37. 青い帽子



 美しい夕暮れのステンドグラスに照らされ抱き合う姉弟。
テリーは抱擁を止め、ミレーユの顔を見つめた。言葉では言い表せない、とても繊細で儚くて美しい女性だった。しかし昔の面影はちゃんと残っていた、それなのに……

「姉さん……こんなに近くにいたのに気付かなかった……」

 それが、ただただ悔しかった。何度か出会っていたはずなのに、その時に気付いてさえいれば……

「いいえ、テリー。何度あなたを目にしていても、声をかけられなかった私も悪いの」

 ようやくミレーユは涙を止める事が出来た。涙でくしゃくしゃになった顔は、いつものミレーユより幼く、そしていつものミレーユより美しかった。

「あの時のオレに今の半分でも力があったら、姉さんを守ることが出来たのに……」

 ぎゅっと力を込める右手に、そっと手を添えて微笑んだ。

「いいの、もういいのよテリー。誰のせいでもないわ……」

 添えた両手で、テリーの右手を握りしめて

「それより聞いてテリー!あなたの力を必要としているのは、今はもう私じゃない。あなたがこれまで掴んだ力をこれからは世界のために使って欲しいの」

 姉の言葉は今まで生きてきたテリーを全て肯定してくれた。それはテリーにとってなによりの救いだった。

「テリー……私たちの仲間になってくれるわね?」

「ね、姉さん……!」

 子供の頃と同じようにそっと額に口付けしてくれると、この10年の傷ついた傷が癒されていくようだった。泥水を啜りながら生きてきたこの年月は、無駄じゃなかったのかもしれない。
 大切な人を守れなくて苦悩した日々が思い出される。その為に得た力を、姉の為に使えるのなら……。
 テリーはミレーユの瞳をまっすぐに見つめて、力強く頷いた。

「やだ〜、ミレーユにこんな格好いい弟がいたなんて、私困っちゃうな〜」

 そんな雰囲気の中、一人の少女が元気良く立ち上がった。

「改めて紹介しまーすっ。バーバラでーすっ!よろしく!」

「テリーだっけ?オレはウィル、よろしく頼むよこれから」

「おう、オレはハッサンだ。ミレーユの弟なんだって?よろしくな!」

「私はチャモロと申します。以後よろしくお願いいたします!テリーさんっ!」

 差し出された手。
 テリーは少し迷ったが、ミレーユの視線を感じて、バツが悪そうに握り返した。

「よっしゃあ〜〜〜!じゃあ行こうぜ!テリー、お前の話、聞かせてくれよ!」

 馴れ馴れしく肩に手を掛けるハッサンの手を突っ撥ねる。

「……勘違いするなよ。オレは、姉さんが力を貸してくれって言ってるから、仲間になってやってるだけなんだからな」

「はぁ!?」

 予想外の言葉。いくらミレーユの弟とはいえ、中々に許容しがたい。

「ごめんなさいね、ハッサン。ちょっと人見知りする子なの」

「……まあ、弟っていうのはそういうもんか」

 申し訳なさそうなミレーユとテリーを見比べ、ハッサンは呆れたように両手を上げた。



「……よかった」

 姉弟の再会を見送って、ほっと安堵の息がこぼれた。

「何やってたの?」

 仲間たちは皆、王の間から出て行ったと思っていたユナは出かかった叫び声を飲み込んだ。

「バ、バーバラ……!」

「何隠れてるのよ?」

「別に隠れてなんか……」

 部屋の様子を伺う、もうバーバラとユナしか居ないようだ。

「あの人が……ユナの探してた人?」

 あの人、というのはテリーの事だろう。

「大切な人なの?」

 先ほどの戦いでのユナを見れば聞かなくても分かる質問だった。視線を彷徨わせた先を塞ぐようにバーバラは身を乗り出した。

「……黙っててごめん。うん……ずっとテリーを探してたんだ……」

 ユナの表情はいつもと少し違っていて、彼女の気持ちは痛い程伝わった。バーバラは白い歯を見せてユナの頭を小突いた。

「良かったねユナ!」

「うん……」

 恥ずかしそうに頷く。

「ちょっと気持ちの整理していくから……先に馬車に戻ってて」

 ユナの気持ちを汲んでかバーバラはいつものように冷やかす事もなくその場を後にしてくれた。

「…………」

 途端に、シンとした静けさが訪れる。
 今でも、信じられない。テリーがやっとミレーユさんと会えたんだ。

「よかった……」

 再会した時の幼い少年のようなテリーの顔を思い出し、再びユナは呟いた。
 ふと、腕の中の銀の横笛を見る。
 テリーと自分を救ってくれたそれは夕暮れのステンドグラスに反射して赤く光っていて、ユナはそれを大事そうに道具袋にしまった。

(こんなところに居た!)

