16. ビビアン



 おいしいご飯を食べて、湯浴みをして、良い匂いのするベッドで横になる。ぐっすり眠る条件は揃っていたはずなのに、ユナはなかなか寝付けず結局寝坊する羽目になった。朝稽古も出来ず(早朝は気兼ねなく剣を振れる貴重な時間だ)長くなった髪の寝癖を直すのに必死で、朝食の時間ギリギリにようやく身支度を終えた。

「おはよ」

「遅いな。朝食、冷めてるぜ」

 寝癖は完全には直らなかったが朝食に有り付けないよりはマシだった。何度かむせ返りながら慌てて朝食をかき込む。

「そういえば、サーカス団、どうなった?今の所、街では話聞いてないけど――――」

 テリーは昨日の事を掻い摘んでユナに伝えた。
サーカス団はもういなくなっていた事、ユナが付けていた仮面を自警団に証拠として提出した事、そこでようやく自警団も重い腰を上げてサーカス団を調べてくれるようになった事、他の街や城にもお触れを出してくれた事。

仮面を被っていた団員は記憶を失っていたがユナのかつての仲間には違いなかった。
「早く見つかって欲しい」というような事を言うと、テリーもそれに同意した。

「時期に尻尾を出すだろう。何せサーカス団は目立つ事が売りだからな。目立てば捕まる、目立てなければ金は稼げない。八方塞がりだ」

 その後「自業自得だな」と付け加えて。

昨日酒場で話題に上ったペスカニ行きの船の事もテリーは教えてくれた。交易の途絶えたマウントスノー行きの船は出ておらず、地図上で一番近そうな場所が漁業が盛んなペスカニという港町だそうだ。取りあえずそこに行く事が今の目的らしい。
また今日も彼は港に情報収集に行くつもりのようだった。そして夜は昨日の酒場でビビアンの成果を聞く と

「……お前は今日はどうするんだ?日雇いで働くのか?」

「うん…そうだな。働き口探しながら、オレも、ペスカニ行きの船が無いか調べてみるよ」

「…また変な所にひっかかって誘拐されないようにな」

「もうっ!オレの事いくつだと思ってるんだよ!」

 頑固な寝癖がユナが動く度ひらひらと揺れた。




 テリーに宣言した通り、働き口を探すついでにユナは街を歩いて情報収集をした。
港や酒場はテリーが調べるだろうからそこへは行かず、自分にしか出来ないやり方で情報を集めようとしたのだ。
中央通は歩かずに裏道を歩く。所狭しと並ぶ建物、薄暗い路地、迷路のような道、突然現れる階段や行き止まりの壁。そういう、人の目が離れている場所には居るのだ。猫が。そう、猫だ。

「にゃぁ〜〜ん」

 一匹の黒い猫が足元に寄ってくる。瞳は緑色で、靴下を履いているように足先だけ白い。

「よう、今日はもう皆集まってるか?」

「にゃぁん」

 猫は付いてこい、と言わんばかりに歩き出した。階段を上り、建物の間を抜け、また階段を下る。そこは建物と建物の間でちょっとした広場になっていた。両脇から延びる木々がその広場を隠していたが、そこに猫が集まっている。

「にゃあ」

 先ほどの猫より低い声で一番に声を発したのは、中心に居た片目が潰れている灰色の猫。

「よっ、今日は聞きたい事があって来たんだ」

 猫たちに近付く。猫は逃げる事もなくユナの周りに集まった。

「ペスカニって知ってる?そこに行く船に乗りたいんだけど、何か知らない?」

 猫はにゃあにゃあと声を上げた。ユナは眉に皺を寄せて

「う〜〜ん、そっか、サンキュー!また情報が入ったら教えてくれよ!」

 どうやら猫からは有力な情報は得られなかったようだ。

「いつも助かるよ!今度何か持ってくるな!」

「にゃあ〜ん」

 猫たちは同時に鳴くと、再び日向ぼっこをしたりお喋りを楽しんだりと日常に戻って行った。

ユナは考えながら入り組んでいる道を歩いた。猫は人との距離も近く、猫同士の繋がりもあるので街ではかなりの情報通だった。しかし、ペスカニ行きの船の話は最近聞いた事が無いそうだ。
最近物騒なせいか、商船や漁船も気を張っているらしい、と若い猫も言った。
考えながら歩いているといつの間にか道に迷ってしまっているみたいだった。見た事もない風景、通り、キョロキョロと辺りを見回しながら歩くと、いかがわしい店が並ぶいわゆる娼婦街に来てしまった。

