14. サーカス団/2



 小屋から誰も出てこないまま夜の闇が街を覆った。
次第に人々が訪れ、昨日と同じように小屋の周りはごった返す。その様子を木々の陰で見守りながらテリーとスラリンは小屋に忍び込むチャンスを待っていた。

サーカスも終わり小屋から人々が吐き出される。喧騒は徐々に落ち着き、月の位置が変わり始めた頃テリーとスラリンは動いた。小屋の周りには相変わらず自警団が居たが、たき火を囲み話に花を咲かせているようで出し抜くのは容易だった。
昨日と同じ裏口からからまずはスラリンが侵入し護衛の口を覆って塞ぎ、それをテリーが気絶させた。忍び足でしばらく歩くと鍵の掛かった扉があったが、これも隙間からスラリンが入り中から鍵を開ける。

通路は不気味なほど一本道で、明かりも無く薄暗い。
突き当りにまた同じような扉があった。両側には小さなランタンが設置されていて不気味な文様が扉に浮き上がっている。なぜか鍵は掛かっておらず、そっと開くと眩しい光が漏れた。
たどり着いたそこは、あの時客席から見ていた舞台のステージ。そこに背を向けて立っていたのは紛れもなく

「――――…ユナ!」

 周りを警戒する事も忘れ、その名前を叫んでしまった。少女は声に気付いてこちらを振り向いた。肩まで伸びたイエローブラウンの髪、顔には扉と同じように文様の施された仮面。

「バカ!!今まで何して―――――」

 駆け寄って肩を掴もうとするが、少女はひらりと身をひるがえした。代わりに短剣を鼻先に突き付けられ言葉が止まる。

「……強盗か…?」

 ユナはそう呟くと腰に差していた短剣をもう一本抜いた。その声、雰囲気、近くで見ると実感する。間違いなく、この少女はユナだと。しかし向こうは何を反応するでもなく、短剣を突き付けたまま身構えている。

「お前…まさか……」

 考えていなかったわけじゃなかった。
人攫いと仮面――――― もしかしてこのサーカス団員たちは

「記憶を封じられてるのか……?」

「察しが良いですね」

 ステージに響く小気味いい拍手。観客席の一番いい席から二人に拍手を送ったのは道化の格好をしたコルネオだった。
顔の化粧は昨日と違って、口が大きく避けたような真っ赤な口紅をしていた。

「さすが青い閃光、貴方の事は調べさせて貰いました。凄腕の剣士だとか」

 テリーは目にも止まらぬ速さでユナの短剣をすり抜け仮面に手を掛ける。しかし、仮面は外れる事は無く、逆に切り裂くようなユナの悲鳴があがった。その後ユナの悲鳴に被るよう、コルネオの高笑いがステージに反響した。

「外れませんよ、そして触れる事も出来ない。呪いの防具という物を知っていますか?呪いによって記憶は封じられ、私の意のままに操る事が出来る。強引には決して外れない」

「――――貴様…っ!」

 腰の剣を引き抜く。
直接跳んで観客席のコルネオを斬ろうと後ろ足に力を込めた所で目の前を刃物が掠めた。

間一髪それを避け、逆に後ろに跳ぶ。テリーに短剣を向けたのはユナだった。

「ユナ…!」

 攻撃した右手の短剣を構え直し、左手の短剣をこちらに向けた。それは紛れもなく、テリーが昔教えた二刀流の構え。踊るようにステップを踏み独特のリズムで短剣を繰り出す。

「くそ…っ!」

 剣と盾で攻撃を弾く、寸前で右手の短剣を避けユナの懐に入り込むが向こうは素早く一歩後ろに下がり回し蹴りを放った。それをテリーも後ろに跳んで避ける。
相手がユナだと言う事もあるだろうが、攻撃のリズムが独特で戦いにくい。
しなやかな動きのせいか予測できない所から刃が飛んでくる。

「はっはっは!これは素晴らしいショーだ!」

 客席で二人の戦いを見ながらコルネオは手を叩いて喜んだ。ユナはもう一度短剣を構えると、まっすぐにテリーを見つめた。仮面の奥の表情はうかがい知れないが、動きに苛立ちが見えた。

「……なぜ攻撃しない…?」

 何も答えようとしないテリーに、ユナは苛立ちを隠そうともせず叫んだ。

「お前、本当に殺すぞ!」

「お前にオレは殺せないさ」

 ユナはギっと奥歯を噛みしめ、またステップを踏みながら短剣を繰り出した。それをテリーは寸前で避ける。ユナの苛立ちがリズムを狂わせているのか先ほどよりも避けやすい。短剣は空しく空を切るばかりで、ユナは遂に立ち止まり激高した。

