▼遠い記憶...
| 空は、もう深い青。 二人は口を開く事も無く、そのまま動かなかった。 夜の虫が庭園でにわかに騒ぎ出した頃------ 「・・・ガンディーノはもうずいぶん昔に捨てた、オレの故郷だ」 テリーが呟いた。 「だから、お前の苦しみも分かる。１０年前・・・オレも・・・ギンドロに大切な物を奪われた・・・」 ミレーユの事を言っているのだろう、苦しそうにテリーは言葉を押し出した。 「取り返そうとして力の無かったオレは逆に酷い返り討ちに遭った。その事がキッカケで 誰にも負けない力が欲しいと思った・・・。だが当時のオレは生きていく事すら困難で 汚い大人の力を借りて恥辱にまみれながら生きていくしか無かった・・・」 「・・・・・・！」 ユナの瞳が強張った。 テリーはどうしてこんな事を言っているのか分からなかった。 誰にも知られたくなかった自分の過去。 決して話す事の無いと思っていた昔の卑しい自分。 「幸い見た目は悪くなかったからな。好色家の家で世話になる事なんて日常茶飯事だった。 オレはプライドも何もかも捨てて、自分でそうやって生きる事を選択したんだ・・・」 「テリー・・・」 何を言ってるんだオレは・・・。何故かおかしくなってテリーは嘲笑した。 自分にも、自分の過去にも。 「辛いのはお前だけじゃない・・・だから・・・もう忘れるなんて言うな・・・」 「テリー・・・・・・」 テリーの言葉はユナの胸に強く響いた。 テリーはオレなんかよりずっと辛い過去を生きて、それを背負って歩いてきた。 出会った頃もそして今も心に辛い記憶を抱えて ドクン。 心臓が揺さぶられる。 今までで一番激しく心臓が高鳴りだした。 その高鳴りを必死に抑え 「・・・やっぱり、テリーは強いな・・・」 そう言ってはにかんだ。 「オレは過去から逃げてばっかりで・・・ホント弱いよな・・・・・・」 テリーが口を開くより早くユナは言葉を続ける。 「テリー・・・話してくれて有り難う・・・・・・テリーのおかげで、大分落ち着いた。 オレ、本当にもう大丈夫だから。もう過去からも、自分からも逃げないよ」 「・・・・・・・・・」 テリーは何も言わずに視線で返した。 ユナは今度は無理に白い歯を見せて城内へと駆けていった。 ユナが見えなくなるとテリーは数歩下がって木の幹に背を押しつけた。 と同時に胸と顔を手で押さえる。 ドクン、ドクン、といつもより激しく打っていた。 「・・・・・・くそっ・・・！」 今思い返すと不可解な自分の行動と言動に、後悔の念が湧いてくる。 何故オレはあいつにあんな事を言った 何故オレは知られたくなかった自分の過去を口にした 何故オレは・・・・・・ 数分前の出来事が頭を回る。 あいつに・・・あんな事・・・・・・ 自分の唇を指で確かめた、 ユナの柔らかい唇の感触をまだ覚えている。 『辛いのはお前だけじゃない・・・だから忘れるなんて言うな』 庭園に沿った長い回廊を歩きながら、ユナはテリーの言葉を思い出していた。 過去を思い出したショックでそんな事すら忘れていた。 ユナと同じように娼婦として働かされていた少女たち、その子たちは今何処で何をしてるんだろうか 幸せな人と出会って幸せに暮らしているんだろうか 立ち止まって、遠くの空に思いを馳せる。 「------ ・・・」 テリーの記憶がユナの脳裏をかすめた。 テリーだって、辛い過去を背負っていても立ち向かってあそこまで強くなったんだ。 他の皆だって、きっと過去に立ち向かってそして乗り越えていってるよな・・・。 「テリー・・・」 その名を口にする。 指で唇を確かめた。暖かい体温がまだ残っているように錯覚して、また胸が高鳴った。 ------ ・・・嬉しかった。 引き留めてくれた事も・・・ 辛い過去を話してくれた事も・・・ ・・・キスしてくれた事も・・・・・・ 顔が熱で上気する。 