▼ハザマの世界...


 少女は待っていた。
薄暗い石畳の部屋の隅に、独りぼっちでうずくまって。
肩まで伸びたイエローブラウンの髪、幼いその顔は酷く憔悴していたが、瞳は強い力を秘めていた。

「ユナ」

 何者かが自分を呼ぶ声が聞こえる。殺してやりたいくらい憎い男の声だ。
まるで牢屋のように厚い鉄格子を開けると
酒に酔っているのか臭い息をまき散らしながら近付いてきた。

「客だ」

 ここ数年、その言葉しか聞いたことがない。
出てこようとしないユナの腕を強引に引っ張る。
その手を思い切り振り払い、男の顔に唾を吐きかけると一瞬にして凄まじい痛みが襲った。
みぞおちに男の拳がめり込んでいる。

「顔は殴らないでやるよ、値段が落ちるからな」

 醜い顔をもっと醜くさせて、男は笑った。

「------ ・・・」

 腕を引っ張りながら、男はユナを連れ薄暗い廊下を歩いた。
窓のない廊下に、カビくさいにおいが立ちこめる。

バタン・・・。
頑丈そうなドアを開くと、その中に押し込められしっかりとい鍵を掛けられた。
最初の頃はドアの前にすがり、助けを求め、狂ったように鍵をこじ開けようとしたものだ。

「------ ・・・・・・」

 だが、もうそんな事はしない。

無理な事。無駄な事だって分かっていたから・・・。




 玩具奴隷

 人身商売を生業としていたギンドロ組の裏の顔だった。
玩具奴隷と呼ばれる慰み者は、毎夜のように好色家にもてあそばれた。
奴隷として売られた少女たちは死ぬまでそこを出られない。
それが契約だった。

「うるせえぞ!ユナ!!」

 ガンガンガン!
鉄格子の金属音が廊下に響き渡っている。
けだるそうに駆けつけた男がユナを怒鳴りつけた。

「まさかお前・・・ここから出るつもりなのか?」

 何も答えない。

「お前がここから逃げ出したら・・・あの夫婦はどんな目に遭うだろうなぁ・・・」

「------ ・・・!!」

「大金を払ってお前を買い取ったんだ。お前が逃げ出したらさぞ酷い仕打ちを受けるだろうぜぇ」

 少女の瞳が強張ったかと思うと、涙を浮かばせ部屋のベッドへと倒れ込んだ。

肩がブルブルと震える。
男はそれを見届けると、笑いながらそこを去っていった。




 毎晩、毎晩、夜を泣き明かして、喋ることさえ、笑うことさえ忘れていた。

どうして自分がこんな目に遭わなくちゃいけないんだろう・・・。

自分を捨てた両親に復讐してやる・・・。
それだけを考えて、今まで生きていた。
辛い時も痛い時も苦しい時もあったけど
盗みを働いて、魔物と戦って、ここまで来たんじゃないか・・・。

「------ ・・・・・・」

 もう泣きすぎて枯れたと思っていた瞳からは再び涙が溢れ出していた。

ハザマの世界。
ここに来てから、最近こんな夢ばかり見る。
この事はゼニスの城から出る頃には割り切っていたハズなのに。

思い出すな、こんな事。
思い出したって・・・何の得にもなりゃしないんだ・・・!

ユナはブンブンと頭を振って洗面所へと足を運ばせる。
思い切り顔を洗うと鏡の中の自分を見つめた。
栗色の珍しい髪、薄い金の瞳。
もうあれから、7年経ってるんだぜ・・・。

顔を洗ってベッドに戻る。
目を伏せてこれからの事でも考えようかと思っていたのだが
そんなヒマはなくいつの間にか眠ってしまっていた。




 絶望の町。
どうしてオレはここにいるんだろう。

そうだった。オレは魔王を倒さなきゃいけないんだ。
仲間たちと・・・
仲間・・・?
仲間ってなんだ。
天空人のオレにそもそも仲間なんているのか?
肉親だって・・・ゼニス王なんて
オレの肉親じゃない、オレは許したわけじゃない。

それじゃオレの仲間は・・・?オレの家族は・・・?

