15. 自惚れと恋心



 ステンドグラスから差し込む色とりどりの光。
その光は夢の世界からテリーを引き戻した。

長い悪夢を見ていたようだった。

頭を抱え、転げ落ちるようにベッドから起きる。体が重い―――――。
蝕む倦怠感を抱えてテリーはよろよろ立ち上がった。確かめなければいけない事がある。
部屋を見回すと簡素なベッドとテーブルが置いてある以外は特に何もない。ただ窓だけは美しい装飾がほどこされており、鮮やかなステンドグラスが光に反射していた。体を支えるように壁伝いに歩きながらようやく扉に手を掛けると、扉が逆に開いてその勢いでよろめいた。

「うわっ!」

 入ってきた人物はその勢いのまま覆いかぶさってきた。ドシン!と派手に音がしてテリーは床に背中から倒れ込んだ。

「ごっごめん!!」

 慌てて向こうは立ち上がって、テリーの手を引っ張った。

「まさか、もう起きてるとは思ってなくて…」

 舞台で見た、そのままの格好。ただ仮面の無いその素顔はいつもの彼女で、テリーは痛みも忘れ立ち上がった。髪は肩まで伸びていたが雰囲気は微塵も変わっていない。

「…テリー、体大丈夫か…?」

「…ああ、毒も消えてるようだ…。お前がやったのか?」

 ユナは首を振って

「ここ、教会なんだ!覚えてないか?あの砂漠近くの宿場の、教会だよ!ここの神父様キアリクもべホイミも使えてさ、それでテリーの麻痺の毒も治してくれたんだ!」

 なるほど。ステンドグラスの絵が一瞬でそれらしい物に見えた。

「…ここまでオレを運んだのか?」

 記憶が途切れた場所はサンマリーノ近くの砂漠、だとしたら……
テリーの見立ては当たっていたようでユナは含みのある笑みを浮かべた。

「もう ほんっとに重かったぜ!」

 剣や盾、荷物まであるところを見ると、本当に全て担いできたのだろう。

「でも宿場とは近かったから、案外大丈夫だったよ」

 気遣いから出た言葉なのだろうか、ユナはそう言うと笑った。テリーはベッドに座りユナを促すと、向こうは遠慮がちに椅子に腰を下ろした。

「悪かったな…お前のお陰で助かった」

「そっそんなの!オレの台詞だよ!」

 言い終わるか終らない内にユナが声を上げる。

「助けてくれてありがとう。思い出したんだ、全部…」

 嬉しそうに、そして申し訳なさそうに笑って、ユナは自分が辿った道を話してくれた。

「あの日、海に落ちた後通りがかった船に助けられて、乗り合わせた僧侶様に助けられたんだ。で、港まで送ってもらったんだけど、荷物はほとんど流されちゃってて文無しでさ。テリーを探そうと思ってた所に、コルネオに勧誘されたんだ。サーカス団に入らないかって…」

 二つ返事で承諾する危機感のないユナの姿がちらついて、テリーはため息を吐いた。

「…まさか、お前から入団したのかよ」

「だって…!サーカス団だったら目立つから、探し人も見つかりやすいんじゃないかって言われて…それで…。おかしいとは思ったんだ!けど、あの仮面を付けられてからの記憶があんまり無くて…」

 テリーはやれやれと肩を竦めた。

「お前は相変わらずトラブルに巻き込まれるのが得意だな」

「違うよ、トラブルが向こうから来るんだよ!」

「…同じ事だろ…」

 ふと いつもの口論の最中、ユナが笑いをこらえているのが気になった。

「…なんだよ?」

「いや…ごめん、なんか、嬉しくて…」

「………」

「あの時、本当に死ぬって思ったから、まさかまたこんな風にテリーと話せるなんて思ってなくて」

「…それはこっちの台詞だ」

 まさか、また、こいつと会えるなんて。こうやって、くだらない事を言い合えるなんて。
もう二度と、会えないと思っていた。毒になって、海に飛び込んで、生きていると信じる事の方が難しかった。
あの日からしばらくの事はもう思い出したくもない。

「…どれだけお前に振り回されてると思ってるんだ。足手まといにならないって言っただろ。海に飛び込むなんて、馬鹿げてる。考えなしに行動する癖を早くやめてもらいたいもんだな」