 声に振り返ると、青いスライムが突然ユナの肩に飛び乗ってきた。

(何やってるの!まさかこの期に及んで、会うの怖がってるの!?)

 何度も肩の上で跳ねる。

「スラリン…そんなんじゃ…」

(もうほんとにユナは、テリーの事になると気弱になるんだから!)

「だって……仕方ないだろ。もうずいぶん久しぶりなんだ!オレの事覚えてるかも……」

(覚えてるよ!)

 言い終わるか終らない内にスラリンが叫ぶ。もう一度ぴょんと飛んで、何かを口にくわえて戻ってきた。それは……

「……これ」

 それは長い年月に晒されて酷く汚れていた。
 ぐちゃぐちゃの糸止めも、拙い繋ぎ目も、何もかも見覚えがある。
 テリーに押し付けた、青い帽子―――――。
 震える手でそれを手に取ると、昔の思い出が一気に蘇った。
 あの日、アークボルトで見た青い帽子を被った姿。ずっと持っていてくれた―――――。

「……会いたい」

 苦しい程に胸が満たされて、ずっと心の奥にあった気持ちが言葉と一緒に漏れた。

「……テリーに会いたい……」



 険しい山に囲まれたこの場所は、やけに長い夕暮れに感じた。
 姉と共に迎える夕暮れはいつもより遥かに美しく感じたが、違和感を感じテリーは振り返った。

「どうしたの?」

 立ち止まる弟は何を思ったか踵を返した。

「帽子を城に忘れてきたみたいなんだ。探してくる」

「そんなの、私がまた縫ってあげるわよ」

「……そういう訳には……いかないんだ」

 テリーは言い辛そうにそう告げると、「すぐ戻る」と言い残して城へと引き返していった。

 戦いの最中に落としてしまったのだろうか、視線を落としてテリーは歩いた。落ちた天空の城。門を潜り、緑の庭園を抜けた。周囲を見渡しながら、注意深く隅々まで視線を送る。

 ……どこに落としたんだ、あの帽子は……

 城の長い回廊を歩きながら、不意にテリーは立ち止まった。今まで考えないようにしてきた。
 しかし思考は止まらず、次々と頭の中に昔の記憶が流れ込んでくる。それは信じられない程鮮やかで、つい最近の事のように思えた。あの日の事も……。
 テリーはむりやり頭を振り、むりやり頭を切り替える。そしてデュランのいた王の間の扉に手をかけた。



「ダメだな……早く帰らなきゃ……」

 押し潰されそうな程重くなってしまった気持ちを静めてユナは立ち上がった。いつの間にかスラリンも居ない。薄情だなぁと思う余裕も無く、ユナはテリーの帽子を見つめた。

「………」

 再び胸の苦しみが蘇り、ユナは頭を振った。
もう、考えるのはやめよう―――――。この気持ちを楽にする答えなんてない。

ようやく立ち上がった時、扉がゆっくりと開いた。



「……ユ……」

 射抜かれたような衝撃がテリーを貫いた。
 相変わらずの少年のような短い髪。
 華奢な目鼻立ちに、大きな瞳。記憶の中の人物が、驚いた顔でこちらを見つめていた。

「………ユ、ナ……?」

 ゆっくりと、だんだんと大きくなっていく心臓の音。知らず伸ばした手が震えた。

「――――っ!!」

 ユナは動けず、ただただ目の前の人物を見つめた。
 眩いほどの銀髪は瞳の下まで伸びており、前髪の隙間から水晶のような瞳が見え隠れしていた。その瞳に見つめられ、声すらも出ない。

 どのくらい時間が過ぎたのだろう。その時間は、二人が状況を認識するのには少し短かったのかもしれない。
 特に、テリーにとっては。

「……ユナ、なの、か?」

 先に動いたのはテリーの方だった。
 ユナから視線を離さず、すぐ近くまで歩み寄る。それだけでユナの心臓は破裂しそうに激しく強く脈打っていた。

「……どうして……こんな所に……お前、が……」

 言葉が出てこない。

「まさか……ミレーユ姉さんとずっと一緒にいたのか!?」

「…………」

 目を離すことも出来ず、ユナはかろうじて頷いた。テリーはたまらずユナの肩に手をかけて

「じゃあ、なぜ声を掛けなかった!?何度も会っていたはずだろ!?」

 何を言ってるのか、自分でも分からず叫ぶ。

「オレは……オレはずっと………!!」

 テリーは言いかけて口を噤んだ。肩の震えがテリーに伝わったかと思うと、ユナはぽろりと涙を零した。

「ちがう……」

 その声は間違いなく記憶と同じ少女の物。

「会いたかった………」

 言葉に出来ない気持ちが涙になってぼろぼろと頬を伝った。

「本当は……会いたかったんだ………」

 俯いて涙と一緒に言葉が流れ落ちた。
 テリーは瞳を伏せて唇を噛みしめると、ユナのうなじに手を当てる。驚く間もなく、ユナを自分の胸へと抱き寄せた。

「…………っ!」

 短い髪、スライムピアス、青いマント、似合ってない大きな剣。それは間違いなく、彼女で……。

「……テリ……」

 苦しい程に抱きしめられ、体と胸が軋んだ。
 青い服とその銀髪が顔に触れ、一瞬心臓が止まってしまったんじゃないかと錯覚する。息をする事も忘れただただその状況を受け入れる事しか出来ない。
 ビックリするほど体が熱くて、心臓の音が聞こえるんじゃないかと思う程大きくなる。

