12. 予期せぬ別れ



 森で野宿をして次の日の昼ごろには森を抜ける事が出来た。
日が沈む前に街道沿いの小さな町に着くと、二人はそこで宿を取った。

「明日の朝出発する。寝坊するなよ?」

 というテリーの言葉に頷いて、ユナは早々に夕食と湯浴みを済ませ部屋に引っ込んだ。

ベッドに座りトルッカのお祭りで買った魔法書を開く。
中位呪文の魔法書は読めない文字も多かったが、そんな事は言ってられない。

”リレミト”と”べホイミ”、そして”ルーラ”

覚えたい呪文はこの三つ。
最後の”ルーラ”は術者の素養や月の生まれも大きく関係するので、使い手は酷く珍しいとの事だったが、これを覚えれば旅の役に立つのは明らかだった。
ランタンをベッドに置いて、本により顔を近付けた。

と、隣の部屋を乱暴に開ける音が聞こえる。
テリーが帰ってきたのか、と思う間もなく、何かが倒れるような音が響いてきた。

「………」

 嫌な予感を振り払えずに、ユナは部屋から飛び出してテリーの部屋の扉を開ける。
鍵は掛かっていなかった。

「テリー!」

 目に飛び込んできたのは、予想した通りの光景で。
慌ててユナは倒れているテリーに駆け寄った。青い服が赤く見えるほどの出血。
良くここまで帰ってこれたものだ。

「気にするな、大した怪我じゃない…部屋に戻れ」

「何言ってんだよ!どう見たって大した怪我だろ!」

 慌ててホイミを唱えると、テリーの出血は止まり、もう一度唱えるとゆっくりと傷口が塞がっていった。

「…悪いな…」

 息を荒げ、よろよろ立ち上がるとベットに倒れ込んだ。

「大丈夫かよ…?」

 仰向けで倒れ込んだテリーの顔をのぞき込んだ。
顔には引っ掻き傷のような物が残っていた。

嫌がるテリーに無理やりホイミをかけると顔の傷は見る見る塞がっていった。
そんなに深い傷ではなかったようだ。
4度目のホイミを唱えて、やっとテリーの呼吸が落ち着いた頃ユナは再び問いかけた。

「…何があったんだよ?」

 テリーは答えようとはしなかった。体力は回復していてユナの声は聞こえているはずなのに
依然として目を伏せている。そんな彼にユナもそれ以上追求しなかった。
ユナは持ってきた道具袋から傷薬と包帯を取り出すと、薬草を煎じた薬を手に取りテリーの傷口に塗った。

「…自分でやる…お前はもう部屋に戻れ」

 答えてくれないテリーへの当てつけなのか、ユナもその言葉に無視を決め込む

「い…つっ…」

 思わずテリーは声を漏らす。

「どうせやるならもう少し丁寧にやれよ」

 いつもの横柄な態度。その態度に少しホっとしつつユナもいつもの調子で答えた。

「これでも丁寧にやってるよ、大怪我してんだから痛いの当たり前だろ」

 嫌味たっぷりに言うと今度は包帯を巻いた。
包帯は心地よいらしくテリーは目を伏せて身を任せてくれていた。

「テリー、これ、魔物に襲われた傷か?街中に魔物が居たのか?」

「………」

 やはりテリーは答えない。

「…薬と包帯、ここに置いておくな」

 部屋の出窓に薬と包帯を置いてもう一度テリーに目を向ける。
聞こえてはいるんだろう。
ユナは部屋から出てゆっくりと扉を閉める。

「…もう、心配かけるのはほどほどにしてくれよな」

 テリーに聞こえないようにそう呟いた。




 日が昇る前にユナは目を覚ました。
あまり良くない事だとは思ったが、廊下に出て隣の部屋の気配を伺う。
かすかだが寝息が聞こえてきた、昨日の怪我もあってどうやらまだテリーは眠っているようだ。

ユナはそっと大剣と短剣を持って宿の庭に出る。
テリーからいつも教えられている剣の使い方を覚える為だった。
ひとつひとつ、思い出しながらメインの短剣を振る。
装備が変わった事をキッカケに、ユナの動きはみるみると良くなっていた。

