6. トルッカの大富豪



 早朝。神殿内に柔らかな光が降り注ぐ。
噴水のある中庭で、ユナはベンチに座っている昨日の戦友を発見した。

「おっす、早いんだな」

「おはよう、うん、なんだか眠れなくて…」

 ユナは笑って同意すると隣に腰掛けた。
沈黙が続く、声の代わりに水の流れる音だけがする。二人とも考えている事は同じだった。

「ミレーユ…」

 イミルはベンチに体を預け、そう呟くと空を見上げた。

「きっとテリーの大切な人ね…」

「……そうかもな…」

「あんな人が相手じゃあ、私もユナも勝ち目無いかもね」

 ユナは言い返そうと思って辞めた。イミルの目が、あまりに悲しげだったから。

「テリーの心の闇。もしそれがミレーユって人にも何か関係があるのなら、その光が強ければ強いほど光は色濃く影を残す。このまま心の闇が広がるような事があれば、悪魔より先にテリー自身が自分の心に飲み込まれてしまうかも…」

「自分の心に?そんな事ってあるのか?」

 神妙にイミルは頷いた。

「彼は自分を責めすぎてるわ、それが続けばいつか心が壊れちゃうって事…」

「……」

 二人の会話は朝食を知らせに来た侍女によって遮られた。

「まぁ、考えすぎても始まらねーよ!テリーの事は、テリーにしかわかんねーんだし!あの、テリーだぜ?そんなに心配しなくても大丈夫だよ?昨日だって見ただろ?いつものテリーだったじゃんか!」

「あんた程能天気だったら、みんな悩まなくてすむのにね」

「まぁまぁ、とにかく飯食おうぜ!腹減ったよ!」

 ユナは考えないようにしていた。
考えても、自分にはどうしようも出来ない、テリーの心の闇。
助けたいって思ってしまった自分が、烏滸がましかったのかもしれない。

どうにか出来るのは自分じゃなく、きっと、あのミレーユっていう女性なのだから。




 朝食を終え、旅立ちの準備をした後でイミルは最強の剣の在処を調べてくれた。
片手に乗る大きさの水晶をのぞき込んで、発せられる光から何かを感じ取ろうとしている。

こうして見ると、巫女に見えるから不思議だよな…。
昨日の巫女らしからぬ行動の数々を思い出し、ユナはそのギャップに戸惑いを覚えてしまった。
そんなユナの胸中をヨソに占い終わったイミルは額の汗を拭った。

「ここから南南西の方向に、洞窟が見えたわ…寒い、寒くて冷たい氷の洞窟…。そこに…かなり強い力を持つ剣が見えたの。でも…この剣を手に入れるためには船が必要…だって」

「…船?」

「一度サンマリーノまで戻ったほうがいいんじゃないのか?」

 ここから先の海は浅瀬や暗礁が酷くて、行き来をしている船は無いらしい。
サンマリーノから外海を航海するしかないのだ。テリーは仕方ないと言った表情で頷いた。

「悪いな、イミル。おかげで助かった。じゃあな」

「ちょっと、まっ…待ってよ!」

 慌ててイミルが呼び止めた。

「ああ、悪かったな。お布施か?相場はどれくらいだ?」

「ちっがうわよ!!昨日色々付き合ってもらっちゃったんだしタダで良いわよ!ってそんな事じゃなくて…」

 イミルはごくりと息を飲んで

「私も、テリーの旅に付いて行って良い?」

「はぁっ!?なっ何言ってんだよ!!」

 テリーより先に反応したのはユナ。
テリーはと言うと、息を吐いて入口扉の方を見るよう促した。
会話を聞いていた侍女たちが青ざめた顔で腰を抜かしている。

「お前この神殿の大事な巫女だろ。冗談もほどほどにしろ」

 相変わらずテリーは冷たい言葉を口にするが、尤もな意見だ。

「ずるいずるい!ユナだけテリーに付いていくなんてずるい!」

「なんでそうなるんだよ。オレはイミルと違って元々旅人なんだから別にずるくないだろ?少しはテリーの役にも立ってると思うし」

「…ホイミだけな」

 ホイミだけなのかオレは…。心の中で舌打ちするが、顔はきっと笑顔。
テリーは昨日のようにパーティ解散と口にする事は無かった。
昨日、悪魔を退治出来た事でテリーの心境が少し変わったおかげだろうか、何にせよ、ホイミが出来て良かった。

