21. モンストル



御者をしてファルシオンを走らせながら、ウィルは久々にため息を吐いてしまった。

『北の”アークボルト”と言う城を目指せ。そこに吉の兆しが見える』
ダーマ神殿の王様の言葉が頭に思い出された。

視界には見渡す限りの草原、青い空に白い雲、街道脇に植えられた樹木の影が走る。どこまでも続く街道は”アークボルト”では無く”モンストル”と言う街に続いていた。


 3日ほど前。
サンマリーノ港から1週間ほどでアークボルト港に到着する予定だったのだが予想外のアクシデントがゲントの船を襲った。

大時化で船が流されてしまった上、荒波に乗って流れてきた大木に衝突してしまったのだ。一時はどうなる事かと思ったが幸い近くの港に避難する事が出来た。損傷は激しくないようで安心したのだが、そこの港の船職人はよその船の修理をする為に親方に許可を得なければいけないらしい。港を仕切る親方は、”モンストル”と言う街に外出中で帰るのはいつになるか分からないと言う事だった。

修理の許可を得るため、ウィルたちは仕方なくモンストルに馬をとばす事になった。





「はぁ?もしかしてあんた、旅の方かい?」

「はい、宿をとりたいんですけど…」

 モンストルに着いたのは、港から5日後の夕方だった。親方に会い許可をもらった時にはすっかり日が落ちてしまっていて、今日はここで宿をとる事にしたのだ。

「悪いんだけど…帰ってくれないかい?」

「え!?」

 宿の主人の言葉に、皆は耳を疑う。

「北に行けば、小さな宿所がある。そこで休んでくれないかい?」

 ウィルが慌てて反論した。

「ちょっ、ちょっと、どうしてですか?ここは宿屋なのに、泊まっちゃいけないんですか!?」

「こっちも色んな事情があるんだよ…すまないが…」

「お前さん!」

 宿の主人がその声に振り向くと、そこには頭に三角巾をかぶった中年の女性。おそらく、主人の奥さんだろう。奥さんはウィル達に軽い会釈をした後、主人に耳打ちする。

「可哀相じゃないか、もう夜になるって言う時なんだし…一日だけ泊まらせてあげてもいいんじゃないかねぇ」

「でも…お前…」

 不安げな宿の主人。ウィルたちが不審に見つめる。

「大丈夫だよ、夢だと思うにきまってるさ。明日になればこの村を出ていってくれればいいんだから」

「………」

 なにやら耳打ちした後、宿の主人は少し考えて頷いた。

「分かった。今日は特別にここに泊めてやろう。だが、明日の朝早くにこの村を出ていってくれよ!」




「なーによう!あの偉そうな態度は!!」

 部屋に入ったとたん、バーバラがぼやく。

「そうね、何だかおかしかったわね」

 ミレーユも考え込んでしまっていた。

「おかしいと言えばこの村の皆さんの態度全てが変ですよ。よそよそしいというか…警戒しているというか」

 チャモロまでも腕を組んで呟いた。

 ハッサンはその大柄な体躯に見合うおおらかな心の持ち主なのか早々にベッドに寝転がってうとうとしていた。ウィルはと言うと考えるでも怒るでも無く、世界地図を広げている。この周辺はモンストル以外大きな町や城はない。宿所や港、小さな村などがぽつぽつとあるだけだった。ここモンストルから地図の下方には”アークボルト”と書かれてある。

