33. 銀髪の悪魔



マウントスノー山脈からの冷たい風が吹き込む港町。そこの酒場で、一人の行商人が青い顔で話を切り出した。

「オレ、昨日とんでもないモンをみちまったんだよ!」

 暖められた酒をガタガタ震える手で口に運ぶ。隣に座っていた酔った男が大笑いしながら、丸まった商人の肩を叩いた。

「なんだぁ?雪女でもみたか?」

「雪女か……寧ろそっちの方が良かったのかもしれねぇ……」

 まだ真っ青な顔の商人に初めは冗談交じりだった同僚たちも神妙な顔付きに変わっていく。

「昨日の夜、荷馬車の様子が気になって馬小屋へ見に行った時の事なんだけどよ…イーブルフライの大群が街道を横切って行ったんだ」

「うっひゃぁ!みつかんなくて良かったなぁ!夜のあいつらは気が立ってるからな見つかったら間違いなく襲われてあの世行きだったぜ!」

 商人はゴクリと息を飲んで頷くと話を続けた。

「慌てて逃げようとした時だった。イーブルフライの大群が悲鳴や血しぶきを上げて倒れ出したんだ。ほんの一瞬だった。数十匹いたハズの魔物が全て絶命したのは。魔物の代わりに目の前に現れたのは真っ赤な返り血を浴びた男と、血を吸って光る剣。人形みてぇに気味がワリィほど綺麗な顔に、魔物みてぇに光る紫の瞳……」

 いつの間にか男たちは迫真の行商人に聞き入っていた。

「髪は真っ白な銀髪で人間なのかも疑った。殺されるかと思って腰が抜けた……。ありゃあ…ありゃあ一体なんだったんだ……!?」

 頭を抱えてテーブルに突っ伏した。ターバンを纏った別の商人が、パイプの煙を吐きながら

「銀髪に紫の瞳か……もしかするとそいつは”青い閃光”かもしれねぇな」

 思い出して呟いた。頭を抱えていた商人が怪訝に顔を上げる。

「”青い閃光”?なんだいそりゃあ」

「最強の剣について嗅ぎ回ってる流浪剣士の通り名だよ。誰もそいつの本当の名前は知らねえ。噂によると、恐ろしく腕の立つ剣士だって聞くぜ。早すぎる剣筋が閃光のように見える事からその名がついたらしい。オレも一度だけ会った事が有るが、口も態度も悪い、いけ好かない男だったな」

 顔を上げた商人はまだ頭を抱え込んだまま、ブンブン頭を振った。

「青い閃光か……そんな生やさしいもんじゃなかった……。あれは…そう、悪魔……銀髪の悪魔だ………」




 おおよそ1年くらい前になるだろうか。
漁村ペスカニから北西。テリーと、どちらが床で寝るかどうかで揉めた事が印象に残っているあの宿場町にユナは居た。
カルベローナで、伝説の剣がここマウントスノーに眠っていると言うお告げを聞いたからだった。それはもしかして、あの時手に入れられなかった剣の事なのだろうか………。
ではもし、あの時、あの魔物を倒せていたら、テリーは伝説の剣を手にする事が出来たのだろうか……。

防寒に、と購入してくれた毛皮のコートを着込んで、ユナはそんな事に思いを馳せずには居られなかった。テリーとの思い出は1年経っても全く色褪せる事は無く、記憶の一番良い場所を陣取ったままで動こうとしない。
はぁ……と、白い息と共にため息が漏れた。

テリー、元気で居るかな………。




1年前と同じ軌跡を馬車は辿った。
北の関所を通り、凍える寒さの街道を走る、そして数日でマウントスノーへとたどり着く事が出来た。そこは1年前と同じ、氷に閉ざされた街。
ただひとつ、そこから辿る軌跡は違っていた。
ウィルは氷に閉ざされた街の呪いを解き、ゴランを孤独から解放したのだ。
それには、お人よしで片づけられないような苦労を伴った。孤独から解放されたゴランは嬉しそうでもあり、50年という時間を抱えてしまった姿は、寂しそうにも見えた。




