8. 涙 「ホイミ!」 ヒックスが出ていってから、もう随分経つ。 ユナは時間も忘れ、テリーに回復呪文を唱えていた。窓から差し込む光でようやく朝を迎えた事に気付く、重い頭を振って再び精神を集中させた。 「ホイミ!」 しかしテリーの火傷はほんの少ししか治らない。 自然治癒力を高めるホイミでは、体力の残っていないテリーに対して効力を発揮するのは難しい。呪文の力で傷を治せる、ベホイミが使えれば… あの後すぐに教会へと駆け込んだが、べホイミを唱えられる僧侶は誰一人として居なかった。町中を当たったが、べホイミの使い手など聞いた事はないらしい。 だったら自分がホイミをするより他に無い。 「く…そ……っ」 こんな時でさえ、テリーの力になれない自分が悔しい。鉛のように重い頭を振って、再び呪文を唱えようとすると後ろから腕を掴まれた。 「…もう回復呪文を唱えるのはやめろ、その調子じゃずっと唱えっぱなしなんだろう?」 昨日、二人を助けてくれたヒックスだった。 「止めないでくれよ!こうするより他に方法ないんだ!」 「だとは言っても、無理し過ぎなんだよあんたは!この調子で回復呪文を唱え続けたら、あんたの方が先にまいっちまうぜ」 「オレなんて、どうなったって良いよ!」 腕を振り払って、再び両手をテリーの背中に掲げた。 「…自分が許せないって気持ちは分からないでもない。そりゃホイミ唱えてれば、あんたの罪悪感は軽くなるだろうよ。けどな、無駄なんだよ、今のこいつにはホイミは効かない。こいつの体力が回復するまでは待つしかないんだ」 「………」 自分でも厳しい事を言ってるのは分かってる。ユナが喰ってかかってくるかと思いきや、向こうは無言で項垂れた。 「……その通りだよ……ほんと、その通りなんだよな!」 潤んだ瞳がヒックスを捕らえた。溢れる涙をゴシゴシと腕で拭いて、そのまま顔を上げない。ヒックスはため息をつくとユナの肩をポンポンと優しく叩いた。 「悪かったよ。言い過ぎた。あんたのホイミが全部無駄だとは言ってない。ただ、やり過ぎは意味ないんじゃねーのって話」 顔を腕で押さえて、首を縦に振ってくれる。 ガサツで勝気そうに見えたが、実際接するとユナに対しての印象は全く違っていた。 「まぁ、こいつが眠って体力回復するまでホイミはほどほどにしといた方が効率が良いって事だ。それだったら、火傷に効くような薬でも塗った方がいいんじゃねーか?そっちの方がきっとこいつの為に……」 「……っ!!!それだ!!!」 真っ赤な目のままユナは顔を上げた。 「――――っ!」 勢い余ってヒックスに倒れ込む。 「薬だよ!何で今まで気付かなかったんだろ!!」 ユナは勢いよく立ち上がって、床に倒れ込んでしまったヒックスの手を引いた。 「ありがとな!ヒックス!オレ、火傷に効く薬草、取ってくるよ!!」 今にも駆けだそうとするユナを呼び止めて 「待て待て、まずは道具屋を覗いてからにしろよ。そこで見当たらなかったら、探しに行くなり なんなりすればいいだろ。あんた、頑張り過ぎなんだよ」 「ああっそうだな!それがいいなっ!」 まだ目は赤かったが、昨日より幾分光が戻ったように思えてヒックスはホッとした。帰ってくるまでテリーを看てやると約束すると、ユナは大慌てで出て行った。 「ハハ、あんたも大変だな、あんな奴に付き合ってんだな」 途端に静かになる室内。ヒックスは未だ意識の戻らないテリーの方を見やってそう言った。 「でも…」 フードを取って見せたユナの顔が何故か頭から離れない。 くるくる変わる表情、町娘には無いその雰囲気、男のように気取っている癖に内面は全く別物で。まだ温もりの残る椅子に腰かけ、もう一度テリーに声を掛けた。 「案外、悪くないかもな……」 それから、ユナは街で火傷に良く効く薬草を探した。 さすがに、その辺で手に入りそうな薬草しかおいておらず、目当ての物とは程遠かった。教えられた薬草は、空気が澄んで霧が深く掛かる高原などに自生している。 トルッカ近辺で一番高そうな山に登るが、酸素も薄く、勾配の激しい山道はただでさえ体力の 落ちているユナを容赦なく襲った。