日が昇り、街が起き出す。
朝食の良い匂いが漂ってくる頃、ユナは剣の稽古を止め、宿に戻った。

「……ん?」

 宿の扉の前に小さな男の子と女の子が二人。
歳の頃は10にもならないくらいだろうか?小さな腕いっぱいにフルーツを抱えていた。

「おはよう、宿に用があるのか?」

 ユナは笑顔で二人に問いかけた。
二人は顔を見合わせた後、「うん!」と頷いてくれた。

「知り合いでも泊まってるのか?呼んできてやるよ、名前とか分かるか?」

 また元気に頷いて二人声を合わせた。

「テリーさん!」

「……は…?」




 宿に入ると左側に受付のあるカウンター。右側にはちょっとした店があった。
宿の主人が朝に仕入れた野菜や果物、パンやジャムなどの保存食などを売っている店だ。
その店からはもうすっかり準備の整っている青い服を着た剣士が出てきた。

「お前にしては珍しく早起きだな」

 向こうから先に話しかけてくれた。

「傷はもういいのか?」

「ああ、問題ない」

 そこまでやり取りをして、ユナの後ろに居る小さな二人の子供に気付いた。

「テリーさん!」

 子供二人はユナの目の前に進み出ると両手いっぱいのフルーツを差し出した。

「ママが昨日のお礼をしてきなさいって!」

 二人とも同時にテリーに向かって深々とお辞儀をした。

「昨日は魔物に襲われている所を助けて頂いてありがとうございました!」

「ありがとうございました!」

 ユナは一瞬どころか数秒ほど自分の耳を疑った。
昨日って言う事は、まさかあの傷は全部この子たちを守る為…?
あの、テリーが?
あの無口で愛想がなくて子供なんて全然好きじゃなさそうな…
あの、テリーが!?

そんなユナの視線に気付いたのか

「…なんだよ?何か良いたそうだな…?」

「いっいや〜〜〜別に〜…」

 テリーは面白くなさそうにユナを一瞥する。
男の子と女の子は「あっ!」と顔を輝かせ思い出したように言った。

「そうだ、テリーさん!ぼくの家に来て!ママが会いたいって言ってたの!」

 二人して無理やりテリーの腕を引っ張る。

「おっ、おい…ちょっと待て…」

 その様子をにこにこと見守るユナ。やっぱりテリーも子供には弱いんだな。

「おい、ユナ!にこにこするな!」

「いや〜〜いいんじゃないか?人からの好意は大事にするもんだぜ?」

 事の成り行きを見守っていたユナの腕が引っ張られた。

「おねえちゃん、テリーさんの彼女でしょ!おねえちゃんも一緒に来て!」

「はっ!?何言ってんだよ!彼女なんかじゃないよ!!」

 子供相手にむきになるのもどうかと思ったのだが、いつものように赤面で全力否定してしまった。

「ボクは、サスケ!あいつは、キッカっていうの。妹なんだよ!双子の!」

 子供特有の強引さと言うのか、勝手に話を続けられている。
ユナとテリーは半強制的に二人に連れ出されてしまっていた。





 随分町外れにきていた。
ここまで来ると人通りは少なくなって、穏やかな雰囲気の民家が建ち並んでいる。
この辺りで魔物に襲われたんだろうか、街の中とはいえ自警団の目の届かない場所は
ごく稀に魔物が入り込んでくる事もあるという。

テリーが助けられて良かった…。

無邪気な2人の子供を見ながらユナは心底ほっとしていた。
それと同時に、昨日も危険な目に遭ったはずなのに、今日もまた子供二人だけでお使いに
やらせるなんて、両親は心配ではないのか?
と、ついついそんな事を考えてしまった。