「ふぅ………」

 1年前と同じ、金持ちが貯蔵庫にしていたという洞窟に辿りつく。
寒さはますます増し、毛皮のコートのフードをユナは目いっぱい深く被った。

「はぁー…ここまで来ると冷えるわね……」

 バーバラも同じような恰好でユナに身を寄せて、両手に息を吹きかけた。

「なんにせよ、この洞窟に伝説の剣が眠ってるっていう可能性は高いんだろ?じゃあさっさと行こうぜ!」

 ハッサンはいつもと変わらぬ服の上から浅黄色の外套を羽織っているだけで、見るだけで寒そうだ。

「そうですね、長居しても体力を削るだけですから早く行きましょう」

 チャモロの言葉に皆同意したのか、足を速める。
洞窟内部は外に比べて暖かかったが、その分魔物の数も多かった。凍って滑る地面や、影からの不意打ちに苦戦しながらもなんとか奥へと進んだ。

「この先に、伝説の剣があるのか……」

 ウィルは松明を掲げて洞窟の中を照らした。疑っているわけではないが、にわかには信じられない。

「大昔の富豪が収集品を貯蔵してたっていう洞窟よ。知らず伝説の剣を持っていたという事も考えられるし、信憑性は高いでしょうね……」

 ドキリ、とユナの胸が声を上げる。ミレーユはたまに、テリーと同じような台詞を言う事がある。嫌がおうにも1年前の事が思い出された。
ユナの気持ちを待ってくれず、あの扉が目の前に現れた。朽ちた塗装は長い年月を感じさせる。錆びた鍵は役割をなさず、ハッサンが一息押しただけでなんなく開いた。

そこには、時が止まっていたかのように、同じ光景が広がっていた。

”生きて、力を持った剣―――――”

「どけ」

 背後から聞こえた低い声が一瞬で頭からつま先まで駆け抜けた。心臓が激しく打ちだして、体が震え、それは足まで伝わった。
その声の主は、足が竦んで動けないユナの横をすり抜ける。

「お前は…アークボルトの……!」

 突然現れた男に、ハッサンは声を荒げた。
くすんだ外套を羽織った男、テリーは振り向きもせずに足早に台座に駆け寄ると、その剣を手に取った。

「ようやくだ……ようやく………!」

 歓喜したのも束の間、みるみると表情が変わる。

「これは………」

 それは初めて見せる苦悶の表情。剣先に指を滑らせて、更に顔を強張らせた。

「なんて事だ……これは……そうか……魔物の仕業なのか………」

 何を思ったか剣をその場に投げ捨てた。項垂れて、額に手を当てる。

「…オレは…こんな剣の為に………」

 苦しそうにそう呟く。

「あの……君……」

 手を差し出したウィルは、その瞳を見てぞっとした。
憎悪と悲しみが入り混じったその瞳。

「オレに触るな!!」

 差し出された手を乱暴に弾いた。冷たい空気がもっと張りつめる。

「その錆び付いた剣はお前らにやるよ。仲良く洞窟探検してるようなお前らには似合いのシロモノだろう」

 錆びた剣に目線を落とすと、首でそう促した。

「なっ…んだって……!」

 ハッサンの顔が怒りで赤く蒸気していく。

「後から来て横取りしようとした癖に、それはちょっと、ないんじゃあない?」

 さすがにバーバラも声を上げた。
ウィルは制止するように右腕をハッサンとバーバラの前に伸ばす。

「…君は確かに強い。でも、独りで居るとどうしても見えない物が出てくる。それを、仲間たちは教えてくれる。だから、オレの仲間を悪く言うのはやめてくれないか」

 それはウィルの正直な気持ち。テリーは鋭い瞳のまま鼻で笑った。

「ハっ、それは教会かどこかの受け売りか?見えない物が出てくる?一体何を言ってるのかさっぱり分からないな。独りで過ごせば緊張感が高まる、その緊張感の中で剣を振れば集中力も増す。騒がしい仲間なんて、邪魔になるだけだ。」

