11. テリーの選択



「オレは、エリザと婚約するつもりはない」

 ルドマの目の前に歩み寄り、テリーはそう呟いた。その言葉にあからさまにガッカリし、肩を落とすルドマ。

「…………っ!」

 ユナはその言葉を聞いた瞬間、驚いて顔を上げた。
エリザは、項垂れるルドマの肩に触れて

「もう、お父様、早とちりしないで下さい。テリーさんはそういうつもりで昨日私と踊ってくれたんじゃないんです」

「エリザ……」

「私、小さい頃からの夢だったんです。”好きな人”と、豊穣祭で踊る事が。それがどんなに素晴らしい事なのかって、考えるだけでワクワクして…。それを、昨日の夜にどうしても叶えたかった。テリーさんは、私の願いを聞き入れてくれたんですよ」

 垣間見えるエリザの内情。
ルドマはそっとエリザを抱きしめる、ユナにもエリザの気持ちが痛い程伝わってきた。
テリーはルドマ、そしてエリザを見つめた。
その瞳はまっすぐで迷いのない物で、ルドマは溜息をつき残念そうに首を振った。

「…残念です…テリーくんになら、エリザを任せても良いと思っていたのに…」

「…オレを買い被りすぎだ。オレはあんたが思ってるような男じゃない」

「テリーくん……」

 大きな客間に二人の声だけが響いている。その重い空気を裂くように声を上げたのは

「そうだわっ!お父様!二人に、渡す物があるのでしょう?」

 話題の中心に居るはずのエリザだった。両手を叩いて精一杯の笑顔を見せてくれる。
ルドマはそんなエリザの胸中を汲んでか、おおそうじゃった!と同じように笑って部屋から出て行った。エリザはテリーとユナに向かって

「ビックリすると思いますよ、私と、お父様で選んだんです!」

 また、笑顔を見せてくれた。
その笑顔を見てユナは、やっぱりエリザは綺麗で優しくて、そして自分よりも遥かに強い人だと思った。



 使用人を二人従えて、ルドマは部屋に戻ってきた。
一人の手にはキラキラ白く輝く盾が、もう一人は青いマントのような物が折りたたまれ腕に収まっている。ルドマがひとつ手を鳴らすと、盾を持っている使用人がテリーの前に進み出た。

「これは……」

 白く輝く盾。
テリーは勿論のこと、ユナも息を飲んだ。これは、その辺の防具屋では手に入らない相当な代物だと見た瞬間に分かった。

「エリザを助ける時に、盾を失ってしまったと聞きましてな。代わりといってはなんですがテリー君にはこの盾を差し上げましょう。剣と同じ、プラチナ製で出来てまして炎を防いでくれると聞いております。剣を渡せないのは申し訳ありませんが、あれはエリザの婚約相手に渡すと決めてましてな」

 受け取ると、今までの鉄の盾より軽く不思議とテリーの手に馴染んだ。

「ありがとう、ルドマ、エリザ。大事に使わせてもらう」

 その言葉に二人は顔を見合わせ微笑んだ。
それを見計らってもう一人の使用人がユナの前に進み出た。
青いマントだけかと思っていたが、もう一つ浅黄色の服も付いている。

「ユナさんには、マントと服を差し上げます。魔法力を込めた糸で織られてましてな。ちょっとやそっとじゃ破けませんし、暑さ、寒さまで防げるという話ですぞ。これは、エリザが選んだんです」

「……っ!」

 弾かれたようにユナはエリザに目を向けた。
エリザはユナの前に進み出る。エメラルドの美しい瞳でまっすぐ見つめられ、戸惑うユナに対してエリザは深く頭を下げた。

「ごめんなさい――――」

「……えっ!」

 素っ頓狂な声を上げるユナ。エリザはそっと自分の目を拭って顔を上げた。

「ユナさんがテリーさんの看病をしたって、私、本当は気付いてたんです。でも…言えなくて……。言わなくちゃって思ってたのに、言葉が出なくて………」

「エリザ……」

「だから……本当にごめんなさい!」

 もう一度頭を下げようとして、ユナはそれを押しとどめた。

「オレこそ、ごめん――――」

 エリザと同じように頭を下げる。

「エリザに嫉妬してた。努力しなくてもオレが努力しても手に入れられない物何でも手に入るんだろうって勝手に思って。勝手に拗ねてた……。看病の事言えなかったのは、オレだってそうだから……」

