7. トルッカの大富豪/2 …はぁ…はぁ…ぜぇ…ぜぇ… まだ鶏の朝の合図も聞こえてはいない。 朝と呼ぶにはまだ早過ぎる時間に、トルッカの街を全力で走る初老の男の姿があった。その男はドンドンと何処かの家のドアを叩き、強引に中に入っていく。ふとその音に気付いてユナは目を覚ました。 うるさいなぁ、と思いながら、もう一眠りしようとした所でその音は近付いてきた。 「ユナさん!起きてください!!」 「ルッ、ルドマさん!?」 あまりに信じがたい来客にユナはベットから飛び起き、そのままの格好で部屋の外に飛び出した。 確かにルドマだ。顔も髪も乱れていたが、金色の寝間着は彼以外考えられない。疲れきった顔でユナを見つけると、気が抜けたのかヘナヘナと座り込んでしまった。 「ユナさん私は…どうしたらいいんでしょうか……」 「何かあったんですか!?」 寝起きが良いとは言えないユナだったが、この状況に目も体も一瞬で冴えた。脱力しているルドマの口が微かに動いて 「……エリザ…エリザが……さらわれて…しまったんです…」 「はあっ!?」 唐突な展開に素っ頓狂な声を上げてしまう。まさかそんな事と冗談交じりに続けようとして、涙ぐむルドマが目に入り言葉が止まった。 「どうやら、本当のようだぜ」 階段を上り、現れたのは既に身支度が終わっているテリーだ。ユナの格好を見た途端、目を見開いて体ごと背を向ける。 「お前、そんな恰好で……!」 ユナは上半身にサラシだけを巻いて、下は女性用の下着を着用していた。 「あっ!ごっ、ごめん、オレもすぐ着替えてくるっ!」 転がるようにユナは部屋に戻り、身支度をすませた。 鎧を装備しながら部屋から出てくるユナに、テリーは咳払いして一枚の紙切れを見せた。その紙切れには拙い文字でこのように記されてあった。 『娘は預かった 返して欲しければ家宝の剣を持って夢見の井戸まで来い』 「これが、エリザの部屋にあったようだ」 「これは……」 「ああ、お前にも分かるだろ。悪戯じゃないって事は。紙も、インクも魔物臭くてたまらない」 「でも、おかしくないか?魔物がどうしてこんな事するんだ?家宝の剣っていえば昨日見たあれの事だろ?」 「ああ、もしかしたら何かの罠かもしれないな」 そう考えるのが普通だ。魔物はこんな回りくどいやり方はしない。だとしたら、もっと別の可能性も考えなければならない。 「オレは、人と魔物が手を組んでるんじゃないかと思ってる」 テリーは腕を組んでそう答えた。 「ルドマ、エリザが攫われたのはいつくらいの時間か分かるか?」 ルドマは混乱する頭で、何とか昨日の事を思い出した。 エリザと一緒に夕食を取った後、その後エリザは自室へと戻った。それからエリザが出てくる事は無かったように記憶している。 「恐らく…昨日の夜から、夜明けにかけてだと思います」 「エリザは家の外には出ていないんだな?」 「はい、私の知る限りでは……」 再びテリーは思考を巡らせ、ある可能性を突き止めた。 「この事を知っているのは?誰か、他の奴には言ったか?」 「いえ、まだ誰にも言っていません。私も、実はその可能性を考えていたんです」 「??」 何も浮かんでこないユナとは反対に二人は神妙な顔で頷いた。ルドマは分厚い布に巻かれた長い包みを取り出し、テリーに手渡した。 「我が家宝。プラチナソードはここにあります」 そして頭を下げて懇願した。 「お願いです、エリザを…エリザを助けて下さい…!」 トルッカから深い森を挟んで北に数時間程歩いた場所にぽつんと大きな井戸が掘られていた。