「う……っ…あの時はごめん…」

 藪蛇だったか、説教を煽る形になってしまって、ユナは頭を掻いた。

「まぁ…無事だったから良かった物の…」

 テリーの説教が続きそうだったその時、コンコンと部屋の扉がノックされた。

「連れの方は、もう大丈夫ですか?」

 入ってきたのは長身の男。白髪の混じった頭髪と地味な色合いの僧侶服を着ていた。

「神父様!はい!ありがとうございます!お陰で目を覚ましました!」

 恰好はおおよそ修業服のようだったが、雰囲気はまさに教会の神父そのものだった。この男が、毒を取り払ってくれたのだろう、テリーはふらつく足で立ち上がると礼を述べた。

「意識が戻られて一安心です。昨日の夜は本当に大変だったんですから。あんな真夜中に宿場の教会を訪ねてくる方なんて滅多に居ませんからね。しかも女の子が男の人を担いで、助けてくれって叫ぶものですから、皆起きちゃいましたよ」

「しっ神父様、その話は…」

 この神父は見た目とは裏腹にお喋りなのだろう、困惑するユナをしり目に話し続けた。

「まぁまぁ、しばらく療養していきなさい、大変な毒だったんですからね」

 しばらく話した後にテリーに声を掛け、神父は出て行った。

「随分、迷惑を掛けたみたいだな…お前にも、神父にもな」

 ユナが切り出す前にテリーから話し出した。

「う うん 夜中だったしな…でも、だって、テリー突然気を失っちゃうから心配で…。良い神父様で良かったよ」

 昨夜の出来事が安易に想像出来る。教会中がこいつに叩き起こされたのだろう。

「そうだっ!テリー、お腹減ってるだろ?オレ、メシ持ってくるな!」

 気恥ずかしくなったのかユナはそう告げるとバタバタと部屋から出て行った。

「……相変わらず騒がしい奴だな…」

 ひとり取り残されたテリーはユナが出て行った扉を見つめてまたひとつ息をつく。もう二度と会えないと思っていた事が嘘のように、彼女はいつも通りの彼女だった。テリーはなぜか唇を緩ませると、再びベッドに体を預けた。




 食糧の調達に思ったより時間がかかってしまって、部屋を出て1時間程度経とうとしていた。日は翳り、辺りをオレンジ色に照らす。慌てて部屋に戻ると、ベッドの上でその人は眠っていた。音を立てないようそっと扉を閉め、その顔を覗き込む。確かに眠っているようだ。

…めずらしい。

テリーはいつだって気配がすれば目を覚ます。なのに、起きないという事はよほど疲れているのだろうか。何にせよ、テリーのこんな穏やかな寝顔を見るなんて事はそうある事ではなく、貴重だった。長い睫にすっと通った鼻筋、薄い唇に形の良い輪郭。綺麗な銀髪がきらきらと光っていて。思わず、ユナは見惚れた。

いやいや、変態かよ!

顔を振って、買ってきたすぐに食べられそうな食料を部屋のテーブルに置いた。部屋には少し大きなテーブルと簡素な木の椅子が置いてあって、そこにテリーの荷物が出されてある。荷物の整理をしている途中で眠ってしまったのだろうか。
道具袋、薬草袋、聖水、携帯の食糧、世界地図、どれもこれも綺麗に分けられてテーブルに並べられてあった。

マメだな〜

と感心している中、その中に見覚えのある物があった。

「―――――」

 それはあの日、サンマリーノで船に乗り込む前にテリーに渡した、あの帽子。
所々糸がほつれているその帽子は一度も被られた形跡は無かったけれど、なぜかきちんと丁寧に折りたたまれていて。世界地図の隣で仕舞われるのを待っているようだった。

嘘だろ

一歩、近付いて薄暗くなった室内でそれを見つめる。しかしそれはやはり、あの時ユナが渡した帽子で。

まさか、ずっと持っててくれてた

「―――――っ」

 途端に、心臓が早く打ち出した。体が唐突に熱くなり、一瞬眩暈がした。
胸が苦しい。体が熱い。心臓の音がうるさい。
どうしていいのか分からず、たまらずユナは部屋から出ていった。廊下を歩きながらもう一度胸の鼓動を確かめる。相変わらずバクバクと今まで感じた事のない大きな音で、体は高熱にかかったかのように火照っていた。