 ユナは、ずっと足を竦ませて、ただただテリーの言葉を聞いていた。

「仲間を思う心は時には、何物にも負けない刃になる。君が探してる最強の剣よりもね」

 テリーは再びフっと鼻で笑った。

「……奇弁だな。心なんかで魔物は殺せない」

 そうだ、思うだけじゃ助けられない。現実は残酷だ。それをテリーは痛いほど理解していた。

「思うだけじゃどうにもならない!力がなければどうにもならないんだ!お前だってそれぐらい分かってるはずだろ!?仲間を助ける為には本当は力が必要だって……!」

 いつしか沸き上がる葛藤にハっとして、テリーは背を向けた。過去の過ちが知らない内に蘇り、テリーを支配していた。チッと舌打ちすると

「………あばよ」

 そう吐き捨て、闇へと消えていった。
”仲間なんて、邪魔になるだけだ”
その言葉は胸に釘を打ちつけたように離れなくて、ユナは呼び止める事すらも出来なかった。

「……ユナちゃん……」

 テリーの暴言に皆が怪訝に顔を見合わせる中、ミレーユがそっと声を掛けてくれる。

「ミレーユさん……」

「大丈夫…?」

 その気遣いがとても嬉しく感じ、ユナは 気付かれない事を祈りながら無理な作り笑いを返した。

「ありがとう、オレなら大丈夫。まさかあんな状況じゃ、声掛けれないし……。それより、伝説の剣が……」

 ウィルが手にした伝説の剣は、テリーの言った通り錆びついて使い物にならないように見えた。

「どうするよ?これが本当に伝説の剣だったとしても、ここまで錆びついてたんじゃあどうしようもなくないか?」

 ハッサンは悪気があって言ったわけではない。確かに剣は、剣を扱わない素人が見ても見事に錆びついていて、これをどうこう出来るとは到底思えなかった。

「ロンガデセオ」

 ミレーユが呟く。

「そこに、腕利きの剣職人が居るのよ。その人に、一度見せてみたらどうかしら?」

「ロンガデセオ……聞いた事ないな……」

 世界中を旅してきたはずだったが、皆その街の名前に聞き覚えは無くミレーユの言葉を待った。

「ここから西に行った大陸にある街よ。小さい街だから、きっと地図にも載ってないのね」

 そう、地図にも載らない小さな街。ミレーユが昔、とある事情で世話になった街だった。

「そうだな、腕のいい職人なら、もしかしたらこの剣を直してくれるかもしれない……」

 錆びた剣を鞄の中に押し込んで、ウィルはミレーユの言葉に同意した。





 呪いの解けたマウントスノーの宿屋。冷え切った宿の屋上でユナは一人空を眺めていた。澄んだ空気がいつもより星を綺麗にする。遠い記憶の中でいつの日か見たオーロラが蘇っていた。

「………」

 かじかむ指先でユナは笛を奏でた。
言葉に出来ない気持ちを音色に込める事でしか、この苦しみを和らげる手段が思いつかなかった。
旋律はいつもよりもの悲しく、マウントスノーの街に流れた。




ひんやりと冷たい空気が体を突き刺す中で、テリーは独り野宿をした。
すこし歩けばマウントスノーだったが、敢えて野宿を選んだのは不甲斐ない自分に対しての贖罪だったのかもしれない。

風の音も無い静かすぎる夜。自分以外の生物が全く居ない、世界でたった独り取り残されたような錯覚。
ゆらめく炎に銀髪と、テリーの辛そうな顔が照らされた。

苦労してようやく手に入れたと思った剣が、錆び付いてどうにもならないシロモノだったなんて……
あの日の事は、全て無駄だったと言うのか………

パチパチと燃える炎の先に、かつての仲間の姿はもう、無い。

「………!」

 ふと、遠くから懐かしい音色が聞こえた気がしてテリーは思わず立ち上がってしまった。しかし、耳を澄ませど懐かしい音色は聞こえない。アークボルトの時と同じ空耳だったのか。

「……チッ!」

 行き場のない虚しさと憤りが募る。
もうあいつはどこにも居ないんだ
そうだ、オレに力が足りなかったせいであいつは………

「……くそっ……!!」

 バチィッ!
手元にあった小石を焚き火に投げ入れると、音を立てて弾けた。
姉さんの時と同じだ。あれからオレはなにひとつ変わってない。
どんなに旅をしても、どんなに剣を振っても、何も変わらない―――――。