まぁ修理の承諾も貰えた事だし、あとはここへ向かうだけだ。

「まぁ泊まらせて貰えるだけありがたいよ」



「おばさん…あの人たち……」

 宿から出てきた見慣れない旅人の姿を目撃した少女は近くの女性に尋ねた。

「ああ、何だかどうしてもこの町に泊まりたいって言ってる冒険者だよ」

「冒険者…?」

 少女は怪訝な顔で返す。女の方は苦笑しながらぽんっと肩をたたいてくれた。

「ええ、きっと…大丈夫よ。現実だって思わないわよきっと…」

 女の誤魔化すような言いように少女は胸の不安をうち消せないでいた。



 人々は勿論、草木や虫、動物も眠りに就いてるであろう深い夜。満月の青い光だけが起きて町中を照らしていた。

静かな町の、あまりにも静かな夜。

その静寂は、突然壊れた。地面を揺るがすような大きな地鳴り――――ウィルは目を覚まして飛び起きた。

「なっ、何だ!?地震か!?」

 ドスン!!ドスン!!!
地震はおさまる所かだんだんと大きくなっている。

「ウィルも気づいたか?」

 既に起きあがって外に出る準備をしていたハッサンが感心して呟いた。チャモロも眼鏡を装着して袈裟に腕を通していた。

「気づくに決まってるだろう!?なんだ、これは。地震か!?」

 ミレーユとバーバラも驚いた顔で部屋から出てきた。皆がいっせいに外への扉にへけつけると、そこには宿の主人が待ちかまえていた。

「オヤジさん!この音は、いったい…」

 ハッサンが尋ねるが、宿の主人は無言のまま扉の前から動こうとしない。

「頼むからここから出ないでくれないか?」

「私からもお願いします!」

 主人の奥さんも出てくると同じようにドアの前に立ちふさがる。

「一体どういう事なんですか!?」

 二人が頑としてそこから動かないことを知ると、ウィルは階段を駆け上がった。

「この宿には屋上がありましたよね」

「ちょ、ちょっとお客さん!!」

「ごめんなさい!ご主人、おかみさん!私たち、本当の事を知りたいだけなんです!」

 バーバラはそういって謝罪すると、ウィルの後に付いていく。ハッサン、チャモロもそれに続いた。項垂れる主人と奥さんを見て、ミレーユは声をかけた。

「どういう事なんですか?一体……」

「………」

 二人は観念したのか、固い口を開いて話し出した。



 3階の階段を上り終えて、屋上へと通じる扉を開けると

『グオォォォ!!』

 魔物の巣窟で聞くような咆哮が地鳴りのように襲いかかってきた。その雄叫びがビリビリと体に伝わってきて目を伏せる。ゆっくりと目を開くと街で一番大きな建物、教会よりも先に大きな影が目を掠めた。

『グオオオオオオ!!』

「まっ…魔物!?」

 ウィルたちの目に飛び込んできたものは
ドラゴン…!?いや、ドラゴン並に大きな魔物だった。赤く光る瞳と同じように赤く裂けた口から覗く鋭い牙、頑丈そうな体は固そうな体毛に覆われている。四つんばいになって町中を動き回る姿は非現実的で、ただただ異様な光景だった。

「なっ…なんだあいつは…!」

 ムドーとも互角に渡り合った彼らではあったものの、目の前の魔獣に言葉を失っていた。

「町の人を苦しめていたのはこの魔物だったのか…」

 ウィルが剣を抜いた瞬間、その魔物は血走った瞳でウィル達を睨んだ。

ウィルとハッサンは屋上から飛び降りて魔物を見上げる。空に浮かぶ月さえも隠してしまう魔物に息をのんでしまった。

『グアアアアアアア!!!』

 何かを感じ取ったのか、魔物は咆哮しながらウィルに襲い掛かって行く。固い体を剣で斬りつけた。

『グアァァァ!!』

 魔物は激しく尻尾を振り回した。それを紙一重でかわすと、ハッサンも拳を振り上げた。

「戦うのを迷ってる場合じゃなさそうだ」

 巨体に似合わず素早い魔物の攻撃をかいくぐりながら必殺の正拳突きを食らわせる。一瞬魔物が怯んだ隙を、ウィルは見逃してなかった。

「これでも…」

 空を駆け上がり、剣を振りかざす。

「くらえっ!!」

 ガキィッ!!
激しい金属音と衝撃にウィルは不意をつかれ、しりもちをついた。剣を身構えたシルエットが目の前に立ちすくんでいる。人間…?

「…これ以上アモスを傷つけるようなら、オレが相手になる!」

 背丈に似合わないほどの大きな剣を手に、そう叫んだ。ウィルとハッサンは戦う事も忘れ、ただ呆気にとられていた。魔物を庇ったシルエットは、華奢な体の少女であったから。闇を纏った金髪は男のように短く切りそろえられていて、瞳は神秘的な光をたたえている。青いマントを羽織って、真っ向からウィルを睨んでいる。

