5. 精神世界



 どこかで水の流れる音がする。
そして、生臭い匂いと生暖かい空気に視界は完全に塞がれた暗闇。

青い光を通りぬけたと思ったら突然現れた暗闇に、五感が一瞬機能しなくなる。
徐々に目が慣れていくと何とかかろうじて隣のイミルの存在を感じる事が出来た。

「あぁ、良かった…ユナ…」

 向こうが安堵したのが手に取るように分かった。ユナも全く同じ気持ちだったのだ。

「ああ、ここにいる。ここは…テリーの心の中…なのか…?」

 この空間をユナは知っていた、そして恐らくイミルも。

「おそらく…ね…ここって、テリーが探索した事のある洞窟じゃない?それも、嫌な方に入る部類の」

 水辺の洞窟は特に最悪でな、ブーツに水が沁み込んでくるんだ。
苔も生えてて良く滑る、匂いだとか空気が不快感を増していく。魔物との戦闘は特に注意しなきゃならない。

食事中テリーが話してくれた、なるべく行きたくない洞窟。それとほぼ同じだった。
確かにブーツに水が沁み込んでくるし先ほどから足がつるつる滑る。

「なんで、よりによってこんな所が…」

 うなるような何かが耳の奥に響いてきた。一瞬魔物の声かと思い、ユナは身構えたが、それとは違っていて。
地の底から響いてくるその音は、二人の良く知っている男の声で

『弱い…弱い…』

 どす暗く、苦しそうな

『お前は弱い…』

 テリーの声だった。




「イミル…ここはテリーの心の中なんだよな?」

 明かりの無い洞窟の中、壁伝いに二人はゆっくりと進んだ。
聞こえてくるそのうめき声については二人は口をつぐんでいた。
幸いにも、魔物や敵は出てこなかったが、洞窟はかなり奥深くまで続いていて歩くたびに水かさは深くなる。
水はどんどん浸水してきて、ついには膝下ほどまで押し寄せた。
だが洞窟は終わりの見える気配はない。

「そうね、恐らくかなり心の深い部分。テリー自身も気付かない、深層心理の底ね。そういう所はとても弱いの。だから悪魔は棲みつく、そして自我をどんどん浸食していく」

「テリーの心の底にある弱い部分…?」

 イミルは頷いて、そして付け加えた。

「ええ、そして、誰にも触れられたくない部分」

『お前は弱い…弱いから…だから――――を…お前のせいで…お前さえ…』

 耳にへばり付いて離れない声。
お前っていうのはきっと多分、テリー自身の事。
テリーは自分の事を弱いって思っていて、責め続けている。心の奥底でいつもずっと――――。

テリーはどう考えたって強い、その辺の魔物は勿論、兵士長クラスの剣士にだって負けるレベルじゃないのに。
いつも強気に振る舞って自信に溢れてるテリー。

でも、もしかしたらあれは本当のテリーじゃなくて、
本当のテリーはずっと自分を責め続けて苦しんでて

”最強の剣を探してる”

 何でテリーが最強の剣に執着しているのか、どうしてあんなに必死だったのか

『お前は弱い……』

 途切れなく続くうめき声。
ユナは胸がぎゅっと押し潰されるような感覚に陥った。
最強の剣を見つければこの苦しみから解放されるのだと、テリーが心の底で思っているとしたら

「バカだな…オレ…テリーの事、何も、知らなかった…」

 何かに取りつかれたように最強の剣を求めるテリーに
心のどこかで呆れていた。
そんなもの探してどうするんだ と 何度も言ってしまった。
押し潰された胸が更にチクリと痛んだ。

顔を上げ、改めて辺りを見回す。光の当たらない暗い洞窟の底。
生温い水の感触と、苦しそうな呻き声。
ここが、心の中なんて……。

テリーを、助けたい。

お前なんかに何が出来るんだよ?っていうテリーの声が一瞬で再生された。
でも、オレに出来る事だったら力になりたい。本気で、最強の剣を探す手伝いがしたい。
ユナの中にそんな思いが芽生えていた。

イミルも同じ気持ちで歩いているんだろうか、段々と足が速くなり、錫杖が音を立て揺れていた。

「……!」

 と、何かに気付いたようにイミルは足を止め、ユナに合図した。
合図と共に周りを探ると、洞窟の奥で何か気配がする。二人はゆっくりと、今度は音をたてないよう慎重に進んだ。
水はいつの間にか引いていて、洞窟の奥は大きな広場のようになっていた。
石壁に身をひそめ、そっと身を乗り出す。広場は薄暗い松明ほどの明かりで照らされていた。