魔物に襲われ、崩れかけた山道を登り、幾度も危険を乗り越えなんとか薬草を手に入れる事が出来た。それを教えられた通りに調合して、テリーの火傷痕に毎日何度も塗った。 水を飲ませたり、汗を拭いたり、ホイミを唱えたり寝る間も惜しんでユナはテリーにずっと付き添っていた。 「おい、大丈夫か?」 コンコン、とドアをノックする音でユナは目が覚めた。 鍵は開いていてドアは既に開かれている。いつもこの調子で彼は訪ねてきてくれるのだ。 「…ヒックス…」 気付くともう既に日は高く昇っているようだ。黒髪の青年は椅子に腰かけたままうたた寝していた少女に溜息をついた。 「寝るならちゃんとベッドで寝ろよ」 「ん…」 ユナはバツが悪いのか、俯いて寝ぼけた振りをした。 「…メシだって食ってないんだろ?ほら」 抱えていた紙袋からハムとチーズが挟んであるサンドイッチを取り出して差し出す。 「えっ!ありがと…」 空腹だった事を思い出し、差し出されたサンドイッチを一気に平らげてしまった。 食べ終わるのを見計らって、同じように差し出された水を飲む。 「あのなぁ、寝るのもだけど、メシくらいちゃんと食えって…。お前の方が倒れちまうぞ」 「…うん…そうだな…気を付けるよ。サンドイッチありがとな」 お腹も落ち着いて一息ついた所で、ユナが切り出した。 「ほら、見てよ。ずいぶん傷が治ったんだぜ」 ベッドの上で眠っている男は数日前と同一人物とは思えない程回復していた。 爛れた皮膚は元の肌色に戻り、上半身ぐるぐる巻きにされていた包帯は、今はもう左腕だけに 収まっている。 テリーの回復力もあるだろうが、見に来る度必死で看病しているユナの努力を知っていたので自然と言葉が零れた。 「すごいな、頑張ったじゃないか。後はいつ目を覚ますかだな!」 「うん、そうなんだけどさ……」 何故か浮かない顔をして言いよどんだ。テリーが倒れてもう5日になる。 さすがに食事も取れず、これ以上眠るのは逆に体が衰弱してしまうのではないか…。 「お前、変な所で気弱だよな」 ユナの頭に手を乗せてぐしゃぐしゃまさぐる。 困惑した顔で振り向くユナに笑顔を見せた。 「大丈夫だって、ここまでくれば、あともう少しだ。もう少しでこいつは目を覚ますよ」 それは決して気休めではなかった。テリーの呼吸が少しずつ変わって行っているのを ヒックスは知っていた。 ヒックスが返った後、再び部屋は静寂に包まれた。部屋の窓からはオレンジがかった光が差し込んでくる。テリーに日が当たらないようにカーテンを半分だけ閉めて、再びベッドの傍らに設置した椅子に座った。そしてテリーの体の上に両手を延ばす。 「ホイミ!」 魔力の収縮音が聞こえ、その後淡い緑の光がテリーの体を包んだ。焼けて爛れていた体は今はもうその面影を残していない。 「良かった……」 ここまでの回復を見せたテリーの体力には本当に感心する。最強の剣を探して旅をしてるっていうのはやっぱり伊達じゃない。 まあな、お前とは鍛え方が違うからな。 そんな幻影が容易に見えて、ユナはふらつく頭を抱え、笑った。 「早く、目を覚ませよ…テリー…」 オレンジの光と静寂と包まれた室内は時間が止まっているようで。いつか目を覚ました時の事を考えて、ようやくユナの表情が緩んだ。 起きたらなんて言おう。 まずは謝ろう。 自分が悪かった事。 それから、エリザが助かった事。 5日間眠っていた事。 教えてくれた火傷に良く効く薬を作れた事。 それが本当にとても良く効いた事。 皮肉で返すテリーが、また頭を過る。 その穏やかな空気が続くと思った矢先 それを切り裂くように女性の声が聞こえてきた。それとともに廊下を駆けてくる音。この足音にユナは聞き覚えがあった。 「エリザ様、うちの宿に何かご用ですか?」 「………っ!」 遠くで聞こえる主人の声を聞いて心臓が大きく跳ね上がる。何故か動揺して、窓から外にある庭へと飛び出してしまった。案の定、ユナと入れ替わりエリザが部屋に入ってくる。ベッドに横たわるテリーの姿を目にして、白い顔が青ざめた。 「テリー…さん…!テリーさん!」 目に涙を浮かべ、ベッドに駆け寄った。