「……ビックリした…」

 真っ赤な顔で、ユナは呟いた。




 夜。もう一度テリーの部屋を覗くとテリーは既に起きていた。ベッドに座り、地図を見ている。テーブルに置いてあった食料は綺麗に平らげられていた。

「体の調子はどうだ?」

 平静を装ってユナは尋ねた。

「ああ、問題ない」

 問題ないはずないだろう。気を失う程の毒だ。きっと無理しているに違いない。

「神父様も言ってたし、しばらくここで休養していかないか?」

「問題ないって言っただろ。明朝にはサンマリーノへ行く」

 予想通りの返答。だが、無理をして欲しくなかったので、気になっていた事を続けて投げかける。

「サーカス団、もしかしたらまだ居るかもしれないぜ?」

「だからだ」

「……?」

「お前の他にも捕らえられてる奴が居るんだろ?もう証拠は掴んでるんだ、逃げられる前になんとかした方がいいだろ」

「…っ!そっか、そうだよな!」

 自分の事ばかりで周りが見えていなかった事を恥ずかしく思った。

「それと、サンマリーノでマウントスノー行きの船を捕まえる」

「マウントスノー?」

 街の名称だろうか。聞き慣れない言葉に首を傾げる。

「そこに何かあるのか?」

 テリーはユナを手招きして隣に座らせ、見ていた地図を見せた。テリーの指はレイドックの少し左。

「ここが、イミルの居た町だ」

 それから指を左下に滑らせる。

「そこから南南西。イミルが予言してくれた場所だ」

 レイドックから海を挟んだその大陸は地名も何も書かれておらず、代わりに険しい山々が書かれているばかり。

「ここがマウントスノー。ここの交易は途絶えていて、人も訪れていないらしい。予言された事もそうだが、行ってみる価値は十分にある」

「………」

 確かに。
交易が途絶えて人々の情報網から外れている地域であれば、手つかずの宝が眠っている可能性が高い。しかし逆に、そういった場所を狙う冒険者だって居ないとも限らない。ユナの言葉は待たず、くるくると地図を丸めて鞄に押し込んだ。

「とにかく、明朝サンマリーノへ出発するからな。準備しておけよ」

 テリーはそのまま、さっさとベッドに横になった。ユナは話しかけるタイミングを失ってしまい、分かった、とだけ言って部屋から出る。

「………」

 部屋から出ると、胸の鼓動は徐々に落ち着きを取り戻した。熱に浮かされた体もようやくいつもの体温に戻って行く。隣に座った時、心臓の音が聞こえてしまわないか、熱い体に気付かれないかと心配した。

テリーの声を聞くと、胸が苦しい。姿を見ると、体が熱くなる。

こんなんじゃ、ダメだ。

ユナは勢いよくブンブン頭を振ると、両方の頬を両手でぎゅっと押し付けた。そして両手を動かして顔をもみくちゃにする。おかしな顔になったまま俯くと、ひとつ溜息をついた。




 次の日の明朝。
ユナはサーカス団に居た頃の服装のまま旅立つ事となった。鞄の中のルドマからもらった服とマントはとても汚れていて、とてもじゃないが着れる状態じゃない。サーカス団の服はとても薄いシルクで冒険者向きではなかったがサンマリーノまでなら何とかなるだろう。

教会の朝の巡礼が終わる頃に神父に礼を言って、宿代と治療代を渡した。(そのお金は、服の中にあったサーカスのお捻りだ)テリーは自分が出すと最後までごねたが、借りを返したいからという事で無理やり先に支払った。なんだかんだでテリーにはいつも世話になっている。これくらいの事で借りを返せたのかは怪しいが、とにかくユナは出来る時に何かをしたかった。

最初に会った時と同じように砂漠を抜けるルートを選び、熱砂の砂漠を超える。早朝の出発が幸いしたのかそこまで手こずる事もなく、太陽が昇り切る前に無事サンマリーノに着いた。城門のような背の高い石造りの門を潜ると見慣れた街並みが眼前に広がった。

「オレは、自警団に会ってくる」

 街に入ってすぐにテリーは切り出した。

「オレも行こうか?その方が何か聞かれた時でも対応しやすいだろ」

「いや、お前は服を何とかするんだろ?こっちはオレが引き受けるから、お前の予定を優先すればいい」

「…?そうか?」

 不思議そうに首をかしげる姿を、テリーはちらりと盗み見た。
肩まで伸びたイエローブラウンの髪がふわふわと揺れて、風通しの良さそうなシルクの服。胸元と背中は大きく開いて、空気を含んだように膨らんでいるズボンは足首まで隠れていたがその服自体がかなり薄い。
異国から来た踊り子と言うような風貌で、とにかく、目立つ。もう既にじろじろと視線を送られている事がたまらなく気になった。