誰も知らないくらい、ずっと昔からこの場所にあるらしい薄気味悪い井戸だ。 時折井戸から不思議な光が目撃される事が有り、街の人たちはその井戸を”夢見の井戸”と呼んでいた。 「テリー、もしかして、ルドマさんとテリーが考えてる事って……」 テリーの後を追いながら、ようやくユナもその考えに行きつく。 「ああ、魔物と手を組んでルドマの宝を手にしようという奴が居るんだろう。ルドマが雇っている従者の中にな」 「やっぱり…」 屋敷に居るエリザをかどわかして連れ去った。物音をたてずにそれを出来たとしたら屋敷内に居る顔見知りの誰かという可能性が一番高い。しかし、昨日会ったばかりの旅人だって、信用に値出来るとは言えないだろう。 ユナはルドマの言葉を思い出した。 『…この剣を任せるのは貴方たちがふさわしい!これは私の長年培った勘でもありますし、なによりエリザの見込んだ二人になら、大切な剣を任せられます!お願いですどうか…エリザを助けて下さい!』 大商人というだけあってルドマの見立ては当たっていた。 テリーが、エリザを裏切れるわけがない。 べリス家の宝、プラチナソード。それは今、ユナの手の中にあった。 見た目の割に軽い。もしかしたら自分にも扱えるかもしれない。光に照らされ輝くプラチナは、ユナをそんな誘惑にさえ駆り立てる。 「ちょっとだけ鞘から抜いてもいいかな…」 「やめておけ、値段は付けられないとは言ったが、おそらく5万ゴールドはくだらないぞ」 「やめとくわ」 そのようなやり取りをしながら森を歩く。 気のせいではなく、テリーの歩みは早い。エリザの事が心配なのだろう。 舗装された道がなくなって、林の中の獣道のようなところを通る。所々人が通ったような後はあったのでこのルートで間違いはないのだろう。 周りは背の高い木がぽつぽつと有るだけなのだが、何故か先ほどの森より鬱蒼としている。何処からとも無く白い霧のようなものが沸いてきて、視界をぼやけさせた。その霧が視界を全てふさぐまで、そう時間はかからなかった。 「な なんだこの霧!前も後ろも全然見えないじゃないか」 隣にいるはずのテリーさえもかすんで見えない。ふとユナの背中に悪寒が走った。 「テリー…?」 気配が、全くない。 これはまさか、完全に術にはまった? 白い霧は視界や聴覚、触覚、五感をすべて鈍らせていく。自分がどこにいるのかさえ分からず、何をしているのかさえ分からない。こんな状態では、術をかけた相手の思うツボだ。 ヤバい 体が危険を感じ、冷たい汗が噴き出す。 右肩に恐ろしいほどの激痛が走り、その衝撃でその場に尻餅をついた。瞬間、術が解けて五感が一気に戻る。 目の前に現れたのは鎧を着込んだ人間――――のように見えたが、鉄兜から見えるその顔は豚のそれだった。鮮血で染まった左手を舐めながら、その姿に見合うおぞましい声で笑った。ユナの顔ほどもありそうな大きな鉄球を振り回しながら襲ってくる。 「ピキィィ!」 ユナのカバンから出てきた青い物体が魔物の顔を塞いだ。 「ス、スラリン!」 ようやくユナは立ち上がった。 しかし右肩からはどんどんと出血してきていて、剣を振りかざす事もままならない。ユナは足で思い切り地面を蹴り上げて、豚の体に回し蹴りを放った。魔物がよろめいた隙に、今度はスラリンが火の息を吹きかける。だがまだ致命傷は与えられなかったようで魔物は、もう一度鉄球を振りかざした。 一旦逃げるしか無い―――― そんな考えが頭を過ぎる。 幸い足はダメージを追ってない。周りは白い霧で覆われていたが、ホイミをかけながら体制を整える事くらいは出来るはずだ。