38. 想い



「ユナ、遅かったね」

 あの後、泣き腫らした顔が気になって泉で顔を洗ったユナは一足遅く帰ってくる事になった。
馬車へ戻る途中、バーバラが笑顔で迎えてくれる。

「うん、ごめん。夕飯の準備手伝うよ!」

 バーバラが抱えていた薪を受け取って、野営地へ向かおうとするが、バーバラがそれを制す。

「テリーとは上手くいった?」

 派手な音を立てて薪が地面に散らばった。

「なっ、なにいってるんだよ!ただ、再会の挨拶しただけで……」

 薪を拾い集めるユナの顔は日が落ちても分かるほどに真っ赤で、拾い集めるのを手伝いながらバーバラは笑みを抑える事が出来なかった。

「ずっと探してた大切な人か……へ〜、まさかそれがあの青い閃光の彼だなんて思わなかったな。もっと早く声掛ければ良かったのに」

「う、うん……タイミングが無かったのもあるけど……なんだか……怖くて」

「怖い?」

「情けないんだけどさ……テリーがオレの事覚えてなかったらどうしようって思ったら、なかなか言葉が出なくって……」

「ふふっ、なぁんだ。心配して損しちゃった!」

 そぐわない返答に疑問を投げかける間もなく

「ユナもちゃんと年頃の女の子なんだね〜!可愛い所あるんじゃない」

「な、な、なんだよそれ……」

「どれくらい一緒に居たの?告白はした??まさかもう恋人だったりするの??」

 矢継ぎ早の質問を吹っかけられ困惑して周囲を見回した。幸い誰もこちらを気にする素振りは無い。

「違うよ! そんなんじゃないんだって! テリーは大切な仲間だけど、そういうんじゃなくて……一緒に居たのだってそこまで長くなくて……」

 言ってしまって、何故か昔ビビアンからテリーが好きなのかどうか聞かれた事を思い出した。そして、運命の壁を登りきった後、ウィルを好きだと打ち明けてくれたバーバラの姿も。

「……ごめん、本当は……違う」

 薪を拾い集める手が止まり、その場にしゃがみ込んだ。

「恋人じゃない……けど、オレは……テリーが、好き、で……」

 途切れ途切れユナは呟いた。

「告白、したけど……別れ際だったし、きっと覚えてないよ……」

 マウントスノーでの告白。随分昔の事で、それもあんな状況で、きっと忘れているだろう。
 それを確かめる勇気をユナは持つ事が出来なかった。
 あはは、と無理に笑って再び薪に手を伸ばすと頬が小さく引っ張られた。

「いてっ! なっ、なにすんだよ!」
「ユナ、かーわいい」
「はぁっ!?」

 つねった右手でユナの頭を撫でると、バーバラは笑顔を向けた。

「言ってくれてありがとう」

 赤い顔がまだ戻りきってないユナを見て、バーバラは彼女の恋を応援しようと心に堅く誓った。



 食欲をそそる匂いの伴った煙が、森の中から立ち上る。自生していた山菜と燻製肉で作った鍋の匂いだ。ミレーユとバーバラが夕飯の調理をしているのを、ユナはいつものように眺めていた。

「お前はやらなくていいのか?」

 振り向くと、不敵な笑いを浮かべたテリーがいた。

「オレが料理できないこと、知ってるだろ?」
「そう言えばそうだったかな」

 ユナの少し離れた所に立つ。

「オレだって出来る事なら手伝いたいけど、余計迷惑掛けちゃうし……」

 指を切っただの、おかしな食材を入れてしまっただの、その様が頭に浮かんで再びテリーは口元を緩めた。
 実際ユナは恐ろしく料理が下手だ。二人で旅をしていた頃、嫌という程実感させられた。
 さすがにこいつに料理を任せる程、味オンチのパーティではないのだろう。

「大丈夫ですよ、ユナ様!」

 木の上から飛び降りてきて、突然目の前に現れたのは魔物のスライムナイト。

「ユナ様に代わり、私がお手伝いしましょう。料理の腕には少々自信があるので」

「ピエール、いつもありがとな」

「いえ、みなさんにお世話になっているのですから少しでもお力添えをしたいのです」

 緑色のスライムに乗ったままピエールは胸に手を当て頭を下げた。従者が主人にやる挨拶だ。この場合、主人はユナ、従者がピエールという事になるのだろう。
 ピエールは手に持っていた白いエプロンを腰に巻き、スライムから降り夕飯の準備に取り掛かった。そのさまが何とも奇怪に見える。