ウィルたち?ウィルたちは人間じゃないか。
オレとは違う・・・オレの仲間じゃない・・・。

宿のベッドでそんなことを考えていた。
天井は人一人すっぽりと入ってしまいそうなほどの穴が開いている。

誰もこの天井を直そうとする奴はいないのかよ?
それでなくてもこの宿は他に比べて高いっていうのに、
町に宿が一つしかないからって、人の足下見過ぎだ。

気分が悪くなったユナはふらりと宿を出る。
宿の一階にある酒場では昼間からハッサンが酔いつぶれていた。
ユナは扉を開けると当てもなくその荒んだ町を歩いた。

皆は何処に行ったんだろう、オレたちは魔王を倒すんじゃ無かったのか?
歩きながらそんな事を考えて、宿のすぐ裏の森でうずくまってしまった。
町にいると良くない輩が絡んでくる、油断していると追いはぎにだって遭う。

「どうなってんだ・・・ここは・・・」

 はぁ・・・。
木にもたれかかって空を見上げた。
真っ黒な空を・・・太陽も昇らない空を・・・。

気分が悪くなって視線を落とすと自分の手のひらが目に入った。
料理なんかちっとも出来なくて、剣の扱いだけがうまくて、とても女の子とは思えない手の平。
ゴツゴツしてて、マメが沢山出来て・・・。

その手を何度も結んだり開いたりしながら、またため息をついた。
たったこれだけのチカラで魔王なんか倒せるのか?

「倒せるわけない・・・たったこれっぽちのチカラじゃ・・・」

 何度も何度も自分に言い聞かせるように呟く。

ぽちゃん・・・。
ユナは手元にあった石を目の前の池に投げ入れた。

水面が円を描く。
その水の波紋が収まった所に、端正な美しい顔が現れた。
その顔を手で掴もうとして、再び水が大きな円を描く。

「でも・・・こんなオレでも男を満足させることくらいは、出来るんだよ・・・な・・・」

 そう思うと無性に悔しくなり、無性にバカらしくなり、無性に笑いたい気持ちになってきていた。
ホント、オレってなんなんだろ・・・・・・
こんな汚いオレがなんで世界を救う旅なんかしてるんだろう・・・・・・。

「ギィーー!!」

 奇声を放ちながら血気盛んな魔物がユナの真上から襲いかかってきていた。
何でこんな所に魔物が・・・
ダメだ・・・やられる・・・

「ギャァッ!!」

 魔物が黒い影に捕らえられる。
黒い影は魔物を一撃すると、無惨な姿になった魔物をもう一度
二度と立ち上がれないくらいに剣で突き刺した。

後ろを振り向くと・・・テリーだった。

「お前は何やってる!」

「え、何って・・・?」

 素っ頓狂な声を上げてしまう。
確かずっと考え事してて・・・そうしたら魔物が襲いかかってきた・・・だから観念したんだ
もう死んじゃうのかなって・・・死ぬ・・・どうして?
オレはあんなに頑張って来たのに・・・なんでこんな所で・・・?

「しっかりしろ!お前まで変になってるぞ!」

「・・・変って・・・?何が?」

 テリーは息をつくと、剣を腰の鞘に戻した。

「ハッサンにチャモロ、バーバラ、姉さんも何か変になってた。まさかお前までとは思ったが・・・」

「別にオレは変じゃないよ!」

 ブルブル顔を振って目の前のテリーをもう一度見つめた。

「ゼニス王から言われなかったのか?このハザマの世界で一番気を付けなきゃいけない事は
自分の嫌なところが凄く良く見えてくるって事だ。それで自分がどうしてこんな事をしているのか
どうしてこんな所に居るのか、分からなくなって来ることだ。
今まで信じてやってきた事に急に疑問が生じて・・・無気力になるって事なんだ
お前もそんな状態になっていたんじゃないのか?」