 気持ちが今になってすらすらと言葉に出てきた。
ミレーユに似ていて、自分に無い物を全て持っているエリザに、会った時から嫉妬していた。

「エリザは、本当に優しくて、綺麗で、さっき思ったけどその上心も強くて、今でも嫉妬してるから…だから、お互い様、だから……」

「ユナさん……」

「…ユナで良いよ!」

 笑顔で返して、使用人から服を受け取る。

「この服ありがとな、選んでくれたんだろ?」

「………ええ、きっと…ユナに似合うと思って」

 エリザとユナは示し合わせたわけでもなく、服を持って部屋を出ていく。
ルドマの心配をよそに、二人の溝はいつの間にか埋まって、より距離を縮められたようだ。
ほっと安堵するルドマの気持ちが伝わってきて、テリーもまた安堵めいた息を吐いた。
その時、二人と入れ替わるように部屋に一人の男が入ってきた。

「おお、ヒックスさん!お待ちしておりましたぞ!」

「………」

 ルドマの出迎えとは明らかに温度差のあるテリー。ヒックスと呼ばれた顔見知りの男は、ルドマから促されたソファには座らず窓際に移動した。

「ああルドマさん、オレはここで大丈夫なんで」

 テリーの隣には座らずにルドマに頭を下げる。
ルドマは懐からゴールドの袋のような物を取り出し、ヒックスに渡した。

「あなたにも助けられましたな!約束の報酬です!」

 ヒックスはそれを受け取ってルドマに礼を言った。
恐らく用心棒や護衛の仕事をしているのだろう、ヒックスの腰に差した短剣を見ながらテリーはそんな事を思う。ルドマが「一旦席を外す」と二人に告げて出ていくと、広い部屋に二人きりになってしまった。

「昨日はユナ、見つかったか?」

 やはり切り出してきたのはヒックスの方。

「ああ」

 それだけを返す。

「エリザとの婚約は?」

「……お前もユナも、どれだけ勘違いすれば気が済むんだ?最初からそんな話は無い。エリザにも踊る前にちゃんと伝えておいた」

 お前には関係ないという言葉を飲み込んでテリーはそう伝える。
ヒックスには、曲がりなりにもいくつか借りがあった。

「…そうかよ…」

 その言い様に少しカチンとしたが、婚約は無いという答えにヒックスは少しだけ安堵した。
ユナの気持ちを考えての事だった。

「……所でユナは……」

 その時、客室の扉が開いた。
二人は同時に扉に目を向けると青いマントを羽織った少女が目に飛び込んでくる。
イエローブラウンの短い髪と同じ色の不思議な色合いの瞳。鎧を着込んでいたせいか、日焼けの無い白い肌がマントの色を余計に際立たせた。膝上ほどのマントの下に着込んでいる浅黄色の服はやけに肌が露出していたが気になるほどではない。
大きな剣を背負って、どこか気まずそうに部屋に入ってくる。