「それにしても、スラリン以外の魔物まで仲間にするなんてな」

「仲間にするっていうか、皆がウィルたちの力になりたいって言ってくれたから……あっ、ちゃんとウィルたちの了解は取ったんだからな、皆も良くやってくれてるし……」

 皆というのは、仲間モンスターの事でミレーユから紹介された時はテリーも驚いた。
 ホイミスライムのホイミン
 スライムナイトのピエール
 キメラのメッキー
 比較的魔の影響を受けにくい魔物で、人語も話す事が出来ると言うのだ。その仲間モンスターと、ウィルの仲介をしたらしいのがやはりというか彼女で
 ”懐かしいわね、魔物使いだなんて”
 そう言って微笑むミレーユを見て、テリーは昔の事を思い出した。ウィルたちに口添えしたのは、ユナだけじゃなくきっとミレーユもそうなのだろう。

「お前は……本当に全く変わってないんだな」

 皮肉とも取れる言葉だが、ユナは笑って頷いた。

「うん! オレも、スラリンも、あの時と変わってないよ!」

 鞄の中から出てきたスラリンがピキィと声を上げてテリーの肩に飛び乗った。その空気が酷く懐かしくてユナは視線をたき火に向け言葉を続けた。

「それにしても……なんか不思議な感じ。まさかまたこうやって、テリーと一緒に旅が出来るなんて……」

 ポロリと素直な本音が口をついて出る。
テリーに声を掛ける前の不安が嘘のように、一緒に居る今は嬉しい気持ちの方が強かった。

「……姉さんの頼みだからな、それに」

「……?」

「オレはお前たちの情けで生かされてる。敗者は勝者に従うものだからな」

 テリーらしい台詞。

「んな事言うなよ。情けとか命令とか、そんな事思ってる奴なんていないよ。テリーはもう仲間なんだからさ」

「ふん……」

「少なくとも、オレはテリーの仲間だろ?」

「……さぁな」

 テリーはどことなく含みの有る笑いで返した。



「いい雰囲気だな」

「あん?」

 ちょうどユナとテリーの正面、と言ってもバーバラとミレーユを挟んでだが、ウィルが呟いた。

「テリーとユナの事だよ」

「ああ、そう言えばそうだな。ヘルクラウドでも必死だったし、あいつ、ユナがずっと探してた大切な人なんだろ?」

 ハッサンはゴロンと草むらに横たわる。つられるようにウィルも隣に座った。

「あいつもなんだかんだで、女の子だったんだな」

 つい笑いそうになってしまって、ウィルは口元を引き締めた。そしてバーバラと同じような気持ちを抱いてしまう。

「テリーも仲間になったばかりで心細いだろうし、良かったよ。上手くいくと良いな」

 最後の言葉の意味を知ってか知らずか

「ああ、だな」

 ハッサンはそう相槌を返してくれた。



 夜も暮れ、野営の準備が整うと皆は夕飯の鍋を囲んだ。馬車に積まれた年代物のワインを開け、些細な乾杯をする。それは新しい仲間に出会えた事と、テリーとミレーユの再会の為の祝杯だった。
 魔物の襲来に備え酒は気持ち程度に注がれた物だったが、それでも気持ちを楽しくさせて口を饒舌にさせるには十分だった。

「それにしても、あん時ゃびびったぜ! テリーを殺さないでー! だもんな!」

「もうっ! ハッサン! 喋りすぎだよ!!」

 お酒に強そうな割に、飲むとすぐ酔うハッサンがユナの肩に手を掛けた。

「まぁまぁ、あの時はどうなるかと思ったけど、テリーが仲間になってくれて良かった。これ以上頼もしい事はないよ」

 ウィルが助け舟を出してくれる。テリーにとってもあまり触れられたくない話題だとは思うが、知らず話の流れはあの時のテリーの話になっていた。

「そうそう! マジで絶体絶命ってやつだったな! テリーは止められねえし、ユナは斬られるし、まぁ、どうにかなってほんとうに……」

 居心地の悪そうにしていたテリーがその言葉を聞いて立ち上がった。

「ハッサン!」

「んあ?」

 少量でもハッサンにお酒は飲ませるべきではないのだろうか。
 テリーは怪訝な顔でユナの腕を掴む。ずっと気になっていた。マントの新しい血の滲。
 傷はもう治っているようだったが、マントは鋭利な刃物で斬られていた。ユナのこのマントをここまで綺麗に斬れるのは、魔物の爪などではあり得ない。

