36. 再会



 ユナとミレーユが同時に呟いた。他の皆も目を険しく見開いている。デュランは玉座から立ち上がると満足そうにテリーの肩に手を置いた。

「私の見つけた人間の中でも最高の剣士だ。美しい容姿、尽きる事のない強さへの切望、ガラスのように脆い心。どれも私は気に入っていてな。長く誘惑してようやく”こちら側”にやってきてくれた」

 テリーは、何の感情も無い瞳でウィルたちを見つめた。
真っ赤に染まった剣を握りしめ、真っ赤に染まった瞳で。

「さぁ、テリーよ。最強の剣を手にした自分の力を試したいだろう?この者たちに存分にお前の強さを見せつけてやるが良い」

 それが、戦いの合図だった。

「テリー!!」

 真っ先に叫んだのはミレーユだった。あまりの出来事に足が震え、その場に倒れ込む。
しかしテリーは何も反応せず、ただ剣を構えた。

「ミレーユ!!」

 倒れたミレーユを庇うようにハッサンが前に出る。テリーを牽制するような回し蹴り、テリーはそれを後ずさる形で躱した。

「いや…だ……」

 目の前で起こっている出来事が現実だなんて思えない、思いたくない。

いやだ いやだ いやだ 

テリーと戦えるわけが無いじゃないか……!

「やめてぇっ!!」

 キィン!!
刃物と刃物が交りあう鈍い音がミレーユの悲痛の叫びをかき消した。
今の彼には誰の声も届かない。いつもは華麗な剣さばきも、ただただ恐怖しか感じない。

「ぐあっ!!」

 異常な程のテリーの強さに防戦一方だったウィルは遂に剣を弾かれ、地面へと倒れ込んだ。
容赦なくテリーは剣を掲げ、ウィルに振り下ろそうとする。

「ウィルッ!!」

 タイミングを見計らって放ったバーバラの火の玉は剣の風圧だけで消し飛んだ。赤く染まった瞳がバーバラを捕らえた。

「ギラッ!ギラッ!ギラッ!」

 魔法力の収束されたギラの連発も、テリーはことごとく剣で受け止めた。
赤い剣は魔法力を吸って、より一層鮮やかに染まっていく。

「そんな……!」

 あまりの恐怖に、体が凍り付く。ウィルはようやく立ち上がって剣を拾い上げるが隙の無いテリーの後ろ姿に剣を身構えるだけで精一杯だった。

 ゆらり。
 テリーは生気の無いゾンビのように体を反転させると、赤い瞳にピクリとも動けないでいるミレーユを映した。

「そうだテリー、お前の力を見せつけてやれ。お前は長い時間をかけて目指した、最強の剣士になれたのだろう」

 デュランの言葉に赤い瞳がもっと赤く血走った。
 強く地面を蹴ると、人とは思えないスピードで飛んでそのまま剣を振りかざす。ミレーユに一直線に向かい、無慈悲に剣を振り上げた。