魔物から目を離さず、じりじりと後ずさり、逃げるタイミングを見計らう。 その時、石のような物が矢のような速さで飛んできて魔物の腕にめり込んだ。魔物の咆哮と共に鉄球が地面へと滑り落ちる。石が飛んできた方向から現れたのは、テリーだった。 「まったく、バカ!何手こずってる!」 魔物は低くくぐもった唸り声を上げ恐ろしい形相でテリーを睨み付けた。 「お前の同胞は屠ってきた」 テリーの持っていた剣は真新しい鮮血で染まっている。魔物は醜い顔に皺を寄せ、怒号した。憤怒に燃えた瞳が怪しく光る。途端に、地面がグラグラと揺れだした。 「うっ…わっ…んだこれっ!」 ユナは立っている事も出来ずその場に座り込む。揺れはますます激しくなると遂に地面に亀裂が走った。 「うわっ!マジかよこれっ!」 ユナが声を上げると同時に、ドンと激しい地響きが起こり地面が陥没した。 「ぎゃあああっ!」 陥没した地面はまさに落ちるように落下していく 「うわあああっ!!!落ちる!!!落ちるううううう!!!!」 目を向けた先は、まさかの溶岩の海。 「熱い!!熱いいいい!!」 身を焦がすような熱さが全身を駆け抜ける。そして、何故か頬に痛烈な痛み。 「………っ!」 陥没したと思った地面に、ユナは思いっきり尻餅をついた。確かに見えたはずの地面の亀裂も溶岩の海も無い。目の前にあるのは先ほどと同じテリーと魔物、頬に残る強烈な痛み。 「うるさい、落ち着け。幻覚だ。」 ユナを一瞥して、テリーはそう吐き捨てた。どうやらテリーから強烈なビンタをお見舞いされたようだ。 「幻覚…?」 「ああ、恐らくマヌーサの一種だ」 「だからって本気でぶつ事ないだろ!」 頬の痛みは未だ消えることはない。それどころか熱を持ってジンジン痛んだ。 「ある程度痛みが無いと目が覚めない。幻覚に飲まれるよりマシだろ」 確かに、あの溶岩の海に飲まれるよりはマシかもしれないが。ユナは涙目で頬を押さえた。 「こんな術まで使うのかよあの野郎」 「ああ、オレが襲われた魔物も同じ術を使っていた。まぁ、こんなもの、オレには通じないがな」 「オレは?オレはどうすれば良いんだよ!?」 「気をしっかり持て」 「んな事言ったって…」 「だったら…オレを見てろ…!」 「………っ」 また、化け物の瞳が今度は青く怪しく光った。その光は体中を駆け抜ける。体が凍るように冷たくなった。 「う…っ!」 これは幻覚だ。幻覚なんだ。そう言い聞かせてはみたが、体の震えは止まらない。手のひらは白く染まって、指先は白い灰のようにぽろぽろと崩れだした。 「……っ!」 歯を食いしばって、恐怖に耐える。そんな時、オレを見てろ、と言ってくれたテリーの言葉を 思いだした。おそるおそる隣に目を向ける。隣にたたずむテリーは、ユナと同じ肌が白く染まっているように見えて足がすくんだ。しかし、アメジストの瞳だけは鮮やかな色を称えていて。 その瞳がゆっくりとこちらを見つめた。 「こんなもの現実じゃない」 その声を聞いた途端、一瞬で術が解け白い世界が色を持った。 術の効かないテリーに対して魔物の方が恐怖を覚えた。揺るぎ無い自信に満ちたアメジストの瞳は、つけいる隙が無い。勝てないと判断し魔物は歯を食いしばって逃げようとするが、テリーがそれを許さなかった。 あっという間に剣が魔物を貫いて、魔物は背を向けたままその場に崩れ落ちた。 「…逃げようとしたんだから…何も殺さなくたって……」 「フン」 テリーは魔物から剣を引き抜いて、真っ赤な血を払った。飛び散った血は そこら中に生臭い匂いを放って不快な気分にさせる。 