変な所に来てしまった…。

 昼間だと言うのに、店の前には呼び込みの女性が何人か出ていた。甘ったるい猫なで声で歩いている男たちを捕まえている。ユナを男だと間違え声を掛けてきた娼婦は、女だと知った瞬間罵声を浴びせた。

「紛らわしい格好すんじゃないよ!!ブス!!」

「ごっ!!ごめんなさい!!」

 その迫力に気圧され謝罪の言葉が口を突いた。

早く出よう――――

また捕まえられないように早歩きで通りをやり過ごす。
ようやく大通りの光が見え始めた頃、一人の娼婦が男を捕まえているのが視界に入った。その姿はユナの良く知った姿で

「お兄さぁん、ねぇ、いいでしょ?」

 銀髪で青い服、遠くからでも良く目立つ。
脇道の道具屋に入ろうとしていたのだろうか、ユナは飛び上がるように驚いて、その勢いのまま建物の陰に隠れる。
胸元を大きく開けた女性はその人――――テリーにすり寄った。

「悪いな、興味ないんでね」

 相変わらずの調子で誘いを突っ撥ねた。

「いいじゃなぁい!ちょっとスッキリしていきましょうよ、お兄さんみたいな素敵な人なら料金、サービスしちゃうからぁ」

「興味ないと言っただろ。他を当たってくれ」

 女性は全く怯む事無く、強引にテリーの腕を掴み豊満な胸に押し付ける。

「お兄さん、一番そういうの欲しい年頃でしょ?無理しなくて良いのよ?私と一緒に楽しい事しましょうよぉ」

 耳に口元を近付け、妖艶に笑った。テリーは髪を掻き毟りため息をつくと、女性の腕を勢いよく振り払った。

「はっきり言わないと分からないか?アンタみたいなのとヤる程、オレは暇じゃないんだ!分かったらさっさと別の男にでも媚びるんだな」

 今までこれほど誘惑して乗って来ない男は居なかったのか、女性は唖然とした。そして、その後真っ赤になって手のひらを返すように喚いた。

「はんっ!こっちだって!!生意気なガキなんてお断りよ!仕事だからって、声掛けて損したわ!!」

 吐き棄てるように言うと、短いスカートを翻しながらその場から立ち去って行った。テリーは何を気にする風でなく、さっさと道具屋へと入って行く。

立ち聞きしてしまった…

娼婦のあしらい方はずいぶん慣れているように見えた。
罪悪感と、知らないテリーの一面を見てしまったという思いが折り重なりユナも、逃げるように日の当たる中央通へと走り去った。




 テリーは、酒場や道具屋、武器屋、防具、港、と情報が集まりそうな場所をはしごして一日中サンマリーノを歩いた。しかしペスカニ行きの船の情報は全くと言いほど耳に入って来ない。そして今日に限ってしつこい娼婦に捕まるわ、町娘に何度も声を掛けられるわで情報を得られないどころか輪をかけて苛々が募っていった。
どうして、女と言うのはみなこうなのだろう――――。

いつの間にか夕暮れが近い。ビビアンの情報に期待しようと港から踵を返した時、小さな子供を連れた母親とすれ違った。

「ママ見て!とりーーーー!」

 夕飯の買い物帰りなのだろうか、母親の方は木の桶を両手で抱えていた。子供が指差したその先は港の外れにある桟橋。その桟橋に白いカモメが集まっていた。

「すごい数の鳥さんねえ、なにかあるのかしら?」

 餌でも撒いてる奴が居るのか?それにしてもすごい数だ。遠くで見た限りでも10匹は優に超えてる。
何となく気になって桟橋へと足を運ぶ。カモメに囲まれるようにして立っていたのは、なんというか、やはり