「こんな街はずれから二人で来たんだな、お母さんとお父さんは何か用事でもあったのか?」

 ユナの問いかけに、先ほどまでとてもうるさかった子供たちが急に黙り込んでしまった。
内心考えていた事を感じ取られてしまったのだろうか、慌ててユナは謝った。

「あっ、ゴメン!!変な意味じゃなく!!純粋に気になっただけだから!答えたくなかったら良いよ!無神経な事聞いてゴメンな!」

 サスケは俯きながらも答えをくれた。

「パパは…遠くのお城に努めてるから家には居なくて…ママは…体が弱いです。病気なんです……」

「…ママ…お外に出られないくらい体が弱いんです…」

 兄に続き、妹の方も悲しそうに呟いた。

「…そっそうだったのか!話してくれてありがとな!変な事聞いちゃってゴメン…!」

 慌てて再びユナはあやまった。
サスケとキッカはその言葉に首を振り、また再び喋り出した。





 周りの木々と比べ物にならないくらい大きな、緑々と生い茂った大木のふもとの家、そこがサスケたちの目的地らしい。手馴れた手つきでその家の扉を開いた。

「お待ちしておりました。サスケとキッカが魔物に襲われていた所を助けて頂いたしく本当に…なんとお礼を言ったらよいのか…あなたは二人の命の恩人です。本当にありがとうございました…!」

 窓から見えていたのだろうか。
テリーとユナが家に入った瞬間に母親と呼ぶにはまだ若い女性が、
深々頭を下げて迎えてくれた。

「い、い、いやっ!たっ助けたのはテリーの方なんで…あの…いやっ…!!」

 余りに丁寧過ぎる母親にユナはどぎまぎ戸惑った。
心の中で、少しでも悪く考えてしまった自分を深く恥じる。

「何言ってるんだお前…」

 そんな二人のやり取りを見て相手はニコリと微笑んだ
その微笑みにもユナはドギマギしてしまう。

「私はサスケとキッカの母親のハスミと申します。どうぞお入りになって下さい」

 穏やかな声と優しい瞳。しかし病弱の為なのかどことなく影が有るのが見て取れた。
その母親はテリーとユナを客室に案内して良い香りのするお茶を出してくれた。
家の中を見回しても一目で裕福な家庭だと言う事が伺える。

「あっ!もっ、申し遅れました!オ、あ、私はユナって言います!サスケさんとキッカさんを助けたのはこっちのテリーです」

 思い出したようにユナが立ちあがり、ハスミにならって深々と頭を下げた。
テリーも少しだけ頭を下げる。
その時、奥の部屋から使用人らしき人物が出てきた。

「またサスケ様とキッカ様は二人だけでお出かけになったのですね!護衛を付ける間も無く出て行ってしまうんですから!」

「そうですね、昨日の事もあって二人とも反省してると思います。あの子たちには良く言って聞かせますわ」

 使用人とハスミの会話を聞いて、またユナは軽率に悪い考えに及んだ自分を恥じて頭を抱えた。

「さっきからどうしたんだ?」

「…端的に言うと死にたい…」

「……?」

 顔を押さえて項垂れるユナに、テリーは?マークを飛ばすしかなかった。

テリーはふと、壁に掛かっている肖像画に目を向けた。
正装した金髪の男性だ。胸には勲章を付けている。その紋章にテリーは見覚えがあった。

「レイドック…?」

 テリーの言葉にハスミは頷いた。

「主人は宮廷に仕える兵士長なんです。そのせいか家を空ける事が多くて…。今レイドックは王、王妃ともに行方不明でしょう?だから頼りを出しても何の連絡もとれず…。サスケとキッカは物心ついてから一度も主人と顔を合わせたことがないんです…」