「あ……」

 エメラルドの瞳に赤い剣が映る。愛しい弟の姿と一緒に

「――――っ!!」

 剣を振り下ろすより一瞬早く、体当たりする形でテリーを押し倒した。

「ユナッ!!!」

 剣を持った相手にほぼ丸腰で倒れ込んだのはユナ。馬乗りになって、その人を見つめる。

「テリー!!!」

 涼しげなアメジストの瞳とは程遠い、濁った赤い瞳。

「何やってんだよ!ミレーユさんだろ!!テリーの、一番大切なお姉さんの…!!」

 その赤い瞳は、光を宿す事もなくただじっと見開かれている。

「思い出してよテリー!!ミレーユさんを斬ったら、絶対、一生、後悔するよ……っ!!」

 いつの間にか、ユナの瞳から涙があふれた。見開かれた赤い瞳は、何も反応が無いように見えたが、テリーの口元がほんの微かに動いた。

「ミ…レー…ユ……」

「――――っ!」

 確かに、彼はそういった。

「ユナッ!!何やってる!!」

 仲間たちの声がこだまする。
その声に、赤い瞳が一瞬だけ揺れた。遠くを見ていた瞳が目の前で涙を流す少女を捕らえた。

「……ユ…ナ……」

「――――!」

 触れようと、テリーの手が伸びる。と、ドクン!と彼の体が跳ねた。右手の赤い剣が呼吸するように蠢いている。禍々しい剣の魔力がテリーの体に勢いよく流れ込んだ。

「うあ あ あ ああああ……!!」

 苦しそうに低くおぞましく唸りながら、テリーは馬乗りになったユナの体を蹴り上げた。
 呻き声を上げて背中から倒れるユナに、赤い剣が襲った。

「うあああああああっ!!!」
「ユナーーーーッ!!!」

 バーバラの絶叫。振り下ろされた赤い剣と共に、血しぶきが舞った。

「ふむ、珍しい」

 デュランはその戦況を楽しみながら、首を傾げた。

「倒れた丸腰の相手に致命傷を与えられないとは……」

 人の血を吸った剣は、鳴動するように自ら赤い光を帯びた。

「ピッキイイイイイ!!」

 その場を切り裂くような甲高い声。
ユナの鞄から飛び出たスラリンが勢いよくテリーの顔にへばり付いた。

「ピギイイイイイイっ!!」

 テリーは青いそのスライムを鷲掴みにすると、そのまま強く床に叩きつける。
 親友を傷つけられたバーバラは怒りで呪文を放つ事も忘れ、腰に下げていた鞭を放った。しなるような鞭の軌道すら捕らえる事は出来ず、ダメージを与えられないまま鞭は切り裂かれた。
バーバラに斬りかかろうとするテリーをウィルのラーミアの剣が防いだ。
 光るその剣は、赤い剣とは違う意味で震え鳴動した。

「ユナ!!おい!!!大丈夫か!!!」

 ウィルとバーバラがテリーの気を引いている隙にハッサンとチャモロが駆け寄る。
 幸か不幸か、あのような絶体絶命の中で、ユナが斬られたのは左腕だけですんでいた。しかし血は止まる気配無く流れ出ている。ハッサンは蒼白な顔で止血をし、チャモロは慌ててべホイミを唱えた。

「……お願い……」

 小さく苦しそうな呟き。

「テリーを…殺さないで……!」

 今度ははっきりと、ユナはハッサンを見据え懇願した。ユナの手から冷たく滲んだ汗が伝わってくる。

「こんな時に何言ってんだよ!!お前あいつに殺されかけたんだぞ!!」
「テリーは仲間なんだ……だから……お願い……!」
「もしかして、ユナさんが探していた人というのは……」

 仲間になる時に聞いた、ユナの探し人。べホイミを唱えながら、チャモロも驚愕する。

「そういえば、さっきあいつに、ミレーユが姉さんだとかなんとか……」

 こんな戦況の中あまりにも信じられない話だったが、放心しているミレーユがそれは事実なのだと教えてくれた。

「くそっ…マジなのかよ……!」

 戦況を見つめながらハッサンは舌打ちした。テリーの強さはあまりにも強大だった。この相手を傷つけずに拘束する。それがどれほど難しい事なのか。

「テリーはきっと操られてるだけなんだ……だから……」
「ユナお前……」

 必死のユナの訴え、ミレーユの弟と言う事実。選択肢は一つしか無い。ユナの傷が完全に塞がると、赤い目をしたテリーと対峙した。

「ウィル!!そいつはミレーユの弟だ!!絶対に傷付けるんじゃねえぞ!!」

 ハッサンは体中をオーラで覆い、ウィルは驚きながら頷いてスフィーダの盾を構えた。
 テリーの剣を盾で防いで、ハッサンは後ろから羽交い絞めにする。
 テリーは獣のような咆哮をあげた。