テリーの一挙一動を思い返して、心臓の高鳴りは止まる事をしらない。 黒い翼は、いつの間にか背中の奥に仕舞われていた。 「ゼニス王」 闇の迫る大広間で、ゼニスの前に再びウィル、ハッサン、チャモロの３人が姿を現した。 「今後ユナを、どうするおつもりなのですか？」 神妙な面持ちでウィルが尋ねた。ゼニスはしばらく間をおいて 「・・・そうだな・・・あの子は正統な天空の血を引く、たった一人の跡取り娘・・・本来ならば危険な旅に出させるわけにはいかないのだが・・・」 ウィルたちの表情がだんだん険しくなっていく 「しかし、あの子が素直に私の言うことを・・・私を許してはくれないだろう。 ウィル、あの子をまた旅に同行させてやってくれ」 その途端、重々しかった瞳の霧とその場の空気が晴れた。 「ふーっ！これで一安心だな！やっぱりあいつがいねえとしっくりこねえっつーか・・・ からかう相手が居なくなるのも寂しいしな」 「ハッサンさん！ゼニス王の御前でそのような事を・・・！魔物との戦いでもユナさんは欠かすことの出来ない戦力です、素早さは一番ですし、頼れる特技や呪文・・・それに剣技も・・・」 「そうだな、最近特に剣術が良くなったな。あの大剣を使いこなせるようになったみたいだし・・・」 話に花を咲かせる３人。ゼニスは会話を聞いて 「剣術・・・だと？あの子が・・・？」 思わず玉座から身を乗り出した。 「え、ええ。それが何か？」 ウィルの言葉に我に返ると、コホンと咳払いをして座り直す。 「いや・・・天空人は戦いを好まない一族でな。剣術や武術と言うよりは、自然を操ったり 草木と話したり、魔物と心を通じ合わせたりする方が得意なんだが・・・」 「自然を操ったり・・・草木や魔物と話したりですか」 ゼニス王の言葉にウィルはユナの事を思い出していた。 時には津波を起こしたり、風の力で炎をかき消したり、草木の気持ちを読み取ったり 魔物を改心させたりする事もあった。 ミレーユはそれを天性の物だと言ったが、成る程、今になって思えばその理由が分かる。 「じゃああいつは天空人の中でも変わった奴なんだろ！ 自分と同じ背丈の剣を振り回す天空人なんて、あいつぐらいのもんだ」 「だから、ハッサンさん！ここはゼニス王の御前なんですよ！！」 ゼニスは二人のやり取りを見つめながら心は違う所に沈んでいた。 戦いに向かない天空人が剣術を・・・ ユナの心理が何となく分かってしまって ゼニス王の心の傷が痛んだ。 それほど、彼女は力を欲した。 魔物の蔓延る地上で生き抜くために、もしくは・・・私に復讐するために・・・。 今更悔やんでも仕方の無い事だが もし、あの時ユナを選んでいれば・・・ 視界に心配そうに見守る３人が目に入った。 「おっ、おお、考え事に夢中になっていたようですまなかったな。 そのようなわけだからウィル、ユナを・・・よろしく頼むぞ」 ３人は跪いて頭を垂れ、大広間を後にした。 ゼニス王はまだ遠くを見つめていた。 タン、タン、タン。 ユナは長い回廊を抜けて２階へと続く階段を歩いていた、少し気分は落ち着いている。 今度は２階の長い回廊を歩いていると 「ユナッ！！」 聞き慣れた声がユナを呼び止めた。振り向くと、赤毛の少女がユナに飛びつく。 突然の事で不意をつかれて前のめりに倒れ込んでしまった。 「ど、どうしたんだよ・・・急に・・・」 驚いて上半身を起こす、向こうはがばっと顔を上げて 「それはこっちの台詞よっ！大丈夫なの？記憶・・・思い出したんでしょ？」 「うん・・・」 どう返したら良いか分からなかったがユナは頷いた。 「あんなに取り乱しちゃって・・・バーバラにも心配かけてゴメンな。記憶は色々辛い事ばっかりだったけど、何とか乗り越えていけそうだよ」 「ユナ・・・！何かあったらちゃんと言ってよね！アタシ、全力で力になるからっ！！ ユナ・・・でも・・・ほんと・・・良かった・・・アタシ心配して・・・・・・っ」 バーバラがユナの胸に倒れ込む。 