「へ、変か…?」

 視線は定まらず、そわそわと落ち着かない様子の少女。呆気にとられていたヒックスはようやく我に返った。

「いっ、いっ、いーじゃねーか!!それ、めちゃくちゃ良いな!!やっぱりお前可愛いよ!!!」

 心にしまっておこうとした声が思い切り外に漏れていた。

「ぅわっ!ヒックス!」

 新しく増えた来訪者に驚いて、一緒に入ってきたエリザは嬉しそうに頷いた。

「でしょう!ユナさん、鎧よりもこんな格好の方が絶対良いと思うんですよ!」

「だよな!これだったら、男だって間違えなくてもいいもんな!」

 二人はなぜか旧知の仲のように意気投合した。

「でも、落ち着かねーよ…!」

 良く見るとユナは手に今まで装備していたフードつきのマントを手に持っていた。
いつでも被れるようにしておきたいのかもしれない。

「どうですか?テリーさん」

 3人の視線がテリーに集まる。テリーはさらっとユナを見て

「動きやすそうで良いんじゃないか?」

 興味なさそうにそれだけを口にした。

慣れないのかまだ居心地の悪そうなユナの隣にヒックスが腰掛け、自然とエリザがテリーの隣に座った。奇妙な取り合わせの中、やはり一番にヒックスが口を開く。

「もう、出発するのか?」

「うん…探さなきゃいけないモンもあるから…」

 ヒックスの問いに、ユナは応える。テリーの様子を伺いながら。

「探し物って…最強の剣の事かよ?」

「うん、まぁ…」

 会話に入ってこようとしないテリーに代わり、ユナが応える。

「テリーさんから聞きました、最強の剣を探して旅をしているって。ユナはその旅に付いて行ってるって事なの?」

「う…うん…」

 テリーは相変わらず我関せずだ。

「ユナの旅の目的は、無いのか?」

 思ってもみなかった事を聞かれ、一瞬ユナは考えてしまった。
自分の旅の目的。テリーと出会う前、それを目指して旅してきた。テリーと出会ってからはそれどころではなくなっていたが。

「伝説の武具…」

「……?」

「伝説の武具を集める事かな」

「伝説の武具って…お前そんなもの探してるのか?」

 驚いて返すヒックスにユナは照れくさそうに頭を掻いた。
いつのまにかテリーも窓の外を見るのを止めてこっちを見ている。
”伝説の武具”という言葉に反応したらしい。

「思いつきで言ってるんならやめた方が良い。世界中の冒険者が血眼になって探してるが、噂じゃどれひとつとして所在は明らかになってない。そんな調子じゃ一生見つからないぜ」

 途端に饒舌になるテリー。

「思いつきじゃないよ!オレ、昔の事覚えてないって言ったよな?思い出そうとしても何も思い出せなくて…覚えてたのは名前と、伝説の武具を集めるって事だけ」

「伝説の武具って、4つ全て集めたら天空の…神の城に行けるって噂だよな」

 ヒックスは思い出しながら尋ねた。
神がこの世にもたらしたと言う伝説の剣、盾、兜、鎧。それらを全て集めると”神の城”へと導かれると言う。昔から語り継がれるこの伝説は、誰もが知っている有名な話だ。
妄信的な冒険者以外は夢物語だと馬鹿にする者も多かったが

「うん。記憶を失う前のオレは多分それを目標にして旅してたんじゃないかって思ってさ…。4つ集めれば、もしかしたら何か思い出せるんじゃないかって。だから、スラリンと一緒にそれを探して旅してたんだ。全部集められるかは分かんないけど…」

 最後の方は自信なさそうに呟く。
エリザ、ヒックスは真剣な面持ちで聞いている。いつの間にかテリーも。

「お前、そんな大変な旅してたんだな!それにしても記憶喪失って…大丈夫なのか?色々不便な事も有るんじゃ無いのか?」

「それは大丈夫。スラリンだって居るしさ、なんとか一人で旅するぐらいの事は出来るようになったし…。過去が無いってのは、何も考えられずに生きられる所もあって案外楽しくやってるよ」

 それは強がりではなかった。過去のしがらみに捕らわれないと言うのは不便な反面、時には有難くもあった。その時、客室の扉が開いた。

「お待たせしました、テリーさんにユナさん、旅立ちの準備が出来ました」

 自ら大きな皮袋を抱えたルドマだった。




「しかし、お二人とも本当にもう行ってしまわれるのですか?もう少しトルッカで休養なさっていかれては?部屋は屋敷の空き部屋をお貸ししますので…」

 屋敷の外、色とりどりのバラの咲く庭園でルドマは何度も二人を引き留めた。
そのとても良い待遇の申し出にユナは心の中で後ろ髪引かれる思いだったがユナの気持ちとは裏腹にテリーは首を振った。

「その気持ちだけ受け取っておく」

 ぶれないテリーにユナも諦めて

「…そうですよ!それに、こんなに沢山好意で貰っちゃって…ありがとうございます!」

 ルドマから貰った皮袋の中には薬草、毒消し草、高級品と言われる魔法の聖水、保存食、携帯食など旅に役立つ物が沢山入っていた。しかも、どれも上質な物ばかりで、さすがトルッカの大商人と呼ばれるだけの事はあった。
ルドマは二人と固く握手するとエリザに気を遣ったのか早々に屋敷の中へと戻っていった。

「……テリーさん…」

 消え入りそうなエリザの声。

「ありがとう…色々世話になったな」

 エリザは無言で首を振る。悲しくて言葉が出ないのだろうか、返す言葉もままならない。
エリザはたまらずにテリーの胸に額を当て、そのまま泣き伏せた。テリーは、少し考えて手袋を外すと、遠慮がちに手をエリザの背中に回した。

