▼王子...


うと・・・うと・・・ポカポカ。
背中に暖かい太陽の恵みが注ぐ。海鳥たちの他愛ないお喋りが今くらいのうたた寝に丁度良い。
久々に荒れの少ない航海に見張りを言い渡されたユナは大あくびした。

目の前の地平線上に見え隠れする大陸は、いっこうに近付いてくる気配はない。

こんなにいい天気に船を襲う凶暴な魔物もいない。
瞳の半分に大陸を映していたユナであったが、その大陸がどんどん近付いてくるのに気付くと
ぱぁっと顔が輝いた。

船の羅針盤は南を指し示したまま。
ホルストック11世の治める大陸に着いたのはゲントから南に下って
5日目の昼過ぎを迎えた頃だった。港に入港すると、必要な物を買い船を預ける。

ホルストックに行こうと提案したのはミレーユだった。
いつもミレーユはこうやって皆を正しい方向へと導いてくれる。

ユナは港を出ると新大陸の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
ここではどんな出来事が待ち受けているのだろう。




ホルストックの関所を出たのは、もう日が欠けてきている頃だった。
目の前に広がる壮大な景色に一行は目を奪われる。
緑と黄色のコントラストがまぶしい。幾重にも連なった丘陵地帯が見渡す限り並んでいた。
この土地を治めるホルストック城は、見上げる丘陵地帯の向こう側に有るらしい。
しかしその日は城へは辿り着けず、麓の村に行くだけで精一杯だった。

村で唯一の宿屋。
質素な蝶番いを軋ませると、宿主のような小太りの女性が
夜遅い来客に少々驚きながら頭を下げた。

「あんたたち見たところ旅人みたいだけど、もしかしてホルストック城へ行くつもりかい?」

「ええ、まぁ一応・・・」

 宿帳に名前を書き込みながらウィルは頷く。
高いところで髪を結っている女将は、腕組みをして首を振った。

「止めといた方が良いと思うよ。王子の子守をさせられちまうよ」

「王子?」

 不審に聞き返すと、今度はゆっくりと首を上下にさせる。

「ホルストック城のホルス王子の事だよ。これがまたいたずら好きでさ。
その上怖い物見たがりのくせに意気地なしで、わがままで・・・ホルス王子の事を笑い歌にする
吟遊詩人も少なくないっていう有様さ。全くこの国はいったいどうなっちまうんだろうねぇ・・・」

「お前!」

 厨房から歳のいった太い声が聞こえてくると、女将は
「あらやだ」
 と顔を赤らめて笑い出してしまった。

「とにかく、ホルス王子とは関わり合いにならない方が良いよ。わざわざ骨を折ることほど
苦しい事はないからね」

 最後の方は苦笑いになって、ずっと抱えていた洗濯物を重そうに持ち上げ
ドアの向こうに消えていった。女将の最後の忠告が、耳に張りつく。
その場に立ちすくんだまま、皆はホルス王子の事を考えるしか無くなっていた。




朝。
いつもより近くで鳥の朝の挨拶が聞こえる気がする。
いつもより気分良く目覚められそうな予感が頭の中をめぐると、
ベッドから身を起こして思い切り背伸びをした。

カーテンを開くと朝日が起きたばかりのユナの目に突き刺さってくる。
真っ白だった世界が、うっすらと目を開けると確認できるようになった。

連なる山脈、深い森に広大な大地。
賑やかな町並みだけはこの窓から見る限りでは存在していないようだが平和な空気だけで
十分だった。
遠くに聳える立派な城はこの大陸を治めているホルストック城。

ふぅーっと息を吐き出すと身支度をし出した。

「ユナちゃん、早いのね」

 ドアを開け入ってきたのはもうすっかり身支度の済ませてあるミレーユ。
ユナにとっては早い目覚めも、彼女にとっては普段と変わらない目覚めであった。
バーバラはまだグーグーと気持ちよさそうに眠っているが・・・

「あら、どこに行くの?」

 顔を洗ってまもなくユナが外へ行こうとしていた。

「朝の散歩でもしようかと思って」

 そうミレーユに告げると、ドアを開いて階段を静かに下りていった。




朝は早いと気持ちがいい。
タオルを首に掛けた人々がポツンポツンと畑の中に立っているのがみえる。
ユナは賑やかな街道よりも穏やかな田舎道が好きだった。
思わず人々に挨拶をかわしたい気持ちになる。