その白くて滑らかな手がテリーの頬に髪に触れる。ベッドの傍らに両膝をついて、両手でテリーの手を握りしめた。 「ごめんなさい…私の為に……!」 その様子をそっと窓からのぞき見ていたユナは胸が空くような思いで見ていた。エリザを助けたテリーと、テリーから助けられたエリザ。 そこに居るのはエリザである事が正しいように思えた。夕日に照らされた美しいその光景の中に自分が居たのが間違いでは無かったのか。 心臓が早く脈打ち出していた。 「テリーさん…」 その光景を見る事がいたたまれなくなってその場を立ち去ろうとした時、ユナの待ち望んでいた事が、目の前で起こった。 「……エ…リザ…?」 5日間ずっと閉じていたテリーの瞳は、エリザを捕らえた。 「テ…リー…さん…?」 「――――――っ!!」 「テリーさん…!テリーさん!」 エリザは大粒の涙を浮かべ、テリーに抱きついた。テリーは一瞬驚いたが、今まで見た事もないような優しい表情を浮かべそれを受け入れた。 「…エリザ…」 「…………っ!」 ユナは目の前の光景を見て、これ以上ないほど足が竦んだ。どんどん湧き上がっていく感情をなんとか飲み込む。 気付かれないように、ここを去らなければ…… そっと忍び足でその場を離れ、裏口を通り宿を抜けた。 目に焼き付いた二人は、いくら離れてもユナの胸を締め付けていた。 夜になろうとしているのに、ユナの気持ちとは裏腹に街はにわかに活気づいていた。色とりどりの旗が街並みをにぎわせて、珍しい形のランタンが店先に飾られていた。 「…ユナ!?」 そんな彼女を我に返らせてくれたのは、いつも見守っていてくれた男の声。 「どうしたんだ?あいつの看病は?」 うつむくユナを心配そうに覗き込む。今は誰とも会いたくなかった、誰に会っても笑顔で返せそうに無い。 「…悪い…ヒックス」 「…どうしたんだよ?何か有ったのか?あいつの容態が急変したとか?」 気遣う言葉に首を振った。 「そっか…なら良いんだけどよ……」 表情の晴れないユナに対し、考えて別の話題を振ってくれた。 「そういやさ、街の雰囲気、いつもと違うだろ?実は明日から三日間、街の生誕祭があるんだ」 見渡すと、旗、ランタンの他に、家々の窓には星や飾りが飾られてあった。 「でさ、まぁ、お前さえ良けりゃ、街の生誕祭、ちょっとオレと見てみないか?テリーがいつ目覚めるか気が気じゃないってのは分かるけどよ、ちょっと気分転換に、さ」 お祭り…。こんな気分でなかったら、とんでもなく嬉しい申し出だ。だが、今はその申し出には応えられそうにない。向こうは気まずそうに自分の髪をいじりながら 「ま、まぁ、気が向いたらで良いから。見掛けたら声掛けてくれよ」 そのまま頭を掻きながら、街の通りへと消えて行った。 「ゴメン…ヒックス……」 頭の中のあの映像はまだ鮮やかな色彩を持っていた。 あの光景が正しかったのかもしれない。自分はもしかしたら余計な事をしてしまったのかもしれない。 また、胸の奥底から今までにない感情が湧き出てくる。それは見えない癖にやたら重くて、きっとロープみたいに長いのだろう。体をぐるぐる巻きにされて身動きすら出来ない。 まだユナはその場から動けずに、ただただ賑やかなトルッカの街並みを見守っていた。 宿の一室。 ユナと入れ替わったエリザがテリーの世話をしている間に夜になっていた。ベッドの側にある簡素なテーブルには温かそうな野菜スープと柔らかそうな白パン。 食べさせてくれるというエリザの申し出を慌てて断って、力の入らない体を駆使し、スープを口に流し込んだ。その後、同じようにしてパンを口に押し込む。 ずっと眠っていたせいだろう、体を動かすのは辛かったがいつまでもベッドで寝てるわけにもいかない。 「大丈夫ですか?起きたばかりでそんなに食べて…」 「ああ、早い所完治させたいんでな」 もう一つの白パンに手を伸ばすと、テリーはエリザから視線を外し 「そういえば……ユナ、見てないか?」 何となく言い辛そうにテリーは切り出す。 「ユナさんですか?私がここに来た時にはいませんでしたよ」 「…そうか…」 「あの…テリーさん…」 今度はエリザから言い辛そうに切り出す。