「………っ」

 慌ててユナはそんな二人から背を向けると、ヒックスがこっちを見ているのに気付いた。

「本当に…行くのか?」

 真剣なヒックスの瞳。

「うん、ヒックス、本当に色々ありがとうな!励ましてくれたり、気にかけてくれたり、あと、お祭りに連れてってくれた事も!すっげー感謝してる、あんなに楽しかったの久しぶりだった」

 高くなった日を避けるように、ヒックスは俯いた。
俯いたのは日の光のせいだけでは無かった。

「礼を言うのはオレの方だ。オレも…お前と一緒に居られて楽しかったぜ」

 顔を上げたヒックスの顔はいつもと変わらない、安心できる笑顔。
ヒックスはずっと手を入れていたポケットから何かを取り出し、ユナの手に握らせた。

「いつ渡そうかと思ってたんだけど…これ…お前の為に買ってきたんだ」

「!?オレに?」

 受け取った物は、今までの自分には無縁であったアクセサリー。
可愛らしいスライムのカタチをしているピアスだった。

「いっいいのか!?こんなもの貰っちゃって…!」

「ああ、お前の為に買ってきたって言ってるだろ」

 初めて手にするアクセサリーにどうしたら良いのか分からないユナを見かねてヒックスが付けてくれた。
それは両耳で揺れて、ユナにあつらえたように似合っている。

「スッゲー嬉しい…!ありがとうヒックス!ずっと大事にするな!」

 本当にユナはうれしいのだろう。重い空気は消え、思いきりの笑顔で返してくれた。
ヒックスは涙を耐えているのか少し震える声で

「絶対、また来いよ。待ってるから…さ」

 ユナもヒックスとの思い出が込み上げてきて、ぎゅっと唇を結んで頷いた。

「頑張れよな、伝説の武具、見つかるといいな」

「うん…ヒックスも元気で…!」

 ユナは腕で目を擦った。ヒックスも耐えきれず背を向ける。
そんな折、ひとしきりテリーとの別れをすませたエリザが声を掛けてくれた。

「ユナ…ほんとにありがとう…」

 ユナをみて再び瞳が潤んでいる。
ただでさえ涙腺の弱まっているユナはエリザの涙にまた口をぎゅっと結んだ。

「ア…アハハ…そんな礼なんて…オレの方こそ…ありがと……」

 我慢して喋っているせいか中々言葉が喉を通らない。

「絶対にまたトルッカに来てね…」

「うん…絶対また来るよ…」

「だって貴方は、私の初めての友達なんだもの」

 最後は弾けるような笑顔で送り出してくれた。
ヒックスとエリザは二人が見えなくなるまで手を振りつづけてくれた。




 ルドマの屋敷を出て、中央通を歩く。
この道をずっと行けばトルッカの南門だ。地図上ではトルッカの南には港があった。
そこから船で外海を越え、イミルから予言された場所へと行く予定らしい。
らしい、というのは、ユナはテリーと何の相談もしていなかったからだ。
今も勝手について行っているだけで、彼がどう思っているかは分からない。

その時、ふいにテリーが口を開いた。

「おい、客だぜ」

「えっ?」

 ユナに目で促した。後ろに気配を感じ振り返ると、先ほど別れたはずの男。
走って追いかけてきたのだろうか息を切らしながら項垂れていた。

「ヒックス?」

 ヒックスは、息を整えて顔を上げると、ユナを正面から見つめた。

「オレ、お前が好きだ――――」

「……え?」

「こんなギリギリで言うとか…かっこわりぃ…」

「…そんな事言う為に走ってきたのか?」

 ユナはその行動の意味を測りかねたが、必死で息を切らせるヒックスに対して応えたいと思うのは確かで

「オレも、お前の事好きだぜ!」

 白い歯を見せて笑った。だが、なぜか相手の反応は想像と違っていた。
困惑した表情でユナに何かを言いかけるが、視線を彷徨わせるばかりで。
それに対して答えをくれたのは、神妙な表情でずっと二人のやり取りを見ていたテリーだった。