「・・・・・・あっ!」

 はっと我に返っていた。

そうだ、確かにオレは何を考えていたんだろう。

凄く気分が悪くて機嫌も悪かった。
その理由は今も思い出せない。
思い切り図星のユナに再びテリーは息をつく。

「ありがとう、テリー。助かったよ」

「これくらいの絶望に飲まれるなんてな」

 最後に嫌みを吐く。ユナはそんな嫌みにも気付かず

「テリーは大丈夫だったんだろ?すっごいよな〜」

 笑顔で返した。

「別に、凄くない。オレはただ負の感情に闇の世界に・・・絶望に慣れてるってだけだ」

 そう吐き捨てる。足の向きを変えると、ユナがまた呼び止めた。

「また、んな事言う・・・。絶望に慣れる奴なんて居るわけねーよ。
それに、テリーはオレと旅してる時も絶望なんてしてなかったじゃないか。最強の剣を探して・・・」

「本当にうるさい奴だな」

 呆れた顔でテリーは振り向く。

「最強の剣は見つからなかった。これが現実だ」

「んな事ないよ!絶対どこかに有るはずだって、伝説のメタルキングの剣とか
ドラゴンソードとか・・・!」

 珍しくユナが食い下がる。

「この旅が終わったら、魔王を倒したら、また探しに行くんだろ?」

 ユナはこの間の、辛そうに剣を振るうテリーの姿が目に焼き付いていた。
いつもの自信をテリーに持っていて欲しかった。

「・・・・・・さあな」

 その問いに答えずに、そのままテリーは踵を返した。
ユナはその後ろ姿を切なく見つめながら後を追った。





 テリーのおかげで自分を取り戻したユナ。
しかし、それは遅い目覚めだった。
自分を失っていたのは、ユナとハッサンの二人だけだったのだ。

他の皆は既に自分を取り戻していてハザマの世界の情報を集めていたらしい、

「・・・皆も薄情だよなぁ!」

 宿の酒場でハッサンが酒を飲み干した。
ユナもそれにつられて苦手な酒を飲み干す。その後ゲホゲホとむせた、その顔は怒っていた。

「全くだよ、なんでオレたちを元に戻してくれなかったんだよ!」

 困った顔でミレーユがお酒を酒場のマスターに預けると、不機嫌な二人に笑いかけた。

「仕方ないでしょ、二人ともちっともこっちの言うこと聞いてくれなかったんだし・・・」

「ケッ!」

 グラスに残っていた酒のほんの一握りを未練がましそうに喉に流し込んでいる。
ハッサンの機嫌はまだ直っていない。

「ユナだって、オレたちが散々説得したのに聞いてもくれないしさ。
オレには仲間なんかいないとか言って・・・、テリーがやっとユナを説得出来たんだぜ」

「・・・覚えてない・・・」

 頭を痛そうに抱える。でもそう言えば確か考え事をしていたような気がする。
ずっと同じような考え事・・・。
バーバラがにやにやと笑ってこっちを見ている。

「テリーだったからユナは自分を取り戻したんでしょ?」

「な、な、何言ってるんだよ!そんなんじゃ・・・!」

 久しぶりに会ったと思ったら・・・からかわれた。

慌ててテリーの方を確認すると、やっぱりこちらには何の興味も示していなかった。
ふぅっと安心して息をつく。

バーバラの言うことも・・・最もだと思う・・・。
テリーからああやって説得される前の記憶が、全く頭に残っていない。

「まぁまぁいいじゃないですか」

 魔物の仲間たちもすっかり元通り。
その魔物に酒を飲むのを注意しながら、チャモロが笑いかけた。

「こうやって皆さんが元に戻れたことだし・・・」

「・・・そりゃ・・・まぁ・・・」

 それを言われると本当にその通りのような気がする。
ハッサンとユナは仕方なさそうに顔を見合わせて頷くと
ウィルたちのこれまでの苦労やこれからやることに耳を傾けることにした。




ハザマの世界。
ここにはどうやら現実の世界や夢の世界から連れ去られた人々が幽閉されているらしい。
魔王の最も好む負の感情
絶望、欲望、嘆き
それらを産む為に人々は連れてこられ、街に住まわされているとの事だった。
ユナたちが居るこの場所は
絶望の街と呼ばれていて、北東には欲望の街、それより北には嘆きの牢獄と言う場所もあるらしい。
魔王のやり方に、皆不快な思いを感じていた。
早く魔王を倒して、ハザマの世界の人々を解放しよう。
皆の決心は確実に強いものになっていった。



 欲望の街へと続く薄気味悪い街道をファルシオンは走った。
魔王の魔力のせいなのか、ここではファルシオンはペガサスになって飛ぶ事が出来ないからだ。

「海・・・ないね、太陽もないし、月だって・・・昼夜だってない」

 幌の中でバーバラが気味悪そうに訴える声が聞こえてきた。

「魔王には不必要な物だからよ」

 その問いにミレーユが静かに呟く。

「ここは魔王の夢の世界。今、人間はこの程度しかいないけど・・・その内いっぱいになるわよ。
魔王は世界を滅ぼして全部の人間をこの地に連れてくるつもりだから・・・その内ね・・・」

「・・・ミレーユさんこっこわい・・・」

 ホイミンとメッキーが抱き合いながら、冗談とも取れない言葉を恐ろしげな顔で聞いていた。

「大丈夫だって、オレたちが魔王を倒すんだからよ」

 ハッサンが呑気そうに剣を構える。

「・・・そう、うまく行けばいいけどな・・・」

 ウィルはそう呟くと、欲望の町を目指し馬車を走らせた。


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