「何よ、ユナ、ニヤニヤしちゃって、へーぇそうですか。テリーと一緒に行ける事がそんなに嬉しいわけ?」

「えっ!いっいや、だって。その、ほら、テリーって強いから魔物に襲われても安心だろ?」

 慌てて言葉を取り繕う。

「そうか。そんな事を言っているから、お前はいつまで経ってもレベルが低いままなんだな」

 間髪入れずにテリーから突っ込まれた。
そりゃそうかもしれないけどさ…。

「ふふ、ありがとうね、テリーにユナ。一緒に付いていきたい、なんて、言ってみただけよ。この二日間、すごく楽しかったわ」

「イミル…」

「あと、さっき船に乗るためサンマリーノに戻るって、言ってたでしょ?でもその時間を短縮できるって言ったら…どうかしら?」

「………?」

 不可解なイミルの言葉に、二人ともが同時に反応した。

「試したい事があるのよ。もう少しだけ、私に付き合ってみる気はない?」

 イミルの提案に耳を傾けてしまった事を、二人は程なくして後悔する事になる。




「おいイミル。試したい事というのは何だ?」

「ちょっと信用してたんだけど…やっぱやめてもいいか?」

「あーっ!もう、大丈夫だから!信用してよ!」

 イミルの部屋、二人の不安そうな声が甲高い声にかき消される。引いてあった大きな絨毯を取り払い、持ってきた分厚い魔法本を開く。床には絨毯に隠れるように魔法陣が書かれてあった。
…なんて用意がいい…。

二人は怪しさと身に迫る危険を感じながら、言われるがまま魔方陣の上に乗ってしまっていた。

「……怪しいと思ってるんでしょ?」

 素直にユナは頷いて見せる。

「…言ってくれるわね…。これはね、私が今研究してる瞬間転移呪文なんだから!直接、予言の場所に送ってあげる!これはルーラに変わる新しい呪文なのよ!」

「旅の泉みたいだな」

 テリーが呟く。
その昔、人々を遠く離れた別の場所へと運ぶ泉があり、それを旅の泉といった。もちろんそれは現実には無いであろうお伽噺だ。

「そうね、そう思ってもらって大丈夫かも。それに、研究中っていっても遠くの地に物を転送する事が出来たんだからね。…人で実験した事はないけど…」

「えっ…!!」

 既に足元の魔方陣は光を上げていた。その光りは魔力を伴っていて二人の体を拘束する。
逃げることも、ましてや抵抗することすら出来ない。

「ちょっと!これ、マジかよ!」

「大丈夫よ、さすがに違う次元とかには飛ばされないと思うから」

 違う次元って…

「テリー!これ、やばいって!」

「仕方無いな、まあ、死ぬことは無いんじゃないか?」

「そんな…!オレは嫌だ!嫌だからな!」

「もう遅いぜ?諦めろ」

 テリーは光の中で もがくユナに溜息をついた。

「じゃあね、テリー。また会いに来てよね」

 にっこりとイミルが微笑んで手を振ると、先にテリーの方から光の中に消えて行った。
青ざめるユナに対して、イミルが向き直る。

「ユナ、早く最強の剣を見つけてよね。それが、テリーの為にも、貴方の為にもなる」

 神妙な顔をしたかと思えば、いつもの明るい笑顔で送り出してくれた。

「テリーをよろしく頼んだわよ!」

 ユナの両手を掴み信頼の握手を交わして手を振る。
目の前がどんどんと薄れていき、光と共に全てが真っ白になっていく
と、体がふっと重くなり、突然意識が遠のいた。





「………?」
 
 息が出来ない…苦し…

「ピキィ…」

「スラリンッ!?」

 覆い被さるように、スラリンはユナの顔に倒れ込んでいた。

「スラリン!」

 目のうつろなスライム。少女に気がつくとハッと目を覚ましたようだ。

「よかったぁ…」

「う…いてて…」

 すぐとなりにテリーもいる。

「テリー!大丈夫か」

「…ああ…」

 草木の匂いにつられ辺りを見回すとイミルの部屋では無い事は確かだった。
体感的に数秒にしか感じられなかったが、ものの見事にイミルの言う転送とやらに成功したらしい。

「…すごいな転送呪文っていうのは…しかし、どこなんだここは…」

 青い空に、遠くに見えるなだらかな丘陵地帯、その手前には緑々と生い茂った森
そこから二人が倒れ込んでいる場所まで草原が広がっていた。

「イミルの言葉を信じれば、最強の剣があるって言う洞窟の近く…って事になるけど…?」

 洞窟らしきものは見当たらない。氷の洞窟とは言ってたけど、寒くない、寧ろ暑い。
見渡すが見えるのは、穏やかに雲が流れていく青空と山と森と草原。
テリーは鞄からもうボロボロになってしまった世界地図を取り出した。

