27. 幻の大地



「………」

 アークボルト北の洞窟を抜けて1週間。
集落や村を抜け、険しい山を越えると目の前には荒れ果てた土地が広がっていた。
だたっぴろい荒野の頭上に見えるは、雲一つ無い青空と……不気味に広がる黒い穴。

「………」

 もう一度、目をこすって空を見上げるが幻は消えない。
穴。小さな村がすっぽり入ってしまいそうな程とてつもない大きな穴。

「ユナ…どうした?」

 何度も目を擦って空を見上げては唖然とするユナ。ウィルは心配そうに声をかけた。

「ふふ。ユナちゃん、夢の世界は初めてだものね?」

「…夢?」

 ミレーユの不適な微笑み。ユナは赤くなった瞳で振り向いた。





「夢…って、あの、寝てる時に見る”夢”の事?」

 馬車の中、色々あって混乱していたユナだったがようやく落ち着いてミレーユに尋ねた。

「そうね、それも夢の世界を構成する上での真実かしら。夢の世界っていうのはね、私たちが心の中で”夢見ている自分”の存在する世界なのよ」

「夢見てる自分?」

 ミレーユの言葉をどう捕らえて良いか全く分からない。言葉は右の耳から左の耳へするする抜けていく。

「誰しも、自分はこうありたい!って思う事有るだろ。そんな人々の夢や希望、時には欲望すらな。そんな物が集まった世界さ」

 眉に皺を寄せて唸るユナにウィルの補足。

「……思う事はあるけど、そんな世界聞いた事も無いし……」

「じゃあ、あんたが今居る世界は何処なの?」

 バーバラの容赦ない突っ込みに「うっ」と口ごもった。
そう、確かに自分は大空に開いたあの穴を通り抜けた。
空に開いた大穴に吸い寄せられるかのように宙に持ち上げられ、気がつくと地に足がついていた。
だがそこは”現実”となんら変わりない世界でどうにも”夢”と言う漠然とした物とは結びつかない。

「混乱して当然ですよ。夢の世界……。ウサギを追いかけて違う世界に迷い込んだ少女の話を思い出しますね。端的に言えばそれと同じ事なのかもしれません。魔王の魔力によって開かれた夢の世界への扉、偶然そこへ迷い込んだ私たち。ただ分かっているのはこれは”本物の現実”だと言う事です」

「夢なのに現実……」

 チャモロの補足はますますユナの頭を混乱させた。

「夢と現実。光と影のように二つの世界は限りなく近い所にあって決して交わらない存在だった。その秩序を恐ろしい魔力で崩壊させたのが、私たちの倒すべき魔王よ」

「人々の夢や希望。それは無限の力を秘めています。欲望の力は国を滅ぼし希望の力は世界を動かします。魔の物は人間の負の感情を最も好み正の感情を最も苦手とします。魔王は夢の世界に有る欲望や絶望を糧とし、愛や希望を破壊しようとしているのでしょう」

 チャモロは自分自身で考えをまとめるように言った。

「その為に、夢の世界への扉を無理矢理こじ開け、二つの世界をつなぐ大穴を開けた。次元すら超越するその魔力……考えただけでもゾっとしますね」

 ユナは溢れる知識に流されそうになりながら、なんとか自分なりに理解しようとしてみた。ハッサンはそんな難しい話に動じる事無く、笑顔でユナの肩を叩いた。

「ま、徐々に慣れてくるさっ!オレなんて未だにわかんねぇよ!」

 重い空気はハッサンの言葉で一気に吹き飛んでしまう。余計な物がハッサンのおかげで飛んだのか、ぽんっと手を叩いて

「つまりは、今まで誰にも知られなかった夢の世界に魔王が大穴開けて征服しようとしてるって事だろ!許せないなそんな事!現実の世界だけじゃなく、夢の世界さえも踏みにじろうとするなんて」