「……オレがやったのか?」

「そ、それは……」

「オレが斬ったのかよ!?」

「もういいだろその話は、それより……」

 テリーは、くそっ!と舌打ちすると、そのまま森の奥へ消えて行った。

「テリー!」

 ミレーユの言葉に振り向くも、戻っては来なかった。
 ユナは皆の顔を見回す、ミレーユと目が合うと向こうは頷いて、慌ててユナはテリーの後を追いかけた。

「……ハッサンさん……」

 チャモロはハッサンを見つめると眉を潜めた。

「悪かった……」

 すっかり酔いの冷めてしまったハッサンはその身を縮込ませるしかなかった。



「テリー、待ってよ!」

 暗い森の中で青い服を見つけてユナは安堵した。月明かりが所々に青白い光を残している。

「あの、オレの事なら気にしないで! 大丈夫だから!」

 テリーは立ち止まると、振り向きもせずに舌打ちした。

「急所だって外してくれたろ? チャモロのホイミで治ったしこんなの、かすり傷だよ!」

 そっと隣に来て笑顔を向けてくれる。その笑顔から左腕に視線を移した。
 何が、かすり傷だ。
 マントは綺麗に裂かれていて、ちらちらと彼女の肌が見え隠れしていた。マントの血の滲みは出血の多さを物語る。
 ユナに対して剣を向けてしまった事、それを振り下ろしてしまった事、それを覚えていない事。 何もかもが悔しくて、テリーはぎっと歯ぎしりした。

「すまなかった……」

 それだけを何とか口から押し出す。
 悪魔に魅入られてから揺蕩うように生きていた気がする。全ての欲を解放して、そして手に入れたのは――――。

「……テリー……」

 一瞬眩暈がして、ふらついた所をユナが支えてくれた。

「大丈夫か……?」

 昔を思い出す、全てを受け入れてくれそうなその不思議な瞳。

「……オレは、結局何も得られなかったんだな……」

 自分の中の心の弱い部分を自分で吐露してしまっていた。

「お笑い草にもほどがある」

 それはどんどんあふれて言葉になって

「最強の剣も見つけられず誰も何も守れないどころか、悪魔の手先になって逆に傷付けてしまうなんて」

 額に手を当て口を歪ませ笑った。
 姉さんを、ユナを、この手で、殺してしまう所だった――

「違うよ!」

 弾かれたようにユナが叫ぶ、心配げに見つめていた瞳は強い光を湛えて

「テリーはちゃんと大切な人……ミレーユさんを守ったじゃないか! 傷つけたりなんかしてない! テリーは操られてた時も、ミレーユさんの事覚えてたんだから!」

 そう必死に訴えた。

「テリーは強いよ。剣だけじゃなく心だって! これから、その力でミレーユさんを守っていけばいいだろ、だって、せっかく再会出来たんだから」

 言い切ってしまうと視線を外して小さく呟く。

「弟がそんな事言っちゃ、姉さんだって悲しむよ……」

「…………」

 沈黙が続いてテリーは背を向けた。

「……お説教かよ」

「そんなつもりじゃ……」

 テリーは何も言わず森の奥へと歩き出した。

「テリー、ちょっと待って……!」

 背中に言葉を投げかけた後、微かな血の匂いが漂ってきた。
 テリーも気付いたのかその方向に足を進める。脇道を少し入った茂みの奥。
 メスの鹿と子供の鹿が身を寄せ合っていた。見た所母親と子供のように見えたが、母親は腹から出血していた。