「うわっ世界地図!何だよ持ってるなら持ってるって行ってくれよな!でもそれスッゴイ高いだろ、さすがはテリ…!」

「うるさい、黙ってろ」

 歓喜の声を上げるユナを制して、レイドックから南南西の方向へと指さす。
地図でみるとそこは険しい岩山で囲まれているようだった。
ここは、というと、山に囲まれているとは言っても穏やかな緑の丘陵。
二人は同じタイミングでため息をついた。

「おそらく失敗して違う場所に飛ばされたんだろう」

「はぁ・・・多分そうだろうな」

 イミルに教えたら、きっとめちゃくちゃショックだろうな…。
最後のイミルの言葉を思い出した。

(テリーを、よろしく頼んだわよ)

よろしくって言われても、一緒に旅をするのは最後だって言われてるし
幸いにも向こうは忘れているのかなんなのか
そう言った事を切り出す気配は無いけど
いつ、パーティ解散だって言われてもおかしくないのに

「さっさと行くぞ、ここがどこなのか確認する必要があるからな」

「うっ うん!」

 まだ一緒に旅をしても良いんだろうか?
歩き出すその後ろ姿からは彼の気持ちを理解する事は出来なかった。





 海の町サンマリーノとは対照的に山に面している緑豊かな街トルッカ。
トルッカと言う地名を聞いてテリーが再び地図で確認すると、イミルの神殿から南南西とは全く別方向、北北西にある島の名前のようだった。あたりは深い森で囲まれて、その周りにはやはり大自然が広がっている。
どこをどうしたらこんな場所に飛ばされるんだと文句を言うテリーの愚痴を聞きつつ、ユナは初めて訪れる町に興奮していた。

 テリーからもらった布のマントを羽織り、フードを深く被って町を探索する。
木造の風通しの良さそうな家々が並び、武器屋や防具屋、道具屋、アクセサリー屋や服屋など所々に目についた。
しばらく歩くとマルシェのような通りに出て、そこには色とりどりのフルーツが店先に並んでいる。

「取りあえず宿を取るぞ」

 輝くユナの瞳に見かねて真っ先にテリーが提案した。
トルッカには宿が一軒しかないようだった。
3階建ての大きな宿屋で、1階の角部屋と3階の屋根裏部屋を改築した小さな部屋を二人は取った。もちろん、小さい部屋がユナの部屋だ。もちろん、宿代が安いからという理由だ。

宿をとった後、ユナはテリーに付いていきたいと頼み込んで二人で酒場へと向かった。
看板を頼りに、煉瓦造りの建物に入り階段を下りる。
下りた先の扉を開けるとそこは暑かった外とは違い涼しい風が吹いていた。

「いらっしゃい」

 カウンターでせっせと飲み物を作っていた中年の男が愛想の良い顔で答えた。
昼間だからなのか、テーブルと客の数が悪い意味で合っていない店内を見回して二人はカウンターについた。

「酒はいらない。それ以外のものをくれ」

「オレも。あの…あんまり高くないやつ…」

 頼んだ後、早々に出てきたアイスミルクを飲みながらユナの方が尋ねた。

「マスターあのさ、聞きたい事が有るんだけど…力を持ったすごい剣の話とか聞いた事ないか?冒険者伝いに聞いた噂とか、宝が眠ってる洞窟とか、そういう眉唾ものの情報でも良いんだけど」