「どーしたんだよ!オレが相手だって言ってるんだ!」

「な…」

 まだウィルは腰が抜けている。そんなウィルに変わってハッサンが

「何言ってるんだよ!はやくその魔物から離れろ!危険だ!!」

 その少女はハッサンの言葉にも耳を傾けず、魔物の側へと寄った。

「何やってるんだ!危ねえって言ってるのに!!」

「みんな止めて!!」

 扉が勢いよく開く音とミレーユのけたたましい声が耳を突いた。ミレーユはみんなの前に飛び出した。

「どうしたんだミレーユ!何が…?」

『グオオオオ!!』

 魔物は少女を見つけた途端、ひとなきして手を振りかざした。

「きゃあ!危ない!」

 バーバラが顔を両手で覆う。ミレーユはウィルたちを制止して静かに少女を見ていた。魔物は少女を守るように振りかざした手で優しく包み込んでいた。

『グオオオ…』

 少女から光が漏れる。それはホイミの光だった。どんどん魔物の傷が癒されていく。

「な…これは…どういう事なんだ…」

 ようやくウィルは言葉を発する事が出来た。
少女を守るように丸くなる、おぞましい魔物。その魔物の傷を癒す少女。いったい、何がどうなっているのか分からない。

「アモスが、何したっていうんだよ…」

 ホイミを唱えながら少女は呟いた。

「ただ町を歩き回ってただけだろ、お前たちに攻撃してきたわけじゃないんだろ?」

 ウィルはその言葉にハっとして黙り込んでしまった。そうだ、危害を加えられたわけでも、街に被害を与えていたわけじゃない。その姿形で判断して、自分たちから剣を抜いた。誰一人動けなかった雰囲気の中

「…ごめんなさいね…」

 ミレーユが歩き出して、その少女に近づいてきた。

『グアアアア!』

「ミレーユ危ねぇ!」

 青い顔でハッサンが叫んだ。魔物は警戒して地面を踏みならしている。しかしミレーユは動じず、その少女の前まで歩み寄った。

「………」

 少女は初めて会うはずのミレーユに妙な違和感を感じた。どこかで、会った事があるような――――。

「今更いい訳しても、仕方がないけど…私たち、この魔物が人間だって事知らなかったのよ…だから」

「にっ、人間ーーーーー!?」

 弾かれたように一斉に皆が叫んだ。慌てて皆はミレーユのもとに駆け寄る。

「それ、どういう事だ!!」

 ハッサンは頭を掻きむしった。
ミレーユは先ほど宿屋の主人から聞いた話を簡潔に伝えようとするがそれより、もっと説得力のある光景が訪れた。

「……!!」

 おぞましい姿をしていた魔物が、みるみると人間の男に姿を変えていったのだ。魔物だったはずの男は気を失ってしまったのかドサリとその場に倒れた。倒れていたのは先ほどまでベッドで眠っていたような寝間着姿の青年だった。

「アモス!」

 少女は慌てて駆け寄ると、その青年を慣れた手つきで背負った。

「マッマジ…!?んなの有りか!?」

「本当に…人間だったの…?でも…どうして…?」

 ハッサンとバーバラは信じられない顔で目をシパシパさせる。ミレーユを覗いた皆がただただ唖然と事の成り行きを見守っている。

「…ついて来いよ」

 動けない皆に向かって少女は声を掛けた。

「理由、説明するから…」



 少女は大の男を背におぶったまま町を歩き出した。ウィルたちも無言のまま彼女の後についていく。
町の中心にある教会を過ぎて町はずれまで来た。高台に建った家のドアを開ける。

「…入ってよ」

 おぶっていた青年を寝室のベッドにおろし、毛布をかぶせた後にウィルたちを招き入れた。中は案外広く、大きなテーブルのある部屋に5人は案内された。ユナは寝室の扉を閉め5人を椅子に座るよう進めた。足りない椅子の分、ウィルとハッサンが壁にもたれ掛かる。

「…アモスはさ、この町を襲った魔物のせいで、あんな能力を身につけちまったんだ」

 ウィルたちが聞きたかった事に先に少女は答えを返した。

「起きてる時は普通なんだけど、寝てる時にだけ魔物に姿を変えて、夜な夜な街を徘徊するようになって…。でも本人の意識は全く無いみたいで、魔物になってる事も知らないみたい」

「魔物が原因だって?」

 怪訝にウィルが呟いた。

「そんな話、聞いた事ないぜ」

 ハッサンも同じように怪訝な顔。チャモロは思い出したように呟いた。

「私は聞いた事が有ります。特別力の持った生物の体液や血液が体内に入ると、不思議な力をもってしまう事が有るそうです。人魚の血がもたらす不老不死、ドラゴンの力がもたらす変化の力…などですが、こんな世俗でこのような出来事を目の当たりにしてしまうとは…」

