

「アハハ・・・ホイミで治るかなーと、思って」

 痛みで笑顔が引きつっている。テリーは憮然とした表情だ。

「・・・ゴメン。もう、オレ歩けない・・・。
先にテリーだけサンマリーノに行ってて、オレは少し休んで後で行くから」

 テリーは無言であった。そして

「ほら」

 何を思ったかかがんで背中を差し出す。

「は?」

「おぶってってやると言ってるんだ。
いくらなんでもこんな所にお前一人残していく訳にはいかないだろ」

 あまりの出来事に固まって、かろうじて動く首をカクカク横に振った。

「でっ・・・でも・・・それじゃテリーが・・・」

「早くしろ」

 背中を差し出したまま動かないテリー。
状況がまだ上手く飲み込めない。

「・・・どっどうすれば良いんだ?」

「・・・お前、本当に置いていくぞ・・・」

 ユナは手を出したり引っ込めたりしながら、ようやくテリーの首に回した。
そしておそるおそる体を預けると、ふっと体が宙に浮いた。

「よし、行くぞ」

 軽々とユナを背におぶってテリーは歩き出した。
思わぬ展開に体がとんでもなく熱くなる。それと共に心臓の音もだんだんと大きくなっていった。
テリーに伝わるんじゃないかと思うほどに。

「な、な、なぁテリー、重くないか?」

「鎧着てるよりはマシだ」

「・・・そっそりゃそうか・・・」

 ・・・・・・
会話が続かない。静かだと、ありえないぐらい大きな心臓の音が伝わりそうで。
会話を探そうとするが、意外にも向こうから話しかけてくれた。

「・・・足は、大丈夫か?」

「えっ!?あっうっうん。さっきもホイミしたから・・・大分楽になってきてるよ」

 そうか・・・とテリーは呟いて

「・・・あまり、無理するな。何かあったら、ちゃんと言え。合わせてやるから・・・」

 ・・・・・・!!ユナの心臓がまた大きな音を立てた。
珍しく優しい言葉。
暖かいテリーの背中と相まっていつも以上に嬉しく感じる。

「うん・・・有り難う・・・」

「別に。ただでさえ役に立たない奴が、ますます役に立たなくなったんじゃ困るからな」

「・・・絶対いつかベホイミ覚えてそんな事言えなくしてやるからな」

 言い返すが、口元は緩んでいた。

「期待はしてない」

 いつも通りに返して、また無言で足を進める。
月明かりのない夜の街道を、テリーはユナをおぶってひたすら歩いた。
夜だった事も有り、道を歩いている旅人は誰も居なかった事が救いだった。

・・・・・・ようやく心臓の音と体の熱が収まった頃、不意にユナに睡魔が襲った。
ただでさえテリーの背中が気持ちいいのに、すっと歩きづめだったから・・・。

寝ちゃ・・・ダメだ・・・。寝ちゃ・・・。
意識がだんだんと遠のいていく。

「・・・ユナ?」

 しばらくしてテリーが声を掛けたときには既に夢の中にいた。

「気楽なもんだな・・・」

 ふぅっと息をつく。
それからしばらく歩いて地平線と共に夜明けの街が見え始めてきた。

「ようやくサンマリーノか・・・」

 ユナの体がピクっと動く。

「テリー・・・」

 寝言とテリーは判断して、何も答えず歩いている。
ユナの体温が伝わってくる、同時にスヤスヤと安らかな寝息も

「好きだよ・・・」

 ・・・・・・・・・!
立ち止まり、肩のすぐ横にあるユナの寝顔を見た。確かに眠っている。

「テリーの事・・・好きだよ・・・」


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