「テッテリー!」

 思わず叫んで、イミルは自分で自分の口を塞いだ。
広場に居たのは紛れもなくテリーだった。銀髪とアメジストの瞳。
ただ、背丈は今よりかなり小さくて顔も幼い。
小さなテリーは遠目でも分かるほど体中傷だらけで、ナイフのような物を手にしていた。
ナイフの先に居たのは
頬に傷のあるギョロッとした目の長身の男と髪をそり上げた体格の良い大男。

テリーはナイフを構え男たちに向かっていく、男は軽くナイフを避けテリーに鋭い蹴りを入れた。
そしてよろめいた所を別の男が更に蹴り上げた。

「――――っ!」

 激しくおう吐するテリーの頭を掴み、そのまま持ち上げた。

「弱いなあ、弱いよお前。お前が弱いから、お前のせいで―――は連れて行かれたんだぜ?」

「お前さえ強ければ――――は無事だったのに、今頃―――は」

 大きな声で毒づいているが、所々何か雑音が混じって聞こえない。
テリーはまた、おう吐しながら青ざめ、それを見て男たちは顔を見合わせ大声で笑った。
テリーを投げ出すと、笑い声だけを残してその場から消える。

ユナもイミルも、あまりに酷い状況を目の当たりにして、その場から動けないでいた。

「もっと力があれば…力さえあれば……!強く、強くなりたい…!誰よりも、何よりも強くなりたい…!強く…強く…!」

 ギラギラと光る瞳が幼い顔には不釣り合いで、それが更に二人の心を締め付ける。
イミルは顔を覆ってその場にしゃがみ込んだ。

「酷い…やだ…こんな…!」

 ユナも何も言えずぎゅっと唇を噛みしめた。
そんな二人をよそに、また男二人が現れて、また同じような光景が広がった。

「テリーの心の傷を、ずっと再生し続けてるんだわ……」

「何のためにそんな…!」

 キっとイミルは顔を上げ、錫杖の柄を握りしめた。

「テリーの心を飲み込むためよ」

 ユナも唇を噛みしめたまま精神を集中させる。

「許せねえよそんなの…!」

 二人は顔を見合わせ力強く頷く。そして同時に飛び出した。

「ニフラム!」

 飛び出すと同時に、イミルは聖なる光を錫杖から放った。
闇の世界に放たれた光はあまりにも強烈で目が眩む。
次に目を開けた瞬間、そこにはあの映像の代わりに、邪悪に蠢く黒い影。
この世界に入る前、ユナを襲った黒い手の主なのか、それは黒い翼のような物を広げ、両腕の先には鋭く開いた3本の手、
顔にはまがまがしい赤い目のような物が二つ。ギョロリとこちらを睨んでいた。

「こいつが悪魔よ!」

「ああ!」

 悪魔は声にならない声を上げ、体を伸び上がらせるとユナを覆うように襲ってきた。

「ギラ!」

 眩い閃光がユナの手のひらからほとばしるが、悪魔は一瞬怯んだだけでより大きく体を広げた。

「クソっ!」

 ユナはかろうじて襲い掛かる悪魔を躱したかに思えたが、悪魔の腕が鋭く伸びユナの口を塞いだ。
黒い体を長細く伸長させユナの体中に巻きつきギリギリと締め上げた

「――――っ!」

 ユナは逆に口を開けると悪魔の体を噛みちぎる。悪魔が怯んだ隙に叫んだ。

「イミル!早く!!ニフラム!!それならこいつにも効――――!」

 悪魔は今度はユナの顔全てを覆い、もっと強い力で全身を絞め潰した。

「ユナァッ!」

 激痛が体中に突き抜ける。骨の軋む音、臓器の締め付けられる音。
バキバキと何かが折れる音。
イミルは錫杖に力を込め、精神を集中させた。早くしないとユナが死ぬ――――。
汗が額から頬に掛けて伝う。

「ニフラーヤ!!」

 先ほどの光よりももっと強力な聖なる光。
その強烈な光に悪魔は飲み込まれ、跡形もなく消え去った。
と同時にユナが地面に投げ出される。鼻から血を流し、ピクリともしない。

「ユナッ!!ユナァッ!!」

「ぅ……ぃて…」

 弱々しいながら返事が聞こえて、イミルはホッとした。
両手をかざすと、暖かい光がユナを包み込んだ、と同時に痛みがみるみる消えていく。

「これ…まさかべホイミ…」

「そうよ、一応巫女なんだから、なめないでよね」

 べホイミの光が消える頃にはユナは完全に回復していた。鼻血をごしごしと手で拭って
よろよろと上半身を起こす。イミルはユナに肩を貸し二人でゆっくり立ち上がると、はぁっとため息をついた。