「殺される前に殺せ。でなきゃ、生き残れない」 ユナの右肩にズキっと痛みが走った。先ほど魔物にやられた傷だ。ホイミをして傷は塞がったが、痛みも、血もそのままで 嫌な気持ちがした。倒れた魔物を見てユナは息を吐く。 いつものテリーと違う。いつもより不機嫌だし、いつもより怒ってる気がする。 その理由は、多分…。 「おい」 突然テリーが呼び止めた。 「やっぱり、お前は宿に戻れ」 「えっ?何でだよ?オレも一緒に行くよ」 「さっきの戦闘でも分かった。足手まといだ、お前のレベルじゃ手に余る」 「でも、エリザだって居るんだぜ?この剣を渡して、向こうが大人しく帰ってくれるとは思えない。そうなったら、エリザを守りながら戦わなきゃなんなくなるぜ!?」 「お前も、だろ?お前とエリザ、同時には守れない」 「オレは良いよ!」 言い終わるか終らない内にユナは叫んだ。 「オレは守んなくたって良いから…」 それは本心から出た言葉だ。 「エリザを助けたいんだろ?だったら、オレを使えばいいじゃないか!オレだって冒険者の端くれだよ!自分の身くらい、自分で守れるから」 少しだけ、ユナは嬉しかった。自分の事も守ろうとしてくれたテリーが。 エリザの事だけに必死になってるかと思ったけど、その中にちょっとでも自分の事が入っていた事が。 「…分かった、その代わりオレが逃げろと言ったら何をおいてもすぐに逃げろ。いいな?」 「うん!」 周りを警戒しながら進み、林を抜けると開けた場所に出た。 そこには石造りの古い井戸があり、そこにはエリザを肩に抱いた、背の高い覆面の男。顔は覆われて良く見えなかったが先ほどの魔物のような禍々しさは無い。おそらく正真正銘の人間だ。 「約束の物は持ってきたか!?」 二人を見つけるとそう叫んだ。エリザは気を失っているのか、目を伏せたまま微動だにしない。テリーとユナはゆっくりと、男とエリザの目の前まで近付いた。 「ああ、ここに」 テリーはユナから剣を受け取ると、鞘から引き抜いた。プラチナはその場に似合わない白く美しい輝きを放っている。 「それをこっちに寄越せ」 「待て、エリザが先だ」 「お前、自分の置かれてる状況が分かってないのか?」 覆面の男は光る短剣をエリザの顔に突き付けた。刃の先から血が滲んでいる。 テリーは舌打ちしてプラチナソードを地面に投げた。 男がそれを拾おうとこちらから目を逸らした刹那、一呼吸の間にテリーは男の短剣を弾いて鳩尾に正拳突きを放った。その一撃で、男は悶絶しながら顔から地面に倒れ気絶した。 「え、えぇ〜〜…弱……」 警戒していた事がバカバカしくなるほどのあっけない幕切れ。 ユナはエリザを抱きかかえ、テリーはプラチナソードを回収した。 「大事にならなくて良かっただろ。さっさとこんな所――――」 二人は同時に背中に圧を感じて振り向いた。テリー程気配に敏くないユナでも分かるほどの威圧感。見上げると、空中にそれは居た。 人の倍ほどもあろうかという程大きな鳥の顔と、獅子のような下半身。邪悪の魔力によって生み出された合成獣だ。体に見合う大きな翼が体を支える為にばさばさと揺れていて、鋭いクチバシから黒い煙を吐き出している。 『プラチナソードは、渡してもらう』 人語とおぞましい声が不釣り合いで、背筋が冷たくなる。 「お前が黒幕か?」 『あの屋敷には結界が張ってあって近づけなくてな、そのプラチナソードは”この世界から要らない物”。人間の夢の源は全て、消さなければならない』 「ゆめの…みなもと……?」 魔物はユナの呟きに答えず、真上から空気抵抗も感じさせないスピードで急降下してきた。 