40. 神の城



 封印を守っていた魔物を倒せば、封印は解かれ夢の世界にその姿を現す。

 神の城――
 別名を天空城――

 依頼を無事終えて、現実の世界から夢の世界へと渡った一行は旅の疲れを癒す為クリアベールに立ち寄った。
 久しぶりの湯浴みにふかふかのベッド。魔物の襲撃に怯える事もない。しかしユナは眠れずにいた。
 カーテンの隙間から眩しい程の月明かりが差し込んでいる。
 ユナはベッドから起き上がり、夜風に当たるためそっと宿を出た。

 クリアベールは街の至る所に花の植えられたとても綺麗な街だった。そんな雰囲気がどことなくトルッカに似ている気がして気分がほぐれる。
 夜の街は人影は少なく、巡回中の自警団とすれ違うだけだった。ふと、立ち止まり空を見上げる。

 神の城へ行けば自分の記憶も戻るのだろうか――
 そして、その記憶はどんな物なのだろうか――
 後悔する事はないだろうか――
 このまま、何も知らない自分で居た方が幸せなんじゃないだろうか――

 もう何度も心で繰り返してきた自問。その正解を導き出す事はきっと出来ない。
 満月だけをその眼に残してユナは宿に戻った。そっと扉を開けようとして

「おい」

 呼び止められた事に驚いて振り向いた。

「こんな夜にどこに行ってたんだよ?」
「……テリーっ」
「夜に一人で出歩くな。特に、今日は満月だ」

 腕を組んで不機嫌そうな顔。もしかしたら心配してくれたのだろうか、という淡い期待をユナは打ち消した。

「ごめん、眠れなくてちょっと夜風に当たりに……。もう寝るよ」
「……記憶の事か?」

 月明かりに照らされたテリーの瞳は心を見透かすように見つめていた。

「次の目的地は神の城だ。そこへ行けばお前の記憶も戻るかもしれない、そういう話だっただろ?」

 トルッカで一度しか話していない事を彼は覚えていた。その時はやけに邪険にしていたのに、

「まさか……怖いのかよ?」

 バカにしたように口元を緩ませる。ユナはしばらく黙ってうつむいた。

「うん……」

 素直にそう呟く。

「バカだよな……だって、自分から記憶を取り戻したくてやってるのに、目前になって怖いだなんて」
「…………」
「もし、記憶が嫌な物だったらどうしようって、思い出さなくていい物だったらどうしようって、それを思い出した時自分はどうなっちゃうんだろうって、そう考えて……でも、答えなんて出なくて……」
「…………」

 テリーはじっと黙ってユナの気持ちを聞いてくれていた。

「自分が自分じゃなくなりそうで……怖くなって………」

 テリーはユナに歩み寄るとそっとユナの頭に優しく手を乗せた。

「お前はお前だろう。きっと何も変わらない」

 手の温かさが伝わってくる

「記憶を取り戻して、それがお前にとって良くない事だったとしても、オレがずっと知ってるお前は変わらない……」
「…………」

 ユナが顔を上げたと同時に、ぱっと手を離しすれ違いざま宿の扉を開ける。

「だからもう寝ろよ。明日も早いんだろう」
「テリー……」

 振り向いたテリーは、皮肉めいた笑みを見せてそのまま部屋に戻って行った。
もしかしたら心配、してくれたのかもしれない。その期待を打ち消す事が出来なくて彼の言葉を胸に止めた。

”オレがずっと知ってるお前は変わらない”



 クリアベールを出発して数週間。馬車は夢の世界を走っていた。
 地図を片手にチャモロが皆の顔を見回し頷く。一日掛かりで歩いた深い森を抜けた先、趣のある尖塔が真っ先に目に飛び込んできた。ヘルクラウドと全く同じ古城。
 しかし纏う空気は別物で、神秘的な神々しさに圧倒される。

「神の城……間違いねえ、あそこに神様が……」

 ハッサンが高揚してうわずった声を上げる。ユナは額に汗を滲ませ息を飲んだ。

 神の城  あそこへ行けばもう戻れない

「ユナ」

 優しい声が現実に引き戻してくれる。

「記憶……戻るかもしれないんでしょ?」
「うん……」

 バーバラは何故か少し悲しそうな顔をした。それは彼女の記憶も、思い出さない方が良い類の物だったから。ユナに自分と同じような気持ちを味わってほしくない。そう思っているのかもしれない。

「……ありがとう、大丈夫」

 不安を打ち消すように自ら口にした。

「バーバラが知ってるオレは、きっと何があっても変わらないよ!」



 中の造りすら、ヘルクラウドと全く同じだった。城へと続く石造りの階段を上る。美しい装飾の施された城門は、ウィルたちを歓迎するようにゆっくりと開いた。

「ウィル様ご一行様ですね?」

 優しい声と淡い光。神秘的な空気は、まるで夢でも見ているかのような浮遊感さえ与える。迎えた兵士は跪いて深々と頭を垂れた。

「ゼニス王がお待ちです。ご足労を願う事、お許し下さい」

 ウィルも慌てて頭を下げると兵士は立ち上がって再び頭を垂れ、ゼニス王が居るという大広間へ続く回廊を歩き出した。

”ゼニス王……”