「ユナ」

 白いカモメが鳴きながら徐々に徐々に羽ばたいていった。その中から姿を現したのは、良く見知った女。その姿があまりに人離れしていて、つい目が離せなかった。

「テリー」

 目が合うと小走りで駆けて来てくれた。

「まさか、喋ってたのか?カモメと…」

「うん?そうだけど…」

 あっけらかんとそう言う。テリーは声を殺して笑った。

「何でもありだな」

「なんだよ〜!カモメは、頭いーんだぜ!一度見た物は忘れないんだ」

「へぇ」

 ユナの言っている事が本当ならペスカニ行きの船の情報も得やすいだろう。何せ海を上から見下ろしているカモメだ。十分に期待出来る。

「で、どうだったんだ?」

「……分からないって」

 気まずそうに伝える。

「サンマリーノ近辺しか飛ばないから、船がどこから来て、どこへ行くかも分からないって」

「…そうか…」

 カモメは港に良く集まる。それは船のスクリューで巻き上げられた魚を食べるためだ。そうなればここサンマリーノはうってつけの場所なのだろう。

「……髪、切ったんだな」

 ふと、テリーが切り出す。
肩まで伸びていた髪はばっさりと切られていて、いつものように頭の形に添って切りそろえられていた。

「えっ…ああ、うん…やっぱこっちの方がいいかなって思ってさ。寝癖もすごいし…」

 ユナは、街を探索する前に長くなった髪を短く切ったのだ。少年のように短くなった髪を触りながら笑った。

「ふぅん、まぁいいんじゃないか。そっちの方が見慣れてるし、お前らしいぜ」

 そうテリーは返すと別段気にする事もなくユナに背を向けた。

「じゃあ酒場に行ってみるか。ビビアンの方でも何か聞いてるかもしれないしな」

「……うん……」

 少しだけ寂しそうに返事をして二人は昨日の酒場、サンジュエルに向かった。



 二人はそのまま昨日の酒場、サンジュエルに向かった。昨日と同じように落ち着いた佇まいの店の扉を開く。テーブル席はやはり満席だったのでカウンター席に座った。

「来たぜ…青い閃光だ…」

 テーブル席は昨日のような町の人々の姿は無く、港の男たちや冒険者たちでいっぱいだった。

「最強の剣だとよ…笑っちまうよな」

「チビの癖にいきがりやがって…」

 馬鹿にしたような笑いが聞こえてくる。わざと聞こえるように言っているのか、ちらちらとこちらを見ている。

「………!」

 ユナは立ち上がってテーブル席を見回した。
そんなユナには気にも留めずテーブル席は変わらぬ賑わいを見せている。テリーは特に気に留める様子も無く、食事を注文した。

「ユナ、放っておけよ」

「…だって…」

 眉に皺を寄せもう一度テーブルを見回しカウンターに座り直したが、やはり舌打ちやらなんやらが聞こえてくる。それに混じってテリーへの悪態も。
ユナはどうしても我慢できなかった。面と向かって言えないからって影でコソコソと言うなんて(しかも聞こえるように)許す事なんて出来ない。
椅子から立ち上がると、テーブルの一つに赴いて