「――――っ!」 ユナはエリザを抱えたまま間一髪それをかわした。 「早く!エリザを安全な所に!」 二人を庇うように立ち、テリーは剣を身構えた。 ユナは魔物に見つからないよう、少し離れた大きな木の陰にエリザを横たわらせた。 魔物とテリーとの戦いは、明らかにテリーに歩があるように見て取れる。下手に加勢するよりはここに居て、エリザを守る事に努めた方が得策だろう。とユナなりに考えた。なによりレベルが違いすぎて、自覚していたが足手まといになりかねない。周囲をスラリンに警戒させ、ユナはテリーから目を離さなかった。 もしテリーに何かあれば、真っ先に飛び出すつもりだった。 だがその心配は杞憂に終わったようで、思考は断末魔によって遮られる。魔物は噴水のように体から血を吹き出して倒れた。あっという間の結末だった。 「さすがテリー!」 いつもそう思うのだが、今回は格別だ。 先ほどの魔物はその辺の魔物とは全く違う、明らかに上位ランクの魔物だった。それとまともに対峙して、傷一つ追う事無く倒してしまうなんて。 やっぱり、テリーは強い。 ユナはホッと胸を撫で下ろして駆け寄った。 「エリザも無事だぜ!さあ、帰ろ帰ろ!」 しかし、テリーは表情を緩める事無く再び剣を掲げた。 「…?何するつもりだよ」 「トドメをさすのさ」 倒れている魔物にゆっくり近づく。慌ててユナは駆け寄った。 「トドメって……もう死んでるじゃないか!」 魔物はピクリとも動いていない。テリーの前に出て押し戻した。 「お前は合成魔獣と戦った事が無いのか?こいつらの生命力は並外れている。気を抜かない方がいい。油断すれば命に関わる」 「………」 なんだよ、生命力のある魔物なら、他にも沢山いるじゃないか。やっぱり、エリザをさらわれたから、怒ってるんじゃないか。 「エリザがこいつにさらわれたから、だから、腹の虫が収まらないんだろ?こんなの、いつものテリーじゃないじゃないよ!」 「……いいかげんにしろ!!」 っ……! 「おかしいのはお前の方だろ!わけのわからない口答えするな!」 怒号を浴びせられ、体が固まる。冷たく、刺すような視線を感じでユナはいたたまれなくなって俯いた。 「だ だって………」 後ろで倒れている魔物はもう死んでいるのだ。剣を突き立てる必要なんてない。 息が無い、死んでるはずだ。 生きてるオーラが無い、血を吹いてピクリとも動かない。 瞬間 ふっと体が冷たくなるような悪寒が走り抜けた。対照的に熱く焦げた空気が背中を撫でる。 振り向くと、もう動かないと思っていた魔物の口から火球がはき出されている。 火球は回りの酸素を巻き込みながら大きくなり、激しく燃え上がった。 「――――…っ!」 予期していなかった出来事に、足がもつれてその場に倒れ込んでしまった。 魔物の最後の力を振り絞った炎は、恐怖のあまり避ける事すらも出来ないユナを襲った。 「あ……」 恐怖で喉がカラカラに渇いている。 今まで感じた事もない熱さを肌で知った瞬間、思わずユナは観念して目を閉じていた。 「ユナ!!!」 テリーの呼ぶ声が聞こえる。我に返って目を開けると、 「クソッ!!!」 最後に見えたのは 盾をかざしたテリーの姿。 「……!!」 ドンっというすさまじい衝撃音がして、熱風が突き抜けていった。 体はビリビリして、取り囲む空気は熱い。 …でも、違う、もっと熱い、はずなのに、なん、で…… 「テ…リー……?」 なんで…どうして…?なんでオレを庇ってるの? 「テリー…テリー!」 ユナはがくがくと震え、その名を呼んだ。