頬を染めて、視線の定まらないままテリーに声を掛けた。 「明日から三日間、ここトルッカの生誕祭のお祭りがあるんです。もし体の調子が良いようでしたら、私と一緒に見て回りませんか?」 顔を真っ赤にして、頬を両手で押さえている。その言いようが酷くいじらしいように思えて、テリーは自分でも驚く事に二つ返事で了承した。 テリーを看病すると言って雁と譲らなかったエリザを、ルドマの従者が迎えに来て早数刻。 暗闇の部屋でテリーは仰向けで天井を見つめていた。背中の傷はもうすっかり治っていて、後は体力を完全にするだけだった。 金髪のエリザが思い浮かぶ。 怪我の看病をしてくれたのは彼女なのだろうか? 彼女の困った顔、嬉しそうな顔、赤面した顔、それは、記憶の中の人物と重なる。 「―――――…」 テリーはもう一度目を伏せた。と、次に思い浮かぶのは、短い髪でおどけた言動。エリザと似ても似つかない彼女。 「どうしたんだよ、あいつは……」 あの時、咄嗟に飛び出てしまった。盾で防ぎ切れたかと思っていたが、自分もこんなにダメージを負ってしまって 「ちゃんと、無事なんだろうな…」 あのバカな言動を1日聞いていないだけでなんだか物足りない気がして、そんな自分に呆れる。あいつの部屋は確か3階の屋根裏部屋だったな…。お金が足りなくて、宿の主人に必死で値段交渉してギリギリ泊まれたんだ、確か。 その時の様子を思い出してつい口元が緩んだ。 様子を見に行けるような体力は今はまだない。無事なら、それでいい―――。 もう一度テリーは目を伏せて、眠りに落ちて行った。 次の日、朝一番に宿に見舞いに行ったエリザは部屋に入った瞬間驚いて持ってきたガーベラと軽食のカゴを落としてしまった。 「ああ、おはよう、エリザ」 テリーはもう既に着替えをすませていて、しっかりと自分の足で立っている。 「悪いな、替えの服まで用意してもらって」 テリーの為に見繕ったのだろう、いつもと同じ黒の長そでと青い服、白色のズボン。エリザは、ようやく声を上げた。 「何してるんですか!寝てなきゃ、ダメじゃないですか!」 「ああ、そのことで驚いてるのか。オレなら大丈夫だ。鍛えてるからな」 「でも……」 恐らく数日は寝込んでいたハズだ。そんなに体が動くはずない、動けたとしても、かなり無理をしているに違いない。 「もう怪我はほぼ完治した。問題ないさ」 エリザはため息をはいて、部屋にあるテーブルにガーベラの花を飾った。質素な部屋が途端に色鮮やかになる。 「それに…今日からなんだろ?生誕祭」 「――――っ!」 「そのお祭りは、夕方頃から始まるのか?」 「…はいっ!!」 エリザはその言葉にようやく笑顔を見せてくれた。 家々に吊るされたランタンに光が灯る頃、普段は夜になるにつれ人通りの少なくなる通りだったが今日に限っては逆だった。楽しげな声や音楽、出店の明かり、無料で振る舞われる食べ物が人々の心を盛り上げる。 「どこもかしこも太っ腹だな」 「ええ、今日は、街の皆が幸せになるお祭りなんですもの」 無料でメシが食えるなんて、あいつが聞いたら飛んで喜ぶだろうな。 ふと、そんな事を考える。今日もあいつは姿を見せなかった。 聞いた話じゃあの日から、もう6日ほど経つらしい。もしかしたら、その間に街を出て行ってしまったのだろうか。 「どうしました?テリーさん…?」 いつの間にか考え込んでいたんだろう、眉間に皺が寄っている事に気付く。 「…いや、なんでもない」 エリザはテリーが何を思っているのかなんとなく気付いてしまって、勇気を出してテリーの腕を引いた。 「見て下さい、テリーさん、珍しいもの売ってるみたいですよ」 出店のひとつを指差して駆け寄る。 地面に引かれた大きな麻布の上に並んでいた物は 親指の爪ほどの大きさしか無い透き通ったスライム…いや、良く見ると二つで一対になっているピアスだ。 「魔物を型どったアクセサリーなんて珍しいな」 「ええ、ホントに、可愛いですね!」 テリーは訝しげに商品を見つめながら良く分からなかったが頷く。 