「…そうなんですか…」

 ようやく顔を上げたユナは、返す言葉が見つからないでいた。

「あら…私ったらスイマセン、お客様相手にこんな事を言ってしまって…」

「いえっ!そっそんなっ!えっと…うん、きっと大丈夫ですよ!いつかきっとご主人は帰って来れる日が来ますしお子さんも凄く良い子たちで…」

 やっとユナは明るい顔でハスミを励ます事が出来た。
しかしハスミは余計暗い顔をして俯く。

「………」

「…あの…ハスミさん?」

 耐えきれなくなった涙がテーブルにポトリと落ちた。

「どっどうしたんですか!?何処かお体の具合でも…!?」

「申し訳ありません…お客様の前でこんな…」

 遂にハンカチを取り出して泣き伏せてしまったハスミに驚いてソファから立ち上がってしまった。

「どうしたんですか!?何か、困った事でも…!?」

「…私…私…もう、どうしたら良いのか……サスケとキッカ…サスケとキッカはあと半年の命なんです…!」

「………!」

 言葉が鋭いナイフのようにユナの胸を貫いた。
それまで無関心だったテリーも怪訝な顔で見ている。

「う…そでしょ?ハスミさん…!あと半年だなんて…!」

 ユナは窓の外から木の周りで元気一杯に駆け回っている二人を見て愕然とした。
テリーも信じられないと言った様子だった。

「私は生まれつき体が弱くて…子供を産めない体だって言われてたんです…。だから、サスケとキッカを無事出産出来た時は本当に嬉しくて…でも…私の体じゃ二人を健康に産んであげられる事は難しかったみたいで…先天性の悪性要素が…産まれた時から、二人ともに…」

 ハスミは涙で声を詰まらせた。

「…助かる…方法は…?」

 恐る恐るユナは尋ねる。気丈なハスミは無理やり涙を目の奥に押し込んで
窓の方へ歩き出した。

「占い師や…薬師…いろいろな方々に相談してみたんですが…なんでもあの木が花満開に咲いた後に付ける実をすり潰して特別な薬と混ぜ合わせれば特効薬が出来るらしいんです……」

 窓の外に見える大きな木。
風がざわざわと緑を揺らしていた。ユナは思わず目を輝かせたが

「皮肉なものですよね…花が咲くのは、まだ半年以上待たなくてはいけないんです…。もう…助かる方法は…ないらし……」

「…そんな…!」

 ハスミの肩ががくがくと震えた。
子を思う母の涙ほど悲しみを思わせる物は無い。
ハスミをソファに座らせたユナは何と声を掛けたら良いか分からなかった。
気休めにしかならない事が分かっていた。

……!?
その時、開いていた窓から風に乗って何かがユナの耳に聞こえてきた。

「…ハスミさん…あの木………ずっと昔からこの家にあるんですか?」

「ええ…私がここに来た時には既にあのくらいの大きさで…サスケとキッカはあの木が大好きでしたわ…いつも二人で、あの木と一緒に…」

 無言でユナはその問題の木に目を向けた。
サスケとキッカは楽しそうに木の周りを走っている。

「……悲しいって言ってます」

「え…?」

「あの木も、あの子達を助ける事が出来なくて…悲しいって…」





 ……眩しい。
穏やかな緑の隙間から光が差し込んでいる。
ユナは緑々と生い茂った木を見上げた。
確かにこの調子では花が咲くのはずっと先だろう。
大きな幹に手を当てた。周りにはハスミもキッカもテリーもいる。

「ねぇねぇお姉ちゃん、この木とお話が出来るの?」

 興味心身にサスケが尋ねてきた。

「うん、少しだけなら」

 そう答えて再び見上げる。風もないのに葉が揺れていた。
手のひらを幹に当てて精神を集中させ、それから少し経って手を離す。

「何て言ったの?」

「サスケとキッカが、大好きだってさ」

 その言葉を聞いた二人はみるみる内に笑顔になり、白い歯を見せた。

「ハスミさん、ちょっと見せたいものがあるんです」

 怪訝な顔で見守る母親にそう告げると
先ほどと同じように、手のひらを幹に当て精神を集中し始めた。

「……ユナさん…?」

 葉っぱが風も無いのにざわざわと激しく揺れ始めた。
テリーはすぐに気がついた。周りとの空気の違いに。
ユナの手のひらから、何かが溢れだしていた。ホイミをする時に感じる精神の流れみたいな物だ。それが大木に伝わっていっているのが肉眼でもはっきりと見えるようになったその時。

信じられないような光景が目をかすめた。

「スゴイーー!スゴイよーー!!」

 ハスミの瞳の中にピンク色に色づいた花びらが舞っていた。
眩しい光の中、満開に咲いた大きな木。
サスケとキッカはわけもわからず嬉しそうに走り回っていた。
ハスミは力が抜けたのかそのままぺたりと座り込んだ。

「きゃー!綺麗だよーー!!」

「これは…これは奇跡…?」

 初めてユナたちの前で悲しみとは違った涙を流すハスミに

「私はただ、この木の成長をちょっとだけ早めただけですよ」

 恥ずかしそうに笑って、今度はテリーの方を向いた。

「この木がさ、二人をどうしても助けたいって言ったんだ。だからオレに助けを求めた。でも、オレはそこまでの力は持って無いからほんとにサポートしただけで…あとはこの木が頑張ってくれたおかげだよ。二人を助けたいって気持ちが本当に強かったんだ」