「あーー!またやられてる!これじゃ売りにだせねえべ!」

 隣の畑から、おじさんのけたたましい叫び声が聞こえた。

「どうかしたんですか?」

 叫んだ後、絶句しているおじさんに声を掛ける。
生い茂った作物の間をかき分けて近付いてきたかと思うと、ユナの目の前に大きなスイカを
ドンっと置いた。

「ほら、見てくんろ!このスイカ!」

 ・・・・・・・・・う・・・センス最悪。

形の悪い眉毛に鼻、唇、が
せっかくの美味しそうなスイカに刻み込まれていた。これは誰かの落書きだ。

「もうここんとこ毎日だっぺ!お城に売りにいけねえっぺよ!こんなんじゃ!」

 しわくちゃな顔を益々しわくちゃにして、彷彿とした声で怒りをあらわにした。
立派なスイカ、心を込めて育てたスイカをこんなふうに落書きされたらきっと怒りを覚えるに
違いない。



ここんとこ毎日だって・・・。そりゃ、怒るよな・・・。
おじさんから落書きスイカを貰って、それを右手で抱え込んでいるユナはそう思った。

「あははははー!見て見ろよ!この顔、傑作!!」

「でも・・・本当にこんなことしていいのかなぁ・・・」

 宿へ通じる道を帰っていると隣の畑から声がした。
畑には似つかわしくない子供の声。
随分と悪そうな少年が一人、気が弱いのか逆らえない少年一人。

「いーんだよ、そんなの気にしなくてもよー!」

「・・・・・・あっ!」

 作物を掻き分けて入ってきたユナが後ろにたたずんでいた。

「やっべ!逃げろ!」

 体を半回転させ、駆け出そうとする偉そうな少年の襟元を掴んで自分の方へと引き寄せた。
背丈はユナとほとんど変わらない。
顔だって、目、鼻、口と整っているのに、その表情や行動が顔を幼い物にさせていた。

「うあああー!」

 もう片方の共犯者は持っていた尖った骨を放りだして、我を忘れて逃げていった。

「あっ!逃げた!!」

「放せ!このやろー!お前、下民の娘だな、父上に言いつけてやるぞ!」

 後ろ姿でじたばたする体を正面に向け、強い口調で言った。

「おあいにくさま。オレはこの村の娘じゃない、ただの旅人だ。勝手にすれば良いだろ?」

 男の子というより男と言った方が正しいくらいの体格。
すっと立ち上がるとギっとユナを睨み付けて

「お父様はなぁ、この国で一番偉いんだぜ!」

「へーへー、そりゃスゴイねぇ」

 よく見ると少年は、立派な刺繍の施された高級そうな服を着ていた。
一目で裕福な家のおぼっちゃんだと言うことが伺える。まんざらウソでも無いらしい。
それに目を奪われていた一瞬の隙に、少年は勢いよくユナの腕を振り払って
憎らしいほどのアッカンベーをした。

「覚えてろよ!!男女!!バーカ!!あほーー!!」

「なっなにをっ!このやろー!」

 かっと赤面して追いかけようとしたが時既に遅し。
小悪魔の姿はもう瞳に映ることはなかった。

「・・・おっそろしく逃げ足の速いやつ・・・」

ユナは旅の途中、一度だけ出会ったはぐれスライムを思い出し思わず感心したが
脇に抱えていたスイカを思い出し、首を振った。
あのやろう、こんど見つけたらとっちめてやる!




「・・・?ユナちゃん、どうしちゃったの、ぼーっとして・・・」

「え・・・いや、なんでも・・・」

 馬車の中で視線を中に泳がせていたユナはミレーユの言葉に首を振った。

あの腹立つ子供が着てた服の紋章・・・どっかで見たことがあるんだよなぁ・・・。
どこだったけっかなぁ・・・。ほんと最近見たような気がするんだけど・・・。

「おいみんな、見えてきたぜ!」

 考えていたことを遮るように、御者をしていたハッサンが幌の中に向けて叫んだ。

「ホルストックだ」




「あんたら、最悪の時にここに来ちまったなぁー」

 城に入ってすぐ、ウィルたちは門兵に声を掛けられた。

「どういう事なんですか?」

 不審そうにウィルが兵士をのぞき込んだ。

「表の看板を見なかったかい?王子の護衛をしてくれる人を捜しているって」

「護衛?」

 なんでもこの国の王子は15歳になったら南の洞窟で成人の儀を執り行うための
洗礼を受けなければならないらしい。
魔物が多く生息する洞窟へ行くためには、腕の立つ護衛が必要だと。
大変そうに皆その話を聞いていると、兵士はうんうんと頷いて今度は自分の方に指を向けた。