「なんだ、鹿か」

 血の原因を突き止めると、テリーは剣の柄から手を離す。

「お母さんの方、怪我してるよ。手当してあげなきゃ……」

「やめとけ」

 言い終わるか終らない内にテリーが制した。

「見た所、かなり深い傷だ。お前じゃ治せない」

 テリーが近寄ると、怯えたように子鹿が立ち上がった。母親の傷をもう一度確認して

「魔物にやられた傷だな、腹を噛まれて出血がひどい。長くは持たない」

「そんな……」

「戻る時間もなさそうだな……」

 テリーは今来た道を振り返る。思ったより森の奥まで来てしまったのだろうか、野営の光も見えなかった。鹿の息はもう絶え絶えで今にも止まりそうだ。

テリーは何を思ったか鞘から剣を引き抜いて掲げた。

「テリー、なにするつもりだよ」

「殺してやるのさ」

「殺すって……」

 剣を振りかざして、鹿に近付く。立ち上がった子鹿は母親を守るようにその場から動かなかった。

「やめてよ! 怯えてるじゃないか!」

「戻って回復できる奴を連れてきたとしても間に合わない。苦痛にまみれて死ぬよりは一瞬で楽にしてやった方が良いだろう。子鹿だってこんな森じゃ一人で生きていけない」

「だから、オレが治すって……!」

 ユナは慌てて母親の鹿に歩みよった。膝を付くと手を傷口に当てる。
 舌打ちして剣を収めたテリーは目を疑った。手から溢れだすオレンジの光、その光は

「……べホイミ」

 二人同時に呟く。
 暖かなオレンジの光は傷口を包むと、みるみる出血は止まり皮膚が再生される。光が収まる頃には完全に傷は塞がっていて、鹿はよろよろ立ち上がった。

「大丈夫か? この辺、魔物多いんだ。森を抜けてもっと南に行くと川があるんだけど、その辺にお前たちみたいな鹿が沢山居たぜ」

 鹿は小さくいななくと、怪我をしていたのが嘘だったかのように子鹿と共に駆けて行った。
 自慢げな顔を隠しきれずユナは振り向いた。

「ようやくオレ、べホイミ使えるようになったんだ」

「……使えるんなら早く言えよ……」

 興味なさそうに返すが、正直テリーは驚いていた。
 一緒に旅をしていた頃、必死で魔法書を読んでいたユナが思い出される。しかしどんなに本を読み込んでも、神父の教えを受けても、べホイミを覚える事が出来なかったのだ。
 呪文は本人の素養に左右される事が多い。
 ユナにはべホイミを使える素養が足りないのだ。
 本人には伝えないまでも、心のどこかでそう思っていた。だがしかし、使えるようになったという事は、素養を超える程の努力を重ねたのだろう。
 緩む口元を隠さずユナは言葉を続けた。

「チャモロからコツ教えて貰ったんだ! ほら、黄色い服着た眼鏡の男の子! ゲント族の長老のお孫さんでさ、次期指導者になるかもしれないすっごい僧侶なんだぜ」

 テリーの脳裏にその姿が思い浮かんだ、眼鏡を掛けて変わった服装をしていたので印象に残っていた。彼はあのハッサンとかいう男に回復呪文を掛けていて、それは今まで感じた事のないほど大きな癒しの波動だった。

「ほんと、みんなには色んな事教えて貰ってさ! ウィル、ハッサン、バーバラ、チャモロ、それにミレーユさん、教えて貰うのも、話すのも、旅するのもすごく楽しくて……」

 それぞれの顔が思い出された。アークボルトでも、マウントスノーでも、仲間だなんだ言う甘ったれた連中だとは思っていたが、その連中が自分では全く歯が立たなかったデュランを倒した。
”仲間を想う心は何よりも強い力になる。君が探している最強の剣よりもね”
 あの青い髪の青年、ウィルの言葉。酷く自分を苛つかせたこの言葉は忘れようもなく心に残っていた。
 この言葉が真実だとしたらオレは――――。

「だからテリーも……」

 ユナの声に我に返る。テリーの驚いた顔を見て、ユナは言葉を止めて微笑んだ。

「とにかくさ、帰ろうぜっ、みんなの所に!」

 数歩歩いて振り向いて

「ミレーユさんも心配してるよ」

 白い歯を見せていつものように手を差し伸べる。
 自然と自分が斬ってしまった左腕が目に入り、胸の奥がドキリとした。

 ユナに、剣を振り下ろしてしまった。

 その事は、テリーの心に想像以上に深く暗い影を落としていた。



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