「ユナちゃん偉いわ、80点ね」

 おどけるミレーユに肩を空かされた。ミレーユはとんでもなく綺麗なのに、こうやってたまに冗談を言う事がある。

「ビックリしたでしょ?こんな旅してるなんて」

 話が終わったところでバーバラが話しかけてくる。ユナは感心したように頷いて

「うん。ただ者じゃない奴らだとは思ってたけどまさかここまでとは思ってなかったよ。こんな凄い旅を続けてるウィルたちと居ればオレの捜し物も見つかるかもしれない…」

「なーに?見つけたい宝物でも有るの?」

 再びユナは頷いて返した。

「伝説の武具4点セット!」

「はぁ?」





 ”現実の世界”と全く変わらない”夢の世界”に馬車を走らせて数時間。街道沿いのカルカドという小さな町に着いた。

夢や希望に溢れてるはずの世界なのに、カルカドには渇いた空気が吹き荒んでいた。
人影の無い町に渇いた土地、井戸はそのせいですっかり干からびている。ようやく見つけた宿で質素な食事をしつつ、バーバラが興奮したように皆にまくし立てていた。先ほどのユナの話を。

「へぇ、ユナも記憶が無いのか、バーバラと一緒だな」

「そうなの!何かアタシますます親近感持っちゃった!それに、伝説の武具を集めてるって言うのよ」

 既に食事を終えたバーバラはまだ食べ終わってない皆を急かすように早口で口を動かす。コップの水を飲みほしたユナが照れくさそうに頷いた。
大変な旅をしているウィルたちに、半ば勢いで付いてきてしまった自分が後ろめたくもあったのだが
バーバラの嬉しそうな顔を見ていると、このまま仲間でいてもいいのかもしれないと思った。
ハッサンは肘をついて食べていたのをミレーユに注意された後

「まぁオレたちと旅すりゃ伝説の武具くらい集まるってもんだぜ、なぁウィル」

 ちょうどその話題にもキリがつこうとしていた時……

「幸せの国だぁーっ!幸せの国の迎えが来たぞーーっ!」

 宿の外から男の大きな声が聞こえてきた。その声は喜びに満ちあふれていた。

”幸せの国”
その胡散臭い言葉に皆の眉が怪訝に動く。
消沈しきっていた宿泊客の顔が、その言葉を聞いた途端晴れやかになり、その理由を確かめる間もなく喜び勇みながら皆一斉に外へ出ていった。そんな人だかりの中の男の腕をハッサンは掴んで

「なんだ?幸せの国って?」

 皆を代表する形で尋ねた。

「あんた知らないのかい?幸せの国だよ。満月の夜にそこへ連れてってくれる島がここに流れて来るんだ。何でもそこは物に溢れた豊かな国で、食い物、酒、金、争いもなく一生遊んで暮らせるって話だぜ」

 それだけを言うと、腕を振り払って大慌てで出ていった。皆は顔を見合わせ

「怪しいな、凄く」

 眉間に皺を寄せユナが呟いた。

「この町はもう数ヶ月雨が降らなくて、作物もろくに育ってないと言う話です。魔王の貫いた大きな穴、そして荒れた町…。人々の夢の力を破壊しているのは魔王なのかもしれません。そして、もしかしたら幸せの国と言うのも……。嫌な推測ばかりが浮かびますね」

 続いてチャモロが理論的に説明してみる。バーバラも思い切り挙手した。

「それすご〜く有りかも!幸せの国っていかにも怪しいもん」

「その通りだよ」

 虚を突かれ一斉に振り向くと、年老いた女が杖を支えによろつく足で立っていた。

「皆だまされているのさ……誰一人としてそこから帰った者はいないのに……。この現実を見つめることが出来ない弱い奴があそこへ行って……。私の息子も……」

 ごほごほと咳き込む老女にミレーユは駆け寄って背中をさすってあげた。涙ぐみながら老女は

「あんたらもだまされるんじゃないよ、この村の人間のほとんどはその幸せの国とやらに行ったんじゃ……くだらない噂を信じてな……。あんたちの目は死んではおらん、そんな所に行かなくても強く生きられるハズだよ……」