 ハスミは真っ赤になった瞳で

「ありがとうございます…ユナさん…テリーさん……一度ならず二度までも…二人の命を…」

 何度も頭を下げられ困ってしまったユナ。

「お前、こんな力があったんだな。木々と話せるのか?」

「うん、あっ、でも、こんな風に樹齢の長くて生命力のある木じゃないと話すのは無理なんだけど…樹齢の短い木や草花も、話せなくても気持ちを感じる事は出来るぜ」

 自慢げにそう話す。

「人は得手不得手があると言うが、お前は剣も魔法もダメな代わりに自然や魔物と話せるんだな。お前らしいな」

「剣も魔法もダメってどういう事だよ!ちょっとは役に立ってるよ!」

「あと、逃げ足は速い」

「逃げ足速いのだって戦いに必要な事だろ!」

 テリーは思わず声を上げて笑ってしまった。
こんな風に笑ったのはいつ振りの事だろうか。
ふと、満開の花を見上げた。

「この木…周りよりも早く咲いて、これからどうなるんだ?」

「そうだな…ちょっと辛いかもな…2,3年は花が咲かないと思う。無理に咲かせちゃったから…」

「…そうか…」

 ユナは幹に先ほどと同じように手のひらを当てて

「でも、いいよな?二人の命を救えたんだから…お前、本当に偉いよ」

 さわさわと木が揺れて花びらが舞っている。

「やっぱり良い奴だな。お前」

 ユナと木との間で何か会話があったらしい。
テリーはその光景を見て、ユナの事を真剣に考え始めていた。
魔物とも話が出来て、自然とも通じ合う事が出来る。
出会った頃からユナは周りの奴らとも身に纏う雰囲気が全く違っていた。
冒険者のテリーは匂いで魔物や人間の違いがなんとなく分かる。
だが、ユナからは何故か人の匂いがしない。
何処かふわふわとして捕らえどころが無い。そんな不思議な感覚だった。

それが天性のものなのか、別のものなのか、この時テリーはまだ深く考えきれないでいた。




 ハスミの家を出たのは夜もだいぶ更けた頃。
なんだかんだで子供たちに引き留められ夕飯まで御馳走になってしまった。

二人で宿の帰路を歩く。夜空には月が出ていない代わりに満天の星が輝いていた。

「それにしてもお前にしては珍しいな。謝礼を受け取らないなんて」

 歩きながらテリーが尋ねる。軽やかに目の前を歩いてる少女が振り向いた。

「謝礼ならもう貰ったじゃん」

 そう言って鞄を開けると朝子供たちに貰ったピカピカの艶のあるフルーツ。

「それに晩御飯めちゃくちゃ美味しかったし、それで十分だよ」

「後悔するんじゃないか?」

 テリーは、ハスミが渡そうとした袋いっぱいのゴールドを思い出す。

「人を金の亡者みたいに言うなよ。それに、お金ならトルッカで稼いだ分がまだ沢山あるんだ。売った鎧もそこそこになったし、足りなくなったらまたどっかで稼ぐよ」

「たくましいな」

 スラリンが鞄から出てきて一緒に相槌を打ってくれた。
ユナは星空を見ながらしばらく考えて

「オレ、良く見てなかったんだけど…謝礼ってそんなに沢山あった?」

「………」

 テリーはユナの頭に手を乗せるとわしゃわしゃとまさぐった。

「ちょっ!なにすんだよ〜」

「別に。ほら、さっさと宿に戻るぞ。明日の朝、改めて出発するからな」

 星空の下のアメジストの瞳は、どことなく優しげに見えて一瞬胸がドキリとした。
髪を手櫛で整えながらそんなテリーの後ろを歩く。

一緒に居て傷付く事もあるけど、それより一緒に居て嬉しくて、楽しい事の方が多かった。
一緒に居れば居るほど、旅をすればするほど、テリーの事を知る事が出来て
知れば知るほど、惹かれた。