青く透き通ったスライムを見ていると、忘れようと思った人物が否応にも思い出された。 「マジなのか!?タダなのか!?この御馳走が!?」 先ほどテリーたちが通った通り。数刻遅れてそこに、ユナとヒックスが居た。 通りに面した公園には、いくつものテーブルが用意されていてそこには肉料理や柔らかそうなパン、鮮やかなフルーツ、色とりどりのサラダ香草のいい香りのする魚料理、甘そうな砂糖でコーティングされたパウンドケーキなどが並んでいる。 どれもこれも普段食べられないような御馳走で、ユナは飛びあがって喜んだ。 「ああ、今日は特別なんだ。好きなモン取って食べて良いんだぜ」 ヒックスから皿を受け取ると、思わず目いっぱい料理を乗せてしまった。 空いているベンチに座って二人で食事を楽しむ。その間に公園内ではちょっとしたサーカスや催し物が開かれていた。 食事を終え、それらを楽しみながら、ヒックスが口を開く。 「なあ、あのさ、あいつの看病…」 「……ん…」 歯切れの悪いユナ。ヒックスは質問を変えて 「あいつ、もう目を覚ましたのか?」 ユナは言葉は返さず頷いた。しばらく間が開いて、ユナの方から切り出した。 「世話になったのに黙っててゴメンな。あいつはもう大丈夫だから、元気にしてるよ」 「そっか…良かったな!」 「うん」 今日も、ユナはテリーと顔を合わせる事が出来なかった。 部屋から聞こえる女性の声、その話す内容からテリーが元気になった事だけは感じ取れてそれだけで安堵出来た。自分の気持ちに整理がつかなくても、それが分かるだけで今は十分だった。 ユナはなんとか精一杯の笑顔で返す。 「………」 様子がおかしい事は、ヒックスはとっくに気付いていた。二人の間に何かあったのだろうか。だが、出会ったばかりの自分はそれを推測する事は出来なかった。 何か話題を変えようと 「あー…オレ、ずっと気になってたんだけど」 彷徨わせていた視線をユナに寄越して 「そのフード被るのやめないか?」 「フードって、これの事か?」 街へ出る時、ユナは決まって顔も見えないほど深くマントのフードを被る。鉄の鎧姿とも相まって非常に奇妙な恰好だ。 初めて会った時も、ヒックスはその姿にユナを男だと勘違いしていた程だ。 「でもこれ被ってると安心なんだよ」 ユナは更に深くフードを被った。と、ヒックスの大きな手が無理やりフードを引っぺがす。 「ちょっ、やめろよ!」 「あっついだろ、こんなもん被ってたら」 「女だってばれるの嫌なんだよ!」 「――――っ」 「だからこれ被ってんの!」 「もしかして、男言葉なのもその為か?」 「……悪いかよ」 ヒックスは腹を抱えて笑った。 「何笑ってんだよ!オレは本気なのに!」 「いや、だってお前、どう見ても女じゃん、外見も内面も」 「----------」 「せっかく可愛い顔してんだからさ、そんなんしてたら勿体ねーぜ」 ついうっかり口が滑った自分に気付いて、ヒックスは飲んでいた酒を吹き出しそうになった。 「可愛くねーよ別に、お前の目は節穴かよ」 眉をしかめて険しい顔。 その言葉とその表情があまりにおかしく思えて、ヒックスは違う意味で笑ってしまった。 「オレは、お前が思ってる程女らしくねーの!本当は男なの!」 「男なのって…でもお前、テリーが好きなんだろ?」 「………っ」 意表を突かれて素の表情になってしまう、ユナは視線をヒックスから外し地面に向けた。 「すっ、好きじゃねーよ!それに例え好きだったとしても、それは異性としてなんかじゃない、仲間としてって事だから!」 それはさすがに無理という話だ。 ユナから直接聞かないにしろ、看病の必死さやテリーを見る時の視線、テリーの事を話している時の表情。敏い人間なら一時も一緒に居れば分かってしまうだろう。 「そういう話はやめようぜ!今日はお祭りを楽しむって最初に言っただろ?」 「ああ、悪い、そうだったな」 まだ顔を俯かせているユナにヒックスは謝ると、その手を取って立ち上がらせる。そうだ、せっかく祭りを楽しんでいる最中に、他の男の話題をあげるのは本意ではない。 「今日は食事だけじゃねーんだぜ、異国から色んな出店が出てんだ。