「早く洗濯屋にでもなんでも行って着替えてこい。また、余計なトラブルに巻き込まれたくなかったらな」

「?うん」

 言葉の意味を測り兼ねたが、一応返事を返す。
ユナ自身、周りからどのように見られているかなど気付いていないのだろう。テリーは「夜に酒場で合おう」とだけ伝えると、さっさと自警団の元へ急いだ。




 さすがにサンマリーノの大通りは賑やかだった。
武器屋、防具屋、雑貨屋、アクセサリー屋、など多種多様な店が所狭しと店を構えている。ユナはその中の一つに入り、服とマントを預けた、それから手頃な店で食事を終えて綺麗になった服とマントを受け取り今度は装飾屋に入る。サーカス団の服は予想以上に高く売れて、上機嫌でサンマリーノの昼下がりを迎える事が出来た。散々働かされたのだ、これくらいは喜んで良いだろう。

青いマントに浅黄色の服、スライムピアスに大きな剣。店屋のガラスに自分の姿が映ると、懐かしい気持ちが溢れ自然と笑みが零れた。肩まで伸びた髪の毛を手ぐしでなんとか綺麗に見えるよう整えて、耳に掛けた。
おかしくはないだろうか?変に見えないだろうか?なんとなくだが、少しは女らしくなれただろうか――――?
なんて……

「何考えてるんだよ…」

 言いながらバカバカしくなり笑った。もう一度ガラスに映った自分の姿を確かめると、髪とマントをなびかせながら夜の迫る街を歩いた。




 夜の闇がサンマリーノを覆う頃…ユナは、「サン・ジュエル」という酒場を探していた。テリーが指定した酒場の名前だ。教えられた場所に行くと案外それはすぐに見つかった。

「サン・ジュ…エル」

 窓から漏れるオレンジの光と、雑多な声。
何度もペンキで塗り重ねられていた壁は店の歴史を物語っていた。しかし決して古めかしいというわけでは無く、その木造の建物は手入れが行き届いて好感が持てた。色鮮やかな花たちが植木鉢の中でひっそりと夜の眠りに就いている。店に入ると港町の荒々しい酒場とは雰囲気が違っていて、ユナは少しホっとした。

満席のテーブル席をしり目にそっとカウンターに腰掛ける。蝶ネクタイを締めたシャツの上から調理用のエプロンを着ている男が笑顔で迎えてくれた。

「いらっしゃい、なんにする?」

「ええと…ここ、食べるもんある?」

「ああ、あるよ。何が良い?」

「じゃあ、おススメで」

 どこかデジャブのような物を感じながら、そんなやり取りをする。酒場内さすがに旅人や船員が多かった。しかしその中には紛れるように住民の姿もあり、楽しそうにお喋りに花を咲かせている。みなそれぞれ夜の時間を楽しんでいた。
ふと、いい香りに食欲をそそられると、目の前にトマトベースのスープのような物が運ばれていた。付け合せにパンまで添えられてある。