「バカにすんなよ!」

 テーブルで酒を煽っていた男3人組にそう言い放った。

「なんだぁ、姉ちゃん」

「最強の剣を探す事の、何がそんなにおかしいんだよ?」

 眉間に皺を寄せ、まっすぐに見つめてくる少女。テーブルに居た逞しい体の男たちは顔を見合わせ笑った。

「さすが、青い閃光の連れは変わってんな。分かんねえのかよ?最強の剣なんて、あるわけねぇよ」

「そんなの!探してみなけりゃわかんねえじゃねえか!」

「だから変わってるって言ってんだよ!お子様!」

「お子様はどっちだよ!陰でこそこそ笑って、一生懸命な人をバカにするおまえらの方がよっぽど、お子様だろ!!」

「てめぇ…っ!」

 立ち上がってすごむ大男にユナは怯んだが、震える足を抑え一歩も引かず睨み返した。
剣呑な雰囲気が一気に広がった。

「その辺にしとけ」

 その雰囲気の中、仲裁に入ったのは話題の中心に居たテリー。ユナの腕を掴んで戻るように促した。

「テリー!だって、こいつらが…っ!」

「お前はまだ酒場での振る舞い方がわかってないらしいな。そんなんだったら、ここにも連れてこれなくなるぜ?」

「………っ!」

「酒場で揉め事を起こすな」

「………」

 テリーの言う事は分かっていた、だが、頭で納得出来ても気持ちまでは納得できない。俯いて仕方なく感情に折り合いを付けると、ユナは”ごめん”と小さく呟いて席に戻った。男たちも舌打ちするとテーブルに戻る。酒場はまたいつもの雰囲気に戻って行った。

「…全く…だからお前はトラブルメーカーなんだ」

「だって、さっきのは仕方ないだろ!テリーがバカにされるなんて、許せないよ!」

「オレの事を考えてくれてるんなら、我慢しろ」

「………」

 いつの間にか目の前には冷たいミルクが置いてあった。それを喉に流し込むと、ミルクと一緒にはちみつのような甘い味がする。マスターが料理を出してくれた。

「今日のおススメは海老のビスクだよ」

 海老の香りと何とも言えない濃厚な香りが食欲をそそった。
それと、食べごたえのありそうなハムの乗ったサラダ、穴の開いた丸いパン(ベーグルと言うらしい)パンにはチーズが挟んである。

「奢ってやるから、それでも食って落ち着け」

 テリーにも同じ料理が並べられている。
食事に手を付けた途端、怒りの感情が引っ込んだ自分を恥ずかしく思う。マスターの手料理が美味しい事もこの店が人気の理由なのであろうか、あそこで騒ぎを起こして店に迷惑掛けなくて良かった…とユナは自分の行動を恥じた。

「テリー」

 昨日と同じ時間帯に、金髪で巻き毛のバニーガールが店の奥から出てきた。
昨日とは違う、赤いバニースーツだ。

「ごめんね、ペスカニ行きの船、まだ見つからない」

 開口一番彼女は言った。

「そうか…まぁ、仕方ないさ、オレたちの方も何の情報も得られなかったからな。また頼む」

 しばらくビビアンとテリーは談笑した後で、テリーの方が席を外した。別の情報屋と待ち合わせをしているらしく、酒場から出ていく。取り残されてしまったユナは、ご飯も食べ終わり手持無沙汰のままアイスミルクのお代わりを飲んでいた。
お目当ての人も居なくなったというのに、ビビアンはカウンターに座ったままで、ユナの横顔を見ていた。

「………」

 気付かない振りをするにも限界があって、ユナは遠慮がちに視線を合わせた。

「オレになにか…?」

「あなた、テリーのなんなの?」

 昨日と同じ質問を、今度はユナにぶつけてくる。そのあまりにも素直な感情の乗る言葉は彼女の性格をそのまま表していた。

「なんなのって…昨日テリーが言っただろ?特に、気にするような間柄でもないよ。たまたま目的が一緒なだけ」

「本当にそう?」

「……どういう意味だよ?」

 体ごとユナの方を向いてまっすぐな瞳で

「私は、テリーが好き」

「……っ」

「だから、心配なの。あなただって年頃の女の子じゃない、あんな人と一緒に居て特に気にするような間柄じゃないの?本当に、恋愛感情も何も持っていない仲間だって言えるわけ?」