「逃げるな!私と戦え!」

 一呼吸で詰められない距離を保って、二人は向かい合った。

「私…か、記憶を失うと口調まで変わるんだな?」

 突然、テリーがそんな事を切り出す。向こうは一瞬反応して後ずさった。

「本当のお前は、自分の事を オレ なんて言って、男みたいな言葉を使って」

「…………」

 ユナの呼吸が変わる、それに伴い、じりじりとテリーが距離を詰めた。

「男になりたいって言ってた割りに、女らしくない事を気にしていたな」

 張りつめた状況のはずなのに、テリーは唇を緩ませた。

「旅をしていく内に、お前はどんどん変わっていった。まぁ…そんなお前を見るのも悪くなかったぜ」

「―――――!」

 一瞬、ユナの動きが止まる。その隙にテリーは距離を詰めると短剣を弾き、ユナの両手を抑え込んだ。

「ユナ!」

 テリーは歯を食いしばると、顔を近付け仮面越しにユナを見つめた。

「…いい加減目を覚ませ!」

「――――……っ!」

「お前がオレの事、忘れるわけないだろ…!?」

 抑え込む両手に力を込める。言葉はテリーに昔の事を思い出させていた。

「またオレと一緒に旅するんじゃなかったのか!?その為に努力してきたんだろ!?」

 呪いの仮面の文様は淡く、何かに呼応するように赤く光っている。

「あ…ぁ…ぁ…」

 ユナは呻きながら頭を抱え込み、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。

「あぁ…うぁあああああ…っ」

 大量の汗を流してブンブン頭を振る。

「ユナ!しっかりしろ!!」

 ユナは夢中でテリーの腕を掴んで顔を上げた。仮面を通して苦悶の表情が見て取れる。ユナの口元が動くが言葉が出てこない。その場にそぐわない高笑いと拍手が再び起こった。

「無駄ですよ、その仮面は強引に外せる物では無いと言ったでしょう。記憶は決して戻らない、奇跡は起きません」

 呻きながら苦しむユナとは対照的に楽しげに笑うコルネオ。テリーの手が仮面に触れただけでユナは絶叫を上げ、悶え苦しんだ。

「ユナ・・・!」

 触れた彼女の体は氷のように冷たくなっている。
どうすればいい――――
仮面に触れる事も、外す事も出来ない、無理にでもこいつを連れて逃げるか――――
こいつが操られる前に、自警団に捕まる前に、ここから逃げる事が出来るだろうか――――

「ピキィイイイイッ!」

 その時、その場にそぐわない可愛らしい声が響いた。その声の主、スラリンはユナの荷物を体に巻き付け引き摺って現れる。そこにはあの大剣もあった。

「ピイイイッ!」

「ぁ…っ…ぅぅ…っ」

 ユナはかつての親友を見つけると震えながら手を伸ばす。スラリンはユナの鞄に潜り込むと何かを口に加えて引っ張り出した。それは、銀色に光るユナの大切な横笛だった。

「ピキイイイイイイッ!」

 スラリンが放り投げた銀の横笛がユナの手に収まった瞬間――――
白く眩い光がその場を覆った。
横笛から溢れだしたその光はユナを包み込むと、キィィィンっという音と共に、呪いの仮面は割れた。割れた仮面の奥から現れたのは間違いなく

「ユナ!!」

 テリーとスラリンが知っているあの、懐かしい少女だった。

「ま、まさか――――!!それはシャナクの光――――!?」

 コルネオは身を乗り出してその様子を凝視した。光はゆっくりと収縮するといつもの銀の横笛へと戻っていく。

「なんて事を……!」

 ワナワナ震えるコルネオを余所に、テリーは慌ててユナを抱き起こした。瞳がゆっくりと開いて、イエローブラウンの瞳がテリーを捕らえる。

「……テリー……?」

「………っ!!ようやく思い出したか…!!バカ……!!」

 抱き起こした手にぎゅっと力を込め、テリーは唇を噛みしめて俯いた。

「……スラリン…も…」

「ピギイイイイイイイ!!」

 スラリンはユナに飛びついて泣き叫んだ。

「…なんだ…?いったい…どうなってんの……?」

「話は後だ!ここから逃げるぞ!」

「えっ??えっ???」

 ただの一つも状況が掴めないユナ。
テリーはユナの手を握りしめ走り出そうとするが、鋭い痛みが左足を襲った。

「―――――っ!」

 その鋭利な痛みは瞬く間に全身を駆け抜ける。この感覚をテリーは知っていた。
左足に刺さった長い針を抜き捨てる。それは麻痺性の毒針だった。コルネオを方を振り向くと長い筒状の物を持っていた、恐らく吹き矢の一種だ。

「逃がすわけないでしょう、ユナにはもっともっと稼いで貰わなければ」

「あいにくだな、こいつは、返して貰う―――――」

 大粒の汗を流しながらテリーは立ち上がるとまたユナを連れて走り出した。コルネオの顔が驚愕で歪んだ。

「バカな!どんな魔物でも麻痺させる毒針だぞ!」

「オレは”こういうの”には慣れてるもんでね」

「逃がしませんよ…!」

 今度はコルネオは笛を取り出した。甲高い音が舞台に響くと、ユナと同じように仮面を被った団員たちが客席の扉からぞろぞろ入ってきた。その数は10を超えるだろう。

「歩が悪いな…急ぐぞ!」

 テリーとユナは通ってきた扉を抜け、長い通路を走る。気配はすぐ後ろに迫ってきていた。小屋を出ると、自警団はたき火を囲んで眠り込んでしまっている。
肝心な所で役に立たないなと心の中で毒づくと、二人と一匹は小屋のすぐ北にある森の中に逃げた。