ユナは急に罪悪感に襲われた。 自分勝手な理由で皆の前から逃げようとしたなんて・・・・・・。 オレが居なくなればきっとバーバラは悲しんだ。 みんなだって・・・ 「ゴメン・・・」 泣き伏せぶバーバラを抱き締めて、ユナはもう一度深く心から謝った。 バーバラから連れられてユナは見覚えの有る食堂の扉を開いた。 会食をする為の長くて豪華なテーブルがシャンデリアの煌めきに照らされている。 テーブルにはウィル、ハッサン、チャモロ、スラリン、メッキー、ホイミンが揃っていた。 テリーは壁にもたれ掛かっている。 皆はユナの姿を見つけると慌てて駆け寄った。 「ユナ！！お前、大丈夫なのかよ！！」 ハッサンが一番に飛んできてガクガクとユナの肩を揺さぶった。 「うっうん、みんなにも心配かけてゴメン。オレはもう大丈夫！」 「ユナさん！本当に心配いたしました！！」 「ユナ！良かった！いつも通りのお前だな！」 駆け寄る皆にユナは恥ずかしそうに頭を掻いた。 囲まれた皆の後ろにグレミオが信じられない顔で居る。 目が合った。 ユナは気恥ずかしそうに笑うと、グレミオは肩を震わせながら目を押さえて 調理場の方へ駆けていった。 「グレミオ・・・・・・」 グレミオと入れ替わり出てきたミレーユが、優しげな微笑みを送ってくれた。 ユナは皆から長テーブルの一番良い場所に座らされた。 右隣に座ったハッサンがユナの肩に手を回す。 「やっぱお前がいねーとな！！からかい甲斐の有る奴がいねーとつまんねーよ！」 「・・・どういう意味だよそれ」 「そーそーっハッサンの言う通りよね〜」 今度は左隣のバーバラがハッサンに相づちを打った。 「だからもーっどういう意味なんだよ！それは」 そんなやり取りに皆にようやく本当の笑顔が戻った。 「それにしてもよーぉ、ユナがゼニス王の子供だったなんて本当にビックリしたよなー！」 葡萄酒５杯目。 案外酒に弱いハッサンが真っ赤な顔で誰とも無く問いかけた。 テーブルにはメイドが用意してくれたご馳走や高価な葡萄酒が並べられている。 久々の豪華な食事を皆はほろ酔い気分で楽しんでいた。 「ハッサン、その言葉もう１０回目よ」 笑いを堪えながらミレーユが返す。 「そうそう、それにしてもよーお、ユナが、天空人だったなんて・・・」 完全な酔っぱらいになってしまったハッサン。 すでに空っぽの瓶をコップに傾けながら、一人勝手にしゃべっている。 「それはもう１５回目よ・・・」 呆れた顔でバーバラが突っ込んだ。ウィルはハハっと笑いながら 「驚くのも無理ないよ、オレだって天空人なんておとぎ話だと思ってたしさ」 「その通りです。伝説の一端、精霊ルビス様と同じくらい我々には遠い存在の天空人。 その天空人、そして誉れ高き王家の娘、そんな方がまさかこんなに近くにおられたなんて・・・！」 チャモロの顔も赤い。 酔ったハッサンから無理矢理葡萄酒を勧められ、あっという間に酔いが回ってしまったらしい。 チャモロはビシィとユナを指さし、そして今度は手を合わせ拝んだ。 「ありがたやありがたや・・・」 「おっ拝まれてもなにも御利益ないぞ・・・！」 戸惑うユナに、パンパンと手を叩き今度は何か念仏を唱えはじめた。 「アハハハッ！チャモロってば、完全に酔っぱらってるわね」 バーバラが噴き出した。 微妙な顔でとりあえず拝まれているユナは 「そんなにたいした事無いのにさ、天空人なんて・・・あんまり変わらないだろ？ 背中に翼が有るだけで後は皆と殆どかわんないよ」 ふぅっと息をついた。 「翼・・・翼ねえ・・・そういや何でユナは白じゃなくて黒い翼なんだ？」 酔ったせいなのか、普段なら聞かないような疑問を口にした。素面の皆はその言葉に一瞬止まる。 「・・・・・・変かな？」 酔ったハッサンにユナは間を置いて真面目に返す。 「変？まー変って事はねーんだろうけど、あれだよ、あれ、素朴な疑問って奴だよ！」 