「テリー……」

 信じられずにもう一度その名前を呼ぶ。背中に回った手がますます強くなり―――

「……バカ!!」

「――――っ!」

 突然の罵声に、ユナは我に返った。

「このバカ野郎!!!」

 テリーは強くユナを抱きしめたまま怒号した。

「お前は何も成長してないのか!? 考えなしに行動するなって散々言っただろう!」

 懐かしいダメ出しに、雰囲気が一転した。

「かっ、考えなしじゃないよ! オレなりにちゃんと考えて……」

「考えた末が、”メガンテ”か?」

「……うっ……」

「どれだけ周りを振り回せば気が済むんだよ!?」

 それはいつもの言い合いだった。
 抱きしめられた体から伝わる体温やすぐ側で聞こえるテリーの声。それは間違いなく本物なのに。聞こえる言葉はいつも通りの物でユナは混乱した。
 テリーは背に回していた手を解いてユナの肩を掴んだ。ぎゅっと強く力を込めて、項垂れる。

「もう……生きていないかと……」

 あの時から胸に残っていた重いしこりが疼いた。
命と引き換えに相手を屠る呪文。
マウントスノーにあの魔物が居ないと知った時、自ずと答えを突き付けられて、
それから、暗い闇に捕らわれた。

「ごめん!!」

 そんな声がテリーを引き戻す。

「オレ、メガンテ、失敗したみたいで!」

「………」

「だってオレ、生きてるし、何も覚えてないし、あの魔物がどうなったかも、テリーがどうなったのかもわからなくて……」

 ユナは言い辛そうに口をもごもごさせる。途端に空気が変わった。

「失敗したのか……?」

「う……っ……」

 言葉を詰まらせて、次の言葉を探す。落ち着きなく視線を彷徨わせて

「かっこ悪くて、悪かったな……!オレだって、あんな場面で、失敗するなんて思わなかったし」

 眉をしかめて、恥ずかしそうに言うその姿。
テリーは頭を抱え、それから、ほどなくして呆れたように笑った。

「な、なんだよ、笑わなくたっていいだろっ!」

「……心配して損した」

 あまりにもいつも通りのユナ。居なかった事が夢だったかのようだった。
 サーカス団の時と同じ、さんざん人に心配かけて、戻ってきたと思ったらいつもの、この感じ。
 テリーはぐしゃぐしゃと頭を掻いてもう一度笑った。
 あれほど重く詰まっていた”しこり”が、途端にすっと流れていく。

 テリーは何事も無かったかのように立ち上がると、ユナもふらつく足で立ち上がった。
テリーの背は少しだけ伸びていた気がして、胸の高鳴りが戻ってくる間もなくテリーはもう一度釘を刺した。

「……もう二度と、メガンテなんて使うなよ」

「わかってるよ……」

「どうだかな」

「信用してよ〜…」

「ふん」

 背を向けたと同時に銀髪がなびく。ユナは持っていた帽子に視線を落として

「あの、さ、この帽子……」

「……」

「作り直してもいいかっ?ミレーユさんに、教えて貰ったんだ、あの、裁縫、だから……」

 途切れ途切れの言葉はユナの今の感情を匂わせた。

「……もう少しマトモな物が作れるのかよ?」

 少しだけ振り向いて皮肉っぽくそう返す。
 ユナはその皮肉にも、赤く腫れた顔でようやく笑った。

「なんだよ、オレだって少しは成長してるんだぜ!」

「へぇ、怪しいもんだな。まぁお前の好きにすればいいんじゃないか?期待はしてないけどな」

「もう、こんな時でも、ひとこと多いな!」

 返す言葉にテリーはいつものように口元を緩ませた。

「そんな事より、姉さんが待ってるんだ。さっさと行くぞ……ユナ!」

「……っ」

 それは目が眩むほど懐かしい光景。
 ユナの、胸の奥でずっと眠っていた感情が弾けた。
 テリーは、ふっと意地悪な笑みを残して歩き出す。
 
 ユナはぎゅっと青い帽子を握りしめて

「テリー!待ってよ!」

 とめどなくあふれる気持ちを必死に抑え、その後ろ姿を追いかけた。



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