「無茶しないでよユナ。ニフラーヤで倒せてなかったら、アンタきっと死んでるわよ」

「ハハ、そうかもな…こんな所で死んだらテリーに申し訳無さすぎるよな」

「冗談言ってる場合?両腕折れるくらいで済んだけど、最悪、全身粉々よ!」

 さすがにぞっとして笑えない。

「でも倒せたから良かったじゃねーかっ!なぁ、これでテリーは大丈夫なのか?」

「ええ…今のところはね…」

 そう、今のところは…。
先ほどの悪魔は思っていたよりも低級だった。
それなのに明確に、テリーを闇に落とすという意思を持っていた。
それは、もしかしたらもっと別の何か、大きな力を持った悪魔に操られていたから?
それがテリーを狙っているとしたら?
今後もテリーは心を悪魔に捕らわれるかもしれない。

「そっかぁ…良かったぁ…」

 イミルの胸中を知らず、ユナは心から安堵して笑った。

「良かったな…」

 もう一度心底嬉しそうに。
イミルはそんなユナをじっと見つめ、そして思いがけない事を口にした。

「もしかしてユナ、テリーの事好きなの?」

「――――は?」

「私のライバルって事?」

「は?え?何のこと言ってんだよ!?」

 好き?オレが、テリーを?

「好きっていうか、確かにテリーは強いし何でも知ってるし、すげー頼りになるし。まぁ、ちょっとは尊敬してるけど。でも、そういう、好きって言うのとはちょっと違うと思うぜ?」

「そうね、違うわね」

 イミルは頭を抱えると、今度は正面からまっすぐユナを見つめた。

「私が言ってるのは、男の人として、異性として、テリーの事を好きなのか?って事!ユナ、貴方一応女の子なんでしょ?テリーと一緒に旅してきて、彼に惹かれたりっていう事は無かったの!?」

「………」

 一瞬、思考が停止する。男の人としてテリーの事をって…。

記憶の中の、射抜くようなアメジストの瞳がユナを捕らえた。

「――――っ」

 固まるユナに、イミルは呆れたように笑うと肩を竦めた。
激しい戦闘から一転、穏やかな空気が二人に流れたが、それは心の世界も同じだった。
いつの間にか闇は晴れ暖かい光が降り注ぎ、地面には緑が萌えてきた。

そんな二人の感情を待たずして、暗い闇の世界に”それ”は姿を現した。




「………」

 賑やかだった二人の会話が止まった。しかし、反対に思考はぐるぐると回る。

綺麗って、きっと、こういうことを言うんだろう。
”それ”を見て、二人ともが同時に思ってしまった。

闇に紛れて隠れていたそれは、
豊かな金髪に、すらりと通った鼻筋。長い睫にエメラルドの深い色合いの瞳、桜色の唇に白く透き通った肌。絶景の美女であるのだが、何処か影の有る女性の肖像画だった。

教会にあるような、巡礼客を迎え入れるような、そんな大きな肖像画。
儚い表情のその女性は、二人をただ、じっと見つめている。

「これ…なんで…テリーの心の中にこんな綺麗な女の人が…そんな…うそ…」

 イミルの狼狽の意味は、さすがのユナにも分かってしまう。
あいつ、女には興味ないって言ってたのに

「なーんだよ、ちゃんと、いるんじゃねーか」

 見れば見るほどに美しい女性。テリーはずっとこの人の事を想っているんだろう・・・。
ふと、肖像画の右下に何か字のような物が書いてあった。その文字をそっと目で追う。

「ミ…レーユ…?」

 そして世界は、瞬きの間に消えた。






 次に見えたのは随分懐かしく感じる神殿の客室。えっ?えっ?とあからさまに戸惑うユナの腕をイミルは掴んだ。

「テリーが起きちゃったのよ!早く!」

「えっ!」

「お前ら、ここで何してる」

「――――っ!!」

 さすがはテリー。すぐに覚醒し、ベッドから起き上がると二人を呼び止めた。

「いや〜〜〜怪しいもんじゃないんで、気にすんなよ!」

 強引にまとめようとするが、テリーは更に怪訝な顔をして見つめ返す。
イミルは咳払いをすると錫杖を掲げ、

「実はね、部屋に結界を掛け忘れちゃったのよ。テリー、寝てたから起こすのも悪いと思って
勝手に部屋に入ってごめんなさい」

 瞬時に繰り出される言い訳にユナの方が驚く。こいつ…慣れてるな…!

「そういう事なの。まだ夜明けまで時間があるから、一眠りして頂戴。朝食が出来たら起こしに来るから」

「あっ、そうだな、オレも寝ようっと!」

「おい、何でお前までここに居る?」

 正論で呼び止められたが、それには答えず笑顔で振り向いた。

「テリー、今度は良い夢、見られるといいなっ!」

「………?」


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