「ユナ、こいつが言ってるのは、お前が考えてるような事じゃない。お前を…女として好きだって言ってるんだ」

「えっ…」

 思考が一瞬停止する。

「女?それってどういう……」

「とぼけるなよ」

 更にテリーが口を挟んだ。

「…観念したらどうだ?お前は女だろ?…男じゃない」

 ユナは何かに気付いたのか、ハっとして目を見開く。

「まぁ…お前にはまだ早すぎるかもしれないけどな…異性に惹かれる気持ちなんか……」

 テリーはそうバカにしたように毒づいた。

「異性に惹かれる気持ち…」

 テリーに対する自分の気持ちが蘇ってくる。苦しくて悲しくて辛いけど一緒に居たくて。
もしかしたらヒックスも、自分に対してそんな気持ちを持ってくれてるのだろうか。

「ヒックス…」

「くそ…っ…全部言われちまった…」

 ヒックスは再びユナを見つめた。深い青の真剣な眼差しで

「お前の旅の手助けがしたい。伝説の武具を集めるんなら、オレも協力したい」

 そう懇願した。

「悪い…こんな事言って…これはただのオレの自己満足なんだ…。お前の気持ちは分かってるけど、お前の口から聞かなきゃ諦めきれない」

 少し間を開けて、もう一度ヒックスは悔いのないように自分の気持ちを口にした。

「オレ、お前を女として好きだ。お前の答えをくれ―――――」

 ユナは、気持ちが揺れているのを感じた。
初めての異性からの告白を信じられない思いで聞いていた。

それと同時に、その告白はまるで自分がテリーに持っている気持ちそのもので、ヒックスの気持ちは、まさに痛い程ユナには分かっていた。

ヒックスの事はもちろん好きだ。
お祭りや看病の時、ヒックスにどれだけ元気づけられたか分からない。
彼の笑顔が脳裏に蘇ってくる。でもそれは、仲間として、友人としての気持ちだった。

「そいつ、本気みたいだぜ」

 腕組みをして遠巻きに二人を見ていたテリーが呟く。

「…オレはもう行く」

 そう言って背を向けて

「…前にも言ったと思うが、お前とはここで最後だ」

「……っ!」

「これからはそいつと旅を続ければ良いだろ。そいつは普通に強いぜ」

「……テリー……」

「……じゃあな」

 それだけを言い残して、テリーはさっさとその場から立ち去ってしまった。
「待って」という言葉は出てこなかった。
気持ちの揺らぎが収まらないまま、ただユナはテリーの背中を見送るしかなかった。




 雑多な中央通を抜け、南門へ向かって歩いた。
新調した皮のブーツに何か違和感を感じて足を止める。

「……スラリン…?」

 青いスライムが自分を引き留めるようにブーツにしがみついていた。

「ピキィィィ…ッ!」

「どうしたんだよこんな街中で。人に見つかると危険だろう」

 しゃがんで手を伸ばすとスライムはテリーの黒のアンダーシャツに噛み付いた。
そのまま逆方向へ引っ張ろうとしている。

「ピキィィィィッ!ピッキィィィ!」

 もしかしたらスラリンは、自分をユナの元に戻そうとしているのだろうか。

「悪い、スラリン。お前やユナとはもう旅は出来ない」

「ピッキイイイイ!!ピキキキーー!」

 テリーの言葉が伝わっているのだろうか、スラリンは激しく体を横に振った。

「あいつの所に戻れ。オレが居なくても、お前が居ればあいつは大丈夫だろう…」

「ピキキイイ……」

「じゃあな、あいつにも伝えておいてくれ……まぁ…悪くない旅だったぜ」



 馬車が通っていたはずの舗装された道は草が生い茂っている。腰の高さまで伸びた雑草をナイフで切り裂きながら青い剣士は歩いた。
トルッカ南門から出て南に歩いてすぐの場所にこの森はあった。以前はここをメインとして荷馬車の往来があったらしいが、魔物が増えた今じゃこんな薄暗くて危険な森を通り抜ける業者はほぼいない。みな、森を迂回したルートを通るのだ。そっちを通っても良かったが、テリーは何故かこちらの道を選んだ。

無心で雑草を切り裂きながら歩く。
ただでさえ光の届かない深い森は薄暗くだんだんと視界を奪っていった。
どうやら、夜が迫ってきているらしい。
テリーは拾っておいた木々の枝を元に、広い場所を探してたき火の準備をした。今日はここで野宿という事になるだろう。