 その幼い見た目に似合わない博識さと大人顔負けの口ぶり。皆が信じられないと言った顔で聞いている中、ミレーユだけが頷いた。

「街の人たちがそんなアモスさんを黙認しているのは、街を救った恩人だからなんでしょう?」

 ミレーユの言葉に、少女は頷く。

「夜に街を歩き回るだけの夢遊病みたいなものだし、今のところ街に被害は出ていないから…宿のおじさんが宿泊を断ったのもそれが理由だよ…」

「…でも、本当にこのままでいいのか?」

 ウィルの言葉に少女は胸を突かれた。

「このまま、アモスさんはずっと街を歩き回るのか?」

「そうですね…そんなわけにもいかないでしょうし…」

「それは…っ!」

 コンコン。外からドアをノックする音が聞こえてきた。言い返そうとして言葉を遮られた少女が、ドアを開ける。

「町長さん?」

 そこにいたのは、真っ白な髪をした年老いた男性だった。教会のシスターらしき女性が町長を支えるように立っている。少女は町長とシスターを家の中に迎え入れた。

「ユナちゃん、いつもご苦労様」

 ユナと呼ばれた少女はシスターの言葉に軽く会釈した後、町長に声を掛ける。

「町長さん、どうして…?」

「宿の主人から話は聞いたよ、そこにいる方たちは外から来た旅人さんなんじゃろ。しかも相当な剣の使い手らしいの」

 気を利かせたミレーユが座っていた椅子を老人に差し出した。

「アモスを見て驚かれたようじゃのう…」

「そりゃ驚きますよ!」

 ハッサンが間髪入れず叫んだ。

「アモスさんは知らないんでしょう、この事は…」

 今度はチャモロだ。

「………」

 町長は皆に痛々しい視線を送った。

「ずっとこのままで良いんですか?」

 バーバラも思わず反論するが

「アモスさんに、そんな事、言えるわけが無いでしょう!?」

 たまらず、シスターが口を挟んだ。

「そんな事を知ってしまったら、アモスさんは傷つくにきまっています…!自分が怪物に変身するなんて…」

「でも、このままじゃどうにもならないじゃないですか!?」

 皆が思っていることをバーバラが代弁した。

「どうにも出来ないからって…アモスさんを傷付ける事はできません!!」

 興奮するシスターを、町長が静かになだめた。

「落ち着きなさい、シスター・アン」

 町長はゆっくりとウィルたちに目を向けて

「何の面識もないお主たちに頼むのは、非常に気が引けるのじゃが…アモスを…助けてくださらんか…」

 懇願してゆっくりと頭を下げた。その言葉に誰よりも驚いたのはウィルたちでなく、ユナだった。

「町長さん、それってどういう…!」

「この街の北に、標高の高い険しい山があるのは知っておるじゃろうか?」

 ユナを待たないまましゃべり出す。

「もしかしたら…あの山の事ですか?大きな岩ばかり転がってた…頂上に森が見える山ですよね」

 ウィルが思い出しながら頷く。それを聞いて、再び話を続けた。

「その山の森は理性の森と言われておってな。その森の中に理性の種という物が、稀に落ちているらしいんじゃ。人間の理性を取り戻せるというその種をアモスが飲めば…もしかしたら魔物に変身する能力を制御する事が出来るかもしれん」

「それを、オレたちに取ってきて欲しいと言う事ですか?」

 ハッサンの言葉をキッカケに皆は顔を見合わせ考え込んだ。町長は、テーブルに頭を擦りつけて

「頼む!!山には魔物が住み着いておって、とてもじゃないが街の男どもでは山頂まで辿り着けんのだ!先ほどのアモスとの戦い振りを見ておったが…お主たちは本当に強い!お願いだ!理性の種を取ってきて欲しい」

「町長!!」

 ずっと話を聞いていたユナは弾かれたように叫んでしまった。

「どうして今までそんな話黙ってたんですか!?どうしてオレに言ってくれなかったんですか!?」

 老人は、ユナの方は向かずウィル達をじっと見つめている。

「分かりました。明日、その山に行って来ます」

 町長のその真剣な訴えに、ウィルは息をついて頷いた。

「乗りかかった船だしね」

 バーバラも隣で賛同する。

「……ありがとうございます…!」

 町長は感謝の気持ちを込め、深々とゆっくり頭を下げた。ウィルたちは宿に戻り、町長はシスターに支えられながら家を後にする。ユナは慌てて町長を追いかけ、問い詰めた。

「町長さん!どうしてオレに言ってくれなかったんです!?オレなら山に登るくらい……」

 そのよろついた老人の体を引き留める。向こうは息をついた後

「ユナは、北の山の恐怖をまだ知らんのじゃ」

「…………!」

「沢山の魔物が住み着いている上、戦う足場も悪い。1人で行けば、帰ってこれる可能性は限りなく低い」

 ユナは自分の身の上を案じてくれている町長に言い返せなかった。確かに山の恐怖は分かってるつもりだ。だけど身の安全だけを考えていたのでは解決出来るものも出来ないではないか。

「彼らに賭けてみよう、彼らならきっと種を持ち帰ってきてくれる。ユナも見たろう?あの強さ、あの強い瞳を」

 確かに、話してみて悪い奴らじゃないと分かっていた。
そして、強い奴らだって事も。

しかし、ユナは悔しかった。

ここにいて、アモスを看病してきた自分じゃなくてよそから来た旅人にアモスを任されることが……。



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