 そう言うと、心配そうなミレーユにお礼を言って、宿の廊下へ消えていった。しばらく沈黙が続いた後、ウィルがある提案を持ちかけた。





「オーイっ!幸せの国へ行く奴はもういないのか?」

「ハーイっ!乗ります、乗りまーすっ!」

 ピンクのマントをひらひらさせながら可愛らしい少女と、少年のような少女がその島に降り立った。金髪の美人と若くてたくましい男二人に袈裟を着た徳の高そうなお坊さんも一緒に。
幸せの国まで連れて行ってくれると言うこの島は、ひょうたん島と呼ばれているらしい。魔力で操られているのか風もないのに大きな島はどんどん進んだ。

島に設置されている酒場を、6人は用心深く訪ねる。そこはカルカドとは一転、華やかな場所だった。大騒ぎしている人々から酔いつぶれて眠っている人々まで。
だがその顔は本当に幸せそうに見えた。

「ゴメンな、皆」

 皆がカウンターについた所でウィルが呟いた。バーバラが真っ先に首を振る。

「いいんだよっ、正義感の強いウィルがこのこと放っておくわけないと思ったもん!」

「そうよ、それに魔王の開けた穴とカルカド。きっと無関係じゃないわ、この事件を解決する事は私たちの旅にとってもプラスになるはずよ」

「それにしても、幸せの国って本当にあるのかもしれねーぞ?」

 ハッサンは異様な盛り上がりを見せているその酒場を見回してウィルを肘でツンと押した。

「……いや……」

 怪訝な顔をしてユナが呟く。

「どこもかしこも魔物の匂いがする。やっぱり怪しいよこの船」

 ユナの言葉に、チャモロもずれていた眼鏡を上に押し上げて小さく頷いた。人々の行く末を案じながら、お酒の飲めないチャモロはその場を後にした。

「ほら、ほら、お兄さんにお姉さんっ!そんなに難しい顔しないのっ!これからすっごく楽しい所に行けちゃうんだからぁーっ!もっと楽しまなきゃぁっ!」

 赤い顔でウィルたちに絡んでくるバニーガール。こいつは魔物が化けている、とユナは皆に目で訴えた。

「そういうワケだからここの酒は飲まない方がい……」

 小声でそう諭したにも関わらず、何を思ったかハッサンは酒を樽ごと口の中に流し込んだ。

「なっなんで!ハッサン、ダメだって言ったじゃないか!」

 驚いて声を上げるが、ハッサンは

「せっかく出されたもん、飲まなきゃソンだろ」

「何言ってんだよ!毒かなんか盛られてるかもしれないだろ!」

 テーブルを叩くユナの肩に、別の人物の手が回った。
長い髪が頬を撫でる。バーバラだった。顔が赤い。嫌な予感しかしない。

「なーによユナァ…あたしのついらさけがのめないってゆーの!?のみなさいよ!のみなさい!さもないと今度からあんたのこと、ユナさんってよんじゃうからね!?」

 はやっ!もう出来上がってるのかよこいつは!心の中で叫ぶが、バーバラは酒癖が悪いのか赤い顔で強引にユナに迫った。

「オレは酒なんて飲まな……っ……ぅわっ!!」

 ガタン。二人してイスから転げ落ちる。
バーバラはユナに馬乗りしたまま、酒を口に含んだ。

「のめないんならあたしがくちうつしでのませてあげる」

「バカいってんじゃねえ!こらっやめっ!!わぁぁぁ!ぁぁぁ……!」

 ユナの叫びは誰の耳にも留まる事無く虚しく響いていった。





「オラ!オイ!起きろ!オイ!!」

「うぇっ……おえぇぇぇ……」

 ユナはむせかえる吐き気と怒鳴り声で目が覚めた。

「おえっ……オエェェ……」

 頭が重い。ゴロンと寝返りを打って、再び丸まった。