「テリーの言ってる事は本当だよ!本当に何もない、恋愛感情もなにもない、ただの仲間・・・」

 もう一度ユナはビビアンの言葉を反芻する。

「貴方の方は違うんじゃない?」

 ユナから視線を離さず、観察するように見つめる。

「好きなんじゃないの?彼の事」

 見つめられる事が苦しくなって、視線を落とした。

「オッ…オレは別にそんなんじゃ…」

 改めて自分の気持ちに向き直る。
トルッカでの事、毒に侵された時も自分を見捨てなかった事、サーカス団から助けられた事、青い帽子をずっと持ってくれた事。
思い出すと体が熱くなって、顔は赤く蒸気した。この想いを隠すなんて、真摯に聞いてくるビビアンの前では出来ない。

「………好き……テリー…が…」

 じっと押し黙った後、ユナは初めて自分の気持ちを打ち明けた。ビビアンは、やっぱり、と小さく呟く。

「告白はしたの?」

「そんなの…っ!出来るわけないよ!」

 真っ赤な顔で反応してしまった。

「いつ、死に別れるかも分からないのに?」

 ビビアンは、トルッカでユナを助けてくれたヒックスと同じような言葉を口にした。

「…だって…怖い…よ…」

 オレが、テリーを好きだなんて、テリーが知ったらどう思うだろう。それを考えると怖くて、心臓が渇いた音を立てた。

「そういうの、私、キライ――――」

「ちょっと、ビビアンちゃん」

 マスターはいなすように口を挟んだが、逆にビビアンの気持ちを煽った。

「だって、マスター、この子ずるいわよ!自分の気持ちを伝えるのが怖いだなんて、子供の言う事だわ!そんな甘ったるい考えで、テリーと一緒に旅してるなんてずるい!」

 ユナをキっと睨みつける。
自分の想い人と一緒に旅をしている少女は少年のように短い髪、古ぼけた青いマント、背負ってる剣も綺麗とは言い難かったし、髪の毛も櫛を通していないのかボサボサだった。何の努力もしていないように見受けられて、それが何故かイライラした。
顔もスタイルも私の方が良いに決まってるのに。
テリーの隣に並ぶのに、この子はふさわしくない。

「好きなら好きだって、ちゃんと彼に言うべきだわ!気持ちを隠して一緒に旅してるだなんて、貴方を信用している彼に対する裏切りじゃない!」

 ビビアンの正論ともいえる詰問はずっと避けていた場所に容赦なく突き刺さる。何も言い返せず、ただユナは閉口した。

「ビビアンちゃん、その人にはその人の考えってものが――――」

 マスターの助け船を待たず、いいタイミングで酒場の扉を開ける鈴が鳴った。
入ってきたのはユナとビビアンの想い人、その人。ビビアンは座っていた席を空け、テリーを迎え入れた。

「…?どうした?何かあったか?」

 明らかに店を出る前と空気が違っていたので怪訝な顔でテリーは問いかけた。

「うっ…ううん、何でもないわ。テリー、今夜はゆっくりしていってよね」

 ビビアンは俯いているユナをちらりと一瞥すると、ようやくバニーガールの仕事に戻って行った。
ユナはアイスミルクを飲み干すと、マスターに”ごちそうさま”と伝えて席を立つ。マスターは心配そうにユナを見つめた。

「テリー、ご飯ありがとな!オレ、先に宿に帰ってるよ」

 頭を下げる振りをして、目を合わさず酒場から出て行った。

「ビビアンちゃん……」

 グラスを下げにキッチンに戻ってきたビビアンにマスターが声を掛ける。

「……あの子が、羨ましい……。私も旅が出来れば、テリーに付いていきたい…」

 正直にそう言って

「…まっ!私がそんな事したらこの酒場潰れちゃうかっ!」

 次に振り向いたビビアンはいつも通りのビビアンだった。しかしそれも長くは持たなかった

「………マスター気付いた?テリーの、雰囲気が変わってるの…」

 肯定の意味を含んだ沈黙。神妙な顔でビビアンは話を続けた。

「少し前まですごくとげとげしくて、そのくせ寂しそうな顔してたのに」

 今の彼はそんな彼とは少し違っていた。初めて見る彼の柔らかい表情、変わった理由はきっと――――。
手からグラスが滑り落ちて派手に割れた。その音でビビアンは我に返る。