オレやっぱり、テリーが好きだ。

確信を持ってそう思える。

テリーに想いを伝えたいとか、テリーの恋人になりたいとか、そんな事は思わない。
ただ、出来るならこのままずっと一緒に旅を続けたい……。
それが今のユナの、唯一の望みだった。





 それからの旅、ユナは自分なりに努力を重ねた。
朝はテリーと同じように早起きをして剣を振る。夜は遅くまで魔法書を熟読した。

そのおかげか、ユナの剣術は目を見張る程上達したし、短剣を1本から2本に増やした事で攻撃力も増した。
レベルが目に見えて上がったのは明らかに見て取れる。
しかし、呪文の方は相変わらずで、どうしてもべホイミとリレミトが習得出来ないらしい。
人には元々持っている性質がある。
呪文が得意な者も居れば剣術に秀でている者もいる。テリーがその良い例だった。
ホイミを覚えようとした事があったが、どうしても習得する事が出来なかった。

ユナは使える呪文の数は少ないが、動物や魔物と話が出来る。
力は弱いが素早さは高く、身のこなしもなかなかだった。

「無理するなよ、人には得手不得手があると言っただろ?」

 テリーにしては珍しく気遣う言葉を掛けるが、ユナは頑として魔法書を読むことを止めなかった。
どうしてもべホイミを覚えたい。
そう言って聞かなかった。
その理由をテリーは何となく分かっていて、必死な彼女をただじっと見守っていた。




 トルッカを出発して一週間。
キャラバン隊の荷馬車に乗ったり、街道に点在する宿場で休みつつ進んでいたのだが、
近道をしようと森に入ったのが間違いだった。
予想外に深い森は日が暮れても抜け出せる事は無く、一向に明かりらしきものは見えない。
この森を抜ければ目的の港はすぐのはずだった。

ユナとテリーは月の光が一番多く当たる場所に薪を集め、火をともし、夕飯の用意をした。
街で購入した乾パンと、採集した野草やキノコを保存食の肉と煮て鍋を作った。

「おいしかった〜〜〜!ごちそうさま!」

 満足な食事を済ませた後、早速ユナはその場にごろんと寝転がった。
星がキラキラと輝いている。
久しぶりに見る満天の星空に見惚れてしまった。
星を目で追いながら意識が遠のいていく。
慌てて意識をたぐり寄せ、目を無理矢理開いた。
テリー一人に見張りをやらせるわけにはいかない。

「お前はもう寝ろ。今日はずいぶん張りきっていたじゃないか」

 ユナは目を擦りながら

「ダメだ!森に入ろうって言い出したのはオレだし、オレが魔物の番をやるよ、テリーは寝てて良いから」

「お前がやるよりオレがやった方が効率が良いだろ?お前がいてもなんの役に立たない」

 思いきり皮肉っぽく言ってやったがユナは頑として譲らない。
ユナと旅して気付いた事は、こいつはかなり頑固だと言う事だった。

「………」

 テリーは息をついて横になる。
今の所魔物の気配は無いし、聖水だって撒いてある。こいつ一人に任せても大丈夫だろう。

「…分かった。何かあったらすぐに起こせよ?」

「うん!」

 ユナは元気にそう返事をした後
テリーに気付かれないよう欠伸を噛み殺して魔物の番に取り掛かった。




「……ん…」

 生温い風がテリーの体をなでていった。
その気持ち悪さに目を覚ます。
たき火は既に消えていた。

「―――――っ!」

 嫌な予感を感じてテリーは飛び起きた。居るはずの、ユナの姿が無い。
剣を装備してすぐにテリーは駆け出した。

魔物に襲われて、ここから離れたのか?