 尋ねられた酒場のマスターは手を休め、少し考えた。

「無駄だ。ここは予言された場所とは別の場所なんだからな」

 テリーが同じアイスミルクを飲み干して、代わりに答えた。

「…ハッハッハ、すごい剣ねぇ。冒険者のあんたたちにもこの街の話が伝わっているのかい?」

「そんな剣がこの町にあるのか?」

 冷めていたテリーがその言葉に手のひらを返したように反応した。

「ああ、あるよ」

 イミルの呪文は大成功だったのか。
ほらね!私の言った通りでしょ!!笑顔のイミルの姿がユナの脳裏を過ぎていく。

「でもね、その剣は街一番の金持ちの家宝なのさ」

 ユナの飲んでいたミルクが気管に入ってゲホゲホ咽せた。

「じゃあ、手に入れる事は無理じゃないか?」

「そうだね、ここだけの話商人や珍しい物好きの金持ちが大金を積んで売ってくれと申し出た事が何度も有るらしいんだよ。でも、その剣を売ったって話は聞いた事がないね」

 う〜ん…と難しい顔をしてユナはカウンターに突っ伏した。

「…いや、まだ手はあるぜ」

「………?」

 テリーのイス一つ隔てた隣からの声。
テリーより低いその声を発したのは、黒髪で褐色の青年。肩まで伸びた髪をひとつに結ってある。精悍というよりはテリーと同じような綺麗な顔立ちをしていて、切れ長の深い青の瞳が印象的だった。
ネックレスやピアスを付けた遊び人のような風貌で、女性にもてそう、と言うのが第一印象だ。

その男は何を思ったかテリーの隣に腰掛けると、顔を近づけて

「あそこの家はなんでも凄い親バカ…いや、過保護だっていうじゃないか。あの家の一人娘のエリザと婚約でもすれば、家宝くらい、貰えるんじゃないのか?」

「そんなに簡単にいくもんじゃないだろ…?」

 ユナは、はぁっとカウンターに突っ伏して答える。

「大丈夫だって、金持ちってのは太っ腹なもんだぜ!ところでさ、あんたオレとちょっとどこか行かないか?街案内してやるから…」

「………言いたい事はそれだけか?」

「………はりっ!!??」

 ユナが殺気に気付いて慌てて顔を上げると。
今までにないほど恐ろしい目をしたテリーが、男の胸ぐらを掴んでいた。

「……おっ、男………!!!???」

 二人のやり取りを聞いて、ユナはようやく理解した。
更にテリーの目がギラギラ光る。確実に魔物を仕留める時の目だ。

「まさかあんた…テリーの事、女だって思ってたのかよ?」

「…だ、だってこんな綺麗な顔してるんだもん…オレ、てっきり…」

 テリーから胸ぐらを掴まれ、椅子から転げ落ちた男に、酒場の客は注目していた。

「おいおい!いくら街一番のナンパ師だからっていってもよぉ男をナンパする趣味も持ってたとはなぁ」

「気を付けろよ。男ですら口説くらしいぜこの男は」

 周りから悪口ともいえない嘲笑が聞こえてくる。

「逃げろ!どこだか分からない男の人!あんた多分殺される――――」

 ユナの言葉に、男はぶんぶん顔を縦に振るが、それより前にテリーの方が乱暴に酒場から出ていった。取り残されたユナと男はお互い違った意味の溜息を洩らした。

「…悪かったな…あんたの連れ、まさかこのオレが男と女を間違えるなんて…」

 この男のショックは想像に難くない。
確かにテリーは綺麗な顔をしているが、それでも女には見間違えない。
だからこそのあの殺気。

「…あれはかなり怒ってるな……」

 ユナも流石にあれだけの殺気を放つテリーを、すぐには追わない方が良いと判断して椅子に座り直した。
女と間違えられて、しかも笑い者にされる始末。この人の命があっただけでも良かった…。
そっと隣の男を見ると、はた と目があった。
向こうは怪訝な顔をして、ユナの顔を覗き込む。

「……あんた…まさか…あんたが、女?」

「あ、ああ…うん、そうだな、オレが一応女の方……」

 あまりフードは取りたくなかったが、あまりに男がかわいそうだったのでフードを取って
ははと笑って見せる。

「……嘘だ…そんな…マジかよ……」

 だが、男は更にダメージを追ってしまったようだ。

「おーおー、女の子ほっといて男をナンパするなんて…さすが、自称ナンパ師!」

 再び周りから茶化す声があがった。

「うるせぇよ!あーぁ、今日は厄日だ……」

 そんな男に苦笑してユナは酒場を出た。




「テリー」

 ようやく見つけたテリーは、やっぱりというかなんというか武器屋に居た。
武器屋はさすがに珍しい武器が並んでいて、テリーの殺気も少しは収まっているようだ。
鎖の先に鉄球の付いた小ぶりのモーニングスター。奇妙な細工の施された銀の杖。
細身のレイピアからユナのような大剣まで多種多様に揃っていた。