「今日のおススメは魚介のポトフなんだ。新鮮な白身魚が手に入ってね」

 一口食べれば海の香りとトマトの酸味が口いっぱいに広がった。
パンも(バゲットというらしい)程よくサクサクしていて、スープの付け合せとして最高だった。

「そんな慌てて食べなくても…」

「だって、おいしくって…」

 一気に平らげてしまったユナにマスターは水を差しだしてくれる。それ飲み干してようやく落ち着いた。

「ごちそうさまー!」

「……旨かったか?」

「――――っ!」

 いつの間に隣に座っていたのか、聞こえてきた声に後ずさった。

「テ、テリー!」

「夢中で食べてたな」

「来てるんなら、ちゃんと声掛けてくれよ!」

 がっついて食事していたのを見られた気恥ずかしさで、ユナは口をふいて顔を背けた。

「いや、あまりにも幸せそうに食ってたんでな」

 赤い顔でグラスを口に傾けるが水はもう既に飲みきってしまった後で、また気まずそうにグラスを置く。くくく、と、テリーは笑った。

「…笑うなよ…」

「はは、悪い」

 と、言いながら全く悪びれていない顔。

「服、綺麗になったんだな」

「うん!さすがサンマリーノだよな、すっごく綺麗にしてもらって、あとサーカス団の服も高値で売れたんだ」

「へぇ、良かったな」

 ユナは、ちらりとテリーの様子を盗み見た。ユナの髪が長い事を気にする素振りは無いようだった。ずっと固まっていたマスターが、驚いた顔そのままで声を上げた。

「テリー君、無事だったのかい?突然街から消えちゃうもんだから、ビビアンちゃん心配してたよ!」

「ああ、分かってる。その事でちょっと寄ったんだ」

 二人は知り合いなのだろうか、ユナが問いかけるより早く、店の奥の扉が開いた。

「…テリー…!?」

 入ってきたのは、若くて美しいバニーガールの女性。ブロンドのふわふわした髪を腰のあたりまで靡かせる、化粧映えするその華やかな顔立ちは一気にその場を明るくさせた。女はテリーを見るや否やテリーに飛びついて

「もうっ!どこに行ってたのよ!あれからすぐ消えちゃうし、酒場には来ないし!…心配したんだからね!!」

「ああ…悪かった…だからもう離れろ」

 周りの客の嫌悪の視線。
バニーガール――――ビビアンは、名残惜しそうにもう一度テリーに触れ、ようやく離れた。

「テリー、まだ旅立たないわよね?まだ、サンマリーノに居るんでしょ?」

「その予定だ」

「…良かった…」

 ほっとしたその顔は本当に心から嬉しそうで、もう一度、良かったと呟いた。

「出発する時はちゃんと報告してよね!…心配するから……」

 テリーはビビアンの方を見ると、面倒くさそうな、仕方なさそうな表情で頷く。それはいつも、ユナが見ているテリーの表情だった。

「………っ」

 そのやり取りは、ユナの視線を捉えて離さなかった。
テリーが女の人とここまで親しく話しているのを、初めて見た。美味しかった食事の余韻は全て吹き飛び、代わりに胸の奥からなにかがぽろぽろと落ちていくような感覚。慌てて二人から顔を背けた。

何動揺してるんだよ――――。

騒ぐ胸の内は収まる気配は無い。
隣の楽しそうな会話と共に、甘い香りが漂ってきた。
ビビアンがつけているのか、花の香水のいい香り…。
ユナは、ひとつ隣の椅子に座り直し、二人から距離をとった。

「……?」

 その音に気付いたビビアンがユナの方を振り向いた。美しいバニーガールと目が合ってしまって、ユナはどうしたらいいか分からず視線を彷徨わせた。

「ああ、そいつはユナだ」

「…え…?」

「色々あって、今、そいつと一緒に旅をしてる」

「………っ!」

 明らかにビビアンの顔色が変わる。

「はじめまして…あの…ユナ、です…」

「あっ…アタシはビビアンよ。この酒場に努めてるバニーガールなの。テリーには暴漢から救ってもらって、それからの顔見知り…」

 二人の間に流れるなんとも言えない空気。だがそれを感じられるのはきっとその二人だけなのだろう。

「話は変わるが、ビビアン。お前に頼みたい事があるんだが…」

 二人の胸中に全く気付かずテリーは話し出した。

「珍しいわね、テリーが頼みごとなんて…。聞いてあげても良いけど、こないだみたいに約束の途中で帰らないでよね!!」

「ああ、あれはオレが悪かった」

 テリーの頼みたい内容とはこうだった。
ペスカニ行きの船を紹介して欲しい。
内容だけ聞けば、簡単な事であるかのように思えるが、わざわざ見知らぬ旅人にこの船はどこそこ行きの船だ。など教えてくれるはずもない。レイドックやアークボルトなど、大都市行きの船はともかくとして、小さな港や漁村などに行く船は無用なトラブルを避ける為、仲間内で話をまとめるとそのまますぐ出ていく事が多い。

ビビアンはサンマリーノでは名の知れたバニーガールだった。情報を知る機会も多いし、船乗りの間でも彼女を慕っている男も少なくない。

「分かったわ、テリーの頼みだもの。調べておくわね」

「悪いな、助かる」

「でも、ちゃんと見返りはもらうからね!」

 悪戯っぽくビビアンは笑った。

「分かってるさ」

 テリーとビビアンの会話は一語一句はっきりと耳に入ってくる。ざわざわと胸に湧いているのは、エリザの時とはまた違う感情。
テリーと軽口を叩きあえるのは自分だけだとでも思っていたのだろうか?
自分だけが、特別なんだと思っていたのだろうか?