 ユナの心の中に、ポツリと黒い影が落とされる。その名前を聞くと胸が息苦しくなってぎゅっと胸元を握りしめた。

「ゼニス王……神様の名前かな……」

 雰囲気に飲まれ縮こまってしまうウィル。ミレーユは頷いた。

「ええ、そうよ。神様の名前……。昔この世界を空から見ていた王様」
「空から?」

 興味深そうにバーバラが大きな瞳をしぱしぱさせた。

「ええ、この城は昔、現実世界では空に浮いてたって話よ」
「現実世界って…デュランのいたヘルクラウドか?確かに空に浮いてたよなぁ。あれはぶったまげた。昔話で聞くのと、実際見るのとじゃえらい違いだったぜ」
「空に浮かぶ城か。オレも乳母から聞かされたな、天空の城には竜の神様が居て天空人が住んでるって」
「天空人! そういえばアタシも昔聞いた事有るわ」

 ウィルもバーバラも昔を懐かしみながら頷いた。 

「オレも知ってるぜ、けど実際にはどんななんだ?エルフみたいなもんなのか?」
「そうですね、エルフも天空人も元は遠い昔の伝承や伝記から始まった物で、実際に実在するのを見たのは初めてなのでなんとも……」
「精霊ルビス様がお作りになった世界。天空人もエルフも、人間もそうです。私たちから見ればあなたたち人間も実在するのを見たのは初めてですよ」

 先導していた兵士が声を掛けてきた事に驚いた。

「お互い、関わり合いの無い世界で暮らしてきた。その全てを手に収めようとしているのが、魔王です。私たちは、魔王の手によって滅ぼされました。今はもう魂だけの存在なのですが……」
「…………」

 バーバラを始め、皆が反応する。

「夢の世界の、住人って事……?」
「……ええ。でも、心配なさらないで下さい。人々の夢の力があれば、再び天空城は蘇ります」

 兵士の背中から白い羽のような物が見えた気がして、皆は目をこすった。

「お待たせしました。こちらです」

 案内された扉は記憶と同じ、デュランが居た玉座へと続く扉だった。美しい輝きを放つ石に繊細な彫刻が掘られている。

 ドクン。
 胸の奥が震える。そんなユナに気付いて、バーバラが手を握ってくれた。

「バーバラ……」
「大丈夫、大丈夫だから……」

 小さくて華奢な手がとても心強く感じてユナは頷いた。
 ゼニス王、天空の城……。記憶を隠していた霧がゆっくりと、しかし確実に晴れていく。
 恐怖を押し殺して足を進ませた。本当の事を知りたい想いが背中を後押しする。大きな扉がゆっくりと開き、ユナはしっかりと前を見つめた。

「デュランを倒してくれた者たちだな?」

 良く通る声が迎える。
 心臓を揺さぶられながら目にした男は、この苦しみを立証するのには物足りない白い髭を蓄えた初老の王だった。

「心から礼を言う。魔王から天空城を攻め落とされ、デュランから力を封印され為す術が無かった」
「あなたが神の城を治める……ゼニス王ですか?」
「いかにも」

 ゼニス王はしっかりと頷いた。

「だが、強力な封印だったせいか力は戻ってはいない。世界を見通せる力も、守る力も失った。今はただの老いぼれの王だ」

 イメージしていた神との良い意味での相違にウィルは少し安心して言葉を続けた。

「これで4つ全ての封印が解けました。もう夢の世界は安全ですよね?」

 ゼニスは、神妙そうに首を振って

「そうは言い切れない。夢の世界の気はまだ不安定で、半分ほどしかとどまってはおらん。おそらく大魔王の仕業だ。私の力が戻っていないのも、夢の世界が不完全な事と関係があるのだろう」