しばらく武器屋を見回って、テリーが店から出たのをキッカケにユナも後を追いかける。
煉瓦道を何となく二人で歩きながら

「……悪い事したってさ、あの男」

 テリーの顔から少しシワがとれてきた頃に、ユナは切り出した。

「…知るか」

 と思うと再びシワが眉間に寄ってきた。

「でも良いじゃないか、綺麗な顔してるってよ」

 怒ると分かっているのに、つい言わずにいられない。

「…またオレを怒らせたいのか?」

「うっ、ゴメン……」

 さすがに反応して俯くユナのフードをテリーは乱暴に捲った。

「ぅわっ!」

「大体お前も、そんなフードを被るのはやめにしたらどうだ?別にお前が男でも女でも、気にする奴はいないぜ?」

 これは、まだまだ虫の居所が悪いらしい。

「お前が性別を隠すような事しなければ、オレも、あんな目に遭わなくてすんだかもな」

「そんなの今言ったってしょうがないだろ」

 テリーはユナを一瞥すると再び歩き出した。
と、急に彼の足が止まった。

「わんっ!!!!!」

 甲高い声が辺りに響く。茶色い小さな犬が、テリーの足に飛びついてきた。

「わんっわんっ!!」

「犬だっ!飼い犬かな?」

 赤い上品な首輪をはめた、ふわふわの毛をまとった小さい犬。
犬はくるくるとテリーの周りを楽しそうに駆け回った。

「小さい犬だな〜、テリーの殺気に気付かないくらいだもんな」

「お前、いい加減にしろよ?」

「ごめんなさい」

 いい加減茶化すのはやめよう。
と、犬の飼い主であろう女性が、こちらに向かって駆けてくるのが見えた。

「あっ、あの人の犬かな………」

 女性を見た瞬間、ユナは、ハっと息を飲んだ。
金髪の長い豊かな髪、白く透き通った肌、切れ長だけど優しそうな瞳、
整った顔立ちと長いマツゲが瞳をより印象的にしている。

ミレーユ。
テリーの心の中で見た肖像画に、とてもよく似た女性だった。

「すみません!うちのソワレが何かご迷惑をおかけしませんでしたか?」

 ソワレ、というのはきっとこの、ふわふわで可愛い犬の事だろう。
ユナは、定まらない視線のままテリーを見る。テリーは、というと、ユナと同じように、驚いた目で女性を見つめていた。それは、ユナにとって、初めて見るテリーの表情だった。

「わんっ!わんっ!!」

 ソワレと呼ばれた犬は今度は、女性の足元を回りだすと、女性の長いスカートを加えて
こちらへと走り出す。

「きゃっ!ソワレ!!」

「あっ、ちょっ、危な…!」

 ユナが手を差し出すより早く、青い手袋が視界を横切った。
テリーの腕が、女性を支えて抱き留める。銀髪の剣士と金髪の美しい女性、木漏れ日に照らされる二人の姿は余りに絵になり過ぎていて、
ユナはそんな二人をただただ見つめる事しか出来なかった。

「あっ!あの…っど、どうも…スイマセン…」

「あ、ああ……大丈夫か…?」

「えっ、ええ、私は、大丈夫です…!」

 その女性は恥ずかしいのかテリーと視線を合わせる事も出来ず、せいいっぱい頭を下げ真っ赤な顔で走り去ってしまった。

「い、いや〜〜、テリーでも美人にはやっさしいんだな〜〜だってオレが転びそうになってもあんな事してくれないじゃないか、それどころか起こしてくれようともしないくせに、寧ろ含み笑いなんかくれちゃって…」