胸の苦しみはその答えを肯定する物でユナはどうしようもない程自分自身が恥ずかしくなり、おかわりした水を一気に飲み干した。

「それと…聞きたい事があるんだけど…」

 ややあって、ビビアンが訊ねた。

「その女の子は…テリーの何なの…?一緒に旅してるってどういう事?」

 あまりにもストレートな質問。突然自分の話題が降ってきて、ユナはあからさまに動揺した。

「…ああ、目的が似たようなものだから一緒に旅をしている。それだけだ」

「でも、こないだは一人旅してるって……!」

 この街から消える前までテリーは確かに一人旅をしていると言っていた。ふと見せる寂しそうな表情がとても強く心に残っていて、それ以来ずっとビビアンはテリーの事を想っていた。

「こいつとはこの間再会したんだ。わけあって別行動になっててな」

 ここ数日間、彼が街から姿を消していたのはこの彼女が原因なのだろうか。もしかしたらあのサーカス団とも関係があるのだろうか。

「別に、お前が気にするような間柄じゃないさ」

 考え込むビビアンに向けてはっきりとテリーは言った。ビビアンはそれでようやく納得したのか、ふぅん。とだけ返し仕事に戻るため席を外す。
合図のようにウィンクをするビビアンは、女のユナから見てもとても魅力的に見えた。



その夜は、体調を慮り早めに宿へ戻る事になったのでユナは正直ほっとした。
良い宿を紹介してやる、と言われて向かった先は、中央通から少し離れた高台にある2階建ての建物。中に入ると宿の主人が出迎えてくれた。主人は何かをテリーに手渡して、そのまま奥に引っ込んでいった。商売人とはおおよそ思えない程寡黙で、悪く言えば愛想の無い主人だ。

だが、詮索されるのが苦手なテリーはこれくらいでちょうど良いのだろうか。やり取りを見ている限りここに泊まるのは初めてではないようだ。

「ほら、お前の部屋だ」

 テリーから渡されたのは年代を感じさせる真鍮の鍵。

「サンマリーノの宿にしちゃ、鍵も付いて良心的な値段だぜ」

 案内された部屋はいつもユナが利用する宿屋より広くて掃除も行き届いていた。
皺ひとつないシーツの敷かれたベッド。その上には部屋着まで用意されており窓には浅黄色のカーテンが掛けられてあった。
あの主人がやったのだろうか、丁寧な仕事に感心する。

「あの主人に言えば一階で湯浴みも出来るからな。疲れてるだろ?湯浴みでもして、今日はさっさと寝ろ」

「あの、テリー、部屋代は?」

 ああ、とテリーは返して

「昨日はお前に任せたからな。ここの部屋代は払っといてやる」

 とだけ言うと返事も待たず扉を閉めて、自分の部屋へと戻っていた。

また、借りを作ってしまった…

気付いて一人、項垂れる。鞄から出てきたスラリンは、喜びながら綺麗な部屋中を跳ね回った。買ったばかりの靴を脱ぎ捨て、青いマントを椅子に掛けるとベッドに体を預けた。ふわりと、干したてのシーツの良い匂いがした。

考えなければいけない事は沢山あるのに、頭がひとつの事で支配されている。ビビアンのテリーを見つめる瞳が、ありありと蘇ってきた。

「………」

 ユナはベッドの上で何度か寝返りを繰り返す。
自分は、テリーにとって特別な仲間なのだと 心のどこかで期待していた。それがどれだけ傲慢だったのかを思い知って、ユナは枕を力の限り抱きしめた。

「……そりゃあ、そうだよ…テリーだったら、ガールフレンドの一人や二人いるよ…」

 自分だけが知ってると思っていた表情は、自分だけの物ではなかった。
ビビアンとの親しげなやり取りや、目的が一緒だから旅をしているだけだと言い放ったテリーの姿。その瞳はあまりにもまっすぐで、ユナはズキンと胸が痛んだ。

 何を勘違い、してたんだよ―――――

ただ一緒に旅が出来ればそれだけで良かったのにそれ以上は何もいらなかったのに。
寝返りを打つ度、長い髪が頬にまとわりつく。
卑しい気持ちを持っていた事がたまらなく恥ずかしくなりユナは枕に顔を埋め、ただぎゅっと強く瞳を閉じた。



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