草木がなぎ倒されている方向へと走る。

考えるのは後だ、まずはユナを見つけなければ―――――



嫌な予感を振り払えないまま辿りついた先には切り立った崖の上、
そこから見渡す限りの大海原が広がっていた。
視界の端に灯台の光が見える。港まであと少しと言う所だったのに…。

崖の先端に、人影が見える。やけに明るい月のお陰で、それが探している人物だとすぐに分かった。

「ユナ!!」

 叫ぶように名前を呼ぶと、人影はこちらに気付いた。

何があったのか問いかける間もなく、すぐに答えは見つかった。
目の前に広がる蛇の死骸。大ウツボだった。しかも、かなりの数だ。
集団で獲物を探してる所に出くわしてしまったのか

「ユナ!大丈夫か!」

 動かないユナに不安を感じ、テリーはゆっくりと近づいた。
月に照らされる彼女は、いつもの彼女に見えた。

「テリー、探しに来てくれたのか?」

「ああ、それより何でオレを起こさなかった!大ウツボに襲われたんだろ!?」

「うん…気配に気づいて、オレ一人でもなんとかなると思ったんだけど思ったより数が多くて…」

 その言い方に不審に思い、ユナの庇っていた右腕を掴んだ。

「…ぃてっ……」

 腕の内側に鮮血が流れ出している。

「……お前…まさか…噛まれたのか!?」

「あ〜…うん…ちょっとな…ちょっと…油断してたわけじゃないんだけど…」

 人差し指と親指でジェスチャーをする。テリーは途端に険しい顔になりユナの手を引っ張った。

「いたっ…痛いって!」

「お前、知らないのか!?大ウツボの毒は毒消し草じゃ効かない!毒が回って体中が痺れて麻痺症状を引き起こす。そうなってからじゃ遅いんだ!幸い港は目の前だ!今なら、まだ間に合う―――――」

「ゴメン……」

 初めてユナは、テリーの手を振り払った。

「多分、も、間に合わない……」

 良く見ると出血していたのは右腕だけじゃない、足や左腕、首元、鮮血が
ユナの体を伝っていた。

「…助からないだろうから、オレの事は捨て置いて……」

 ドクン。

テリーは瞬間、言い様のない恐怖にかられた。
遠い昔に味わった恐怖と似ている。
死ぬかもしれない恐怖、独りで幾日もの夜を過ごす恐怖
いつも味わってきたそれらとは、全く次元の違うものだった。

震える体に気付かない振りをしてユナの両肩を掴んだ。

「お前を見捨てられるわけないだろ!!バカな事言ってないで早く港に―――」

 ユナの瞳から光が消えていた。唇も血色が無い。

「ユナ!!おいユナ!!しっかりしろ!!」

「……でも、もう少しだけテリーと一緒に旅がしたかったな……」

「バカ!!いくらでも一緒に旅してやる!!剣も、文字も、お前に教えなきゃいけない事は
山ほどあるんだ!!だから…!!」

 震える声でテリーはいつの間にかそんな事を叫んでいた。
ユナは少しだけ顔を上げて、力なく笑った。

「ほんとかよ…?いくらでも一緒に旅していいのか…?」

「ああ!!約束だ!!」

 首筋の噛み後から血がゆっくりと流れ落ちた。

「ありがと……やっぱりテリーって……ほんとうは……優しいんだな……」

 血は首筋を通って綺麗な鎖骨のラインを辿る。その血を追うように
瞳から流れた涙が頬から顎、首筋を流れていった。

「……テリーと会えてよかった……」

 震えているのはユナの方なのか、自分の方なのか分からない。
両手をすり抜けて、月を背にしていつもと同じように笑った。

「………最強の剣、絶対、見つけろよな」

 細い体がふっと宙に浮いたかと思うと、一瞬でユナはテリーの目の前から消えた。

「――――ユナ!!」

 頭で考えるより先に体が動く。
崖下20メートルはあろうかと言う暗い夜の海にテリーも飛び込んだ。
暗く荒れた海は瞬く間にテリーの視界を奪う。
波に揉まれながら目線を走らせるが、どこを見渡しても暗い海が続くばかり。

「クソッ!!」

 再び潜ろうとするテリーに大きな波が襲った。
気が付くとあっと言う間に近くの砂浜に打ち上げられてしまっていた。
慌てて立ち上がるが、見渡す限りの海は何事もなかったように静けさを称えている。
ザザ……と寂しげに波の音が響くだけだった。

テリーは両手をついて脱力すると

ガン!!!

こぶしを砂浜に叩きつけた。

「ちくしょう…ちくしょう……!」

 ポタポタと水滴が髪を伝って落ちてくる。
ぎゅっと砂を握り締めた。
余りの力加減の無さに、こぶしからは血が流れ出ている。

「ちっくしょう………」



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