 何とか、いつも通りの自分で振る舞うが、テリーは全くこちらを見ようともしない、声が届いているのかすら分からない。

「テリー………」

 何も言わず、女性の走り去った方をずっと見つめていた。
ユナはその様子に、今まで感じたこともないような不安に駆られてしまった。




「…噂によると、ここが凄い剣を家宝にしてるっていうルドマ=べリスさんの屋敷…だね。凄いおっきいな」

 二人は、あの後、酒場で聞いた噂の富豪の家に足を運んでいた。
ここに行ってみようと、テリーに提案したのはユナだった。
手に入れる手段は今は無くても、実物を見せて貰えば何か分かるんじゃないかと思ったからだ。もしかしたらそんなに大した剣ではないのかもしれない。それならそうで、また別の剣の噂を探してみればいい。

大富豪、ルドマ=べリスの屋敷はトルッカの中心街に構えていた。
他の民家の10倍はあろうかと言う豪邸、美しい庭が周りを囲んで、
その庭にあるバラ園が心地良い香りを誘った。

家の使用人らしき人物が二人に気付いて声を掛ける。
ルドマに会いたいと告げると、剣を預かる事を条件にすんなりと屋敷の中へ案内してくれた。
さすがにテリーも渋々剣を預け、二人は門をくぐる
庭園をしばらく歩いてようやく豪邸の扉の前に辿り着いた。

「それにしてもほんっとすげーなぁ、ちょっとした城みてぇ…」

 豪邸の中はユナの感想の通り、城のようだった。大きな階段が目の前に現れ、その左右には
いくつもの扉や、扉の無い部屋からはいい匂いが漂ってくる。キッチンや使用人の部屋、客室などに使われているのだろうか、使用人は階段を上り、二人を案内する。

案内されたひときわ豪華な部屋には、年老いているようなのにきらびやかな宝石を身に着け、
派手な衣服を着用している男が、これまた高級そうなソファに座っていた。

「この家の主の、ルドマ=ベリス様です」

 使用人の言葉が無くても、一目見て家の主人のルドマだと察しがついた。
ルドマはテリーをじっと見つめて、うんうん、と頷いた。

「うむ、よろしい。外見はほぼ、完璧なようですな」

「………は?」

 部屋に居た使用人が、テリーとユナを向かいの柔らかくて大きなソファに座らせる。

「……だが、問題は貴方がどれほど深く、エリザの事を愛しているかだ」

「ちょっ…ちょっと待ってくれ、何の話だ?」

 慌ててテリーはソファから立ち上がった。ユナもそう思っていた所だ。

「えっ!?」

 驚いたのはルドマではなく、ここまで案内してくれた使用人の方だった。

「そっ、そうだったんですか…。アタシ…てっきりいつものお客様だと……」

「バカっ!」

 他の使用人が口を挟み、二人して慌てて頭を下げた。ルドマは息をつき。

「お気を悪くしたのなら謝ります…。しかし、この所ほとんど毎日でしたからなぁ……」

「…と、言いますと?」

 ユナがやっと頭を下げ、フードを脱いで尋ねた。
大理石のテーブルに肘をつき、手を顔の前に組んでルドマは話し始めた。

「ちょうど貴方たちくらいの青年が、私の一人娘のエリザと付き合いたいと申し出てくるんですよ。時には婚約させてくれと申してきたりと、いやはや苦労が絶えませんわ」

「こっ婚約ですか!?」

 ユナは酒場で会った。マヌケなナンパ師の言葉を思い出した。

「エリザは男に疎いようですから……一応、親としての心遣いというんでしょうか?私の見た中で大丈夫だと思った男だけでもエリザと会わせたりしたんですが使用人がそのような男たちとあなた方を勘違いされたようですな……」

 使用人は何度も頭を下げながら持ってきたお茶と菓子を二人に勧める。

「あの…今日こちらにお伺いしたのは別に要件がありまして…この家の家宝であるという剣を見せてもらいに来たんですが……」

 ユナはやっと本来の話題に持っていく。

「おおっ、あの剣ですか?もちろん構いませんよ」

 そう言うとルドマは嬉しそうに表情を変え小太りの体を揺り起し、
これまたすんなりと二人を案内してくれた。




 屋敷の地下、幾重にも施錠された鍵を開けて鉄の扉を開ける。
中は石造りの小さな部屋だったが、びっしりと敷き詰められた棚に珍しい骨董品が所狭しと陳列していた。ルドマ、テリー、ユナの他にもう一人、使用人らしき男が一緒に付いてくる。
腰には短刀を携え、二人に鋭い視線を送っている。さすがに完全には信用されていないのだろう。