最強の剣…
力が欲しい…
それを得るためならなんだってやる、どんな事だってやるのに

「どこに有るんだ……最強の剣…最強の証……」

 羊皮紙の世界地図を広げると、マウントスノーと書かれた場所に燃えかすの炭で×と大きく記した。見るとマウントスノー以外にも、色んな地名に×が記されている。それは世界地図の殆どを埋め尽くしていた。

最後の希望だと言っても過言じゃなかった。
力をつけて挑んだ氷の洞窟。だがそこに合ったのは錆びて朽ち果てた剣。強くなる旅はここで終わりだと言われている気がした。最強の剣なんて、何処にも無い、夢物語なんだと……。

お前はもう、強くなんてなれないんだと。




『最強の剣士になりたいんだろう』

 ああ、またこの夢だ……。夢の中でテリーはそう悟った。
いつの間にか眠ってしまったらしい、いつも見る悪夢に迷い込んでいる事に気付いた。もう、あの時以来見ないと思っていたこの夢は、ここ最近毎夜テリーを苦しめる。気味の悪い黒い影は、テリーの剣を弾いて逆に自分の剣をテリーの鼻先に突きつけた。

『我が元に来い。さすればお前は最強の剣士になれる。魔族の王が誓って言う。素晴らしい素質、尽きる事の無い欲望、闇の力。それら全てをお前は持っている美しい剣士、テリーよ…』

 黒い手が無数に迫ってくる。
気持ちの悪い黒い影。夢の中のテリーはいつもそれに怯えて、ただただそこから逃げようとするだけだったが何故か今日は違っていた。

『テリーよ…もう分かっているんだろう。お前は強くなどなっていない。誰も救えずに、最強の剣も見つからなかった。それがお前の現実だ』

「………っ!」

 いつもと違う影の台詞にテリーは胸を貫かれた。
跪いたまま拳を握りしめる。虚しさ、悔しさ、絶望、それら全てが駆け抜けていく。差し出された黒い手。この手をとれば本当に強くなれるのか。身を任せれば本当に強くなれるのか。

強くなるためにはどんな事をしても構わない。

今のテリーは悪夢にさえ、すがりつきたい気持ちだった。

「…本当に、お前の言う通りにすればオレは強くなれるのか…?」

 何も考えられずに言葉だけが口から漏れた。影はその言葉を聞いて一瞬笑った気がした。

『勿論だとも……』

 言葉と共にパチンと指を鳴らした。暗闇の中、フっとテリーの前に姿を現したのは

「………!!」

 目に見える程強い魔力を放っている真っ赤な刃を持った剣。
見た事もない強い力を放つ剣に、全てが奪われた。我を忘れて剣に駆け寄るが強い魔力で弾かれる。

『しがみつくか?最強の剣に?』

 探し求めていた剣が今、目の前にある。影の言葉は耳に入らなかった。

『よかろう、くれてやろう。お前にはもうその剣にしがみつく以外に道は残されていないからな…』

 真っ赤に裂けた口と鋭い牙。ニヤリと笑って指を鳴らすと制御されていた剣の力はより一層高まった。剣を取り巻く凄まじい闇の力。テリーは無我夢中で剣を手にとって引き抜いた。
体から力が溢れてくる、これだ、これこそオレがずっと求めてきた……。

「最強の剣……!!」

 悪夢だろうが闇の力だろうがどうでも良かった。最強の剣が手に入った。最強の強さを得た。辛くても苦しくても耐えてきた日々は無駄じゃなかった。
これでようやく……ようやくオレは……

「ハハ…ハハハ……」

 剣から伝わるは込み上げる闇の力。それは体に伝わって今にも溢れそうだった。誰にも負ける気がしなかった。

「アーハッハッハッハ!!」

 強大な力が込み上げる。闇の力がこんなに心地良い物だったなんて。放たれた力はテリーを包み込み、一気に弾けた。

そしてテリーは、闇に飲まれた。






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