だが、本人には届かなかった。 ユナを抱え込むようにして倒れた体はぐったりとしていて、金属製の盾は無残にも溶けてその形を成していない。炎は盾の他に鎧と服をも焼き尽くして、焦げた匂いが鼻を突く。 炎を浴びた上半身は真っ赤に爛れていて、見るも無残だった。 「ちょっと、待てよ…テリー…こんな…嘘だろ……?」 本当はオレがこうなるはずだったのに……何で…どうしてオレなんか…… 「いや……だ、テリー…頼むから、目を開けてくれよ!!」 だが、テリーは何の反応も示さず、生命が感じられない程体はぐったりとして重かった。 その状況はユナを混乱させるには十分すぎる程で、脳は何も理解出来ず体だけがただただ震えている。 「ピキィッ!ピキィッ!?」 青い顔のまま完全に停止してしまっているユナに対し、スラリンが甲高い声をあげた。だがユナは聞こえていないのか、顔面蒼白で動く事が出来ない。 「ピッキィィ!!」 勢いをつけて跳ねたスラリンがユナの頬を叩く。その衝撃にようやく思考が動き出した。 「そうだっ!ホイミ…ホイミを…っ!!」 慌てて両手に力をこめる、が、癒しの光が出ない。震える手で何度も呪文を唱えるが結果は同じだった。 「ピキィッ!ピキィ!!」 「落ち着いてるよっ!!でも手に力が入らないんだ…どうしよう……!どうしようスラリン…!このままじゃテリーが…っ!!テリーが…!!」 微かに聞こえる呼吸の音も、体から伝わる心臓の音も、混乱している今のユナには全く聞こえない。 「オイ!大丈夫か!?お前ら!!」 人の声が聞こえ、弾かれたように振り向いた。傷ついたユナたちの目の前に現れたのは酒場でテリーを女だと間違えた男だった。 「ルドマからお前たちの様子を見に行ってくれって頼まれたんだけどよ…来て大正解だったぜ、こりゃヒデェや……」 凄まじい形相で生絶えている魔物と、酷い火傷を負って倒れている男。魔物が放った炎で木々は燃えて、今も小さな火がくすぶっている。焦げ臭い匂いと生き物の焼ける匂いに、助けにきた青年は口を覆った。 「助け…っ助けてくれっ!このままじゃテリーがっ!テリーがっ!!」 駆け寄った青年にユナは必死に訴える。青年はテリーの状態を確かめて 「…大丈夫だ。息はあるし、酷い火傷だが致命傷にはなってねえよ。それよりエリザはどこだ?」 ユナは慌てて離れた木陰に目を向ける。 気を失ってはいるものの戦いの巻き添えにはなっていない。不幸中の幸いだった。青年はエリザを両手に抱え、ユナの傍らに寝かせる。そしてカバンから薬草と包帯を取り出すと、手際良くテリーの手当てをしてくれた。 「アンタはエリザを運んでくれ。オレはこいつを運ぶ。頼むぜ」 「なぁっ!本当にテリーは大丈夫なのか!?助かるのかっ!?テリーはオレの身代わりになって炎を…」 「わぁーかってるからちょっとは落ち着け!仲間のアンタがしっかりしなきゃ助かるもんも助からなくなるぜ!」 青年の言葉に我に返った。 そうだ…オレがしっかりしなきゃ…… ユナはようやく落ち着きを取り戻すと、よろつく足で立ち上がってエリザを背にかついだ。青年はそれを確かめるとテリーをかつぎ、トルッカへと歩き出した。 「連れの様子はどうだ?さっきよりはマシになっただろ?」 エリザを屋敷まで送り届けてくれた青年は気を使って宿に寄ってくれた。ベッドで眠るテリーは確かに先程より呼吸は整ったように感じる。だが、息をするのも苦しそうで、額には大粒の汗がにじんでいた。 「本当にありがとう…。アンタが来てくれなかったら、どうなってたかわからない……」 ユナは椅子から立ち上がって、心からの礼を述べた。