沢や川が近くに無いのは痛手だが、ルドマからたっぷりもらった水や食料がある。

たき火に火をつけ、携帯食にと貰った塩漬け肉を一切れ切って火であぶる。香ばしい良い匂いがたちどころに広がった。それをパンに挟んで一口頬張った。疲れているのかあまり味が感じられなくて、パサついた口を潤すように水を飲んだ。
目の前でゆらゆら揺れるたき火の炎。炎を見つめると何も考えなくてすんだ。
それが、昔の唯一の救いだった事を何故かテリーは今頃思い出した。

「―――――!」

 静寂を切り裂く、何かが駆けてくる音。
反射的に剣を手に取るが、その必要は全くなかった。

「……テリー…っ……」

「―――――っ!」

「……やっと…みつけたぁ……」

 少女は息を切らせてその場に倒れ込んだ。
体には雑草や木の枝が無数に張り付いていた。

「……ユナ……」

「…ご飯の匂いで分かった……」

「お前…なんで……」

「追っかけてきたんだよ!そしたら途中で見失っちゃって…テリーだったら絶対この森通るだろうって思ってたから…見つかって良かった……っ」

「なんで戻ってきたんだよ?あいつはどうした」

「なんでって……」

「伝説の武具を探してるんだろ?あいつと一緒に旅をした方がお前の為になるんじゃないか?」

「…ヒックスには、ちゃんと言って、断ったよ…」

 元々彼もそれを受け入れるつもりでいたのだろう。きちんと向き合えた事が嬉しいと最後に言ってくれた。その顔を思い出して、またユナは胸の痛みを思い出した。
テリーは、バカだな、と小さく呟いて

「お前とは、最後だって言っただろ……。オレは、お前の歩調には合わせられない」

「合わせなくていいから!」

 ユナは、その場に正座して声を上げた。体に張り付いた葉っぱや木の枝を払ってまっすぐにテリーを見つめた。

「オレが、テリーの歩調に合わせる!呪文ももっと沢山覚えるし、剣だってまともに使えるようにする!自分の身は自分で守れるようにするから!だから…」

 初めて、ユナがテリーに付いていきたいと言ったあの日のようにユナは懇願した。ただ、あの時と決定的に違うのはユナの心情だった。

「お願い……テリーの旅に、付いていかせて……」

 たき火の照らされたユナの瞳。フードを被っていないユナからこんなにまっすぐ見つめられるのは初めてで、瞳や表情がハッキリと伝わる。テリーはたまらず視線を外した。

「ゴメン…我儘言ってるのは分かってる…でも、あんな形で別れるのは嫌だったから……!最後っていうなら尚更、オレの気持ちは伝えておきたくて…!」

「………」

 目を合わせられないまま、テリーは炎を見つめていた。

ユナを、甘く見ていたのかもしれない。
まさか、追いかけてくるとは思わなかった。
ただ強い人物と旅したいだけなら、ヒックスと一緒だって構わないだろうに。
まさか、そんなに――――。

奇妙な感情が胸の奥から湧き上がってくる。
それは昨日、ミレーユを姉だと言ってしまった時の感情と少し似ていた。

炎が再びゆらゆらと揺れ、テリーは何故か過去の幸せだった記憶を思い出した。
両親や姉に我儘を言って困らせて、欲しい物を買ってもらった時には素直に喜びを表現して、暖かい食卓を囲んで、普通の子供の様に笑って…。
もう夢にすら見なくなった、満たされていたあの頃を、どうして今になって思い出すのだろう。

「…………」

 パチパチと、たき火の燃える音だけが静寂の中響いた。
長い長い沈黙。
スラリンがぴょんっとユナの肩に乗る。「ぴきぃ…」というスラリンの声が寂しく辺りに響いた。

「あ…の………っ」

 耐え切れずに、ユナの方から言葉を発した。

「嫌なら、ちゃんと断ってくれて良い!だって、オレだってヒックスにそうしたし……!だから………!」

「…………」

 テリーは炎を見つめたまま、何も答えなかった。そしてまた長い沈黙が訪れる。
その長い沈黙が開けて、ようやくテリーは一言だけ口にした。

「……勝手にしろよ」

 弾かれたようにユナは顔を上げた。
相変わらずこちらを向いてくれなくて、表情は窺い知れない。

「テッ、テリー…じゃあ…っ!」

「…オレについて来たいんなら、お前の勝手にすれば良い」

「……っ!良いのか!?本当に良いのかっ!?ついていっても!?」

 それにはテリーは答えず、その代わりにため息を吐いた。

「ピッキイイイ!」

 スラリンは二人の周りを回って、テリーの膝の上でぴょんぴょん跳ねた。ようやく振り向いてくれたテリーの瞳が少しだけ優しかった気がして、ユナは、ほっとして体中の力が抜けた。