珍しいもんも沢山あるから、通り見てこようぜ!」 「うん!」 今度は先ほどより無理のない笑顔で返せた。ユナはお祭りに誘ってくれたヒックスに心から感謝していた。 「今日は本当にありがとうな、ユナ」 街のお祭りももう大分終わりに近付こうとしていた。ユナの体調を気遣ったヒックスは早々に楽しみを切り上げて宿に戻ってきていた。 「何言ってるんだよ!オレこそ、誘ってくれて有り難うな!…でも、良かったのか?オレと一緒で…」 「何がだ?」 「だって今日、色んな女の子が声掛けてきただろ?あの子たち皆お前と一緒に回りたかったんじゃないのか?」 「そんなワケねーよ!気にするなって、んな事!オレもお前と一緒に楽しみたかったからさ、だから誘ったんだろ?」 慌てて否定する。ユナと出会う前、実は色んな女の子と約束を取り付けていた。 時間事に誰と回るか決めていて、予定もばっちり立てていた。勿論、祭りに行く前に全て謝って断ったのだが。 「お前が楽しかったんなら、ホント良かったぜ」 ヒックスはハハと笑って頭を掻いた。 らしくない、自分自身そう思う。その理由も自分自身で分かっていた。 「オレも楽しかったぜ!お祭りなんて実は初めてでさ、夜なのにこんなに賑やかなもんなんだな」 屈託のない笑顔で返してくれて、それだけで他の女にビンタされた甲斐があった。 「ユナ!」 宿に戻ろうとするユナをヒックスが呼び止めた。 「お前、マジで可愛いぜ」 初めて見るような真面目な顔で正面から見つめられた。ユナは少し戸惑ったが、 「だから、何言ってんだよ?茶化すのもいい加減にしろよ?」 いつもと同じように返す。ヒックスはため息をついて肩を落とすと、踵を返した。 「……わり、じゃあ…また明日な!」 「ああ、おやすみ、ヒックス」 その項垂れた後ろ姿に挨拶を返し、その姿を見送った。 「今の人…ユナさんの知り合いですか?」 「――――っ!」 虚をつかれ、影の方を振り向いた。 「テリー……」 言葉が口をついて出る。いつもより綺麗に見えるエリザと、真新しい服を着たテリー。 「あ…の……っ」 何と返したらいいのか分からなかった。様々な感情が絡まって、ただ二人を見つめる事しか出来ない。先に言葉を発したのは、テリーだった。 「今度はあの男に付いていく事にしたのか?」 思ってもみなかった言葉。ユナを見つめるテリーの瞳は、今までになく冷たく感じた。 「な…んだよ…どういう事だよ…?」 「まるで姿を見せないからどうしたのかと思っていたが、ずっとあの男と一緒だったんだな?」 「ちが…違うよ…!そんなんじゃ…!」 その視線に耐えかねて俯いた。足が竦んで、心臓は早く打ち出す。 「オレは……テリーが心配で…怪我…だって……」 断片的にしか言葉が出てこない。 「ああ、怪我の事か?エリザが見てくれたぜ。着替えも、食事も用意してくれたしな」 「――――っ」 弾かれたように顔を上げる。 テリーの瞳は相変わらず、射抜くようにユナを見つめていた。凍る瞳に強い光を宿して 「………っ」 言葉は、声にならなかった。声の代わりに溢れてきたのは、大粒の涙。 「……!ユ…」 テリーは言いかけて口篭もった。 涙は見る見るうちに瞳を覆い、視界を真っ白にさせる。流れ出して止まらない涙を拭う事も出来ずただその場に立ちつくす事しか出来ない。 「…ミレーユ…」 ふと、ようやく出てきたのはそんな言葉。 涙と一緒に心の奥底の感情が言葉となって溢れだす。 「お前…それをどこで…!」 「エリザが、ミレーユに似てるから……だから、テリーはエリザを…」 テリーの問いには答えられなかった。ユナは意思とは反対に溢れだす言葉を止める事が出来なかった。 「…どこで知ったのかはしらないが、お前には関係ない事だ…」 ようやく言葉が止まる。だが、涙は止まる事無く溢れ続ける。エリザと目が合ったのをキッカケに、ユナはその場から走り去ってしまった。 「…………」 テリーはユナの走り去った方を見つめた。 思いがけない言葉に動揺したが、それよりなにより初めて見るユナの涙は、やけに後味の悪い物に感じた。 ▼すすむ ▼もどる ▼トップ |