憔悴した顔は見る者にも痛々しい。 青年は首を振って 「なーに、礼を言われるほどじゃねーよ。オレはルドマに雇われて様子を見に行っただけだ。報酬も貰う予定だしな。エリザも無事だし、魔物と手を組んでた男もルドマに引き渡してきた。それより……ちょっとは落ち着いたか?」 気遣う青年に、ユナは何も言わず首を頷かせた。 「その男の事だけどよ。酷い火傷だから治すのにも時間がかかるかもしれないな。普通の人間だったら死んでた所だぜ実際。鎧を着込んでた事と、体を鍛えてた事が幸いしたな」 死…。ぞくっと背中に悪寒が走った。 苦しそうなテリーを見て、瞳から何かがあふれそうになってくる。 「オレのせいなんだよ……」 ユナは呟いた。 「オレが、変な事言ったから…オレが、ちゃんとテリーの言う事聞いとけばこんな事になんなかったのに……バカ野郎だよ…オレがこうなれば良かったのに……!」 そっちの方が、どんなに楽だっただろう。感情の渦に飲まれそうな所をユナは必至で押しとどめた。男は肩を竦め 「まぁ、さ、助けて貰った命だ。そんな事いうもんじゃねーぜ?実際、あんただったら死んでたかもしれないんだしな」 「…………」 その場の重い空気を変えようと、ヒックスはなんとなしに切り出した。 「あんた、名前はなんていうんだ?」 ユナは必死に涙を押しとどめて答えた。 「オレはユナ……それと…テリーだ…」 「へー、ユナにテリーか。オレはヒックス。酒場じゃ失態を晒したけどよ、お前らとは何かと縁があるみたいだな」 ヒックスと名乗った男は笑顔で返す。だがユナは笑顔で返す余裕は無い。今でも気を抜いたら涙が止めど無く溢れてきそうだ。表情を強張らせているユナを見てヒックスは思いがけないことを口にした。 「……あんた…そいつの事、好きなのか?」 「…………!」 涙目のまま顔を上げた。 そんなユナの反応に驚いたヒックスと目が合ってしまって、慌てて顔を背けた。ヒックスは肩をすくめて 「その様子じゃ告白とかはまだみたいだな。早く自分の気持ちを伝えたほうが良いと思うぜ。今日みたいな事があって、死に別れる事だってあるかもしれねえんだし、後悔してからじゃ遅いんじゃないか?…ま、余計なお世話かもしれないけどよ」 「…………」 「あと、エリザもルドマさんも落ち着くまでに時間がかかるだろうけどよ、また家に来てくれってさ。あんたもそれどころじゃないと思うけど。一応、伝言。伝えたぜ」 ヒックスは言いたいことだけを言って、さっさと出ていった。 バタン。 ドアを閉める音を境に再び部屋に静寂が訪れた。テリーの苦しそうな息がはっきり聞き取れる。 ユナはぎゅっときつく血が流れるほどに唇を噛みしめた。 悔しくて歯がゆくて、自分がどうしようも無く情けなくて、どうにかなりそうだった。 バカ野郎だよ…! エリザに嫉妬して テリーを困らせて 挙句の果てにこんな目に遭わせて…… ほんとにオレはバカ野郎だ……! 潤む瞳に映るのは、苦しそうに呻くテリーの姿。 「…ゴメン…ゴメンな、テリー……」 テリーのこんな姿を見るぐらいなら、自分がこうなった方が遥かにマシだった。 偉そうなテリーに、皮肉を言って呆れるテリーに、会いたい。 ずっと続いている胸のもやもやの答え。 その感情の意味を、こんな時になってようやくユナは理解した。 「そうか…人を好きになるってこういう事なんだ……」 昨日テリーに言った言葉が蘇ってくる。 あふれた涙がぼろぼろと頬を伝って流れ落ちていった。 「オレ……好きなんだ……テリーの事が……」 ▼すすむ ▼もどる ▼トップ |