「なんて力だよこいつ…!!」

 拘束を振り払い、スフィーダの盾を跳ね返す。目を血走らせ荒く息を吐きながら、赤い剣を振りかざした。もう彼には人間だった面影は感じられない。
 チャモロがバギで何とか足止めをする、しかし恐らくそれも長くは持たないだろう。それほど、赤いその剣を手にしたテリーは最強だった。

「ピ、ピキィ……」

 床に打ちつけられたスラリンがユナの元へと這い寄る。
 傷は完全に回復していたが、体は震えていた。あの時の、自分に向けて剣を振りかざしたテリーの姿が、頭から離れなかった。

「スラリン……」

 相棒の姿を見てようやく我に返るとユナは再び涙を流した。

「どうしよ……どうしよう……テリーが……テリーが……」

 なす術がない。心を失ったテリーにはもう、誰の声も届かない。

「ピキイイイ……っ!」

 スラリンは首を振って声を上げた。その言葉にはっとする。
 そうだ、一瞬だけテリーは、ミレーユと自分の名前を呼んでくれた。何も届かないわけじゃない、もしかしたらテリーも……。

 ユナの気持ちに気付いたように、スラリンは鞄に潜り込んで長細い革製の袋を引っ張り出した。それは、サーカス団の時にユナを呪いから解き放ってくれた、大切な銀の横笛だった。

 届くかもしれない。もしかしたら、心のどこかで覚えてくれてるかもしれない。

 横笛に唇を当てる。
 その場には似つかわしくない、美しく澄んだ音色が流れた。
 戦闘の恐怖と絶望がその音色にかき消されていく。音色は反響しながら響き渡った。
 その音色が届いた瞬間、テリーは茫然として立ち止まり苦しそうに頭を押さえた。

「う……あ……あ………」

 どれだけ攻撃を加えても、絶対に離れなかった赤い剣がテリーの手から呆気なくするりと落ちる。離れた瞬間、赤く血走った瞳に光が戻り、そのままテリーは崩れ落ちるように床に体を投げ出した。

「テリー!!」

 ユナは息をつく間もなく駆け寄った。

「テリー…っ!テリー!」

 倒れたその体を抱き起こす。意識は戻ってこなかったが、ちゃんと息はあった。
ユナは涙目でミレーユを見た。ミレーユは両手で顔を覆うと、そのまま顔を上げることが出来なかった。

「なんだ…?助かったのか……?」

 ハッサンは一安心して腰を抜かしそうになるが、玉座に座っていた親玉が驚いたように立ち上がったのを見て気を引き締め直した。

「貴様、何故その笛を……」

 初めての余裕ない口振り。

「笛って……ユナの笛の事……?」
「…それは退魔の笛だ」

 バーバラの言葉に、知らずデュランは答えた。
 玉座から立ち上がったデュランはそのままウィルたちに向かって歩き出す。

「道理で神の城を探しても見つからなかったわけだ。そんな小娘が持っていたなど……」

 黄金の瞳がユナを見つめる。険しい瞳は何故か程なくして笑ったように見えた。

「くくく……まぁいい……。私には所詮、知った事ではない……」

 パチンと指を鳴らすと、暖かい光がウィルたちを包み込んだ。ウィルたちの体力と気力がみなぎってくる。

「これは回復の力……」
「ちょっとぉ…これどういう事なの!?」

 その問いの答えかデュランは口元を緩ませた。

「先ほどの戦いは私にとっても拍子抜けだったのでな。まさかテリーとお前たちが顔見知りだったとは……。やはり戦いは刃を交わらせる方が心躍るという物だろう。お前たちの最高の力で向かってくるが良い」

 デュランは独特な形をした剣を手に構える。そのオーラは今ま戦ってきた魔物とは全く異質で。アークボルトで手合せしたブラストを思い出させた。

「さあ、勇者よ!存分に私と戦おうではないか!」




 デュランは戦いを楽しんでいた。1人の武人のように。もしかしたら彼は魔に魅入られた、元々は人間だったのかもしれない。剣を交わらせたウィルはそう思わずにはいられなかった。
 戦いは熾烈を極めたが紙一重の差でウィルとラーミアの剣がデュランの力を上回る。