「……これなんですがね…」

 ルドマが足を止めた視線の先。
ガラスケースに飾られてあったその剣は、光沢を放ちながら二人を待っていた。
見たところ、レイピアより少し太いぐらいの細身の剣だ、鞘と柄は純正のプラチナで繊細な模様が施されてあった。プラチナと言えば、オリハルコンにも劣らない硬質を持っており、磨けば磨くほど光沢を増し、その切れ味も鋭くなる。
それ故に冒険者や一般人が手に入れるにはほど遠い、高価な金属だ。

目の肥えた商人や剣士ならば喉から手が出るほど欲しい一品である事は今目の前で解説しているルドマの言葉を聞かなくても分かっていた。

「素晴らしい剣ですね、何でも、売ってくれっていう商人も多いとか」

「ええ、そうなんですよ、それもとても困っておりまして…。噂が噂を呼んで遠くから駆け付ける武器商人も居る程なので……。これは我が家の宝です。赤の他人にはいくら金を積んでも渡せない」

 ここまでは噂に聞いた事と同じ。じっと、ユナは言葉の先を待った。

「ですが今後、私の家族になるというのなら話は別です。私は、娘のエリザを生涯守ってくれる男性に、この剣を託さなければならないと思っているのです」

「………!」

 酒場のあの男の、テリーの気を引こうとして言った言葉は真実だったのか。
先ほどの婚約させてくれと言った男たちが現れる、という話も相まって恐らくこの剣の噂はトルッカ中に広まってるんじゃないか?
娘のエリザと婚約すれば、この剣は自分の物になるという事も。

「お父様、ただ今帰りました」

 遠くから聞こえた女性の声に、ユナは我に返る。

「おおっ、私の一人娘のエリザだ。エリザ!ここだ、私は宝物庫だ!あなた方と同じほどの年の娘です、紹介致しますぞ」

 足音が近づいてくると、後ろの扉がゆっくりと開いた。

考えてみれば、エリザにとっては迷惑な話だろう。剣を目当てに何人もの男から求婚されるのだから。
薄暗い宝物庫に現れた女性は、こちらも眩いほどの金髪をなびかせて、ルドマとは似ても似つかない程の美しい女性で――――――

…ユナは驚きのあまり声が出なかった。
テリーも鋭い瞳を見開いている。

………あの時の、女性だった。

「…え…!あなた…今日の…?」

「なんじゃ、知り合いか?」

 そんな二人に気付いてエリザも同じように目を丸くした。

「…ええ…」

「ほう、なかなか、縁があるようですな」

 ルドマは、わははと笑うと、二人をエリザと一緒に恐らく一番豪華な客室に案内してくれた。
またも柔らかくて大きなソファに座らされると、フルーツやパイやら酒やら色んな物がテーブルに運ばれてきた。

 二人は取りあえず水だけ飲んで落ち着くと、改めてエリザ、ルドマと向き直った。

「それにしても驚きました……どうして貴方たちがここに?」

 大人びたエリザの瞳は、ミレーユと同じ、深いエメラルドの色をしていた。

 これまでの経緯を話した後、エリザは二人に対して警戒心をすっかり解いてくれた。
街を案内してくれるというエリザの申し出に二人は快く頷く。ユナはそっと隣のテリーの表情を見るが、別段、いつもと変わらなく見える。平静を装っているだけなのか、ユナには窺い知る事は出来ない。
そのテリーのポーカーフェイスが、今のユナにとっては救いに思えた




「ここがこの街のシンボルの教会です。何でもこの教会で式を挙げた男女は精霊ルビスの加護を受け、幸せになれるそうですよ」

 町並みをエリザのペースに合わせながらゆっくりと歩く。
白い尖塔がひときわ目立つ教会の前でエリザは立ち止まった。白い壁と青い屋根の組み合わせがとても眩しくみえる。

教会の目の前に設置されてある古ぼけた看板を読もうとしてユナは目を凝らした。

「か……が…おとずれますよう…に…?」

 エリザは「えっ?」と驚いた顔をしてユナを見た。

「厳かな福音が訪れますように だな」

 テリーが付け加えて

「悪いなエリザ、こいつ難しい字が読めないんだ」

「……なんだよ、”たまに”だろ…」

 驚いたエリザと目が合って、ユナは恥ずかしそうに顔を背ける。

「でも、それでは旅をするにしても不便なのではないですか?」

「ああ、読めない字はオレが教えてる。まぁ最初に比べたらマシにはなってきてるんだ」

「そうなの…ですね……」

 何と返したらいいのか分からずエリザは言葉を探して、どことなく気まずい空気が流れる。
文字が読めないというのは、孤児だったり、境遇の良くない所で育ったという事でエリザは今までそのような人物と接した事はなかったのであろう。戸惑いの表情がはっきりと伺えた。