ハッサンは赤い顔で屈託無く笑った。 静まりかえる空気の中、ユナはなんと返答して良いのか分からず無言で俯いた。 グレミオも心配そうな顔で目を向ける。 「なんだよ、オレたちに言えない事なのか？」 「言いたくないんなら、いいじゃないか別に」 曇っていた瞳に、顔を合わせ辛かったテリーが映る。 「お前は気にならないのかよ！？」 「・・・・・・別に・・・」 テリーは考えて呟くとグラスに残っていた酒を飲み干した。 ユナが不審そうに見つめると、プイっとそっぽを向く。 「おー、そう言われりゃそうかもな、こんな楽しい場所にこんな野暮な質問するべきじゃないな！！ ユナ、オレが悪かった！！」 ハッサンは頭を掻いて、また笑顔で返した。 「いやっオレの方こそ・・・ごめん・・・」 ゴメン・・・本当の事言えなくて・・・。 ハッサンや皆を見つめながらユナは心の中で呟いた。 余計な心配掛けたくないってのも有るけどこの事だけは黙ってていいかな・・・。 視線が一番端に座っているテリーに流れた。 もしかして・・・気遣って言ってくれたのか？ そんな思いが過ぎる。 そんなつもり無くても、オレの中だけ、そう思っても良いよな・・・ ユナは赤い顔でぽーっとテリーを見つめていた。 テーブルには空の皿と空の酒瓶ばかりが転がっていた。 ハッサン、チャモロ、バーバラが酔いつぶれてテーブルに身を投げ出している。 大分酔いの回ってきたユナも、酔いを醒ますため部屋を出た。 記憶の中の廊下を歩き、階段を上り、屋上へ出る。 夜空に星が瞬いて冷たい風がほてった顔を醒ましてくれた。 「・・・・・・ふぅ・・・っ」 深呼吸と共に背伸びした。 今日は色々あったな・・・ ゼニスとの対面、真実、過去の記憶、テリー・・・。 「テリー・・・・・・」 その名を口にすると、醒ましたはずの顔がまた熱を持つ。 ブンブン首を振って、頭から映像を振り払った。 分かってるだろ、あのキスは恋愛感情なんかじゃない。 あいつはオレを慰める為にあんな事したんだ。 分かっているはずなのに胸のドキドキは収まってくれない。 「あーっ、もう、だから・・・違うんだって！」 カラン。 前屈みに頭を抱えた瞬間に、マントの内ポケットから横笛が転がり落ちた。 「あ・・・」 懐かしい思いで銀の横笛を拾う。 母さんの横笛・・・。 想い人から母親へと感情が流れる。 大広間にはゼニス王の玉座しか無かった、それらしい人物にも会っていない。 多分きっと、もう------ ・・・ 横笛は夜の光を浴びて青く光っている。 ユナは、そっと唇を当てた。 「・・・・・・・・・」 懐かしく、美しい音色だ・・・。 これは母さんが吹いてた曲だったのか・・・。 神の城にその音色が澄み渡っていく。 「・・・ユナ様・・・」 風を浴びようと窓を開けたグレミオの耳に 遠い日の音色が聞こえてくる。 「・・・・・・ユナ・・・」 別の場所でテリーもユナの音色を聞いていた。 心が洗われていくような不思議な音。 水の洞窟で聴いた、トルッカで聴いた、アークボルトで聴いた音色。 「・・・ユナ・・・おお、この音色は・・・」 聞こえてきた音色にゼニス王は顔を両手で覆った。 「アイリーン・・・わしは・・・わしは間違っていたんだろうか・・・？」 大きな肖像画の前でゼニスは膝をついて倒れ込んだ。 この世の物とは思えないほど美しい肖像画の女性は微笑んで見つめている。 何も心配いらないと言う顔で。 懐かしい音色を奏でると心が少し安心した。 母さんが教えてくれた音色。 記憶には残っていないが、横笛から自分以外の暖かさが伝わってくるような気がした。 母さん------ ・・・。 この城に来たのはやっぱり無駄じゃなかった。 ようやくユナはそう思いはじめていた。
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