「私の負けだ、勇者よ」

 潔くデュランは言った。

「だが、闇に生きる者は光ある限り決して滅びる事は無い。またいつか、会いまみえる事になるだろう―――――」

 意味深な言葉を残し、城主デュランは倒れた。亡骸はみるみる内に黒く染まり、揺らめいて消える。

「やったか……」

 ラミアスの剣を鞘に収め、ウィルは息をつく。
 バーバラは安堵して腰が砕けたようにその場に崩れ落ちた。

 城主を失った城はゆっくりと下降を初めて、それはウィルたちにも伝わった。城を取り囲む闇のオーラが晴れ、魔物の気配も無くなっていく。それと共に、ズンと低い地響きが床を伝わった。

「城主を失い、空に浮かぶ力を維持できなくなったみたいですね」

 ステンドグラスから差し込む光が夕暮れに染まってきていた。それが戦いが終わった事を確信して、皆は安堵の息を吐いた。

「………お前ら……オレを、このままにしておくつもりか…?」

 低いその声が、皆の胸を射抜いた。
赤い瞳からアメジストの瞳に変わった少年が苦しそうに起き上がり、額を抑え睨んでいる

「殺せ……」

 暗く渇いた声が静寂の中響く。

「人の心を捨てて、悪魔の僕になったオレだ……。放っておいたら、また悪魔に魅入られて、お前たちを殺すことになるかもしれないぜ……さぁ、一思いに殺してくれ!もう……うんざりだ!」

 あの日、赤い剣を手にして魔の力に溺れた。それは酷く心地よくて、何もかもどうでも良くなってしまう程で。何の為に力を求めたのか、そんな大切な事すら分からなくなって。

 自分の手から離れた赤い剣は黒く朽ち果てて、勇者の持っている剣は白い光をたたえていた。
 これほどまでに力を求めて、悪魔に魂すら売ったのに、目の前の勇者には勝てなかった。
 何もかもがバカバカしい、何もかもを棄て去りたい。自分の命すらも。

「こんなオレは生かしておく価値なんてない……」

 オレはこの10年何をしてきたんだろう。
 こんな事の為に、最強の剣を求めたんじゃない。

 テリーの心はズタズタに引き裂かれていた。

「もうやめて……やめてよテリー!」

 柱の影から見つめていたユナが言葉を発するより一瞬早くミレーユが飛び出した。
 とても美しい女性。儚いその雰囲気にテリーは眉をひそめた。

「……何処の誰だか知らないが、あんたなんかにテリーなんて呼ばれる覚えは無いな」

 飛び出してくる金髪の女性に冷たく言うと、その女性はみるみる内に瞳に涙を浮かばせ、サークレットを外した。テリーは怪訝な顔でその行動を見守る。女性は結い具を外したところで、たおやかに話し始めた。

「そうね……普通なら忘れてしまってもおかしくない程時間も経って、忘れてもおかしくない程いろいろな事があったわ……」
「…………?」

 どこかで会ったのだろうか。この女性の話し方、素振りをテリーは心の奥底で知っている。

「でも……」

 そのむず痒く、歯痒い思いは、その後のミレーユの言葉を聞いた時には違うものに変わっていた。

「あなただって覚えているはず………ガンディーノの街のことや人々のこと、そして……私のことも」
「ま まさか……」

 激しく揺らぐ胸の内で、テリーは昔の思い出が蘇ってきた。
金髪の女性…………たった一人の……

「い いやっミレーユ?ミレーユ姉さんか!?」

 昔と変わらない、エメラルドの優しい瞳。一気に懐かしい思い出が蘇ってくる。
本当の両親、ガンディーノ、そして いつも優しかったなによりも大切な姉―――――。

「ああっテリー!」

 ミレーユはテリーの胸へ倒れ込み、号泣した。
それは旅をしてから皆が初めて見る、ミレーユの涙だった。



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