「世の中には色んなやつが居るからな。特に気を使う必要もないさ」

 テリーの言葉にユナも笑顔を作って頷いたが、なぜか今になって文字が読めない事がたまらなく恥ずかしく感じた。
テリーが道の先を促して二人は一緒に歩いていく。そんな二人の間には自分なんかじゃ決して入れなくて、ただ二人の後を付いていくしかなかった。

屋敷に帰ると、豪華なコートを羽織ったルドマが門の前で三人を待ち構えていた。

「お父様、どうしたんですか?」

 そう問いかけるエリザの横をすり抜け、その後ろのテリーに顔を近づける。

「ほっほ。珍しいんですぞ、エリザから、街を案内したいなんて申し出があるのは。もしかすると貴方たちを気に入ったのかもしれませんな」

「おっ…お父様…!」

「貴方たちさえ良ければ、今後もエリザと仲良くしてやって下さい」

「いやだ、お父様ったら、二人が困ってるじゃない…!」

「別に、困る事なんか無い」

 その言葉に真っ先に返したのはテリー。

「………っ」

「エリザさえ良ければ、また街を案内してくれ。今日ここに来たばかりなんだ。知らない事も多いからな」

 初めて見る、こんなテリー。
こんな風に女の人に声を掛けるのも。自分から相手と関わりを持とうとするのも。

「…はいっ!私で良かったら喜んで!よろしくお願いいたします」

 エリザは白い歯を見せて、思い切り頭を下げた。

「大げさだな」

 滅多に笑わないテリーが、微かだが口元を緩ませた。ユナは何も言えず、ただただ二人の会話を聞いているしかなかった。
帰り際自分は上手く笑顔を作れていたのだろうか。
それすらも分からない。
軽口も何も思い浮かばず、宿への帰路を歩きながらようやくユナは言葉を押し出した。

「き、気に入られて良かったな〜…エリザと婚約すれば、あの剣が手に入るんだろ?も、もしそうなったらラッキーじゃん…」

 恐る恐る、なんとかいつもの調子で尋ねてみた。
どうしても、テリーがどう思っているのかが気になったのだ。

「そうだな、悪い話じゃないな」

「―――――…っ!」

「そんな…っ!そんな軽い話じゃないだろ!?婚約だぜ!?結婚するっていう約束だぜ!?」

 弾かれたように叫ぶユナにテリーは息をついた。

「軽いように話したのはお前の方だろ?」

「それにエリザ、あいつとなら、そうなっても悪くないかもな……」

「そ、そうなってもって……」

「婚約って話だろ?良い奴だったし…あいつなら、もしかしたらオレでも好きになれるかもしれない」

「――――――っ」

 …思いがけない言葉が胸を貫いた。まさかテリーの口からそんな言葉が出るとは思っていなかった。何故か体は硬直し、足は震える。だが、テリーにそれを悟られまいと必死について食い下がった。

「好きになれるって…人を好きになるって、そんな簡単なもんなのか?オレの言ってるのは………!」

「…うるさいな!」

 テリーの一喝に、言葉が止まってしまった。

「なぜお前に説教をされなくちゃいけないんだ!今日のお前何か変だぞ?オレはお前なんていなくてもいいんだからな!オレの考え方が嫌なら、さっさと何処へでも行けば良い」

 余りに激しい言葉を並べられ、ユナは無言でうつむいてしまった。テリーは息をつき

「……悪い…言い過ぎた」

 ユナの方は振り向かず早足で歩き出した。

「ピキィ…」

 心配したスラリンが鞄からのそのそ顔を出してユナの肩に乗る。

「分かってるよ…今日のオレが、変だって事くらい……」

 フードを深く被って、テリーの後ろ姿を見つめる。その影は何の迷いもなく遠く遠く離れていった。



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