「ごっ!ごめん!今片づける……っ!」

 慌てて片づけようとして、うっかり破片で指を切ってしまった。赤い血がみるみると滲んできた。マスターはビビアンを手で制して、手際よく割れたグラスを処理する。

「ビビアンちゃん最近疲れてるんだよ。今日はもう休んでいいから」

「…でも…っ!」

「いいから!こんな仕事させておいてこんなこと言うのも何だけど、夜更かしはお肌の敵だよ。さあ、さっさと休んで」

 ビビアンは項垂れたまま少し考えて頷くと店の奥に引っ込んだ。




 サンマリーノの夜風は心の中とは裏腹に爽やかだった。
高台に建っている宿の二階からは、月に照らされて光るサンマリーノの海が見える。眠る準備をすっかり済ませ、ユナは窓からずっと海を眺めていた。窓から見える海に興奮していたスラリンも、今はもう自分の寝床でうとうとしている。

「ずるいのかな…オレって…」

 ビビアンから言われた言葉が思い出された。
イミルも、エリザも、ヒックスも、ビビアンも、ちゃんと自分の気持ちを伝えて、その答えをまっすぐに
受け止めた。
それはきっととても勇気の要る事なんだろう。
もし自分がテリーに告白したらどうなるのだろうか、それでも一緒に旅を続けてくれるだろうか。それとも、そんな感情を持っている女とは一緒に旅できない なんて 言われてしまうだろうか。

ユナは窓を閉めると薄いレースのカーテンを引いた。仄かな月明かりが部屋に差し込む中、ベッドに潜り込む。

目が覚めたらこの想いが、全て無くなっていればいいのに。

そんな事を考えながら、眠りに就いた。





 それから数日、二人は同じ事を繰り返す事になった。
街では情報収集をして、夜になれば酒場で成果を話し合う。ユナは厩舎で馬の世話をする仕事を見つけ、そこで働きながら預けられる馬や御者に話を聞いた。テリーも、知り合いの自警団に当たったり、街の外の宿場へ足を延ばしたりもしたがペスカニ行きの船の情報は見つからない。

ようやく目ぼしい情報が飛び込んできたのは、サンマリーノに着いて8日目の昼だった。
ビビアンの知り合いの男が、近々ペスカニに魚と交換で物資を届けに行くと言うのだ。夜にその男の元をビビアンと共に尋ねると、向こうも護衛を欲しがっていたのだろうか二人を船に乗せる事を快諾してくれた。

船の出発は3日後の早朝。
その間に礼として、デートに付き合う事、とビビアンは半ば無理やりテリーと指切りをした。自分の気持ちを心の底に押しやって、ようやくユナはテリーに「良かったな」と言えた。




「…言っておくがな、恥をかいてもしらないぞ?」

「だって、だって、仕方ないだろ!マスター困ってたんだし…!」

 渡されたバニースーツをどうしたものかと手を揉んでいる内に酒場の開店時間は刻々と迫っていた。
今日はビビアンとテリーのデートの約束日。仕事に穴を空けてしまうという事で成り行きで、本当にたまたま成り行きでユナがビビアンの代わりを務める事になったのだ。

「バニースーツ着るなんて聞いてなかった…」

「ビビアンの代わりをするっていう意味じゃ、言わなくても分かる前提の話だからな。良く考えもしなかったお前が悪い」

「うっ……」

 確かに、その通りなのだろう。
しかしここで逃げるわけにはいかない。もし逃げたらもう二度とこの酒場には来れないだろう。マスターのあの手料理を食べられなくなる事態だけはどうしても避けたかった。その思いを源に意を決して奥の部屋へ引っ込む。
なるようにしかならない――――。




「すごい!ビビアンちゃんのスーツ、サイズぴったりじゃないか!!うん!良く似合ってるよ!」

 部屋から出てきたユナを迎えてくれたマスターの言葉で少しだけほっとした。
初めて着るバニースーツに不安しかなかったが、どうやらそこまで酷くないらしい。大きく開いた背中を隠すベストも着させて貰ったが開いた胸元と露出した太もも、そしてうさみみバンドはサーカス団の服とは比べ物にならない気恥ずかしさが有った。