「ありがとう…テリー…!オレ、頑張るから!!」

「ピッキィィィィ!ピッキキイイイー!」

「……期待はしてないけどな」

 その皮肉すら、嬉しい。
もう少しこの空気に浸っていたかったが、ユナにはまだ言い残している事があった。

「……そ…それと…こんな時になんだけど…実はテリーに言わなきゃいけない事があって……本当はもっと早くに言うべき事なんだろうけど……」

 テリーが少し焦げてしまったキノコを手に取った所で
ユナはまだ正座をしたまま背筋を伸ばして切り出した。

「オレが、何でミレーユさんの事を知っていたかって事……」

「………」

 テリーは何も答えず頬に手を当て、再びたき火を見つめる。

「ゴメン!!」

 そのままユナは地面に突っ伏した。

「オレ…イミルの神殿に泊まった夜に、テリーの心の中に入ったんだ…」

「………」

「テリーの心に悪魔が棲みついてて、その悪魔を倒す為だったんだけど…それで、その心の中で、ミレーユさんを見つけた…だから、オレ、ミレーユさんの事知ってて…」

 半ば信じられないような話をユナは続ける。テリーはそれを黙って聞いていた。

「…勝手に心の中に入ってほんとにゴメン!!」

 もう一度、ユナはこれ以上ないくらい頭を下げた。テリーは相変わらず何も反応せず、頭を掻いた。

「…なんとなく、そんな気はしていた」

「………!」

 思ってもなかった反応にユナは弾かれたように顔を上げた。幸いにもテリーの表情からは怒りの感情は読み取れなかった。

「…”あの日”おかしな夢を見た。お前とイミルが黒い化け物と戦っている夢だ。お前は相変わらず弱くて、イミルのお陰で助かったみたいなものだったな」

「………っ」

 あの時と同じ状況、それをテリーも夢で…

「まぁ、ずっと見ていた気持ち悪い夢も”あの日”以来見なくなった。もしかしたらオレの心の中に居た悪魔が原因だったのか」

 いつの間にかこんがり綺麗に焼けたキノコをユナに差し出した。ユナはそれを受け取って、またテリーの表情を伺う。

「……姉さん…どんなふうにオレの中に居たんだ…?」

 姉さん、と言ったテリーの顔が少し綻んだように見えて、ユナはぼぅっとその顔を見つめてしまった。
初めて見せる幼い表情。

「…お前、見たんだろ?」

「えっ!あっ、うっ、うん!そうだな、ミレーユさんは…大きな肖像画になって美術品みたいに飾られてた。凄く綺麗で、優しそうな表情で…」

 あの時の事と胸の痛みも同時に思い出す。やっぱりミレーユはテリーにとって何より大切な存在なのだろう。

「肖像画か…そうか、オレは姉さんの事そんな風に思ってたんだな……」

 弱くなったたき火に枝を継ぎ足して遠い日の事を思い出した。

「姉さんはオレの憧れだったからな…優しくて綺麗で、誰にも傷つけられたくなかった。その思いが、肖像画という形でオレの心に残ってるのか…」

 じっと見つめるユナの視線に気づいてテリーは我に返り溜息をついた。

「…まさかお前にこんな話をするなんて、オレにもヤキが回ったな」

「テリー…」

 そういうと、ずっと考えていた事を口にする。

「あのっ、今度イミルの神殿に行ったらさ、オレの心の中に入ってよ!それで、おあいこって事にして許してくれないか??」

 テリーはきょとんとして、笑った。そしていつも通りの嫌味たっぷりの顔で言った。

「お前の心の中に入るなんて時間の無駄だ。入らなくても大体の事は分かるだろ。そんなバカな事言ってないでさっさとメシを食って寝ろ。明日も早いんだ。なるべく早く港に着きたいからな」



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