「ごめん…二日酔いで……」

「何いってやがる!お前らが望んだ幸せの国に着いたって言ってんだよ!」

 ドンッ!と勢いよく背中を蹴られ、そのまま体が仰向けに回る。目の前には、真っ赤な皮膚と耳の代わりに角を持った魔物。

「………!!」

 幸せの国!そうだ。思考が動き出しようやく状況を理解した。
怪しい幸せの国に行ってしまった人々を助けるためにここに来たんだった!

「驚いて声も出ないだろう?ニンゲンって言うのは本当に愚かな生き物だな。ほら、ここがお前らの望んだ幸せの国だ」

  ひょうたん島が辿り着いた先は――――。
幸せの国と言う名前がとうてい似合わない、見渡す限り岩だらけの荒れ果てた島。遠くの正面に見えるひときわ大きな岩山が城のようにも見えた。

無理矢理魔物から腕を引っ張って行かれる。両手を縄でぐるぐる巻きにされて酒場から出てみると、同じように昨日まで幸せを夢見ていた人々の長い列が目に飛び込んできた。
皆一様に驚愕の表情を浮かべ、長い列を成している。

その列の中には昨日酔って寝てしまったバーバラとハッサンの姿が有る。しかし、ウィル、ミレーユ、チャモロの姿は無かった。きっと何処かに潜んで機会を伺っているのだろう。ユナはそれを見て少し安心したのか

「ここの何処が幸せの国って言うんだ!弱みにつけ込んで何をするって言うんだよ!」

 強気の言葉を魔物に吐き捨てた。魔物は赤い皮膚を紅潮させながら、怒ることも無く唇を持ち上げた。

「そんな粋がった口を利けるのもこれが最後になるだろうぜ!ほら、さっさと歩け!」

 気持ちの悪い皮膚が手にまとわりつくと、そのまま引っ張って行かれた。永遠に続くような長い長い列の最後尾に。

まるでここは幸せの国という名の牢獄。空までも灰色に果て空気すら淀んでいる。人々は自分の欲望を恨み嘆いていたが、ユナたちの目的は違っていた。カルカドの魂を救って、夢の世界を蹂躙する魔王の目論見を壊すこと。

ユナは、自分から歩き出していた。





「思えば遠くに来たもんだ…」

 不意に呟いたユナに、皆が吹き出す。ゆらゆらと揺られるゲントの宝、神の船の上での食事が終わった後だった。

「何だよ…そんなに笑わなくても…」

「ゴメンゴメン、あんたが急に変な事言い出すからさぁ」

 くすくす笑いながらバーバラが隣の椅子に腰掛けた。

「だって……」

 笑われた事が恥ずかしかったのか、面白くなさそうな顔で切り出した。

「初めは夢の世界やら大魔王やら知らない事だらけだったけど、カルカドの人たちを解放して、幸せの国のジャミラスを倒して、ひょうたん島で冒険して……。今、こうやって当たり前みたいに夢の世界と現実の世界を行き来してるの、不思議だなあって思ってさ」

「そうだなぁ、オレもたまにそう感じることあるぜ」

 ハッサンが珍しくユナの言葉に同意した。

「お前たちと出会ってさー、本当に不思議な運命だなって。大工になるのが嫌で家を飛び出した半人前のオレが、スゲー仲間と出会って、魔物の親玉を倒すために旅してるなんて、遠くに来たもんだなぁって思うぜ」

 皆はハッサンの言葉に今までの事を思い出していた。
確かに…良くこんな所まで来られたものだ。皆、同時にそう感じていた。

「ホルストック。今度は一体、どんな事が待ち受けてるのかしらね」

 地図を見ながらミレーユも呟いた。



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