「ふぅ〜〜ん、まぁまぁじゃない…」

 スタイルの良い事を自負していたビビアンも、見るからに驚いた顔をしていた。
サイズが、まさにピッタリなのだ。だがしかし、ユナの方が少しだけ背が高いせいだろうか胸周りは少しきつそうに見えた。

「へ、へんじゃぁ ない?」

「…別に…」

 ユナは心配げにテリーの反応を見るが、相手はいつも以上に素っ気なかった。ビビアンは両手でユナの両肩を掴み、強い口調で懇願した。

「とにかく、この酒場の評判を落とすような事はしないでちょうだいよ!こないだみたいにお客さんとやりあうなんてもっての外だからね!」

「…わかってるよ…」

 訝しそうにユナを見つめた後、…今日はありがとう。と本当に小さくお礼を言ってテリーと共に夜の街に消えて行った。
きっと良い奴なんだろう…。
二人が歩いて行った先を見つめて、気持ちを切り替えるよう店の看板をOPENにした。




 想像していた以上にこの仕事は忙しく、
テリーとビビアンのデートに思いを馳せる暇も無かったので、その点については有難かった。よくよく考えればビビアンはこの酒場でほぼ毎日と言っていいほど働いているのだ。ユナはビビアンを素直に尊敬した。

「新しく入ったバニーガールの子かい?」
「可愛いね!君みたいな子、タイプだよ」
「恋人はいる?」
「胸のサイズ、いくつ?」
「お尻触ってもいい?」
「この後、空いてる?」

 最初の内は丁寧に断ってはいたが、あまりの卑猥な会話の多さで体力的にではなく精神的に参ってしまっていた。
酒場で上手く立ち回るとは こういう輩に上手く返せるとかきっとそのような事を言うのだろう、とテリーの言葉を思い出した。無理やりお金を渡そうとしてくる男を、何とかユナは断った。体中を舐めるようにじっとりと見つめられる事がたまらなく気持ち悪かった。

「大丈夫かい?ユナちゃん。今夜の客、引きが悪かったね」

 ようやく一息付けて、カウンターで休んでいる所にマスターが声を掛ける。

「そ、そうなの…?」

「港がちょうど混んでる日だからかな…あんまり、気にしないで」

「うん…」

 夜も更けた閉店間際なのに、客はまだ騒いでいた。テリーとビビアンも帰ってくる様子はない。

「ちょっと外の空気でも吸ってきたら?もうオーダーは終わってるし、後は僕の方でなんとかしておくから」

 マスターの申し出を有難く頂戴して、店の裏口から外へと出る。下弦の月。それに掛かるように星空が見えていた。

「綺麗……」

 街並みはまだ光を持っていて、酒場のランタンがオレンジに光っている。港の明かりもまだ海を照らしていて、汽笛がゆっくりと響いていた。

こんな街で、二人はデートしているのだろう。灯台に照らされた夜の海を見ているのだろうか、酒場で酒をかわして食事を楽しんでいるのだろうか。
それとも……
なぜか、昨日の娼婦街の事が思い出されて、ユナは驚いて頭を振った。

何考えてるんだよ――――!

そんな事を一瞬でも考えた自分が信じられなくて、髪をぐしゃぐしゃまさぐった。。
…少し歩こう…と酒場の表扉に回った時、酒場のランタンに照らされた二人の姿が飛び込んできた。

「テ…」

 声を掛けようとして、時間が止まったかのように体が硬直した。
ビビアンの手はテリーの頬に伸びて、その赤く色づいた唇はテリーの唇と重なった。

どれくらいの時間が経ったのか、ビビアンの方から唇を離した。
ありがとう
その言葉だけが聞こえ、その後、酒場の扉を開く音が聞こえた。

息をするのも忘れ、ただ、ユナはその場に立ち尽くすしかなかった。



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