「大変なのは何も王子だけじゃないんだぜー、オレたち兵士も駆り出されるんだ。
でも王子がアレじゃな」

「ホルコッタの人々も言ってました。王子には関わらない方がいいって・・・」

 そこまで言うとウィルははっと口を押さえた。兵士は苦笑しながら

「ま、オレたちの間じゃ有名な話だ。皆言ってるしな・・・」

「何がだ?何の話だ、サトツ」

 すぐ後ろで聞こえた幼い声にサトツと呼ばれた兵士は絵に描いたような驚き振りを発した。
その声の主はユナと同じような髪色をした幼い少年。
兵士はやっと額まで挨拶のため手を戻すが、言葉が出ない。

「なぁ、オレに言えない事なのか?」

「いいいえっ!!滅相もございません!!ホルス様にお聞かせするような
大した話ではありませんので!!」

 まだ慌てている兵士に少年はいやらしい笑いを浮かべる。

「父上に言って、お前を別の場所に移転させてやろうか?そう言えば
マウントスノー地方の小国がうちの兵士を回してくれないかって言ってたなぁー
いっその事そこへ・・・」

「そっ、そんなぁー・・・!勘弁して下さいよ!ホルス様!!」

 にたにたと憎めない笑顔を見せて、ホルスと呼ばれた少年はサトツと会話していた旅人を見た。
もともと他人に干渉する事が大好きなホルスは、格好の相手を見つけてサトツをからかいに
来たのだ。

サトツと話していたのは青い髪でくせっけの端正な顔立ちの男。
隣にはそれよりも筋肉のついている見るからに大男。
自分より少し背の低い袈裟をいう物を着ている眼鏡の男に。
ここらでは滅多に見ない美人に、その隣には・・・

「あっ、お前・・・まさか今日の・・・!」

 イエローブラウンの髪が太陽の光のせいで輝いて見える。
その光に目を細めたまま振り向くと

「あーーーっ!お前は・・・!!」




「いやぁ偶然ですなぁ、まさか旅の方とホルスが知り合いだったとは・・・」

「父上!こいつです!こいつがオレを愚弄したんです!」

「ハッハッハ、本当に奇遇ですなぁー」

 ホルスの言葉を遮って、ホルスの父、ホルストック11世は高らかに笑った。 
美しい王の間にて、王の隣にはまだまだ美しさを保っている王妃が申し訳なさそうに苦笑していた。
ウィルたちも王の間で跪いたまま、苦笑している。

「父上・・・」

 悪戯王子の扱いにすっかり慣れてしまった王は、上機嫌で王子の頭に手を置いた。

「そこでじゃ・・・知り合いのよしみと言うことで・・・貴公らに頼みたいことがあるんじゃ・・・
貴公らの腕を見込んで・・・王子の護衛を頼まれてくれんか?」

「?・・・護衛・・・ですか・・・?」

 王の言葉にウィルは言葉を濁す。
ホルコッタの人々の噂、兵士達のボヤキが頭に思い出されてきていた。

「そうじゃ、城の看板を見たろう?我が国の王子ホルスが成人の儀を執り行うため
試練の洞窟へ向かうと。その為に腕の立つ護衛を探していると」

「ちょっと待ってください!何で急にそんな・・・」

 ウィルに代わりにユナが皆の胸中を代弁する。

「そうですよ父上!オレもこんな奴らと行くくらいなら城の兵士と行った方がよっぽどマシ・・・」

「王子もこんな様子じゃ兵士もほとほと手をやいてるんじゃよ」

 ユナの叫びをホルスが遮る、そのホルスの訴えを王が遮った。
そこにいた兵士は、皆揃ってウィルたちに懇願した。

「行ってくれるよな?一国の王の頼みじゃ」


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