 テリーは毒針の事を忘れさせるほどいつも通り軽快に走っていた。だが、顔は真っ青で大量の汗が額から流れ出ている。しばらく走ると森の中の開けた場所に出た。目の前には聳え立つサンマリーノのい城壁。

「くそ…っ外敵の侵入が無い代わりに中から逃げる事も出来ないか…」

 迫る気配は全く消える様子が無い。捕まれば一間の終わりだ。

「…ルーラ……」

 不意に、テリーが口にした。

「お前、ルーラの呪文、覚えようとしてただろ?」

「う、うん…!」

「ルーラなら、この城壁を越えられる」

「えっ!まさか…オレが使うの!?」

「お前以外誰が居るんだ!?」

 ユナは眉間に皺を寄せ悲しそうな顔をして俯くと首を振った。

「無理だよルーラなんか…!めちゃくちゃ高度な呪文だぜ?勉強はしたけど…オレに使えるわけないよ…!」

「やってみなくちゃ分からないだろ!どのみちここで捕まればお前も、オレも死ぬまであいつの奴隷だ!」

「……」

「夜遅くまで魔法書読んでたんだろ…?お前なら…出来るさ…!」

 真っ青な顔で大量の汗を流してもなお苦しそうな表情を見せないテリー。
今ここでルーラを使えなきゃ…テリーが……。

「わかった、やってみる…!オレに、捕まって…」

 ユナは観念して、昂ぶる心臓を必死で抑えると呼吸を整えた。
心音を一定にし精神を集中させる。
ルーラ。
それは頭の中で思い浮かべた場所まで一気に飛べる移動呪文。全身の魔力を放出する感覚で体の周りに魔力の壁を作る。そして、風を呼んでそれを一気に押し上げる。

「………」

 ゆっくりと二人の周りに風が集まってきた。溜めた体の周りの魔力を一気に放出する。
ユナは目を伏せて風に合図するよう、その呪文を叫んだ。
声に呼応するように地面がみるみると遠ざかって行く。風は二人を包み込み、城壁を超えて記憶の場所へと運んだ。




 上下左右ゆらゆらと不安定な光の筋が弧を描く。それはそのまま流れ星のように地上に落下した。
ドン!という音と共に落下した衝撃で砂が舞い二人に覆いかぶさった。

「げほっ…げほっ…!」

 衝撃よりも砂埃の方が不快で手を振り、顔を上げる。隣のテリーもよろめきながら上半身を起こした。

「……ラッキーだな…砂漠だ…」

 砂漠の柔らかな砂がクッションになったお陰か、二人は何事もなく初めてのルーラに成功した。

「よかったぁ…出来たぁ…っ」

 倒れ込むようにユナは砂に顔を埋めた。
だが、これが砂漠じゃなかったらと思うとゾッとしかしないので出来たとは言っても乱用は出来ないだろうな、とそんな事を思う。

顔を上げてもう一度辺りを見回した。地平線が青く光っている真夜中の砂漠だったが、ユナはどことなくここに見覚えがあった。

「ここ…もしかして……」

 遠くに見える海が霞んでいる。その手前には小さいながらも街の明かり。あの街は……

「サンマリーノ…」

 灯台の光を浴びる大きな港町。見間違えるわけが無かった。それにこの砂漠はユナにとって、忘れられない場所でもあった。

「ここさ、昔大サソリに襲われた砂漠じゃないか…?ほら、テリーと初めて会った…」

「……」

 テリーも周りを見回して、ああ、と思い出したように呟いた。

「あの砂漠か…?」

「うん、そうだよ!ここ、見覚えあるもん!!」

「……まさかこんな近くにルーラしたとはな…」

「…なっなんだよ…初めてなんだから仕方ないだろ!それより出来た事を褒めてよ!」

 口を尖らせて必死に訴えるユナを見て、テリーは声を上げて笑った。久しぶりに笑った気がする。
テリーはひとしきり笑うと、地面に体を預けて空を見上げた。空には満天の星が輝いていた。

「…テリー…」

 ユナはそっと、テリーを覗き込んだ。

「…オレの事、助けてくれたのか…?そうなんだろ…?」

 涙があふれそうなイエローブラウンの瞳。その顔に手を伸ばそうとしてテリーは何かに気付いたようにまた少し笑った。

「……ほんとにお前は…人を振り回すのが得意…だな……」

 途切れ途切れそう呟く。
安堵から緊張感の切れてしまったテリーは、そのまま意識を手放した。



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