 言葉を選びながら、淡々と述べた。世界を統べる王は、夢の世界の異変をひしひしと感じているようだった。

「大魔王は狡猾だ。まさか夢の世界にまで手を伸ばすとは私たちも思っては居なかった。迂闊だった、不意を突かれて力の源を4つも奪われてしまった」

 ウィルたちは真剣な眼差しで王の言葉を聞いていた。

「だが、大魔王の計画に綻びが生じた。それが……お主たちだ。お主たちは神が全て封印されたこの地で戦って、封印を全て解放してくれた。改めて礼を言う」

 ゼニス王は立ち上がると深々と頭を垂れた。
王自ら頭を下げると言うのは大変稀な行為で、ウィルは驚いて言葉を無くした。

「そっ! そんな! 頭を上げて下さい!! とにかく! 封印が全て解けて良かった!!」

 ようやく思考が動きだし、手を振って同様に頭を下げる。

「……ゼニス王、所で……大魔王はどこに居るのですか?」

 ミレーユが一歩前に出て尋ねた。

「狭間の世界だ」

 聞き慣れない言葉に皆は顔を見合わせた。ゼニスは顎髭を触って

「夢と現実の間に有る、虚構の世界。魔王が自ら作り出した世界だ」

 顔を見合わせる皆の顔が怪訝に曇っていく。

「魔王が作った、魔王の世界……?」
「そっそんな……んな所、どうやって行けば……!」

 ゼニスはコホンと咳払いをする。

「ペガサスだ、ペガサスは時空の壁を超える事が出来る」
「ペガサス?」

 次から次へと飛び込む違う世界の話に皆の言葉が途切れる。戸惑いながらもゼニス王の話にじっと耳を傾けるしかなかった。



「詳しい事を有り難うございました。大魔王の事、狭間の世界の事、精霊ルビス様の事。これから成すべき事がハッキリ分かりました」

 代表する形でウィルがそう言った。

「力は無くとも頭の中は無事なようだ、私の知識が必要ならいつでも来るがいい」
「ありがとうございます!」

 皆が一様に頭を下げる。ゼニスの目が、ミレーユが腰に下げているオカリナに止まった。

「お主、もしやグランマーズの後継者か?」
「え……?」

 懐かしいその名がまさかゼニスの口から聞けるとは思わなかったミレーユは耳を疑った。

「そのオカリナは精霊ルビスの魔力が宿っている、天空に伝わる秘宝だ。世界が闇に包まれた時にそのオカリナを吹けば、精霊ルビスの魔力が解放され奇跡が起こると言われておる。私の身に何か有った時の為にグランマーズに渡しておいた物だ」
「あのっ、おばあちゃんと、お知り合いなのですか?」

 ミレーユは驚きを隠せず、言葉に詰まりながら何とか尋ねた。

「かの人は高名な占い師で有ると同時に、高名な賢者でもあってな。世界が闇に包まれる事があれば、そのオカリナを持って勇者となるべき人物を捜してくれ、と昔からの盟約があるのだ」
「……まさか天空とおばあちゃんとの間にそんな関わりがあったなんて」

 驚きが未だにミレーユを支配していた。ミレーユはグランマーズの指示の元、ウィルたちを導いていたのは確かだったがこんな約束が有るなどとは、初めて知った。

「まさか、ここまでばあさんの筋書き通りだったってワケかよ!?」
「……それは違うと思うわ。おばあちゃんにも遠い未来は分からない。最初はおばあちゃんの作った道を歩いてたかもしれないけど、それは途中まで。ここまでこれたのは道なき道を皆が歩いたおかげよ」
「そうですね、さすがに占い師と言えど、私たちがここまでやるとは思ってなかったでしょう」

 感慨深げに皆は今までの自分たちの軌跡を辿っていた。
 ミレーユは、オカリナをそっと手に取った。天空城からグランマーズ、ミレーユへと受け継がれていったオカリナは歴史を感じさせるように鈍く光っていた。
 くるりとウィルは振り向いて

「それではゼニス王、オレたちは早速天馬の塔へ向かってペガサスを復活させて来ます。それからすぐにでも狭間の世界に向かって……」

 コホン、またゼニスは咳払いをしてウィルを見つめた。

「焦るとかえって良くない結果を招くぞ。相手は大魔王、そして大魔王の狭間の世界に突入するとなれば、しっかりと準備を整え鋭気を養う事が必要だ。それにお主たちは私たちの恩人でもある、良かったら今夜はもてなしをさせてくれ」
「よっしゃぁ!」

 待ってましたとばかりに、ハッサンが拳を上げる。

「はっは、喜んでもらえて光栄だ。野宿ばかりでは、気も滅入るだろう」

 気恥ずかしそうにウィルは頭をかいた。
 楽しそうな皆をよそに、ユナは真っ青な顔で何もしゃべる事が出来なかった。
 いつもと違う様子に気付いたテリーが声を掛けようとしたその時、鞄の縁から銀の横笛がガランと床に音を残して転がった。
 皆がその音に注目して振り返る。真っ青なユナは笛を拾うことも出来ずにただ立ちつくしていた。

「ユナっ…!もしかして記憶が……」

 隣にいたバーバラが支えるように肩を掴む。ユナの体は小刻みに震えていて、目の焦点も合っていない。

「ゼニス王……?」

 バーバラがその言葉に振り向くと、そこには驚きの形相をしたゼニス王が、強い衝撃を受けたかのように立ちすくんでいた。

「ユリアナ……」

 知らない名前を、ゼニスは口にした。ゼニス王は愕然としたまま一歩一歩ユナに近づいた。

「ユリアナ……なのか……?」

 ユナの中に聞き覚えの有る声と、聞き覚えの有る音が響いた。

「ち……が……」

 それは鐘の音。薄気味悪い、夜を知らせる鐘。その鐘が鳴ると始まる、耐え難い恐怖の時間。

「ちが……う…………」

 そんな名前じゃない、私は、オレは、私は、……じゃない。

「い……やだ…………」

 ユナは震える体を両手で必死に押さえつけた。
 足が震えて、床に崩れ落ち、それでもなお震えは増すばかりで。

 ピチャン。
 生暖かい物がユナの中に込み上げた。
 瞬間
 忘れていた、忘れようと努力した映像が勢いよく頭に流れ込んだ。

「いやあああああああっ!!」

 ユナの背中から、黒い翼が羽ばたいた。



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